昔の映画を見ることが多いのだが、最近の新作ではフランス映画『12日の殺人』がなかなか面白かった。フランスを代表する映画賞セザール賞の作品賞を2022年度に受けた作品である。2023年度の作品賞はこの前書いた『落下の解剖学』だった。二つの映画はともにフランス東部のグルノーブルが舞台で、「事件」をめぐる物語という共通点がある。しかし、後者が「法廷映画」なのに対し、こちらは「警察捜査映画」になっている。実際に起きた事件をモデルにして舞台を移したらしい。
題名通り、事件は12日に起きる。10月12日の深夜、パーティーから帰る途中で女子大生クララが何者かにガソリンをかけて火を付けられた。グルノーブル近郊の山間の住宅地である。そのとき警察では、引退する殺人捜査班長の送別会が開かれていた。新しく班長に昇格したヨアンにとって、初めての大事件である。被害者の身元はすぐに判明した。被害者のスマホが無傷で残っていて、鳴り出したからである。電話は親友のナニーからで、前夜はそこでパーティーをしていたのである。
(ナニーに聴取するヨアン)
ナニーからクララが付き合っていた男性を聞き出し会いに行くけど…。男には他に本命があって、クララの方が勝手に熱を上げていたという。他にもいろいろと男の影が見えてきて、自ら「セフレ」という男もいる。高校時代に付き合っていた男は、クララを焼いてしまいたいというラップをユーチューブにアップしていた。さすがに心配になって自ら出頭して釈明する。その間に刑事側の事情も語られる。相棒のマルソーは家庭が上手く行かず、ずっと警察に泊まっていたので、ヨアンは自分の家に泊める。それでもマルソーの心は荒れてしまい、問題を起こして捜査から離れて行く。ヨアンは時々自転車で走り回って精神的安定を得ている。
(ヨアンとマルソー)
様々な「容疑者」が現れながら、動機も判らず犯人は見つからない。そのまま時間が経って迷宮に入ったかと思われる時、ヨアンは女性の予審判事に呼び出される。3年目の命日が近づいた今こそ、この事件の再捜査を始めるべきだと言う。やり方としては、事件現場で張り込み、お墓にカメラを仕掛けることを勧められた。捜査班には今では女性刑事も入っている。張り込んでいると両親が現れるが、他には誰も来ない。一方、墓のカメラからは謎の男が現れて歌を歌うシーンが撮れていた。この男は一体何なのか?
(予審判事)
この映画では真相が判明して見る者がスッキリする結末は与えられない。捜査側は男性ばかりだが、被害者は女性である。事件は被害者に対する恨みなのか、それとも女性一般に対するヘイトクライムなのか。この映画は2013年に起きた事件を取材したノンフィクションの映画化だという。日本との司法制度の違いもあるが、被害者家族に伝える苦労などは同じである。捜査側から描いた物語だが、どういう経過をたどるのか見入ってしまう。人間心理を描く意味では『落下の解剖学』の方がすごいけど、フランス社会や女性に対する犯罪を考える意味では『12日の殺人』が興味深かった。
(ドミニク・モル監督)
監督のドミニク・モル(1961~)は、前作『悪なき殺人』を撮った人である。その映画は見てるけど、書かなかった。あまりにも入り組んだストーリーがちょっとご都合主義的に関連している感じがしたからである。今まで『ハリー、見知らぬ友人』(2001)や『マンク 〜破戒僧〜』(2011)という映画などが公開されているというが、全く記憶にない。セザール賞監督賞を『ハリー、見知らぬ友人』と『12日の殺人』で受賞している。確かな演出力を感じるが、女性の目で捜査に進展があるという観点が犯罪映画としての新味である。見て楽しいだけの映画じゃないが、見ごたえは十分だった。
題名通り、事件は12日に起きる。10月12日の深夜、パーティーから帰る途中で女子大生クララが何者かにガソリンをかけて火を付けられた。グルノーブル近郊の山間の住宅地である。そのとき警察では、引退する殺人捜査班長の送別会が開かれていた。新しく班長に昇格したヨアンにとって、初めての大事件である。被害者の身元はすぐに判明した。被害者のスマホが無傷で残っていて、鳴り出したからである。電話は親友のナニーからで、前夜はそこでパーティーをしていたのである。
(ナニーに聴取するヨアン)
ナニーからクララが付き合っていた男性を聞き出し会いに行くけど…。男には他に本命があって、クララの方が勝手に熱を上げていたという。他にもいろいろと男の影が見えてきて、自ら「セフレ」という男もいる。高校時代に付き合っていた男は、クララを焼いてしまいたいというラップをユーチューブにアップしていた。さすがに心配になって自ら出頭して釈明する。その間に刑事側の事情も語られる。相棒のマルソーは家庭が上手く行かず、ずっと警察に泊まっていたので、ヨアンは自分の家に泊める。それでもマルソーの心は荒れてしまい、問題を起こして捜査から離れて行く。ヨアンは時々自転車で走り回って精神的安定を得ている。
(ヨアンとマルソー)
様々な「容疑者」が現れながら、動機も判らず犯人は見つからない。そのまま時間が経って迷宮に入ったかと思われる時、ヨアンは女性の予審判事に呼び出される。3年目の命日が近づいた今こそ、この事件の再捜査を始めるべきだと言う。やり方としては、事件現場で張り込み、お墓にカメラを仕掛けることを勧められた。捜査班には今では女性刑事も入っている。張り込んでいると両親が現れるが、他には誰も来ない。一方、墓のカメラからは謎の男が現れて歌を歌うシーンが撮れていた。この男は一体何なのか?
(予審判事)
この映画では真相が判明して見る者がスッキリする結末は与えられない。捜査側は男性ばかりだが、被害者は女性である。事件は被害者に対する恨みなのか、それとも女性一般に対するヘイトクライムなのか。この映画は2013年に起きた事件を取材したノンフィクションの映画化だという。日本との司法制度の違いもあるが、被害者家族に伝える苦労などは同じである。捜査側から描いた物語だが、どういう経過をたどるのか見入ってしまう。人間心理を描く意味では『落下の解剖学』の方がすごいけど、フランス社会や女性に対する犯罪を考える意味では『12日の殺人』が興味深かった。
(ドミニク・モル監督)
監督のドミニク・モル(1961~)は、前作『悪なき殺人』を撮った人である。その映画は見てるけど、書かなかった。あまりにも入り組んだストーリーがちょっとご都合主義的に関連している感じがしたからである。今まで『ハリー、見知らぬ友人』(2001)や『マンク 〜破戒僧〜』(2011)という映画などが公開されているというが、全く記憶にない。セザール賞監督賞を『ハリー、見知らぬ友人』と『12日の殺人』で受賞している。確かな演出力を感じるが、女性の目で捜査に進展があるという観点が犯罪映画としての新味である。見て楽しいだけの映画じゃないが、見ごたえは十分だった。