ケン・ローチ監督のイギリス映画「ルート・アイリッシュ」を銀座テアトルシネマで上映中。(5月11日まで11時55分、16時35分の2回上映。)
イギリスというか、世界を代表する社会派中の社会派、ケン・ローチ監督の2010年の新作「ルート・アイリッシュ」。この監督にはアイルランドの独立闘争を描いた「麦の穂をゆらす風」という傑作があったから、題名だけみるとアイルランド問題の映画かなあと思うけど、これはイラク戦争の話。「民間兵」の悲劇を扱っている。あまりにいろいろな問題が起こるので、もうなんだかアメリカ兵の撤退でイラクのことは忘れがちである。この映画は2007年という設定だが、軍ではなく「民間会社」の社員として危険な戦争に関わる男たちの映画である。
「ルート・アイリッシュ」というのは、バグダッド空港と米軍管轄区域グリーンゾーンを結ぶ「世界一危険な道路」のこと。そこでテロ攻撃があって死んだ英国人フランキー。しかし、彼の死は偶然だったのか。彼が残した携帯電話にある映像は、同僚のショッキングな出来事を示していた。その事件を隠すことが事件の真相なのか。家族同様に育ったファーガスは、フランキーの妻とともに真相を追い求める。会社が悪いのか、仲間にやられたのか。というミステリー仕立てで映画は進んで行く。
しかし、映画はイラクの戦場を知るファーガスの心の闇にも迫り、悲劇の深さを示す終幕へ続いて行く。この映画は、カンヌ映画祭に出品されたが無冠で終わった。映画としては、ケン・ローチとしては普通かなとも思う。常に、移民問題、虐待、貧困、戦争などをテーマにしてきた監督だが、時々はずすこともある。前作「エリックを探して」など、サッカー選手エリック・カントナを主人公に迎えて作った喜劇だが、ラストは「トンデモ映画」に近い、不思議な映画だった。この映画もどうしようかなと思ったんだけど、やはり巨匠、観る価値はあった。見逃さないように紹介する次第。
「戦争の民営化」は最近よく言われる。もちろん戦闘行為そのものは軍が行うわけだが、後方の「治安維持」などは「警備会社」と言う名の戦争会社に委託するわけである。こうして軍の関与を減らすことができる。警備員が勤務中に襲われるのは、「労災」かもしれないが「戦死」にはカウントされないわけである。そしてそういう戦争請負会社が成長し、政治にも影響力を持つようなことが米英では見られるらしい。そういう「戦争の現代化」の実態を暴く映画。
今日の東京新聞夕刊に吉武輝子さんの追悼文を樋口恵子さんが書いている。その中に以下のような部分があった。「すべての活動の根底に、終戦直後に米兵から受けた性暴力の経験がある。だから、全身全霊を挙げて暴力を憎み平和を希求しつづけた。一昨年、私が代表を務めるNPOの大分集会「平和を語るフォーラム」で吉武さんは言った。『男は乱暴する性、女はされる性、ではありません。軍隊は男の人格を踏みにじります。それが女に向けられるのです。』」
その「軍隊は男の人格を踏みにじる」ということがよくわかる映画であると思う。直接は性暴力の映画ではないけれど。
イギリスというか、世界を代表する社会派中の社会派、ケン・ローチ監督の2010年の新作「ルート・アイリッシュ」。この監督にはアイルランドの独立闘争を描いた「麦の穂をゆらす風」という傑作があったから、題名だけみるとアイルランド問題の映画かなあと思うけど、これはイラク戦争の話。「民間兵」の悲劇を扱っている。あまりにいろいろな問題が起こるので、もうなんだかアメリカ兵の撤退でイラクのことは忘れがちである。この映画は2007年という設定だが、軍ではなく「民間会社」の社員として危険な戦争に関わる男たちの映画である。
「ルート・アイリッシュ」というのは、バグダッド空港と米軍管轄区域グリーンゾーンを結ぶ「世界一危険な道路」のこと。そこでテロ攻撃があって死んだ英国人フランキー。しかし、彼の死は偶然だったのか。彼が残した携帯電話にある映像は、同僚のショッキングな出来事を示していた。その事件を隠すことが事件の真相なのか。家族同様に育ったファーガスは、フランキーの妻とともに真相を追い求める。会社が悪いのか、仲間にやられたのか。というミステリー仕立てで映画は進んで行く。
しかし、映画はイラクの戦場を知るファーガスの心の闇にも迫り、悲劇の深さを示す終幕へ続いて行く。この映画は、カンヌ映画祭に出品されたが無冠で終わった。映画としては、ケン・ローチとしては普通かなとも思う。常に、移民問題、虐待、貧困、戦争などをテーマにしてきた監督だが、時々はずすこともある。前作「エリックを探して」など、サッカー選手エリック・カントナを主人公に迎えて作った喜劇だが、ラストは「トンデモ映画」に近い、不思議な映画だった。この映画もどうしようかなと思ったんだけど、やはり巨匠、観る価値はあった。見逃さないように紹介する次第。
「戦争の民営化」は最近よく言われる。もちろん戦闘行為そのものは軍が行うわけだが、後方の「治安維持」などは「警備会社」と言う名の戦争会社に委託するわけである。こうして軍の関与を減らすことができる。警備員が勤務中に襲われるのは、「労災」かもしれないが「戦死」にはカウントされないわけである。そしてそういう戦争請負会社が成長し、政治にも影響力を持つようなことが米英では見られるらしい。そういう「戦争の現代化」の実態を暴く映画。
今日の東京新聞夕刊に吉武輝子さんの追悼文を樋口恵子さんが書いている。その中に以下のような部分があった。「すべての活動の根底に、終戦直後に米兵から受けた性暴力の経験がある。だから、全身全霊を挙げて暴力を憎み平和を希求しつづけた。一昨年、私が代表を務めるNPOの大分集会「平和を語るフォーラム」で吉武さんは言った。『男は乱暴する性、女はされる性、ではありません。軍隊は男の人格を踏みにじります。それが女に向けられるのです。』」
その「軍隊は男の人格を踏みにじる」ということがよくわかる映画であると思う。直接は性暴力の映画ではないけれど。