尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『早すぎた男 南部陽一郎物語』を読むー理系本の傑作

2022年09月17日 20時42分48秒 | 〃 (さまざまな本)
 講談社BLUE BACKSから2021年10月に出た中島彰著『早すぎた男 南部陽一郎物語』は素晴らしく面白い本だった。2008年にノーベル物理学賞を受賞した、あの南部陽一郎博士の評伝である。物理学の専門業績に関しても理解しやすく書かれている。しかし、もちろん判らないところは判らない。読んでる間は判ったつもりになっているけど、読み終わると忘れている。まあ「自発的対称性の破れ」や「量子色力学」を僕のブログで理解しようと思う人もいないだろう。

 この本はホントにものすごく面白い読書体験で、最近読んだ新書の中で一番充実していた。書評を読んですぐに買ったんだけど、何しろ畑違いだから一年近く放っておいた。でも『ウクライナ現代史』や『日本共産党』よりも面白かったのである。理系本でも新書ぐらいなら時々読みたい。知らない世界が興味深いし、頭の体操になる。その際、学者が書くよりも、科学分野の専門ライターが書く方がずっと判りやすいことが多い。この本の著者の中島彰(1954~)氏も肩書きが「サイエンス作家」になっている。東大工学部卒業後、日本経済新聞社に入社して、科学技術担当編集委員、『日経先端技術』などを担当した。講談社ブルーバックスから『「青色」に挑んだ男たち』『現代素粒子物語』『現代免疫物語』3部作などを書いている。

 南部陽一郎(1921~2015)は2021年が生誕百年で、この本もそれに合わせて刊行された。東京で生まれたが、関東大震災で被災して父の故郷の福井市に帰って育った。父親は家業の仏壇屋を継ぐのを嫌って上京し、帰郷後も英語教員をしたという。福井中学から、東京の一高、東京帝大理学部物理学科に進学した。すでに令名を馳せていた湯川秀樹に憧れたが、東大には素粒子物理学の講座はなかったのである。そこまでは調べていなかった。戦時中で繰り上げ卒業し、陸軍の技術研究所に召集されたが、宝塚の研究所で智恵子夫人と知り合った。夫人側の「一目惚れ」で、戦争中に結婚しているのである。

 敗戦後に東大に戻ったが、住宅事情が悪く一人で教室に泊まり込む日々。湯川秀樹に次ぎ日本で2人目にノーベル賞を受けた朝永振一郎(ともなが・しんいちろう)のゼミ(東京文理科大、後の東京教育大、筑波大)に参加したりした。その頃、1949年に湯川秀樹がノーベル賞を受賞した。翌1950年、大阪市大助教授に招かれ、豊中市(大阪府)の妻の実家から通えるようになった。63頁に貴重な写真が掲載されている。京都大学の基礎物理学研究所設立準備室のメンバーを撮った写真で、湯川、朝永に加え、坂田昌一伏見康治武谷三男らに混じって南部も入っている。日本物理学界のそうそうたるメンバーがそろって壮観だ。
(2008年にノーベル物理学賞を受けた南部、シカゴ大学で)
 1952年にアメリカのプリンストン高等研究所に留学した。そこにはアインシュタインがいて、日本で南部が翻訳した『晩年に想う』にサインをもらったりしている。しかし、そこにはなじむことが出来ず、2年後にシカゴ大学に拾われるように移った。そこでBCS理論と言われる超伝導に関する理論から、やがて「自発的対称性の破れ」理論を提唱する。しかし、新理論の内容を論文に書く前に学会で明かして、他の研究者に先に論文を書かれてしまったという。そのため一時は自発的対称性の破れで現れる粒子を「ゴールドストーン粒子」と呼ばれてしまったが、今は南部の功績が認められ「南部ゴールドストーン粒子」と呼ぶという。
(自発的対称性の破れ)
 南部陽一郎は「自発的対称性の破れ」「量子色力学」「ひも理論」など、その後の物理学に大きな影響を与える理論を次々と生み出した。しかし、それらの内容は僕の手に余るから判ったようなことは書かない。本の中ではちゃんと説明されていて、とても判りやすい。読んでるときに悩んで立ち止まることはまずない。しかし、南部理論に基づいた研究が次々とノーベル賞を取る中で、「予言者」「魔法使い」とも呼ばれた南部はノーベル賞に遠かった。難解すぎてスウェーデン王立アカデミーがなかなか真価を理解出来なかったとも言われる。だが南部理論から生まれたヒッグス粒子の存在証明が取り沙汰されるようになって、ついに2008年にノーベル物理学賞を受賞した。日本の益川敏英小林誠と共同受賞だった。
(ノーベル賞授賞式、左から小林、益川、化学賞の下村脩)
 しかし、その時には妻の体調が悪く、授賞式は欠席することになった。この受賞に至るまでには、南部陽一郎論文集をまとめてくれた江口徹(東大名誉教授)、西島和彦(東大、京大名誉教授、文化勲章)の貢献が大きいという。南部の人柄、特にシカゴで夫妻に歓待された研究者のエピソードが多く出て来る。一見、順風のような研究者人生だけど、よく見れば多くの挫折や紆余曲折があった。そして「南部ゴールドストーン粒子」の正体こそ、湯川秀樹が存在を予言したパイ中間子だとされている。日本物理学史上に輝く巨人である二人は深い縁で結ばれていたのである。最高に面白かった理系本。

 なお、外国の理系本ではイギリスのサイモン・シン(1964~)が最高。もともとケンブリッジで物理学の博士号を取得したが、BBCのプロデューサーになった。有名な『フェルマーの最終定理』(新潮文庫)も最初はテレビ番組だった。その後『暗号解読』『宇宙創生』『数学者たちの楽園』、及び共著の『代替医療解剖』がある。全部は読んでないけど、『フェルマーの最終定理』の圧倒的な面白さは忘れられない。『代替医療解剖』は鍼やホメオパシーを論じた本で、読んでおいた方がいい。
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