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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

銀婚湯温泉ー日本の温泉⑨

2021年09月23日 20時58分51秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 日本の温泉シリーズは今まで、どちらかと言えばテーマ別に書いていたと思う。「十勝平野のモール泉」とか「温泉のあるクラシックホテル」とか。それも毎回では大変なので、今回からしばらく日本の各地の素晴らしい温泉宿を紹介していくことにしたい。それもあまり人が知らない、団体旅行では行かないような温泉を中心にしたい。だから「超有名秘湯」(鶴の湯温泉とか法師温泉など)は取り上げない。

 北からと言うことで、北海道の銀婚湯温泉をまず書いてみたい。北海道には登別温泉、洞爺湖温泉、湯の川温泉など大きな温泉街と持つところも多いし、山の中にある一軒宿の秘湯も多い。支笏湖畔の丸駒温泉、帯広北方の然別峡かんの温泉など素晴らしい温泉だ。そっちも書きたくなるが、ここでは道南の「銀婚湯温泉」にした。
(大浴場)
 名前が不思議だが、これは開湯が1924年(大正14年)5月10日で、その日が大正天皇の「25年目の結婚記念日」、つまり銀婚式の日に当たったからだという。だから、もうすぐ100年を迎える長い歴史を持つ宿なのである。名前から銀婚式に夫婦で訪れる客がいっぱいいるという。僕が行ったのは結婚10数年の時だったが、お湯も食事も素晴らしかったから、また25年目に行こうかと思ったけれど、その後一度も行けてない。

 北海道に行くのは大変だけど、行くなら他に行きたいところがいっぱいある。団体旅行なら当然だが、個人で行く時も主要な観光地を短時間でまわることが多い。道南だと函館が中心になり、そこには湯の川温泉がある。ちょっと行った大沼にも温泉がある。銀婚湯温泉はちょうど函館と長万部の中間あたりの山の中にあって、周辺に有名観光地がないから通り過ぎてしまうエリアなのである。ホームページを見ると、函館本線の各駅停車しか泊まらない落部駅というところで下りれば、一人客でも送迎ありと出ているけれど、行きにくい場所である。

 では一軒家の秘湯かというと、実は「上の湯温泉」(かみのゆ)という二軒宿の温泉郷となっている。もう一軒はパシフィック温泉ホテル 清龍園という宿である。でも広大な敷地に5本の独自源泉を持ち、森の中の秘湯と呼んでも間違いない宿だ。もう完全に都会を遠く離れた宿なので、風呂や食事のレベルはどうなんだろうと思っていた。ところがこれが素晴らしいお風呂で、しかも料理も美味しい。実に洗練された宿だったのに驚いた。

 お風呂は内湯の大浴場の素晴らしさはよく覚えている。しかしホームページ上には森の中の「隠れ湯めぐり」が載っている。これは記憶がないんだけど、その後整備されたのか、それとも大雨の日で行かなかったのだろうか。なんともステキな風呂の写真が出ていて、2泊ぐらいしてノンビリしたくなる。「かけ流しシステム」として5本の源泉がどのように配湯されているのかがホームページに載っているのも貴重。お湯は透明なナトリウム泉がベースだが、とても柔らかな感じだった記憶がある。

 何でも江戸末期の探検家松浦武四郎も来たり、あるいは箱館戦争の旧幕府軍も入った記録があるとか。車でも電車でも噴火湾の素晴らしい光景が望める。昔行ったときは「ケンタッキーフライドチキンの実験農場」があって寄った記憶がある。今は「ハーベスター八雲」という丘の上のレストランになっているようだ。函館と札幌の途中でもう一泊していくというのは、なかなか日程に余裕がないと出来ないと思うが、銀婚カップルでわざわざ行ってみる価値は大いにある。もちろんひとり旅でも、若くても老年でもいいわけだが。
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姫川温泉と糸魚川ジオパークー日本の温泉⑧

2021年08月26日 22時52分03秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 新潟県の一番西(富山県寄り)にある糸魚川を訪ねたことがあるだろうか。読めない人がいるかもしれないから、一応ふりがなを書いておくと「いといがわ」である。ここは多くの人、特に日本の教員には一度は行って欲しい場所だ。社会や国語もそうだけど、特に理科の教員。でも周囲に行ったことがある人はほとんどいないようだった。僕は歴史少年になる前は地図ばかり見ている地理少年だったから、「糸魚川」という地名にはなじみがある。言うまでもなく「糸魚川・静岡構造線」(以下、糸静線)である。「糸魚川」という不思議な地名とともに、一体どんなところだろうと思っていた。

 自分が行ったのは今から十数年前のことだが、糸魚川だけが目的じゃなかった。長野県の白馬や小谷(おたり)温泉に泊まろうと企画した後で、地図を見たら糸魚川は県境を越えたすぐ北じゃないか。この機会に行こうかと思ったが、じゃあ宿はどうする。有名な宿がたくさん紹介されている温泉ガイドはあるし、秘湯を紹介する本も多い。「笹倉温泉龍雲荘」という「日本秘湯を守る会」に入っている温泉があるが、他はガイドにも出ていない。移動を考えると、もう一つ泊まる宿が欲しい。そこでネットを探し回って見つけたのが姫川温泉の「ホテル國富翠泉閣」という宿だった。ここは素晴らしい宿だったけど、その後もほとんど紹介されていない。
 (「國富翠泉閣」大浴場と全景)
 お湯はこんこんと湧き出て掛け流しであふれている。日本海の新鮮な魚や新潟のお米は美味しいし、宿はキレイで言うことなし。というのは言いすぎで、ちょっと困ったのは夏の露天風呂で、アブが襲撃してくることだった。しかし、何より良かったのは、「ムアツフトン」が用意された部屋があったことだ。少し高かったと思うが、そこでグッスリと休むことが出来た。その後しばらくの間案内のハガキが来ていたが、二度行けるほど近くない。久しぶりにホームページをのぞいてみたら、客数をおさえて営業しているようだ。その分宿代が高いように思ったが、風呂や料理は相変わらず素晴らしい感じだった。

 糸魚川は日本だけでなく世界のジオパークに指定されている。「ジオパーク」というのは、地球科学的価値が高い景観を保護し観光や教育に生かそうという「公園」である。世界ジオパークに指定されたところが日本には8つある。他にも日本独自のジオパークが40箇所以上指定されている。僕が行ったころは、まだジオパークという仕組みは出来ていなかったが、糸魚川では90年代からジオパーク構想を持って施設整備を進めていた。中心になる施設は、1994年に出来たフォッサマグナミュージアムで、ここは絶対に一度は訪れたい場所だ。フォッサマグナというのは日本列島を東西に分ける「大地溝帯」だが、その西の断層ラインが「糸静線」である。ミュージアムの近くには、地層そのものを見られる場所があって「東西」がまさに明示されている。
 (フォッサマグナミュージアムと地層)
 僕はフォッサマグナをよく理解していなかったのだが、たまたま本屋で講談社ブルーバックスに藤岡換太郎フォッサマグナ」という本を見つけた。2018年8月に出た本で、はっきり言って難しいところがある。フォッサマグナという地形は世界のどこにもないという特殊なもので、何故出来たのかの定説もまだないんだそうだ。そこで様々な知見を検討し、成因の仮説を提示している。その当否は判らないが、とにかく重大な問題だなあと思った。「日本の東西差」は網野善彦らによって、日本を考えるときの鍵とされてきた。植生や動物、食品の好みなど多くの点で今も東西差が日本にはある。大きく言ってしまえば、その東西というのは「糸静線」である。ここへ行かずに日本文化を論じるなかれである。
(藤岡換太郎「フォッサマグナ」)
 糸魚川は歴史的にも非常に重要な場所である。それは「翡翠(ヒスイ)」で、日本で(ほぼ)ただ一つのヒスイ産地だった。姫川や青海川に沿った渓谷で産出し、縄文時代から多くのヒスイが装身具として使われてきた。勾玉(まがたま)を(実物やレプリカで)見たことがある人は多いだろう。それがどこで作られたか長いこと判らなかったが、実は全部糸魚川産だった。そして北海道から沖縄、さらに朝鮮半島にまで流通していた。「小滝川ヒスイ峡」に行っても、ああここかと思っただけだったが、天然記念物指定の峡谷である。今も時々川から流れたヒスイが海岸で見つかることがあるとか。糸魚川のあちこちに大きなヒスイが飾られていて、今は糸魚川のシンボルだが、実は奈良時代にヒスイ文化が廃れて以後ずっと忘れられていたというから驚き。
 (ヒスイ峡と勾玉)
 他にも面白いところは多い。「高浪の池」なんて全国的には知られていないが、とても不思議で大きな池だった。全国にそういう「地元では有名な観光地」があるものだ。海辺に出れば難所で知られた「親不知」(おやしらず)もあるし、芭蕉が宿泊した「市振」(いちぶり)もある。「一つ家に 遊女も寝たり 萩と月」の句を詠んだところである。車がないと効率よく回るのは大変だと思うが、是非一度は行っておきたい場所。笹倉温泉にも泊まったが、行く途中で海からあっという間に山になる地形が面白かった。
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温泉のあるクラシックホテルー日本の温泉⑦

2021年07月25日 22時53分44秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 日本の夏は高温多湿で耐えがたいが、そんな時にヒマと金と車があれば(そして家に老人や障がい者がいなければ)、山の秘湯に行くと良い。箱根、軽井沢あたりでは結構暑いことがあるが、信州の山の上まで行くと涼しくてよく寝られる。そういう秘湯もそうだが、日本各地には「温泉旅館」がたくさんあって、そういう旅館では食事も美味しい和食を食べられる。でも夏休みに少し長く旅行しようなんて思うと、似たような料理続いて続いて食傷することにもなる。じゃあ、どうすればいいだろうか?

 日本各地には「ホテル」と付く宿泊施設も多い。洋室が中心で、レストランでは洋食を出すが、ルームチャージにして町に食べに出掛けることも出来る。基本的には大浴場はないけれど、探せばところどころに「温泉付きホテル」もあるのだ。そのことに気付いて、旅程には時々ホテルを入れるようになった。前に十勝平野のモール泉で書いた帯広北海道ホテルはその代表格。ホテルの方が気楽だし、、文化施設が多い町に泊まるのは楽しい。

 特に歴史があって格式が高いホテルを「クラシックホテル」と呼んでいる。クラシックホテルには決まった定義はないけれど、明治初期に出来たホテルや昭和初期に出来たホテルがある。どちらも外国人観光客を目当てに作られたもので、日本最古のホテルは1873年開業の日光金谷ホテル。しかし、ここは温泉がない。近くに日帰り温泉は多いので、温泉に行きたければそれを利用すればいい。続く1878年開業の箱根宮ノ下の富士屋ホテルは温泉がある。ただし思ったより大きくないが、部屋の風呂も温泉になっている。この二つのホテルは有名だし、外観も素晴らしいから関東在住なら一度はランチやデザートだけでも行く価値がある。
(箱根富士屋ホテル)
 軽井沢万平ホテル奈良ホテルも明治創業だが温泉ではない。昭和初期の横浜のホテルニューグランド、蒲郡の蒲郡クラシックホテルも同じ。日本は1940年の東京五輪を控えて、国際観光促進政策を取り全国に洋式ホテルを建設した。その時に作られた雲仙観光ホテル(1935年創業)はそうだけど、ここは行ったことがない。でも外観を見れば一度は訪れたいところだ。伊豆の川奈ホテルも行ったことがない。
(雲仙観光ホテル)
 じゃあ、どこへ行ってるのかというと、どっちも火災で一度焼失してるんだけど、その後再建された赤倉観光ホテル中禅寺金谷ホテルである。赤倉観光ホテルは1937年に創業したが、やはり国策で作られたので温泉権が優遇され掛け流しの温泉が素晴らしい。1965年に焼失し、翌年同じ外観で再建された。赤倉高原にそびえていて、真ん前がスキー場。夏は涼風を感じながらテラスでアフタヌーンティーを楽しめる。一度泊まって素晴らしかったので、もう一度行ったことがある。しかし、近年になってリニューアルされて、それまで以上に高級になってしまった感じ。でも夏になれば、ここのテラスに行きたくなる。フルーツケーキが絶品だ。
 (赤倉観光ホテルと温泉)
 奥日光の中禅寺金谷ホテルは、1940年に日光観光ホテルとして創業した。戦後に焼失し、金谷ホテルグループとして再建された。中禅寺湖ももうすぐ終わるあたりにあるが、木々が生い茂り湖は見えない。でも素晴らしく気持ちがいいところで、これが夏のリゾートホテルかと実感できる。湯元温泉から引いた温泉も整備されている。旧ボートハウスがあって、昔の奥日光が外交官などに愛されていた歴史が伝わる。前にある「ユーコン」というカフェだけ利用することも出来る。しかし、ちょっと高いけれど一度は泊まってみたい宿だと思う。
 (中禅寺金谷ホテルと温泉)
 何でクラシックホテルのことを書いたかというと、一つは「近代化遺産」として格式あるホテルは守って次世代につないでいく必要があると思うからだ。そして、ホテルガイドみたいな本には出ているけれど、温泉ガイドには全然載っていない。だから温泉ファンは知らなかったりする。また時には有名な格式高いホテルも経験しておくべきだし、子どもにも体験させておくべきだと思うからでもある。

 前に日光金谷ホテルのメインダイニングで、何だかワイン選びに苦労しているカップルを見たことがある。こういうところ初めてなんだな感がにじみ出ていた。カップルで泊りに行けるように、その前に親が箱根富士屋ホテルアップルパイを食べるとか、中禅寺金谷ホテル百年カレーを食べるとか、そういうのも大事かなと。そりゃあ、ちょっと高いです。でもレストランを利用するときにドレスコードなんかない。ネクタイをしろなどと言われない。温泉に行くときは浴衣も用意されている。超お金持ちじゃなくても、時にはちょっとリゾート感を味わえるのがクラシックホテルじゃないかと思うのである。
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超ワイルド! 川原毛大湯滝のド迫力ー日本の温泉⑥

2021年06月22日 22時35分35秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 普段は見てない「鶴瓶の家族に乾杯!」を昨日(6月21日)見ていたのは、四万温泉(群馬県中之条町)が出て来るから。先週フラッと見たら、元サッカー日本代表の中澤佑二が沢渡温泉を歩いていた。沢渡や四万は僕が大好きな温泉で、特に四万温泉は何度も行っている。いろんな番組に取り上げられる四万温泉の「積善館」は日本ベスト級の温泉旅館。最近は外見だけ見て素晴らしいと言う人があるが、外見だけなら長野県渋温泉金具屋の方が凄いと思う。積善館は有名な「元禄風呂」が素晴らしいが、それと同じぐらい料理が美味しい。

 しかし、このシリーズでは四万温泉みたいにテレビの旅番組でよく取り上げられる有名温泉は扱わない。そこで「名旅館」の反対にワイルドな温泉を書いてみたい。日本では温泉法上、金属イオンが一定程度含まれている他に「泉源の水温が25度以上」のものを温泉と呼んで良いことになっている。(25度未満だと「冷泉」「鉱泉」などと呼ばれる。)しかし、地下深く掘れば掘るほど水温が上がる。100メートルで3度上がるともいうから、深く掘って地下水に当たれば大体温泉ということになる。そこで地下千メートルも掘った「温泉」が全国に乱立する。

 法的に認められているんだから、僕が文句を言う筋合いではないが、やはり温泉というのは自然湧出の方が「らしい」と思う。そして自然湧出の極みは、そのまま大自然の中で湯に入れるというものだろう。全国を探せばそういうところが幾つかある。川を掘ればお湯が出る「川湯温泉」(和歌山県)や「尻焼温泉」(群馬県)、宿の前を流れる川がそのまま露天風呂になっている那須の「大丸温泉」などもある。また北海道の知床には滝が温泉になってる「カムイワッカ湯の滝」がある。これは相当行きにくくて、通行止めになっていることもある。僕もまだ行ってない。

 しかし、知床と同じぐらい大胆にワイルドな大自然の湯が東北地方にあることを案外知らない人が多い。それが秋田県湯沢市の「川原毛(かわらけ)大湯滝」である。秋田県東南部で、宮城県の鳴子温泉をさらに奥へ行って県境を越える。東京からだと早立ちしないと一日では厳しい距離だ。ここは川の上流で温泉が湧いていて、滝となって落ちるところの滝壺に入れる。源泉は96度だというが、沢水とブレンドされて滝壺は適温になるという奇跡みたいな滝である。滝に打たれるも良し、その気になれば滝壺で泳ぐも良し。ただ、強酸性なので(PH1.41とウィキペディアに出ている)、注意が必要。
(川原毛大湯滝)
 この湯滝は近くでは有名で、特に夏は多くの人が訪れる。男女とも来るから水着で入ることになっていて、更衣所も出来ている。でもかなり広いし、滝壺も複数あるから休日を避ければ混雑というほどでもないと思う。ここの開放感、ワイルドさは絶対に他では味わえない。車がないと行きにくいが、一度は訪れたい知られざる名所、宝物だ。観光バスで行くプランを見たことがないから、やはり何とか自分で行くしかない。ここに入らずして「ワイルドだろ~」とか言ってはいけない。
(川原毛大湯滝)
 滝は標高700メートルだというが、そこからさかのぼったら(まあ車で登ることになるが)、「川原毛地獄」になる。日本各地で硫黄臭漂うガスが噴出して熱水があちこちから湧き上がる灰色の景色を「地獄」と呼んだりする。日本三大地獄が「恐山」「立山」「川原毛」だと言うけど、川原毛だけ名前を知らない人が多いと思う。箱根の大涌谷、登別温泉や別府温泉の地獄などが有名だが、スケールでは川原毛が圧倒的に大きい。立山は行ってないけど、恐山は霊場として開発されているが、川原毛は荒涼感が強い。ここから強酸性泉が湧き出ているわけである。
(川原毛地獄)
 そこまで行ったら一日では帰れない。泊まるなら泥湯温泉になる。奥山旅館ともう一つがある。奥山旅館は日本秘湯を守る会の会員だが、2016年に火事で全焼した。再建されたようだが、最近はどうなっているのか。名前通り、泥のような成分が沈殿していて凄い温泉だ。ただし、硫化水素で死者が出た事故も起きているので、湯滝は大丈夫だけど、地獄や泥湯温泉には注意が必要。湯沢市には他にもたくさんの温泉がある。前回触れた稲住温泉鷹ノ湯温泉小安温泉郷など。また湯沢といえば「稲庭うどん」の産地でもある。最近は東京にも出店しているけど、「八代目佐藤養助商店」の本店で食べたのも忘れられない思い出だ。
(泥湯温泉)
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無くなった温泉旅館(古里観光ホテル、元蛇之湯など)ー日本の温泉⑤

2021年05月23日 22時26分21秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 温泉の話は基本的には「こんな素晴らしい温泉を知ってますか」という趣旨になるが、温泉宿もどんどん無くなってしまうのである。栃木県の鬼怒川温泉など、車窓沿いに見える廃墟ホテルの現状はすさまじいばかり。ここは東京に近く、大規模旅館が立ち並ぶ団体旅行のメッカだった。僕も職員旅行で行ったことがあるし、昔の映画にもよく出てくる。バブル期に増築してバブル崩壊で破綻したんだろう。温泉街を散歩してると、あまりにも閉館してるところが多く驚いてしまう。まあ、それでもまだまだいっぱい旅館がある大温泉だけど。

 直接の理由は知らないけれど、鹿児島県の桜島にある古里温泉古里観光ホテルが2012年に自己破産した。ネット情報によると解体されたという。ここは林芙美子の出身地で碑が立っている。「古里温泉」という名前も床しいが、古里観光ホテルには有名な「龍神露天風呂」があった。海を見晴らす大きな風呂に、男女ともに白い装束をまとって入浴する。「混浴」だが、海辺の景色が素晴らしく宗教的なムードもある。温泉で炊いた龍神釜飯も名物だった。日本のベスト級露天風呂だったので、無くなったのは本当に残念だ。
(龍神露天風呂)
 やはりつぶれてしまったのが秋田県・秋の宮温泉郷稲住温泉。と思ったら、今回検索したら「ラビスタ」ホテルなどを全国展開する共立グループによって営業が再開された。秋の宮温泉郷といっても知名度が低いが、秋田県南東部、宮城県近くに多くの温泉が集中している。稲住温泉は落ち着いた一軒宿で、広大な庭が見事な大きな宿。夏休みなのに客が少なく心配してたら案の定10年ぐらいして倒産した。武者小路実篤が戦時中に疎開していた宿で、有名な建築家白井晟一が設計した離れがある。文化的な価値が高かったので再開されて良かった。
(稲住温泉)(白井晟一設計の離れ)
 大型旅館では「バブル崩壊」型が多かったけど、最近は小さな宿で「人手不足」型も多くなっているらしい。「秘湯」系の宿は家族経営が多く、後継者難家族の病気、介護で人手が取られると働き手を見つけにくい。土日が仕事で平日はヒマ、朝と夜に仕事で昼間がヒマと通常と違う働き方になるので、求人を出してもなかなか応募がない。そんな理由で閉めてしまう宿がある。風呂や寝具の管理を行いながら、美味しい夕食と朝食を準備するという「完結型」の宿に無理が出て来ているんだと思う。

 閉めたわけではないが、宿泊の受付を中止して「日帰り温泉」だけにする宿もある。最近は山梨県南アルプス市にある秘湯、奈良田温泉白根館が日帰りになってしまった。慶雲館という「世界最古の宿」ギネス認定をうたう有名な旅館がある西山温泉を通り過ぎ、ひたすら南アルプスの麓を目指して奥へ奥へと車を走らせる。ドライブも飽きた頃にようやく着くのが奈良田温泉だが、一浴体にまとわりつく素晴らしいアルカリ泉に疲れが飛んでしまう。夕食も工夫された素晴らしい宿だったが、もう泊まれないのかと思うと残念だ。
 (奈良田温泉白根館)
 他にも良い宿だったのに無くなってしまった宿、一度泊まりたかったのに閉館した宿は幾つもある。群馬県水上温泉の最奥にあった湯ノ小屋温泉の「廃校の宿 葉留日野山荘」もその一つ。廃校になった小学校を宿泊施設に改造し、温泉施設は別棟を作った。確か地酒セットを飲んで美味しかった。憲法擁護の署名用紙が置いてあるようなとこで(別にただ置いてあるだけど)、風変わりではあった。布川事件冤罪被害者の桜井昌司さんがひいきにしていて、そのブログで閉館を知った。また行こうかと電話したら通じなかったとか。僕ももう一回行きたい秘湯だった。
(葉留日野山荘)
 全部挙げていっても仕方ないので、最後に一番不思議だった温泉宿。それは鳴子温泉郷の奥、中山平温泉の「元蛇之湯」。ガイドに出ていて、何となく気が惹かれて電話で予約した時には、どんな宿だか知らなかった。普通だったら夕食は6時とか6時半である。だから4時過ぎに着いて、ノンビリ一風呂浴びて夕食だということになる。それがその「元蛇之湯」は女将が夕方5時には食事だと言う。何でも体のリズムから5時がいいのだそうで、食材も自然食を心がける療養向きの温泉なんだという。何でも「自然食」とか「整体」とか言うのも、僕もそれ自体には関心があるけれど、客に強いるのはどうなんだろうか。 
 (元蛇之湯)
 料理は美味しかったし、お湯も素晴らしかった。(大風呂と別に、水着で入る男女混浴のスパ施設があったが、5時までだからゆっくり利用できなかったが。)近くにある「うなぎ湯の宿」が有名で、元蛇はそこまでではなかったが泉質は素晴らしかった。翌朝、6時には体内リズムを整えるために起床の放送が入る。朝は女将を中心に太極拳がある。そういう人は時々いるが、旅館の女将にはどうなんだろうと帰りに夫婦で話したが、お湯は良かったのでまた来てもいいかな認定をした。でも数年後にネットを見たら宿は無かった。またしばらくして近くに行ったときに探したら、どこかの企業の施設になったみたいだった。今はまた変わったかもしれない。

 経営上の理由で辞める旅館が多い中、こんな宿もあるという情報だけ。秘湯ファンには大露天風呂が知られていた、湯ノ倉温泉というところが宮城県北部にあった。湯栄館という一軒宿で、一度は行ってみたいと思っていた。しかし、2008年6月に起きた「岩手・宮城内陸地震」で川がせき止められ水没してしまった。温泉そのものが自然現象で無くなってしまったのである。旅館は廃業して、もう二度と行くことの出来ない宿である。
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龍神温泉と川中温泉、「美人の湯」の魅力ー日本の温泉④

2021年04月22日 23時07分40秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 温泉の話4回目。「美人の湯」と言われる温泉がある。「日本三大美人の湯」も選ばれているけど、知っているだろうか。しかし、その前に疑問もあるだろう。そもそも温泉に入るだけで美人になるなんてあるのか。もちろん、温泉へ行っただけで「美人」になるわけがない。でもお湯に浸かった瞬間に「おっ、肌がスベスベになったぞ」と声をあげたくなる温泉は間違いなくある。

 検索してみると、泉質的には「炭酸水素塩泉」「硫酸塩泉」「硫黄泉」が主に「美人の湯」と言われるらしい。さらに「アルカリ性単純温泉」を加えて、「四大美人泉質」なんだそうだ。炭酸水素塩泉はクレンジング効果を持つとされ、硫酸塩泉では肌の蘇生効果が期待、硫黄泉はシミの予防効果があると出ている。

 アルカリ性温泉の場合は肌がスベスベになった気がする。「アルカリ性」とは水溶液中の水素イオン濃度が高いことで、アルカリ水溶液は石けんのようにヌルヌルする。脂肪やタンパク質を分解する。水素イオン濃度をPHで表わし、PH7が中性、数値が高くなるほど水素イオン濃度が高くなる。中にはPH10を超えてPH11にもなる温泉もある。石けん水やアンモニア水並みで、そこまで行くとヌルヌルし過ぎの感じがする。そんなアルカリ性水溶液にどっぷりと身を漬けるわけだから、一浴すれば美肌効果を期待できそうだ。

 さて、元に戻って「日本三大美人の湯」とは、和歌山県龍神温泉群馬県川中温泉島根県湯の川温泉である。多くの人は名前を知らないだろう。龍神温泉は温泉ファン、あるいは文学ファンには知られているが、他の二つは相当の温泉通でも行ってない人が多いと思う。僕も湯の川温泉には行ってない。函館にも同名の温泉があって、そっちなら行ってるけど。島根の湯の川温泉は宍道湖の西南部、出雲空港のすぐ近くに数軒の宿があるという。

 龍神(りゅうじん)温泉は僕が温泉好きになった場所だ。新婚旅行で行ったのである。学期途中だったので、あまり休めず国内で南紀地方を回った。それまでも温泉に入っていたけど、家族旅行とか合宿などの場合である。伊豆の温泉鬼怒川温泉などが多い。大体単純温泉だから、宿に付いてる大きなお風呂程度の認識しかなかった。若い時に京都や北海道、中国地方などへ行った時も、温泉宿に泊まろうという発想はなかった。
(龍神温泉の風景)
 ところが龍神温泉は大違いだった。その前に泊まった川湯温泉も素晴らしかった。熊野本宮の近くで、川を掘ればお湯が出るというところである。時期的に川の大露天風呂は入れなかったけど、熊野自体がすごい霊気に満ちた場所だった。そして次の日が龍神温泉である。ここは中里介山のあの大長編小説「大菩薩峠」で、机龍之介が眼を治すために湯治した場所だ。長野県の白骨温泉と並んで、「大菩薩峠」を知ってる人なら一度は行きたい場所である。

 龍神温泉には「上御殿」「下御殿」という紀州藩主向けに作られた宿があるが、旅行社に頼んだら「有軒屋」という宿になった。そこも雰囲気はあったけど、とにかくお風呂の泉質がすごい。入るとすぐに、体にまとわりつくような泉質に驚いた。確かにこれは「美人の湯」だと納得した。炭酸水素塩泉で、PH7.8。だから強アルカリ泉ではない。しかし、この程度の弱アルカリ泉の方が体に優しい感じがする。お湯を集中管理していると聞いたが、その後に出来た宿もあるようだし、日帰り施設「元湯」は源泉掛け流しだという。あの泉質の素晴らしさは行ってみないと判らない。
(龍神温泉元湯)
 一方、群馬県の川中温泉の「かど半旅館」は首都圏でもあまり知られていない一軒宿の温泉。群馬と言ったら、草津伊香保四万水上など有名温泉が綺羅星のごとく湧き出る温泉県である。その中で川中温泉の知名度は今ひとつだ。東吾妻町にある小さな宿で、草津などへ行く途中になる。そこにある年の冬に行こうと思った。寒いときには温泉だと思ったが、天気予報は雪。それでも何とか行きたいと思っていたが、朝起きたら首都圏全体が珍しいぐらいの大雪だった。高速道路も鉄道も完全に止まってしまって、とても行けない。何とか行きたいと前日に電話していたが、やむなく当日キャンセルとなった。残念。
(川中温泉かど半旅館)
 それでは申し訳ないから、少しして改めて出掛けた。しかし、1回目の大雪があまりにも印象深くて、本当に行けたときの想い出が今ひとつなのは皮肉だ。硫黄泉、石膏泉で、PH7.4と出ている。弱アルカリ泉だが、かなり弱である。だから思ったよりヌルヌル感が低かった。上州名物のおっきりこみうどんが宿の自慢にもなっている。それを頂いて帰ってきた次第。群馬県では四万温泉が大好きすぎて、最近他の温泉に行かなくなってしまった。首都圏に住んでる人はコロナ禍が一段落したら、この関東にある「美人の湯」に行ってみては。
(川中温泉のお風呂)
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十勝平野のモール泉、黒湯と北の大地の魅力ー日本の温泉③

2021年03月25日 23時19分23秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 温泉の泉質と言えば、「単純温泉」「硫黄泉」「食塩泉」などという言葉が思い浮かぶが、今は名前が変わっている。「単純温泉」や「硫黄泉」は同じだが、「食塩泉」は「ナトリウム-塩化物泉」と書いてある。かつての分類では「重炭酸土類泉」だったものは「カルシウム(・マグネシウム)-炭酸水素塩泉」である。これらは源泉中に含まれる元素イオン量で分類するわけである。

 だがそれらと全く違う泉質をうたう温泉がある。それが北海道の「モール泉」だ。90年代の初め頃、北海道の山と温泉を夏休みにドライブしていた時期がある。その時に十勝地方にある十勝川温泉ホテル大平原という宿に泊まったら、そこは「モール泉」と称して真っ黒な湯だったのに驚いた。湯あたりは柔らかく、肌に優しいお湯だった。この「モール泉」とは植物由来の有機物が溶け込んだ湯で、世界でドイツのバーデン=バーデンと2箇所しかないとも書かれていた。
(ホテル大平原のモール泉)
 「モール」というのは、ドイツ語の泥炭のことだという。この「モール泉」というのは、温泉法上の分類ではないが、強烈なインパクトがあった。その後、他にも十勝地方の温泉には同じような泉質があることを知った。幕別温泉もそうらしいし、十勝地方の中心都市の帯広にあるホテルにも温泉があるところが多い。「帯広天然温泉」をうたう「ふく井ホテル」や「森のリゾートホテル」をうたう「北海道ホテル」に泊まったことがあるが、どっちもモール泉だった。
(北海道ホテルの風呂)
 これら十勝地方の「モール泉」は、今では「北海道遺産」に指定されて北海道の魅力として認められている。しかし、「モール泉」は世界に二つというものではなかった。東京によくある「黒湯」の銭湯なども、同じく「モール泉」らしい。ウィキペディアで「モール泉」を調べて貰えば、日本全国あちこちに同じ泉質の湯があることが判る。お湯に入った時の感触が似ているから、僕もそうだろうなと以前から思っていたのだが、やっぱりそうだった。
(十勝平野テレカ)
 植物由来の有機物が溶け込んでいるのが、果たして体にどんな意味があるか。僕にはよく判らないけど、透明だけど黒いお湯が掛け流しされているのが気持ちいい。調べれば世界にもあちこちにあるんだろうが、僕はやっぱり十勝平野のお湯という感じがする。広々とした大地と大きな空、観光して一日を過ごした後に入るサラサラした黒湯。それが魅力なのである。帯広のホテルを調べてみれば、ずいぶん多くのホテルに温泉が付いている。ビジネスホテルもあれば、「北海道ホテル」など町の中にありながら、森にいるようなリゾート感があった。

 ところで十勝平野の魅力は温泉だけに止まらない。ジャガイモ、小豆、インゲン、小麦、テンサイなどを中心にした一大穀倉地帯になっている。だからお菓子が美味しい。「マルセイバターサンド」やホワイトチョコなどで知られる六花亭や、バームクーヘン「三方六」で知られる柳月など全国に知られる菓子メーカーがある。六花亭本店があることは知っているが、車で行くとつい宿を出るのが億劫になってまだ行けてないのが残念。しかし六花亭がすごいのは、「六花の森」や「中札内美術村」という文化施設を作っていることだ。
 (中札内美術村)
 帯広から南へ行った中札内(なかさつない)村に画家坂本直行(さかもと・ちょっこう)の記念館がある。誰かと言えば、見れば誰もが一度は見てると思う六花亭の花柄表紙絵を描いた画家である。僕が最初に行ったときは、それぐらいしか出来てなかったけど、その後どんどん増えてちょっと離れたところに「美術村」を作ってしまった。ホームページを見たら、いっぱい美術館が並んでいるので驚いてしまった。絵に関心がなくても、美しい森とレストランがある。是非一度訪れて欲しいい場所だ。こういう施設を作るお菓子メーカーを生む十勝の力を感じる。

 また十勝には池田町もある。誰も思いつかなかった北海道でのワイン作りを成功させた町である。元祖町おこしの象徴みたいな町で、「ワイン城」まで作ってしまった。また近くにはアイスクリームが美味しい「ハッピネスデーリィ」という魅力的なお店がある。以前はスパゲッティが美味しかったが、今はピザが食べられるようだ。もちろんアイスクリームやソフトクリームも必須。北海道でずいぶんアイスやソフトを食べた気がするが、ここはベスト級だと思う。お土産で飼って家に送って、当時飼っていた犬にもちょっとあげたら「今までで一番美味しいアイスだね」と言ってた。
 (ハッピネスデーリィとアイスクリーム)
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山鳩湯と仙壽閣ードバドバ温泉の魅力ー日本の温泉②

2021年02月25日 22時46分15秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 「日本の温泉」1回目は「色」に注目して「国見温泉」を取り上げた。温泉の魅力はいくつもあるが、湯そのものに焦点を当てれば、泉質湧出量になる。効能とかというのは「泉質」の問題だが、「湧出量」が風呂のあり方を決める。20世紀終わり頃から、「源泉掛け流し」という言葉が聞かれるようになった。湧出量がいっぱいある温泉は、温泉を循環する必要が無い。やはり僕も温泉は豊富な湯がいっぱい流れている方がうれしい。

 ただ僕は一概に「循環」を否定するつもりはない。素晴らしい泉質を持ちながら、湧出が少ないために循環せざるを得ない温泉もある。限られた温泉資源を循環することで守っている小さな宿の魅力もある。僕が困ったのは、バブル期に作られた大ホテルである。内湯も露天風呂も豪華にして、ジャグジーなど多彩な機能の風呂がある。僕も若かったから最初はそういう風呂を喜んだ。でも塩素殺菌が強すぎて、入浴後にかえって肌が荒れてしまう風呂まであった。本末転倒だ。

 ということで2回目は「湧出量」を見てみる。湧出の仕方で「足下湧出泉」を大事にしている人もいる。お風呂の下からどんどんお湯が湧き出しているという温泉である。しかし僕がここで書きたいのは、単に量的にいっぱい出てる温泉である。ドバドバ出ているから、「ドバドバ泉」と勝手に呼んでいる。山梨県山梨市の「はやぶさ温泉」は風呂からどんどんお湯があふれていて凄い。カランやシャワーもすべて温泉。毎分500リットルも出ているという。ただし、ここは立ち寄り専門で、宿泊できない。でも近くに行ったら是非寄りたいところ。泉質もアルカリ泉で肌に優しい。

 宿泊したところでは、あまり知られていないだろう奈良県川上村の「入之波温泉 山鳩湯」を思い出す。「入之波」は知らないと読めないと思うが、「しおのは」で所在地の地名。奈良県東南で、山また山の地帯。吉野川に沿ってダムがあり、大迫ダムに面している。僕は熊野古道に行きたいと思って、途中で三重県の榊原温泉に泊まり、翌日に赤目四十八瀧大宇陀町に寄って、山鳩湯に泊まった思い出がある。(南紀には何度か行っているが、この時は台風に直撃され熊野古道を歩くことは出来なかった。)
 
 山鳩湯は確かにたくさん出ているんだけど、ここの風呂はちょっと裏技である。普通は源泉掛け流しだと風呂から湯があふれている。(最近はあふれないで湯を片側から抜くような風呂も多いが。)しかし山鳩湯はあふれない。なぜなら湯はどんどん外の露天風呂に出て行くからである。それが一枚目の写真で、どんどん内風呂から流れているのが判るだろう。そもそもの湯は上からホースでどんどん内風呂に供給されている。露天風呂もあふれない。こっちはどんどんダムへ落ち込んでいる。いいのかそれで的な設計である。
 
 全体としてはジャブジャブ湯がどんどん交代しているのは確か。宿のホームページにある写真を見ると、源泉ではどんどん噴出している。最初は無色だが、風呂の中で茶褐色に変わっている。何だか土を溶かした感じだけど、炭酸泉と書いてある。写真を見てもずいぶん秘境で、「秘湯の会に入ってない本当の秘湯」である。

 もう一つドバドバ泉を紹介すると、長野県の湯田中渋温泉郷にある上林温泉仙壽閣である。こっちは山鳩湯と違って高級旅館である。高いんだけど立ち寄り湯をやってないので、泊まるしかない。ある時泊まってみたが、これはまたすさまじいドバドバ泉だった。男湯と女湯を分ける大きな壁があって、そこから滝のように湯が落ちてくる。華厳の滝や那智の滝ではない。ナイアガラの滝とかイグアスの滝である。つまり壁の上全面からどんどんあふれ出しているのである。下が風呂になっていて、風呂からもどんどんあふれ出す。毎分720リットルというからすごい。
   
 湯田中渋温泉郷は長野県東北部の山ノ内村にあって、9つの温泉がある。最近火事が起こった「よろづや」のある湯田中温泉、「金具屋」が有名な渋温泉、猿が温泉に入る公園がある「地獄谷温泉」、戦時中に林芙美子が疎開していた角間温泉など個性ある温泉が集まっている。その中で宿も少ない上林温泉は知名度は低いが、仙寿閣長野電鉄が直営する高級旅館なのである。今回の温泉も行きにくいところを選んだが、長野県随一の湧出量を誇る宿で、お金があるときなら行く価値あり。

 他にもお湯が川になっているところ、それどころか川そのものが温泉のところもあるじゃないかと温泉通なら言うかもしれない。確かにその通りで、それはまた数回後に書きたいと思う。
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国見温泉(岩手県)、天然の「バスクリン」ー日本の温泉①

2021年01月23日 22時27分06秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 毎月一回「日本の山」を2年間書いてきたけれど、それに代わって今度は「日本の温泉」シリーズを始めることにした。何だか月に一回ぐらい、そんなことを書きたいのである。温泉の紹介みたいなのはいっぱいあるけど、草津温泉とか伊香保温泉とか超有名どころは書かないつもり。温泉ファンならともかく、一般にはあまり知られていないような温泉を書いていきたい。

 第1回は岩手県雫石町国見温泉にした。温泉の魅力はたくさんあるけれど、無色の単純泉よりも、色が付いてる方がどうも効能豊かで神秘的な感じを受けてしまう。もっとも年とともに単純泉の良さも感じるようになってきたが、それでも最初は「」で選んだ。風呂に浸かると体が見えない「白濁泉」(鶴の湯や白骨温泉、霧島の新湯など)もいいけれど、日本中を探せば不思議な色の温泉も見つかる。そんな中でもベスト級は間違いなく国見温泉だ。何しろエメラルドグリーンの湯がたっぷりと入った湯は、宿自らが「天然のバスクリン」と称しているぐらいだ。

 こんな素晴らしい湯がたっぷりと出ている国見温泉だが、案外旅行で泊まったことがある人は少ないんじゃないだろうか。場所は岩手県だが秋田県との境に近く奥羽山脈ど真ん中という立地条件にある。この近辺には温泉が多く、岩手側にはつなぎ温泉鶯宿(おうじゅく)温泉、ちょっと離れるけど花巻温泉やその近辺の秘湯(大沢温泉鉛温泉など)、秋田側には田沢湖高原温泉や超人気の秘湯・乳頭温泉郷などが集中している。だからちょうど真ん中の国見温泉には泊まらずに通り過ぎてしまうんじゃないか。
(石塚旅館)
 ここには「日本秘湯を守る会」に入っている石塚旅館がある。一軒宿かと思っていたら、もう一つ森山荘という宿もあった。僕はかつて乳頭温泉郷にいろいろ入りながら秋田駒ヶ岳に登ったときに、石塚旅館に泊まったことがある。お湯はドバドバ湧出していて、湯口では無色なのに湯船は完全にグリーンである。かなり濃厚な硫黄泉で、窓を開けっぱなしにしておかないと危険だという貼り紙があった。確かに風呂場内には硫化水素臭が濃かった。
(国見温泉案内)
 ではどうして湯の色が緑色なのだろうか。泊まった当時は不明と書いてあったように思うが、今回ウィキペディアを見たら以下のような説明があった。「温泉に含まれる炭酸カルシウムと硫黄の微粒子がレイリー散乱で青く発色し、これに多硫化イオンの黄色が混ざる」というのである。東邦大学の分析によるとある。何だか全然判らないけど、レイリー散乱というのをさらに見てみると、「光の波長よりも小さいサイズの粒子による光の散乱」と出ている。空が青いのも「レイリー散乱」だそうだ。これでも判らないけれど、要するに緑色の物質が湯の中にあるわけではなく、光線の具合によって色が見えるのである。その証拠に湯口の湯をすくってみても無色透明だった。

 自家用車かタクシーじゃないと行けない不便な場所にある。団体旅行で泊まることはないだろう。なかなか行くのも大変だと思うが、立ち寄り湯もやってるので温泉好きなら一度は入りたい湯だ。行けば判るが、絶対に驚くこと間違いない。ただ「秘湯」系なので、そういうのが好きな人じゃないと不満かもしれない。恋人同士なんかにはまだ向かない。ホントにお湯目当てで行ってみようという人向けである。でもお湯が好きな人なら満足出来るはず。
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八ヶ岳と蓼科山ー日本の山㉔

2020年12月28日 22時28分02秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 「日本の山」と名付けて2年間書いてきたけど、これで一端終わりにすると決めた。じゃあ最後にどこを取り上げるか、いろいろ考えて八ヶ岳とその周辺を書くことにした。自分で山のことを思い出すときは、東北北海道の山が多い。あるいは北アルプス南アルプス。だから八ヶ岳周辺の山や高原はつい忘れていた。八ヶ岳周辺に行っていたのは、30年以上昔のことだ。つまり国鉄総武線(民営化前である)沿線に住んでいた時で、山梨方面に行きやすかった。
(八ヶ岳全景)
 八ヶ岳(やつがたけ)は広大な山域で、写真のように多くの山頂が連なっている。山名の由来は、高い山が八つあるからと言われるが、単に「たくさん」という意味の「八」だとも。そもそも北西方にある蓼科山(たてしなやま)まで入れる時もあるし、別扱いするときもある。深田久弥の日本百名山では、それぞれ別個に選ばれている。「八ヶ岳」は最高峰の赤岳2899m)を擁する「南八ヶ岳」と比較的なだらかで樹林帯や湖の景観が見事な「北八ヶ岳」に分かれている。
(赤岳山頂=最高峰)
 ある年の夏、東の稲子湯から登り始めてしらびそ小屋に泊まった。次の日に夏沢峠(ここで八ヶ岳が南北に分かれる)を通って、延々と赤岳まで尾根歩きで登った。どこに泊まったか覚えてないんだけど、多分赤岳頂上小屋まで行ったんだと思う。その頃はそのぐらい歩けたはずだから。赤岳は日本アルプス以外ではすごく高い山だ。富士山と御岳を除けば、白山や浅間山より頭一つ抜けている。もう森林限界を超えてガレている山頂は、本当に見えてからが遠かった。疲れてるし、足は滑るし、でも登るしかないから、ゆっくり登っていけば山頂に着く。頂上は覚えてない。
(北八ヶ岳)
 北八ヶ岳も行ったし、霧ヶ峰入笠山(にゅうがさやま)なんかも行ってる。北八ヶ岳では、渋ノ湯から登って黒百合ヒュッテに泊まるという山のファン憧れの定番コースが思い出深い。八ヶ岳は火山だから、周辺に温泉がいっぱいある。登山基地になってるけど、僕は泊まったことがない。朝早く出て、バスで温泉に着いたら歩き出す。登山道のコケと翌日の霧がすごかった。北八ヶ岳は夢幻的な風景に出会うことが多い。ハイキングレベルなら、まだ楽しめそう。
(黒百合ヒュッテ)
 黒百合ヒュッテは様々なイベントなどを行う有名な山小屋で、一度行ってみようと思った。五月頃だったと思うが、夜はまだまだ寒くてそれしか覚えてない。翌日登ったのかな。近くなら天狗岳などがあるが、全く覚えてないのである。八ヶ岳を最後に書こうと思ったのはいいけど、後でゆっくり考えてみれば忘れていることが多い。登山靴が重かったなんてことの方を覚えている。登山用具はその後どんどん進化していくが、昔の靴はとにかく重くて大変だった。リュックも服装も食事もみんな重かったが、そんなもんだと思っていた時代だ。
 (蓼科山全景)
 蓼科山(2530m)は八ヶ岳西北方に綺麗なピラミッド型にそびえている。蓼科は高原リゾートになっているが、白樺高原と呼んでいる蓼科牧場から「ゴンドラリフト」がある。これは今もあるようだが、詳しく調べずに出掛けて、こんなのがあったのかと利用したら、一気に7合目付近まで行けた。そこから案外近くて、そこから2時間ぐらいで山頂に着いた。アレレ、案外楽だったと思った記憶があるが、頂上が石だらけですごかった。こんな山頂は他にはなかった。山頂に泊まったが、雲海が素晴らしく周囲の山々を一気に見渡せたのが思い出にある。
(蓼科山山頂)
 その後、車を買って温泉と登山を組み合わせるようになった。そうなると、東北方面に行くことばかりが多くなった。東北道はすぐに乗れるが、八ヶ岳方面だと首都高を延々と乗らないといけない。特に帰りが渋滞して、疲れてしまう。だから都心を避けて東北方面へ。登山じゃなくても日光など良く行くのも同じ理由だ。東北でも吾妻山蔵王山など書いてない山がある。どっちも温泉目当て。西日本でも四国の剣山、九州の霧島山阿蘇山など書いてない。

 富士山は見る山だと思って行ってない。思い出してみれば、21世紀になって夜間定時制勤務が続いた時に、日曜の早起きが出来なくなって登山から遠ざかった気がする。それと定期テストの監督を授業者本人がやる学校だったので、テスト中に休暇を取れなくなってしまった。夏休みの休暇も取りにくくなるし、自分も膝を痛めたりして山から遠ざかった。年を取ったらまた行くつもりだったが、やっぱりそういうわけにもいかないものだ。山中心に書くと、北海道や東北の素晴らしい温泉を書けなかったので、来年からは「日本の温泉」を書いてみようかと思っている。
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那須・赤城・奥多摩・丹沢…関東の山々ー日本の山㉓

2020年11月29日 21時02分16秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 山を語るとなると、どうしても北海道とか日本アルプスの山を書きたくなる。しかし、それはある程度余裕も出来てから行ったところだ。東京に住んでいるんだから、若い頃は低山ハイクを含めて関東の山々に一番行っている。山小屋泊まりもあるが、日帰りが多い。山の話ももう終わりが近いから、今回は関東の山々をまとめて書いておきたい。

 東京西部の八王子市に高尾山(599m)がある。東京では遠足や家族でよく行く山だ。上野動物園や東京タワーみたいに一度は子連れで行く場所。ケーブルカーもあって、多くの人は高尾山が最初の山になると思う。僕も何度か行ってるが、ムササビ観察会に参加した思い出もある。夜になれば、こんなに飛んでいるのか。最近はミシュランガイドで三つ星になったり、温泉施設も出来たりして人が多いらしい。ある年正月に行ったら、高尾山神社で「君が代」を大音声で流して、「憲法改正署名」を集めていた。それ以来10年以上行っていない。
 
 高尾山は頂上まで行くと、そこで引き上げる人が大部分だ。でも行くならば、景信山陣馬山などへ続く「奥高雄」の縦走の方が面白い。高尾山ばかりが有名になってしまった感じだが、他にも素晴らしい低山は多い。奥多摩の御岳山(みたけさん、929m)や神奈川の大山(おおやま、1252m)などの方が面白いのではないか。また富士見の山として、箱根の金時山とか山梨の石割山なんかへ行った思い出も懐かしい。埼玉県の秩父より近いところを「奥武蔵」と呼ぶが、そこにも素晴らしいハイキングコースがたくさんある。

 もうちょっと遠くになると、泊まりがけになる。栃木県北部の那須山は麓に多くの観光施設があるが、最奥の那須岳周辺には秘湯も多い。僕はある年の秋に珍しく一人で登りに行った。(妻は友人と前に行っていた。)ロープウェーを利用して茶臼岳(1915m)に登って、そこから三斗小屋温泉に泊まるという行程だ。紅葉も素晴らしかったが、それ以上に記憶にあるのは頂上での出来事。ロープウェー頂上駅は9合目で、1時間程度ガレ場を頑張れば頂上だ。いつも噴煙が上がる頂上では多くの中学生が一休みしていた。そろそろ出発しようかと腰を上げたら、周辺の生徒たちも立ちあがって付いてきてしまった。「その人は違うよ」と大声で注意する先生の声が響く。自分はそんなに教員っぽい雰囲気になってしまったのかと愕然とした。
 (紅葉の那須岳と山頂)(那須テレカ)
 群馬県では新潟県境に谷川岳(1963m)や苗場山(2145m)に登った。谷川岳にはロープウェーもあって、登りやすい。群馬県の中心には有名な「上毛三山」がある。赤城榛名(はるな)・妙義だが、妙義山は奇岩怪石を楽しむ山でピーク登山はしない。赤城山(1828m)は山体が大きく、電車や車の窓から見ると圧倒される。国定忠治の籠もった山としても有名だが、最高峰は登りやすい。眼下に大沼を見ながら軽快な登山を楽しめる。その時泊まった忠治温泉もいい宿だった。上毛三山は行きやすいから忘れがちになるが、気持ちのいい山々だ。
 (赤城山、頂上と全容)(赤城テレカ)
 東京埼玉の奥の方、地理でいう「関東山地」を登山では「奥秩父」と呼ぶ。多くの山があるが「東京都最高峰」として有名な雲取山(2017m)にも登った。2007年に廃止された三峯ロープウェイを使って、秩父側から尾根を縦走した。正直言ってあまり覚えてないが、その日に泊まった雲取山荘は良かった。東京都と埼玉県、山梨県の境になっている。日本百名山には埼玉県の両神山(1723m)もある。そこも両神山荘に泊まって登山したがすっかり忘れている。
(雲取山)
 神奈川県では真ん中に「丹沢大山国定公園」がある。大山は手前にあって観光地だが、丹沢山地は奥多摩とならんで、「ハイキング以上」の訓練みたいなところ。でも自宅からは逆方向になるから、あまり行ってない。ある年5月の連休に出かけたら、ものすごい混雑で驚いた。大倉尾根を登って塔ノ岳(1491m)で泊まって、翌日に最高峰の蛭ケ岳(1673m)まで登った(はず)。その後、北海道や東北の山と温泉をいっぱい経験したから、関東の山はあまり覚えてないのだ。
(丹沢山)
 関東でももう一つ、茨城県に筑波山(877m)がある。千メートル以下の百名山は、開聞岳とここだけだ。しかもロープウェイとケーブルカーと二つもあるから、ちゃんと登る人は少ない。歴史と伝説で関東では名が知られていて、僕の小学校の校歌では「東に筑波、西に富士」と歌っていた。標高に差がありすぎるが、距離が違うから昔は同じように見えたのかもしれない。今では富士山は冬に時々見えるが、筑波山は都内から見えることはほぼないだろう。勤務先の校歌が「富士は微笑む 筑波は招く」とあるので、遠足で行ってみてはと提案したことがある。当日雨になってしまったが、常磐道が開通直後で行きやすかった。ここはまた行ってみたい気がする。
(筑波山)
 百名山がないのが千葉県。しかし、鋸山(のこぎりやま)や鹿野山(かのうざん)、清澄山など名低山がある。日蓮聖人南総里見八犬伝などの史跡や伝説も多い。高校の施設が鹿野山にあったし、一時期千葉県に住んでいたのでずいぶん行っている。麻綿原(まめんばら)高原のアジサイなど素晴らしかった。鋸山も面白い。関東には山城の史跡が多く、奥武蔵や房総の低山ハイクはもっと年を取っても最後まで楽しみたいなと思っている。
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会津駒ヶ岳と秋田駒ヶ岳ー日本の山㉒

2020年10月25日 22時30分00秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 日本の山にはあちこちで同じような名前が付いていることがある。前回書いた「○○富士」は通称だが、正式な名前で一番多いのは「駒ヶ岳」だろう。深田久弥選「日本百名山」には、南アルプスの甲斐駒ヶ岳(2967m)、中央アルプスの木曽駒ヶ岳(2956m)、「越後三山」の魚沼駒ヶ岳(越後駒ヶ岳、2003m)、そしてここで取り上げる会津駒ヶ岳(2133m)と4つも駒ヶ岳がある。

 この「」とは馬のことで、残雪期に雪渓が麓から見ると馬のように見えるという理由で付いていることが多い。百名山以外にも駒ヶ岳はいっぱいあるが、東日本にしかないから残雪説が正しいのだろう。しかし「馬形」だからとか「独楽(こま)型」だからという理由もあるらしい。他の駒ヶ岳としては、乳頭温泉郷に近い秋田駒ヶ岳(1637m)、北海道の大沼からの景観が素晴らしい蝦夷駒ヶ岳(1131m)、箱根ロープウェーがある箱根駒ヶ岳(1356m)などが有名だ。

 甲斐駒木曽駒は他の山と一緒に登ろうと思っているうちに行きそびれた。越後三山も行ってないから、結局百名山の駒ヶ岳で行ってるのは会津駒ヶ岳だけ。場所は会津の秘境と言われる檜枝岐(ひのえまた)村である。前日に檜枝岐温泉の民宿に泊まった。檜枝岐の民宿は、蕎麦なども美味しいし評判がいい。車がない頃に行ったが、翌日は登山口まで送ってくれた。登山口バス停(900m)からさらに林道終点(1100m)まで行ってくれたんだから大助かりだ。
 
 ここは素晴らしい山だった。急登を登り切ると、比較的平坦な湿原になっていて夏は一斉に花が咲き乱れる。苗場山も山頂付近が平坦なお花畑だが、会津駒も負けていない。その素晴らしい風景が思い出に残っていて、最初の登りの大変さを忘れていた。今回ガイド本などを見直すと途中までが急坂だと書いてある。水場までが1時間半、その後駒ノ小屋までが緩やかな尾根で1時間半。花がいっぱいで足もとも軽くなる。秋の写真を見ると草紅葉もすごそうだ。山頂はたいしたことがないけれど、途中の湿原が素晴らしい。そんな山である。
(会津駒山頂)
 秋田駒ヶ岳も会津駒に劣らない素晴らしい花の山だ。今まで「百名山」しか書いてこなかったが、ここは「百名山」ではなく「二百名山」である。深田クラブ選定の「日本二百名山」というのがあって、百はそのままで他にもう100を選んでいる。東北には栗駒山焼石岳森吉山など標高では劣るものの山格や魅力度では100名山クラスの山がいっぱいあって、二百名山に選定されている。東北の山は麓に温泉があるのが魅力で、秋田駒は「有名な秘湯」の乳頭温泉郷が近くにある。どちらかというと、温泉が目当てだったかと思う。鶴の湯に行ったのもこの時。
(秋田駒のお花畑)
 登山道は四方からあるが、今は八合目登山口(1300m)まで車で行くのが一般的。最初に行ったときは雨が降っていて、登山口まで行って断念することにした。温泉も素晴らしいので、翌年また行って登ることが出来た。登山口から300m登るだけだからそれほど大変ではない。山を巻くような登山道を1時間半で阿弥陀池避難小屋(1530m)。そこまでは割合と楽な道を花を楽しみながら。そして最後に20分登って山頂へ。気持ちいい登山だった。
(秋田駒ヶ岳全景)
 田沢湖を下に見て、軽快に進む。100名山ではないけれど、割合に楽なこの山は多くの人に向いた山だと思う。乳頭温泉郷はずっと使える湯めぐり手形がある。全部入ったが、黒湯蟹場温泉にも泊まってみたい。しかし家族連れだったら、休暇村乳頭温泉郷が気楽。温泉に連泊して山登りを楽しむのにもってこいの東北の山と温泉だ。
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鳥海山と岩木山、「郷土富士」の名峰ー日本の山㉑

2020年09月29日 21時08分14秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 丸亀製麺に入ると、「讃岐富士飯野山の写真が飾られている。富士山に似た山容だけど、標高は421mに過ぎない。こういうのを「郷土富士」と言うんだそうだ。(ウィキペディアに一覧がある。)日本どころか世界にもあって、アメリカ西部のレーニア山が「タコマ富士」、ノアの箱舟伝説のアララト山が「トルコ富士」とか。もちろん日本人が勝手に付けているだけだ。戦時中の日本軍も「ラバウル富士」なんて名前を付けていた。

 今まで書いた中では、利尻山(利尻富士)や大山(だいせん、伯耆富士)が郷土富士になる。利尻富士なんか町の名前にもなっている。そんな中で東北地方では「出羽富士」と呼ばれる鳥海山や「津軽富士」と呼ばれる岩木山などの名峰がある。特に鳥海山(2236m)は海へと続く大きな山麓が魅力で、植物の固有種も多い日本屈指の名山だ。尾瀬の燧岳に続く東北第二の高峰だが、燧岳は麓から見える山じゃないから実質的には東北を代表する山だと思う。

 鳥海山に登ったのは、実は前に書いた月山に登った後だった。昔はそういうことが出来たのである。月山頂上小屋に泊まって、翌日は湯殿山を経て下山。バスで酒田へ出て、さらに鳥海山中腹にある国民宿舎大平山荘(おおだいら、1000m)へ。鳥海は四方から登山ルートがいろいろあって、いくつかの宿がある。普通は一日じゃ無理で、中腹にある大平山荘か鉾立山荘に泊まって頂上でもう一泊することが多いだろう。急登が続くが2時間半ほど頑張ると、御浜小屋(1702m)に出る。遠くに昔の火口だった鳥ノ海が見える。絶景を望んで一休み。
(鳥ノ海を望む)
 鳥海山はお花畑に見とれながら登る山だ。固有種も多くてチョウカイアザミがあちこちに咲き乱れている。雪も遅くまで残っていて、特に有名なのが「心字雪渓」である。遠くから見ると「」の字のような雪渓に見えるという意味で付けられた。頂上は見えていて、風景や花を楽しみに頑張って2時間半ぐらい。ようやく大物忌(おおものいみ)神社に到着した。
(心字雪渓)
 鳥海山はもちろん火山だが、有史以来何回か噴火の記録がある。近代以後に大噴火がないので、何となく火山の印象がないけど、江戸時代には死者も出た記録がある。そこで大物忌神社が祀られ出羽一の宮となり、朝廷からも高い位を授けられたという山だ。だから頂上小屋も正式には「鳥海山頂上参拝所」である。信仰登山の人も多く、頂上は混雑していた。宿泊手続きをして、すぐそばの頂上を目指す。石ころをよじ登りながら、周囲の夕景を見渡した。
(鳥海山頂と頂上小屋)
 翌日は秋田県の矢島方面に降りたが、その道も花がいっぱいだった。その後酒田に泊まって、本間美術館山居倉庫土門拳記念館などを訪れたのも楽しい思い出だ。鳥海山は30年ぐらい前で、車がなかった頃に登山だが、それから10年ぐらいして今度は車で東北を回った。青森県は山や温泉もに加えて、縄文遺跡や太宰治、寺山修司など歴史、文学にゆかりが深い。そしてドライブ中には津軽富士と呼ばれる岩木山(1625m)がずっと見えているのが素晴らしい。
(岩木山)(岩木山テレカ)
 しかしながら今では信仰の山として山麓の神社から登る人はほとんどいないだろう。津軽岩木スカイラインが1965年に出来ていて、8合目まで車で行ける。そしてそこからリフトもあって、何と9合目(1470m)まで行けてしまう。だから登山は30分ほど、高低差150mほどで済んでしまう。あれば利用したくなってしまうわけで、僕も30分で登頂したので、ほとんど覚えていないのである。登山以上にジグザグにどんどん登るスカイラインのドライブの方が気を遣う。
(岩木山頂)
 それより前日に泊まった麓の嶽(だけ)温泉の「山のホテル」が素晴らしかった。部屋も食事も良かったけれど、白濁した硫黄泉が素晴らしい。そして夕方に入浴したときに、宿の関係者なのか隣の女性風呂から多くの人の声が聞こえてきた。その津軽弁がホント、全然判らなかったのが一番強烈な思い出になっている。
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大台ヶ原山から大杉谷へー日本の山⑳

2020年08月26日 22時10分59秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 紀伊山脈にある大台ヶ原山は、日本でも最も雨が降る地方として有名だ。南紀地方は昔から何となく気になるところで、何回か行っている。大台ヶ原も若い頃から関心があった。北海道の名付け親とされる探検家、松浦武四郎が晩年に登山道を切り開いたことでも知られている。
(大台ヶ原山)
 僕が大台ヶ原に登ったのは、1985年のことである。何でよく覚えているのかというと、ここにある「大台山の家」で暑中見舞いを書いた思い出があるからだ。当時中学生の担任をしていて、学校が葉書を買って夏休み中にクラス全員に出そうということになっていた。どうせなら旅先からの方がいいと思って、大台ヶ原で書いて投函した。この時は和歌山で歴史関係の大会があって、それに行く予定だった。当時は民間の研究会にも「研修」で参加できた。

 紀伊半島奥地はずいぶん秘境っぽいところなんだけど、大台ヶ原そのものは大台ヶ原ドライブウェーが開かれ近鉄バスが大和上市駅から通じている。便は少なく、2時間半もかかる。20年ぐらい経って、今度は自分の車で行ってみたが、すれ違い困難なような大変な道路だった。駐車場に着いてしまえば、そこは高原状に広がる一帯で、最高峰の日出ヶ岳1695m)も100mぐらいの差である。駐車場からはグルッと回るハイキングコースがある。これが登ったり下りたり結構大変だったが、中でも大蛇嵓(だいじゃぐら)は突き出た大岩で、下を見ると怖い思いをした。
(大蛇嵓)
 ここは伊勢湾台風(1959年)で大きな被害を受け、以来環境が回復せず枯木が立ち並ぶようなところがある。(最初の写真)そこにシカの食害も加わり異様な景観が見られた。野生のシカはここで初めてちゃんと見たと思う。北海道東部の野付半島でも似たような景観が見られる。見る方には珍しいけれど自然の破壊された跡である。泊まったのは大台教会の山の家。神道系の教会の付属だが、今はもうない。当時もずいぶんボロかった。

 僕はこの時、ここから大杉谷に下るコースを取った。日本三大渓谷と言われる大杉谷だが、近年は台風の被害で通行できない期間が長かった。最近は復興したようで、途中の「桃の木小屋」も営業を再開した。普通はそこに泊まらないとダメなコースである。小屋の標高は500mだから、ひたすら千メートルも下るのである。そこを登るよりはいいけれど、これだけ下るのも大変だった。水はキレイで、滝や奇岩が連続する。素晴らしい渓谷だが足の裏が痛くなった。
(大杉谷)
 飽きた頃に桃の木小屋で、ステーキが出ると有名だった。それはともかく、ただ下るだけなので渓谷下りはどうしても飽きてくる。宮川ダムに出れば船やバスで町へ出ることになるが、僕の場合は親切な人がトラックの荷台に載せてくれた。どこかで降りて、タクシーを呼んで松阪へ出た。タクシー運転手は「本居宣長記念館でも寄りましょうか」と行ったが、僕は予約していたビジネスホテルに直行した。さすがに疲れていた。
(桃の木小屋)
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磐梯山と安達太良山ー日本の山⑲

2020年07月25日 22時36分26秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 2020年いっぱいで終えるために、日本の山シリーズもどんどん書いてしまいたい。今回は福島県にある2つの名峰、磐梯山(ばんだいさん、1818m)と安達太良山(あだたらやま、1728m)。どちらも磐梯朝日国立公園に指定されている。前に書いた出羽三山の月山も同じ国立公園だし、朝日連峰、飯豊(いいで)連峰、吾妻連峰と日本百名山が多く入っている国立公園である。その中でも、磐梯山、安達太良山は東京から近いから、学校行事でも多く利用されている。
(磐梯山と猪苗代湖)
 磐梯山に最初に登ったのは、林間学校の引率だった。教員になった最初の年のことだから、自分で企画したわけでもなく付いていっただけ。磐梯山は登り口がいくつもあるが、一番早く登れるのは八方台登山口(1194m)だろう。磐梯山ゴールドラインの途中にあって、前日に乗ってきた貸し切りバスで来るわけだ。30分ほどで中ノ湯温泉に着く。今はもう営業してないとのことだが、当時から古めかしい宿だった。夏休みに入った直後で、あちこちの学校登山が集中していて、中ノ湯辺りから「渋滞」になってしまった。子どもが多すぎるのである。1時間で弘法清水、30分で山頂だけど、その間ずっと、少し行っては立ち止まりの連続。疲れないで済んだけど。
 (磐梯山テレカ)
 磐梯山は1888年に大噴火を起こして、現在の裏磐梯の景観を作った。桧原湖五色沼などの美しい湖沼地帯はその時の噴火で長瀬川がせき止められて作られた。その時の噴火では477人が亡くなったとされ、近代最悪の火山被害である。さて、最初の登山から10年ちょっと、その時勤務していた高校でも秋の移動教室で磐梯山に行くことになった。今度は担当だったから、事前に登っておきたいと思って夏に夫婦で登りに行った。(事前に下見してるけど、旅館との打ち合わせなどが中心で、まだ山開き前だから実際の登山は出来ない。)
(秋の五色沼)
 朝早く車で家を出たら、10時前に八方台に着いたので驚いた。2時間ほどだから、予定通りのコースタイムで登頂。判りやすいコースだし、特に問題もなかった。展望も良かったので、下の猪苗代湖がよく見えた。山より覚えているのは、その日泊まった裏磐梯猫魔ホテル。福島交通系が開発したバブルっぽいホテルで、案の定その後倒産、一時は星野リゾート系になったが、今は「裏磐梯レイクリゾート」となっている。いい温泉が掛け流しになっていて、潰れてはもったいない。実は僕が一番覚えているのは、ここで食べた中国料理。夕食はホテルに入っている店で食べる仕組みで、香港でも有名というお店を選んだ。かなり高かったけど、人生で一番美味しい中国料理。翌日は五色沼でボートに乗った。秋の本番は、まあ省略します。
(安達太良山)
 安達太良山は、その数年後に登りに行った。二本松市の岳(だけ)温泉に泊まって、翌日に登る。当時は「ゴンドラリフト」と言ったけど、今は「ロープウェイ」がある。いつ変わったのかは判らない。岳温泉からは奥岳までバスも出ているから、ここは一番登りやすい百名山の一つだと思う。登り口はもう1350mなので、山頂までは80分ほどである。気持ちいい尾根筋を気持ちよく登っていった思い出がある。山頂から1時間ぐらい歩くと、「くろがね小屋」という温泉のある山小屋がある。よく紹介されている小屋だが、実はその温泉が岳温泉の源泉なんだという。
(あだたらロープウェイ)(安達太良山テレカ)
 東北道安達太良サービスエリアなどから安達太良山が遠望できる。下に見える川は阿武隈(あぶくま)川である。そうなると、僕らは山を指さしながら、高村光太郎の詩を口ずさむことになる。「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。」そして、これが「ほんとうの青空」なのかあと感慨を覚える訳である。いや、そんなことは関係ないという人もいるだろうが、二本松と安達太良山は「光太郎・智恵子の愛の神話」を抜きに語れない山だと思う。
(智恵子生家)
 僕も「智恵子生家」などを訪ねたが、山と温泉に加え、史跡が豊富なのも魅力である。磐梯山だと野口英世記念館はよく学校で行くところだ。そして会津若松で鶴ヶ城に寄ったりするが、会津若松や二本松の幕末悲史は今どうとらえるべきだろうか。白虎隊(びゃっこたい)も知らない人が多くなっていると思うし。二度目に赴任した学校では、安達太良山が林間学校の行き先だった。(すぐに異動したので僕は行ってない。)学校でも「林間学校」などが難しくなってきたし、今では磐梯山や安達太良山に学校で行くことも少ないのかな。
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