goo blog サービス終了のお知らせ 

尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

岩波新書「武士の日本史」を読む

2018年07月08日 22時45分18秒 | 〃 (歴史の本)
 6月は全部「遠い崖」で終わってしまった。7月になったら違う本を読みまくる予定が、次に読んだ高橋昌明氏の「武士の日本史」もずいぶん手ごわかった。岩波新書の5月新刊で、もう武士に関することなら何でも書いてあるような本。だから話が細かくなるところがある。一般向けとしては難しいかもしれないけど、類書がないから貴重。律令制下の「武士」から近代日本の軍隊まで、さらに今でも「侍ジャパン」「サムライ・ブルー」と使われる問題まで触れられている。

 高橋昌明(1945~)と言われても、ほとんどの人は判らないだろうが平家の研究で知られた中世史家である。「平清盛 福原の夢」(講談社選書メチエ)や「清盛以前 伊勢平氏の興隆」(平凡社ライブラリー)などの一般向け著作がある。岩波新書にも「平家の群像」「京都〈千年の都〉の歴史」がある。平氏政権は教科書では平安時代の最後に置かれているが、実質的には武士政権の最初と言ってよく「六波羅幕府」と呼ぶべきだという説を唱えている人。

 まず第1章の最初に「武士という芸能人」と書かれている。えっ、武士は芸能人なのか? と思ったのは、40年前の自分である。中世史の藤木久志氏の講義で聞いたんだけど、なるほどなあと思った。だから「武士は芸能人」と授業でも言ったけど、世の中の認識は変わってない。「芸能人」とは「芸を能(よ)くする人」のことで、鼓や琵琶の名人だけでなく、多士済々の様々な人々、手工業者や天文博士などから博打打ちまでが含まれていた。その中で武士は「武芸」に優れた人のことで、特に「弓馬の道」に優れている。流鏑馬(やぶさめ)なんか確かに特殊技能である。

 身分社会だから、「芸能」は身分ごとに伝承される。武芸も同様で、勝手に修行して強くなれば「武士」になれるというもんじゃない。身分社会では「身分」がはっきり外から判らないと、相互に付き合い方が判らない。だから身分ごとに服装の色規定があったりする。武士は「ちょんまげ」をしていたわけだが、それって何だろう? など一度も考えたことがないことがいっぱい出ている。そう言えばと思ったのが、武芸を「弓馬の道」と呼んだ意味。よく「刀は武士の魂」などと思われているが、実際の戦闘では圧倒的に弓が使われていた。

 当時の馬は今のポニー程度の大きさだというのはよく知られている。当たり前だけど、時代劇のチャンバラみたいな戦いなんかないわけだし、現実の武士というのは現代人のイメージとはずいぶん違う。武士政権の問題、「士道」と「武士道」の違いなど興味深い問題がいっぱいあるが、ここでは省略。近代になって、日本軍が戦史をまとめたが、それには非常に重大な問題があった。

 多くの人は今でも織田信長桶狭間の戦いで、雨の中を奇襲して大敵に勝ったと思っているだろう。また長篠の戦いで武田騎馬軍団に対して織田軍は三段組の鉄砲部隊で戦ったという話を聞いたこともあるだろう。どっちも最近は否定されているのである。そもそも「騎馬軍団」なんか武田氏にも他にもなかったし、当時の火縄銃で「三段組」を作れるわけがない。それら今でも知られている話は、元をたどれば日本軍の作った戦史であり、さらに江戸時代に作られた娯楽読み物である。面白いだけでは済まない。それらの「偽戦史」を軍人も信じ込んで、日本の伝統は奇襲だとか、「武士道」の精神力で勝つんだとか思い込んでしまった。

 以前書いたことがあるけれど、今の日本じゃ「サムライ」という言葉が良いイメージで使われている。サッカーや日本の代表チームの名前にも使われている。しかし「侍」は身分の高い貴人に仕えるガードマンだからこそ、「侍」という字になる。「お傍で仕える」という意味の「さぶらう」から来たものだ。革命のなかった日本では、体制に仕えるガードマンがいい意味になってしまうんだろうが、それでいいのだろうか。著者の高橋氏も最後にそんなことを書いているが、僕も同感だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする