尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「向う側」にひかれて-日野啓三を読む①

2017年02月27日 22時25分36秒 | 本 (日本文学)
 池澤夏樹に続いて、2月は日野啓三の小説をずっと読んでいた。誰だって言われるかも知れないけど、読んだ感想をまとめておきたい。森友学園問題も根が深そうだし、トランプ大統領をめぐる問題もつきない。映画はともかく、小説について書くとグッと反響がなくなる。別に読者数を気にして書いてるわけじゃないけど、やっぱり「日本の小説を読む」なんてマイノリティなのか。

 日野啓三(1929~2002)は亡くなって10年以上経っている。もう文庫本も講談社文芸文庫に何冊か生き残っているぐらいだろう。(古書はネットでいくらでも見つかるし、図書館にもいっぱいあるけど。)それにしても、なぜ今、日野啓三なのか。特に理由はなくて、前から気になって文庫をけっこう買っていたのである。それがもう20年以上前。そのまま読まないでいた。たまたま年末に整理したら、その文庫群が出てきた。解説を先に読むタイプじゃないから気づかなかったけれど、3冊も池澤夏樹が解説を書いていた。「セレンディピティ」みたいなものか。

 日野啓三は、1974年下半期の第72回芥川賞を「あの夕陽」で受けた。それが自身の結婚生活(の破たん)を扱っていたから、「私小説作家」と思われたりした。読売新聞外報部に勤務して、60年代半ばには戦場のベトナムに特派員として派遣された経験を持つ。だから、「社会派」的な「ベトナム報道」という本も書いている。そして、80年代になると、「抱擁」「夢の島」などの「都市幻想小説」を書いた。1990年にガンの手術をして、その後は「闘病小説」も書いている。
(日野啓三)
 そういう風に、「さまざまな顔を持つ作家」だと僕は思っていた。でも、今回まとめて読んでみて、まったく違った感想を持った。私小説的だったり、病気をしたり、ベトナムを舞台にしたり、いろいろあるけど、すべて共通して「自分はここにいていいのかと思う主人公」を扱っている。自分を前面に立てるときもあり、幻想を詩的にうたいあげるときもある。追想を中心にしたり、幻覚を語るときもある。でも、すべて「自分はなぜここにいるのか」と感じている主人公を描いている。

 日野啓三は、もともと文系志望じゃなかったらしいが、敗戦直後の東大社会学部在学中に「戦後文学」(野間宏など)に出会う。そして、一高で一級下だった大岡信(詩人)や佐野洋(推理作家)と大学時代に同人雑誌を作っていた。でも、その時点では一貫して「文芸批評」を書いていて、「小説」は封印していた。卒業後も読売新聞に入社した。そんな日野啓三が「作家になった」のは、1965年1月29日のサイゴンである。この日、あの20歳の少年レ・バン・グエンが中央広場で公開銃殺刑になった。開高健岡村昭彦も日野とともに目撃していた。開高健もその衝撃を書いていた(と思う)けど、それほどの衝撃だったのだ。

 そこで、日野の最初の小説「向う側」(1966)が書かれた。これはベトナムで行方不明になった前任の特派員を探し求める後任者の物語だった。探し求めると、彼は「向う側」へ行くと言って消えたらしい。これはベトナム戦争下の特派員としては、一応「解放戦線支配地区」へ向かったと考えられる。しかし、もっと形而上的な「向う側」かもしれず、あるいは自殺や精神疾患なのかもしれない。そこらへんはよく判らない。つまり、ベトナム戦争を舞台にしながらも、日野啓三は戦場ルポや社会派小説を書かなかった。「物語」というには難解な部分が多い、「戦後文学」的な難渋が付きまとった作品を書いた。

 1974年に芥川賞を受賞したが、その時は45歳。今では特に問題にならないけど、当時としては「若手」ではなかった。翌年には中上健次の「」(74回)、続いて1976年には村上龍限りなく透明に近いブルー」が受賞する時代である。日野啓三はちょっと古めかしい私小説作家と思われたわけである。だけど…、80年代になって突然全く違った作風になった。

 それが1982年の「抱擁」(泉鏡花賞)で、今回読んで一番面白かった。読みやすいし、力強い。東京という大都市の中にある、もう滅びゆくような洋館。そこに暮らす謎めいた少女とその老祖父。というちょっと通俗めいた作風に、「向う側」を求める人々を生き生きと描いている。祖父の息子、少女の父は、10年ほど前にベトナムに赴任していた外交官だが、「向う側」へ行くといったまま行方不明になっている。
(「抱擁」)
 つまり、これは(特派員と外交官の違いがあるけど)、明らかに「向う側」から続く物語だったのである。そして、その「向う側」は明らかに「政治的な向う側」ではなく、この世に不適格な人々の「心の向こう側」だった。滅びかけた洋館とはかない少女という「装置」を通して、非常に強いファンタジーを紡いでいる。今も現実社会に居場所を見つけがたいと思う人には強い吸引力を持っていると思う。是非、再評価がなされて欲しい小説である。
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3 コメント

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日野 ()
2020-11-30 11:25:14
とあるもの書きで編集者ですが、いま日野啓三のことを本に書いています。向う側について調べていたら、こちらに誘導されまして、私が一番好きな「抱擁」のことが書かれていてびっくり! ときどきお邪魔します。ご存じでしょうが、池澤版の文学全集に、開高と日野が一巻でまとめられたのは、池澤さんの功績ですね
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開高健読み途中 (ogata)
2020-11-30 22:10:34
 コメント拝見しました。何だか書いたことも忘れてましたが、3年前に読んでたんですね。昔から「ベトナム戦争」にも関心がありましたが、同時に「幻想小説」も好きでした。日野啓三氏は両方あって、昔から買うだけは買っていたのです。

 開高健は生前にほとんど読んでいたので、もうずいぶん読んでませんでした。しかし、最近あちこちの文庫で新刊が出てるので、ちょっと読み直しています。20年経つと、ずいぶん社会状況も変わるので、読み直しが必要だと思ってます。(映画なども同じ。)

 開高健はまた別に書きたいと思っています。日野啓三氏の本、期待しています。
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Unknown ()
2020-12-01 10:00:42
コメント返し、恐縮です。

それにしても、読書量に圧倒されます。わたし二十年余、出版社、出版界にいますが、往年の作家たちはともかく、意外と現代小説は読めなかったりもしているんで。歴史が専門なんですが、中世への言及などもされていて広く渉猟されていますね。私の次の書籍は、実は教育本なんですが、そこで日野氏のことを「使う」という塩梅です。もっと再評価されていい方だと思います。開高はオーパが豪華版で出たりと、いまだに需要はあるようですね。
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