2023年10月の訃報、外国人編。まずは中国前首相の李克強が27日に死去、68歳。これには驚いた。今年の3月まで首相(国務院総理)を務めていたのだから。水泳中に心臓発作を起こしたと報道されている。昨年の党大会で党の役職から退任していたが、その時点では内規の68歳定年に達していなかった。そこで政治局常務委員に残留し全人代常務委員長などに就任するという観測もあった。完全に引退したのは習近平との権力争いに敗北したと思われているが、体調面の問題もあったのか。76年の周恩来、89年の胡耀邦と同じように、追悼から反指導部運動が起きることを当局は警戒したようだが、そこまでは起きなかった。1993年から98年に共青団第一書記を務めていたので、本来なら胡錦濤の後継候補ナンバー1のはずである。2007年に中央委員から二段飛びで政治局常務委員に昇格したが、同時に昇進した習近平に遅れを取り最高指導者にはなれなかった。
(李克強)
(追悼する人々)
アメリカの女優、パイパー・ローリーが14日死去、91歳。17歳で映画デビューし、ロナルド・レーガンやトニー・カーティスらの相手役で人気となった。しかし、本人は決まり切った役柄に嫌気がさしてニューヨークへ行ってアクターズ・スタジオで演技を学んだ。生涯で3回アカデミー賞助演女優賞にノミネートされたが受賞は出来なかった。最初が『ハスラー』(1961)のポール・ニューマンの相手役、次いで『キャリー』(1976)、『愛は静けさの中に』(1986)である。またテレビ出演も多く、『ツイン・ピークス』でゴールデングローブ賞助演女優賞を受賞した。こう見てくると脇役として存在感があった俳優だった。
(『ハスラー』のパイパー・ローリー)
フィンランドの元大統領、マルッティ・アハティサーリが16日死去、86歳。2008年のノーベル平和賞受賞者である。外交官出身で国連事務次長などを経て、1994年から2000年まで大統領を務めた。(フィンランドは議院内閣制で、大統領は名誉職である。)大統領時代から国際紛争の調停に関わり、国連特使としてコソボ問題やインドネシアのアチェ和平合意などに尽力した。
(アハティサーリ)
元イングランド代表のサッカー選手、ボビー・チャールトンが21日死去、86歳。イングランド史上最高のサッカー選手と言われる。66年の自国開催ワールドカップではイングランドに初の優勝をもたらし、同年のバロンドールに選ばれた。テクニックとパワーを兼ね備えた選手と言われている。54年に17歳でマンチェスター・ユナイテッドに入団、56年にレギュラーに定着した。しかし、1958年2月8日、欧州チャンピオンズカップの帰路、ミュンヘン空港で主力選手の多くを失う飛行機事故「ミュンヘンの悲劇」に見舞われた。ボビー・チャールトンはシートベルトをした座席ごと機外に放り出されたが、奇跡的にケガもなく助かった。その時の精神的ショックを乗り越え、2ヶ月後に代表戦でデビューし初得点を挙げた。生涯で49得点を挙げ歴代3位となっている。常に冷静沈着なプレー、私生活でも模範的な紳士として知られ、94年には「サー」の称号を得た。日本との関わりも深く、Jリーグ発足やワールドカップ招致に協力し、福島県の施設「Jヴィレッジ」を命名した人でもある。
(ボビー・チャールトン)
アメリカの詩人、ルイーズ・グリュックが13日死去、80歳。2020年にノーベル文学賞受賞。1992年の『野生のアイリス』がピュリッツァー賞を受賞して評価された。日本では詩の翻訳は少なく、ノーベル賞受賞時にグリュックを知っていた人は少ないだろう。その後、翻訳も出ているが読んでいない。作風なども全然知らないので、何も書けない。
(ルイーズ・グリュック)
・モーリス・ブルグ、6日没、83歳。オーボエ奏者、指揮者。67年からパリ交響楽団の初代首席オーボエ奏者を12年務め、その後ソロや室内楽で活躍した。来日公演も多く、日本人の弟子も多い。日本で開催されている国際オーボエコンクールでは審査員を務めた。
・バート・ヤング、8日死去、83歳。アメリカの俳優。『ロッキー』で主人公の親友で、恋人エイドリアンの兄ポーリーを演じてアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。他に『カリフォルニア・ドールズ』など。
・カーラ・ブレイ、17日没、87歳。アメリカの女性ジャズピアニスト、作曲家。独学でジャズを学び多くの曲を作った。71年の『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』はLP3枚組のジャズ・オペラの大作で実験的色合いが強く評判となった。
・ズデニェク・マーツァル、25日没、87歳。チェコの指揮者。ソ連のチェコ侵攻を受けて亡命、世界約170の楽団を指揮し、2003年にチェコフィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任した。06年には日本のテレビドラマ「のだめカンタービレ」で「有名な指揮者」役で出演した。
・マシュー・ペリー、28日没、54歳。アメリカの俳優。テレビドラマ『フレンズ』で人気となった。


アメリカの女優、パイパー・ローリーが14日死去、91歳。17歳で映画デビューし、ロナルド・レーガンやトニー・カーティスらの相手役で人気となった。しかし、本人は決まり切った役柄に嫌気がさしてニューヨークへ行ってアクターズ・スタジオで演技を学んだ。生涯で3回アカデミー賞助演女優賞にノミネートされたが受賞は出来なかった。最初が『ハスラー』(1961)のポール・ニューマンの相手役、次いで『キャリー』(1976)、『愛は静けさの中に』(1986)である。またテレビ出演も多く、『ツイン・ピークス』でゴールデングローブ賞助演女優賞を受賞した。こう見てくると脇役として存在感があった俳優だった。

フィンランドの元大統領、マルッティ・アハティサーリが16日死去、86歳。2008年のノーベル平和賞受賞者である。外交官出身で国連事務次長などを経て、1994年から2000年まで大統領を務めた。(フィンランドは議院内閣制で、大統領は名誉職である。)大統領時代から国際紛争の調停に関わり、国連特使としてコソボ問題やインドネシアのアチェ和平合意などに尽力した。

元イングランド代表のサッカー選手、ボビー・チャールトンが21日死去、86歳。イングランド史上最高のサッカー選手と言われる。66年の自国開催ワールドカップではイングランドに初の優勝をもたらし、同年のバロンドールに選ばれた。テクニックとパワーを兼ね備えた選手と言われている。54年に17歳でマンチェスター・ユナイテッドに入団、56年にレギュラーに定着した。しかし、1958年2月8日、欧州チャンピオンズカップの帰路、ミュンヘン空港で主力選手の多くを失う飛行機事故「ミュンヘンの悲劇」に見舞われた。ボビー・チャールトンはシートベルトをした座席ごと機外に放り出されたが、奇跡的にケガもなく助かった。その時の精神的ショックを乗り越え、2ヶ月後に代表戦でデビューし初得点を挙げた。生涯で49得点を挙げ歴代3位となっている。常に冷静沈着なプレー、私生活でも模範的な紳士として知られ、94年には「サー」の称号を得た。日本との関わりも深く、Jリーグ発足やワールドカップ招致に協力し、福島県の施設「Jヴィレッジ」を命名した人でもある。

アメリカの詩人、ルイーズ・グリュックが13日死去、80歳。2020年にノーベル文学賞受賞。1992年の『野生のアイリス』がピュリッツァー賞を受賞して評価された。日本では詩の翻訳は少なく、ノーベル賞受賞時にグリュックを知っていた人は少ないだろう。その後、翻訳も出ているが読んでいない。作風なども全然知らないので、何も書けない。

・モーリス・ブルグ、6日没、83歳。オーボエ奏者、指揮者。67年からパリ交響楽団の初代首席オーボエ奏者を12年務め、その後ソロや室内楽で活躍した。来日公演も多く、日本人の弟子も多い。日本で開催されている国際オーボエコンクールでは審査員を務めた。
・バート・ヤング、8日死去、83歳。アメリカの俳優。『ロッキー』で主人公の親友で、恋人エイドリアンの兄ポーリーを演じてアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。他に『カリフォルニア・ドールズ』など。
・カーラ・ブレイ、17日没、87歳。アメリカの女性ジャズピアニスト、作曲家。独学でジャズを学び多くの曲を作った。71年の『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』はLP3枚組のジャズ・オペラの大作で実験的色合いが強く評判となった。
・ズデニェク・マーツァル、25日没、87歳。チェコの指揮者。ソ連のチェコ侵攻を受けて亡命、世界約170の楽団を指揮し、2003年にチェコフィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任した。06年には日本のテレビドラマ「のだめカンタービレ」で「有名な指揮者」役で出演した。
・マシュー・ペリー、28日没、54歳。アメリカの俳優。テレビドラマ『フレンズ』で人気となった。