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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

イタリア映画『遺灰は語る』、劇作家ピランデッロの遺灰

2023年06月27日 22時34分36秒 |  〃  (新作外国映画)
 最近古い映画を見ることが多くて、なかなか新作映画を見てないんだけど、同じ映画館でやってるから『青いカフタンの仕立て屋』に続いて『遺灰は語る』という映画を見た。あまりにも変テコな映画なので、紹介しておこうと思う。イタリアのパオロ・タヴィアーニ監督(1931~)91歳の作品である。というか、クレジット的には「デビュー作」と言うべきか。今までは兄のヴィットリオ・タヴィアーニ(1929~2018)と一緒に映画を作ってきて、「タヴィアーニ兄弟」と呼ばれてきた。兄の死後、高齢になってから一人で映画を作ったという心意気に驚くしかない。

 僕はイタリア映画が大好きで、ずいぶん見てきた。タヴィアーニ兄弟は『父 パードレ・パドローネ』(サルデーニャ島)、『サン・ロレンツォの夜』(トスカーナ)、『グッドモーニング・バビロン』(ハリウッドのイタリア移民)など、イタリア民衆の歴史を地方色豊かに描いてきた。その中に『カオス・シチリア物語』(1984)というオムニバス映画があり、題名通りシチリア島の風土が生かされた秀作だった。これは劇作家ルイジ・ピランデッロの短編小説からいくつか選んで映画化したものだった。
(ピランデッロ)
 ルイジ・ピランデッロ(1867~1936)は『作者を探す六人の登場人物』(1921)という「メタ演劇」のような戯曲で世界的に有名になった。主に劇作家として活動し、1934年にノーベル文学賞を受賞している。映画はその授賞式のニュース映像から始まる。監督は先の映画を作ったときに、今回の映画を構想していたというのだが、そのピランデッロの「遺灰」の行方を追うというのが今回の映画。シチリアの海に撒いて欲しいという遺言だったが、死んだ1936年はファシズム真っ盛り。独裁者ムッソリーニがローマに留め置けと命じて、ローマの壁に中に埋め込まれたのである。
(死ぬ前のピランデッロと子どもたち)
 敗戦後に生まれ故郷のシチリア島アグリジェント市から遺灰引き取りの特使が派遣されてきた。当時のニュース映像をふんだんに交えながら、ずっと白黒映像で当時のゴタゴタを再現していく。壁を打ち抜き遺灰を取り出すのも一苦労、そこから壺を入れ替える。シチリアまでは米軍が飛行機を出してくれることになったが、機内ではそれが遺灰だと気付いた乗客たちが次々と下りてしまう。縁起が悪いということらしく、そのため飛行機も飛ばなくなってしまった。やむなく汽車で向かうが、そこでまたまた御難が続く。敗戦直後のいろんな民衆像を点描しながら、ついにシチリアに着くのだが…。
(シチリアの海に)
 シチリアでもゴタゴタが続くのだが、それはもう書かなくて良いだろう。ようやく最後に白黒映像がカラーになって、これで終わりかと思うときに、これが一番驚いたのだが、もう一つの物語が始まってしまう。ピランデッロは最後にニューヨークのイタリア移民の子どもに起こした事件を描く戯曲を残したという。その『』という話がまた不可思議なもので、空き地で遊んでいたイタリア系少年が釘を拾い、ケンカしていた二人の少女の一人に突き刺す。理由は不明で、警察にはそういう「定め」だったと供述する。
(パオロ・タヴィアーニ監督)
 アメリカが舞台だから、ここは英語劇になっていて、「定め」は「purpose」と表現している。言うまでもなく、この単語は普通は「目的」という意味で使われる。調べてみると、「決意」とか他にもいろいろあるようだが、「定め」というのはちょっと違う気がする。まあ、それはともかく、突然訳の判らない劇が英語で始まるので唖然とする。「人生不可解」という意味かと思うけど、こんな映画を90歳過ぎて作っちゃうトンデモ老人にも驚くしかない。2022年ベルリン映画祭国際映画批評家連盟賞受賞作品
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