尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

戦時下の宮古南静園

2011年05月20日 21時57分24秒 |  〃 (ハンセン病)
ハンセン病市民学会の宮古島交流集会に参加しました。こういう機会がなければ宮古島に来ることはなかったかもしれません。準備していただいた皆さんに感謝します。

沖縄戦は本島中心で語られます。あまりにも大きな戦災ですから当然とも言えます。

しかし、本土に対して沖縄、沖縄内部で本島に対して宮古・八重山、さらに宮古内部でハンセン病差別と何重もの差別にさらされて来たのが、宮古のハンセン病患者でした。

全国13の国立ハンセン病療養所。その最南にあるのが宮古南静園です。ハンセン病に限らず障害者、病者は戦時下において、戦争に役立たない非国民扱いをされました。

しかし、宮古南静園ほどの被害を受けたところはないでしょう。度重なる空襲を受けて、園は110名もの犠牲者を出して壊滅したのです。

僕はその事実を今まで全く知りませんでした。戦争についていろいろ知っているつもりでしたが、知らないことはあるものです。衝撃的な事実を知ることができました。
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