尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

凄まじすぎる!「大阪府教育基本条例(案)」

2011年10月10日 20時19分40秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 大阪の「教育基本条例案」については、ついちょっと前にこういう風に書いた。「最近の「教育基本条例」については書いてないけど、もう呆れ返ってこんな小さなブログで書く気も起こらない。近々あるらしい「知事・市長ダブル選」で大阪の人に頑張ってもらうしかない。もはや教育論議の枠を超えて、「独裁」権力といかに立ち向かうかに移りつつあると言うべきか。」ところが8日の教員免許更新制廃止に向けたシンポジウムで、中央大学の池田賢一さんが学生と一緒に読んで見たら、あまりにすごくて学生が大笑いしたと言っていたので、やはり読んで見ようかという気になった。

 僕はこの条例案をマスコミで知って、「学校をピラミッド化し、校長中心の組織を徹底する」、さらに「知事の命令で教育が進められるように政治主導にする」、「エリート教育化を進め、格差を広げる」、「教員の成績評価で下位が連続すると免職もありうる制度として、教員の競争を激化させ校長の意向に沿わせるようにして、教員の意欲をそぐ」というものだと思った。全部間違っていないが、なんとそれだけでは済まなかった。ここまでくると、やはり「社会改造運動」であり、「ハシズム」ならぬ「ファシズム」運動に近づいているような気がする。この驚くべき条例案は、大阪の人だけでなく、全国民が全力で止めるべき内容だ。マスコミももっと細かく内容を伝えて欲しい。大阪府議会のホームページに出ているが、批判派の「自由法曹団」のホームページにアップされている方が見やすいので、検索するとこれが出てくる。そこにリンクを張っておくことにする。

「保護者」の義務 この条例は学校の内部の問題で、教育委員会や校長や教員の問題だと思ってる人が多いと思う。しかし、何と「保護者の規定」がある。以下、引用。
 (保護者)
第10条 保護者は、学校の運営に主体的に参画し、より良い教育の実現に貢献するよう努めなければならない。
2 保護者は、教育委員会、学校、校長、副校長、教員及び職員に対し、社会通念上不当な態様で要求等をしてはならない。
3 保護者は、学校教育の前提として、家庭において、児童生徒に対し、生活のために必要な社会常識及び基本的生活習慣を身に付けさせる教育を行わなければならない。

 ねっ、すごいでしょ。保護者には学校運営に主体的に参画する努力義務が課される。さらに「不当な態様等で要求等」の禁止規定。子供への基本的生活習慣の教育義務。そりゃあね、「モンスターペアレント」もいるだろうし、基本的生活習慣が身についてない生徒なら一杯いる。しかし、それを条例で禁止、強制してどうなるというんだろう。子供の生活習慣の背後には、貧困や差別、経済や住宅や医療や福祉などの問題が潜んでいる。ただ条例で決めて親に徹底できる問題ではない。むしろ、政治家に貧困や福祉の問題を解決する努力義務を課す方が先ではないのか。この条項を読むと、学校だけの問題ではなく、社会改造運動を目指していると僕が考えるのが判ってもらえると思う。

(児童生徒に対する懲戒)
第47条 校長、副校長及び教員は、教育上必要があるときは、必要最小限の有形力を行使して、児童生徒に学校教育法第11条に定める懲戒を加えることができる。但し、体罰を加えることはできない。
2 府教育委員会は、前項の運用上の基準を定めなければならない。

 この「懲戒」と「体罰」はどこが違うのか?運用基準を作ると言ってるけど、「有形力の行使」が容認されている。そりゃあ、言うことを聞かない生徒に強い口調で指導しなければならない時はあるだろうし、親の方から「言うことを聞かない時は、いつでもたたいてくれ」なんて言われる時もある。でも、この条例が通ると教員は他のクラス、他の教科などに負けられない強い競争の中に放り込まれる。成績評価が身分に直結するから、学校全体、学年全体で協力、連帯して生活指導に当たることはできない。一人で悩んで生徒に強く出なければならないプレッシャーに直面する。そこで「有形力の行使」を認めれば、「隠された体罰」が横行することは目に見えている。親は「不当な要求をしてはならない」から、学校に疑問をぶつけることはもはやできない。そうなるに決まってる。

(学校法人化等による分限免職)
第40条 学校法人化等により職制が廃職される場合で、当該職制に所属する教員等が学校法人化等された当該事業に再就職する機会が与えられている場合は、原則として当該職制に所属する教員等を分限免職することができる。

 これはなんだろう?府立学校(高校、特別支援学校)に関する条例でしょ。「法人化」への方向が明らかにされているのか?公立学校を「民営化」していく志向があからさまに示されている。しかも「再就職する機会が与えられている」とは「再就職する」ではないので、「機会」さえ与えればよい。就職の有無は新法人の側で選考するから、落とされても府の側で責任はない。要するに、旧法人の国鉄(清算事業団)を解雇されても、新法人のJRが雇用する義務はないとされてしまったのと同じ。こうして組合活動家などは排除して「学校民営化」がもくろまれていると考えるのは、考え過ぎか?

懲戒規定のすさまじさ
 あまりに長くなるので全部引用できないが、東京都教委もずいぶん面倒くさくなったけど、その比ではない。あらゆる事例を網羅しようと、次のような規定まで書き込んである、この文案を作った人の「暗い情熱」には驚きを通り越して背筋が寒くなる思いがする。
 42 放火をした教員等 免職
 43 人を殺した教員等 免職 是非、全73項目を自分で確かめて欲しい。

教員の勤務規定では、「教員は、自己の崇高な使命を深く自覚するとともに、組織の一員という自覚を持ち、教育委員会の決定、校長の職務命令に従うとともに、校長の運営指針にも服さなければならない。」とされている。一方、校長は、授業・生活指導・学校運営等への貢献を基準に、教員及び職員の人事評価を行う。人事評価はSを最上位とする5段階評価で行い、概ね次に掲げる分布となるよう評価を行わなければならない
  (1)  S   5パーセント
  (2)  A   20 パーセント
  (3)  B   60 パーセント
  (4)  C   10 パーセント
  (5)  D   5パーセント
 東京では、この%強制をめぐり問題化しているが、東京の4段階と違い大阪は5段階でBの6割が異常に多い。これは「行わなければならない」で努力義務ではなく決定である。この「6割が真ん中」が曲者で、普通にやってれば真ん中に入れそうで、「すごく優秀な教員」は別格として、「普通の教員」と「病気や介護などを抱えてしんどい教員」の間にくさびをうちこみ、学校の連帯を完全に壊す意図がはっきりしている。しかし、下位の5%が連続してDをつけられて免職になったら、今度は残りの95%の中で下位の5%にDをを付けなければならない。絶対評価でなく相対評価なので、永遠に競争は続いて行く。

 一方、「府は、自立支援が必要な児童生徒、学習障がい及びこれに類似する学習上の困難を有する児童生徒が等しく教育を受けるために必要な措置を講ずるよう、努めなければならない。」とされ、府がやらなければならないことは「努力義務」で済まされている。これこそ「講じなければならない」とするべきところでしょ。「心身の故障の場合」の冷たさも印象的だし、「行方不明の場合」なんかまでわざわざ決めてある。

 全体を通じて、何でも条例で規定してしまおうというその精神そのものが危険きわまりない。この恐ろしさはやはり大阪だけの問題ではなく、皆で共有しなければならないと思う。
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