7月7日は「七夕」だが全国的に雨模様で、九州では大被害が生じている。もっとも旧暦ならこれは「五月雨」(さみだれ)になる。それはともかく、7月7日は日中戦争の発火点となった盧溝橋事件の起きた日である。事件は現地での短期処理も可能だったと思うが、結局8年に渡る全面戦争の始まりになってしまった。「戦争と文学」シリーズを読み始めて、先月は「オキナワ 終わらぬ戦争」を読んだので、7月は「日中戦争」だと決めて読み始めた。これが難物で、途中で「関ヶ原大乱 本当の勝者」(朝日文庫)に一時避難したが、まあ何とか終わったので報告。
(表紙=清水登之「難民群」)
昔の小説、戦時中に書かれた作品が結構収録されていて、これが大変だった。和辻哲郎、小林秀雄の評論は今では読む意味が判らない。解説の浅田次郎が絶賛している日比野士朗「呉淞(ウースン)クリーク」は確かに「戦場文学」として今でも読める作品だった。「事変」が上海に飛び火した後で、決死のクリーク渡河作戦を綿密に描く。作者は兵士として従軍して帰還後に書いた。兵士は「部品」であって、一体何のために戦うのかなどは考えない。
考えてはいけないし、考えないように訓練されている。しかし今ではそれでは「文学」として中途半端である。また戦場でタバコを吸いすぎだ。これほど不用意だと煙火で敵に位置を知らせてしまう。火野葦平の「煙草と兵隊」を読むと、火野は煙草嫌いだったらしい。両者を合わせ読むと、「軍隊と喫煙」というテーマが浮かび上がる。
直木賞作家で生涯戦争小説を書いた伊藤桂一(1917~2016)の「黄土の記憶」は山西省の山中をひたすら行軍する兵士たちのスケッチである。特に戦争を告発しようというような姿勢ではないだけに、淡々と描写される中に、強姦や略奪が出てくると驚いてしまう。ほとんど自然の成り行きのように「ガマンできなくなった」と強姦に出かける男。蔓延する性病。そんな中で、敵兵とのわずかな触れあいもある。著者と思われる主人公は、もともと文学青年だが、戦場でも短歌を詠むことで正常な感覚を維持している。長命だった伊藤氏はインタビューも収録されている。小説なんだけど、「日本人の戦争観」を振り返るときに、伊藤桂一の仕事は落とせない。
(伊藤桂一)
棟田博(むねた・ひろし、1908~1988)という作家がいる。一生「兵隊小説」を書いた人で、渥美清の出世作である「拝啓天皇陛下様」の原作者として名前は知っていた。「軍犬一等兵」で初めて読んだが、なかなか達者な大衆文学だった。僕は「軍犬」、つまり軍で使役される犬だけど、地雷探査犬などというものが日本軍にもいたのか。匂いで地雷を見抜くのである。そんな犬の訓練をする兵士の哀歓を描く作品。軍に献納される前の「元の飼い主」との交流もほろ苦い。知らない話なので興味深かったけれど、戦争を考えさせるヒントにはならない。
(棟田博)
考えるヒントになるのは、駒田信二「脱出」や富士正晴「崔長英」だ。特に後者は中国人の苦力(クーリー、現地で徴発された軍属の労働者)が、馬を扱うときだけ異様な能力を発揮する様を描く。「肉体の門」「春婦伝」などを書いた戦後の大人気作家、田村泰次郎(1911~1983)の「蝗」(いなご)は興味深い作品。「政治問題」になる前の「慰安婦」の語られ方を知る意味でも重要だ。主人公は遺骨を入れる白木の箱を運ぶ任務を負っているが、同時に「ついでだから」と朝鮮人慰安婦5人を前線に連れて行く任務も仰せつかる。日本人慰安婦はもっと後方の町にいて、「将校専用」である。前線の兵士には朝鮮人を連れていくしかない。
(田村泰次郎)
主人公はそれまでは「慰安所」も利用していたのに、任務中という意識があるからか、移動中は「その気」にならない。しかし途中途中で、「減るもんじゃなし」とあちこちの軍で無理やり「慰安婦」の「提供」を求められる。そんな道中にも敵の攻撃もあれば、蝗の大襲来もある。「冒険小説」的な趣はなくて、ただ「これが戦場だ」というような感覚で書かれている。まさに「従軍慰安婦」だが、こうして前線まで連れ出した「慰安婦」を日本軍は戦場に置き去りにした。戦後すぐの段階で書かれたという「時代性」を意識に入れた上で、重要な作品だ。
田中小実昌「岩塩の袋」は傑作短編だが、ただ岩塩を一番奥に詰めながら行軍する日本軍の姿がほとんど「不条理文学」である。重い荷物を持って、暑い陽射しの中を、ただひたすら歩き回る。これは熱中症の危険と今では言うわけだが、兵士たちは突然倒れて死ぬ。何のためにそんなことをしているのか。輸送手段がないところに兵士を送っても意味がないだろう。兵站を無視して、補給なしで現地で奪えばいいというような方針は「指導」の名に値しない。そこまでして戦う意味を誰も判らない。「文学」ではなく、歴史の本が必要だと思う。
このシリーズは「日本文学」というか、「日本語文学」しか対象にしていないから、この不条理な軍隊に国土を荒らされた中国側の記録は出て来ない。それがこの巻を読んで、今ひとつ面白くなかった最大の理由だと思う。触れなかった作品も多いが、僕には面白くなかった作品。

昔の小説、戦時中に書かれた作品が結構収録されていて、これが大変だった。和辻哲郎、小林秀雄の評論は今では読む意味が判らない。解説の浅田次郎が絶賛している日比野士朗「呉淞(ウースン)クリーク」は確かに「戦場文学」として今でも読める作品だった。「事変」が上海に飛び火した後で、決死のクリーク渡河作戦を綿密に描く。作者は兵士として従軍して帰還後に書いた。兵士は「部品」であって、一体何のために戦うのかなどは考えない。
考えてはいけないし、考えないように訓練されている。しかし今ではそれでは「文学」として中途半端である。また戦場でタバコを吸いすぎだ。これほど不用意だと煙火で敵に位置を知らせてしまう。火野葦平の「煙草と兵隊」を読むと、火野は煙草嫌いだったらしい。両者を合わせ読むと、「軍隊と喫煙」というテーマが浮かび上がる。
直木賞作家で生涯戦争小説を書いた伊藤桂一(1917~2016)の「黄土の記憶」は山西省の山中をひたすら行軍する兵士たちのスケッチである。特に戦争を告発しようというような姿勢ではないだけに、淡々と描写される中に、強姦や略奪が出てくると驚いてしまう。ほとんど自然の成り行きのように「ガマンできなくなった」と強姦に出かける男。蔓延する性病。そんな中で、敵兵とのわずかな触れあいもある。著者と思われる主人公は、もともと文学青年だが、戦場でも短歌を詠むことで正常な感覚を維持している。長命だった伊藤氏はインタビューも収録されている。小説なんだけど、「日本人の戦争観」を振り返るときに、伊藤桂一の仕事は落とせない。

棟田博(むねた・ひろし、1908~1988)という作家がいる。一生「兵隊小説」を書いた人で、渥美清の出世作である「拝啓天皇陛下様」の原作者として名前は知っていた。「軍犬一等兵」で初めて読んだが、なかなか達者な大衆文学だった。僕は「軍犬」、つまり軍で使役される犬だけど、地雷探査犬などというものが日本軍にもいたのか。匂いで地雷を見抜くのである。そんな犬の訓練をする兵士の哀歓を描く作品。軍に献納される前の「元の飼い主」との交流もほろ苦い。知らない話なので興味深かったけれど、戦争を考えさせるヒントにはならない。

考えるヒントになるのは、駒田信二「脱出」や富士正晴「崔長英」だ。特に後者は中国人の苦力(クーリー、現地で徴発された軍属の労働者)が、馬を扱うときだけ異様な能力を発揮する様を描く。「肉体の門」「春婦伝」などを書いた戦後の大人気作家、田村泰次郎(1911~1983)の「蝗」(いなご)は興味深い作品。「政治問題」になる前の「慰安婦」の語られ方を知る意味でも重要だ。主人公は遺骨を入れる白木の箱を運ぶ任務を負っているが、同時に「ついでだから」と朝鮮人慰安婦5人を前線に連れて行く任務も仰せつかる。日本人慰安婦はもっと後方の町にいて、「将校専用」である。前線の兵士には朝鮮人を連れていくしかない。

主人公はそれまでは「慰安所」も利用していたのに、任務中という意識があるからか、移動中は「その気」にならない。しかし途中途中で、「減るもんじゃなし」とあちこちの軍で無理やり「慰安婦」の「提供」を求められる。そんな道中にも敵の攻撃もあれば、蝗の大襲来もある。「冒険小説」的な趣はなくて、ただ「これが戦場だ」というような感覚で書かれている。まさに「従軍慰安婦」だが、こうして前線まで連れ出した「慰安婦」を日本軍は戦場に置き去りにした。戦後すぐの段階で書かれたという「時代性」を意識に入れた上で、重要な作品だ。
田中小実昌「岩塩の袋」は傑作短編だが、ただ岩塩を一番奥に詰めながら行軍する日本軍の姿がほとんど「不条理文学」である。重い荷物を持って、暑い陽射しの中を、ただひたすら歩き回る。これは熱中症の危険と今では言うわけだが、兵士たちは突然倒れて死ぬ。何のためにそんなことをしているのか。輸送手段がないところに兵士を送っても意味がないだろう。兵站を無視して、補給なしで現地で奪えばいいというような方針は「指導」の名に値しない。そこまでして戦う意味を誰も判らない。「文学」ではなく、歴史の本が必要だと思う。
このシリーズは「日本文学」というか、「日本語文学」しか対象にしていないから、この不条理な軍隊に国土を荒らされた中国側の記録は出て来ない。それがこの巻を読んで、今ひとつ面白くなかった最大の理由だと思う。触れなかった作品も多いが、僕には面白くなかった作品。
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