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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

オリンピックはどうあるべきか

2016年06月19日 23時06分23秒 | 社会(世の中の出来事)
 東京都政東京五輪のことをしばらく書いていたので、そもそも都政や五輪をどう考えるべきか、自分の考えをマジメに書いておきたい。まずは「オリンピックのあり方」の問題。オリンピックは、世界最高のスポーツ選手が競い合うわけで、そのレベルの高い争いは見ていて非常に面白い。もうテレビではスポーツ中継ぐらいしか楽しめないので、今度のリオ五輪も楽しみではある。(「は」と限定を付けたのは、昼夜がちょうど逆の時差だから、さすがに生で見られるのは少ないだろうと思うから。)

 だけど、今のオリンピックは巨大化しすぎてしまった。そのため開催可能な都市が減ってしまった。2022年冬季五輪は北京とアルマトイ(カザフスタンの首都)の二つしかなかった。(2024年夏季五輪は、ローマ、パリ、ブダペスト、ロサンゼルスの4都市が立候補している。2020年には最終選考に残ったイスタンブール、マドリードの他、ローマ、バクー、ドーハが立候補していた。) 

 そのような「巨大化」は、プロ選手の参加を可能にし、競技数を多くしたことによる。64年の東京五輪にはなかったテニスやゴルフも、今は五輪種目である。どっちもプロ選手が出られないというんだったら、ほとんど競技としての魅力がなくなるに違いない。プロとかアマとか言っても、選手のほとんどは毎日トレーニングを仕事にしている人ばかりである。昔の「ソ連圏」では「ステートアマ」と呼ばれる、「国家お抱えの選手育成」を行っていた。日本でも企業に支えられた、「仕事はスポーツ」という選手が多い。軍や警察、あるいは体育大学などで、仕事と競技が一体化している人も多い。

 そういう意味で、五輪選手のほとんどは、昔も今も「実質的にはプロ」である。競技の質という意味でも、人々の期待という意味でも、いまさらプロを排除ということはできない。そうして各競技にプロも参加するとなると、テレビ放送のコンテンツとしての価値が高まる。だから放映権が高く売れる。オリンピック種目ではない競技でも、世界で注目を浴びスポーツ界で生き残っていくためには、ぜひオリンピック種目に選ばれテレビで世界に放映されたいと願う。そうして種目がどんどん増えていく。昔は女性がやるとは考えられていなかったマラソンやサッカー、レスリング、柔道、重量挙げなども、今は男女ともにやっている。それが当たり前になったし、近年の日本のメダルはこれら種目の女子が獲得したものが多い。しかし、女子競技の実施は、競技数が増えたというのと同じことである。

 それだけ競技が増えても、要するにテレビ放映権が高く売れればいいわけである。だけど、世界的な経済不況やインターネットの普及などで、オリンピック放送権が一時より高く売れなくなっているのではないだろうか。そうなると、巨大化、種目数増加は負担増になるだけだ。ちょっと調べてみると、64年東京五輪では、「20競技」だった。面倒だと思うが一応全部挙げておく。陸上、水泳、水球、体操、柔道、レスリング、自転車、バレーボール、バスケットボール、サッカー、ボクシング、ボート、セーリング、カヌー、フェンシング、重量挙げ、ホッケー、近代五種、馬術、射撃。以上のうち、女子種目が実施されたのは、陸上、水泳、体操、バレーボール、フェンシングのたった5種目。意外なほど少ない。

 2020年東京五輪では「28競技」が予定されている。そのうえ、さらに5種目も増やそうとしている。増えているのは以下の競技。アーチェリー、バドミントン、ゴルフ、ハンドボール、7人制ラグビー、卓球、テコンドー、テニス、トライアスロン。(なお、水球は昔は水泳と別の競技に分類していたが、今は水泳の中に入れる。)だけど、細かく言うと実はもっと多い。ビーチバレーはバレーボールの種目に含まれる。体操の中に、トランポリン新体操があり、水泳の中に飛込みと競泳とシンクロナイズドスイミングと水球がある。もちろん全部女子もある。(新体操とシンクロナイズドスイミングは、女子のみで男子がないが、独立競技ではないからいいのだろうか。)

 ちょっとここまでで長くなってしまったが、要するにこれだけの競技数をこなすだけの会場が必要だということである。オリンピックは時期を決めて各競技を「同時多発」で行うから、たくさんの会場が必要になる。さきごろバレーボールの世界最終予選が行われたが、その場所は東京体育館だった。ところが、本番では卓球がそこを使う。バレーボールは前は駒沢体育館で行ったが、今回は「東京ベイエリア」に「有明アリーナ」というのを新設することになっている。それは当初の計画で、「半径8キロ以内」に全施設がある「コンパクト五輪」を打ち出していたためである。だから、他にも水泳、体操、ホッケー、アーチェリーなどの会場は、これからベイエリアに作っていくのである。

 ところが、その「コンパクト五輪」はもう崩れている。ゴルフやセーリング、自転車のマウンテンバイクなどは当然だが、それ以外でもバスケはさいたまスーパーアリーナで行うし、フェンシング、テコンドー、レスリングは幕張メッセで行う。(あるいはパラリンピックのゴールボール、テコンドー、シッティングバレーボール、車いすフェンシングも同様に幕張メッセ。)予選リーグと決勝、あるいは個人と団体などを行うから、バレー、バスケ、バド、卓球、ボクシング、体操、フェンシング、レスリングなど屋内競技を行える会場が全部別々にいるわけである。屋外競技も同様。しかし、今後世界大会や国内大会などがあっても、ここまで「同時多発」ではない。だから、仮設で対応する競技もある。これだけ多数の会場を持つ、あるいは整備できる経済力を持つ都市は数少ないだろう。

 僕は前回に「いっそ返上しては」と書いた。それはもともとの開催計画をもとにして会場整備を行うなら、今後2兆円とか3兆円かかるというからである。それは負担できないと思う。だけど、もう4年前になるし、他の都市も手を上げにくいだろう。「やることの意義」もないわけではないだろう。だから、返上はせずにもっと穏当なやり方はないかと思うと、要するに「ベイエリア計画」を放棄すればいいのだと思う。もっとも、そこで考えられるのは、「東京五輪の真の目的」は何なのだろうということである。埋め立てたまま開発が進まない「ベイエリア地区の開発」を、オリンピックを名目にして国費を投入して整備しようという「都庁官僚」と「建設業界」の思惑が、2020年東京五輪なのかもしれない。そうだとすると、ベイエリア地区にいろいろと作ることは目的そのものだから、今さら放棄はできない。

 だけど、もうそんなことを言っている余裕はないだろう。「東京五輪」「都知事が中心」などと頑張りすぎず、「首都圏五輪」と考えれば、何も施設を新設することもない。大体、バレーボールは駒沢体育館が使えるのではないか。他の競技も神奈川、埼玉、千葉などの各県に立派な施設があるはずである。最初に世界に約束したものとずいぶん違うかもしれないが、新設する余裕がないんだからやむを得ないと交渉するしかない。組織委に対しても、IOCに対しても、タフ・ネゴシエイターとして臨める新知事を選んで、それを認めないなら返上しかなくなると言うべきだと思う。(ついでに言えば、国立競技場の工事も止めてしまい、横浜国際総合競技場(日産スタジアム)で開会式も行えばいい。五輪終了後の景気対策として、2021年から国立競技場を作り始めた方がいいのかもしれない。)

 今はプロ選手が多いということもあり、開会式にも出ず閉会式にも出ない選手が多くいる。また、開会式も巨大イベントになりすぎて、出席選手の負担になる規模になってしまった。そもそも、15日間程度の日程で開会式から閉会式まで、全競技を行うというのに無理がある。(というか、サッカーなどは開会式前に予選が開始される。一体、開会式とは何なのか。)全選手が一堂に集って、世界平和と友好の祭典を繰り広げるなどという理想は、もう存在する余地がない。どうせ無理なら、もう無理はしないで、30日ぐらいの「オリンピック月間」、あるいはもっと長くてもいいけど、そうした方がいいのではないか。それなら、バスケが終わったらバレーをやり、その後卓球を同じ会場でやるとかが可能になる。柔道、テコンドー、レスリング、フェンシングなども同じ場所でできる。

 そして、「都市連合」や「国家連合」が開催できるように変更する。それならば、世界でもっと開催できる場所が出てくるだろう。日本でも、福岡を中心に北九州地区で開催するとか、広島と岡山で共催するとかも可能性が出てくる。すでにサッカーのワールドカップは日韓で共催したし、ヨーロッパ選手権では前回はポーランドとウクライナで共催した、その前にもオランダとベルギー、スイスとオーストリアで共催した年がある。オリンピックも小国連合で開けるように変えていくべきだろう。そうやって「柔軟化」しないと、巨大となりすぎたオリンピックを開ける都市がなくなり、滅んでしまうのではないか。僕としては、むしろ「世界選手権の集中開催年」、2020年には各種競技が日本のどこかで世界選手権を開くことにするといったやり方に代わっていくのが、より望ましいのではないかと思う。が、まあ僕が言ってもどうしようもないだろう。でも、少なくとも2020年に関しては、「湾岸に新設する予定施設を近県に探す」というのは、常識にかなうと思うのだが。
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大村智博士の偉大なる業績

2015年12月10日 01時29分21秒 | 社会(世の中の出来事)
 2015年の「ノーベル医学・生理学賞」(この呼称については後述)を受賞した北里大学特別栄誉教授の大村智博士という人は、現代日本には稀な巨大なる偉人だと思う。多くの人がそう思ってるだろうが、改めて書いておきたい。その授賞理由に挙げられた「イベルメクチン」による「オンコセルカ症」(河川盲目症)治療については、一年に2億とも3億とも言われる人々の役立っているという。オンコセルカ症は2025年までに、またリンパ系フィラリア(象皮症)は2020年までに、「公衆衛生上の問題ではなくなる」と大村博士はノーベル賞講演会で述べた。このイベルメクチン投与療法が始まって25年を記念して、北里大学には彫刻が建てられている。ということで、過日彫刻を見に行ってみた。
   
 この彫刻は2005年に建てられたもので、台座の文章を見ると「アベルメクチン」と表記されている。ウィキペディアによると、アフリカのブルキナファソの彫刻家による「オンコセルカ症の大人を導く子供の像」である。同様の彫刻が、WHOやブルキナファソにあるWHOオンコセルカ症制圧プログラム、製薬会社のメルク社などに建てられているそうだ。北里大学はどこにあるか僕も知らなかったけど、東京都港区の白金にある。地下鉄白金高輪から徒歩15分くらい。あるいは渋谷と田町を結ぶバスが大学前に停まる。今、大学は工事をしていたが、交番の横を曲がっていくのが一番この彫刻には近いと思う。大学前の壁には大きく受賞の幕が掲げられ、道にも受賞を喜ぶ垂れ幕が下がっていた。
  
 日本人2氏ノーベル賞のニュースを聞いたのは、函館の旅行中だった。特に大村博士のニュースは、当初は北里大学から中継していたが、その後「大村氏に関係した美術館から中継します」と変わった。いやあ、この大村さんという人は、なんと美術館を建ててしまったのだとか。次の日の新聞を見たら、そこには温泉もあるんだとか。(「韮崎大村美術館」と「武田乃里 白山温泉」のサイト参照。ちなみにこの温泉は源泉掛け流しの日帰り温泉で、なんと蕎麦屋まで出来ている。)さらに、大学院に行く前は都立の定時制高校の教諭(都立墨田工業)だったという。驚くような話がどんどん伝わってきた。

 僕はこの大村智という人を知らなかった。知ってましたか?知ってても全然不思議ではなかった。何故ならば、2012年の文化功労者に選ばれていたから。あるいは、2014年度の朝日賞にも選ばれていたから。さらにちょうど一年ほど前の東京新聞に大きく報道されていたから。これを全部読み逃したとは思えない。たぶん読んで、その時はすごい学者がいると思っても、そこで忘れてしまったのだろう。そういう記事はエライ学者の紹介というトーンだし、美術への貢献はほとんど触れていない。アフリカでどんなに多くの人々を救って来たかという関心も伝わらない。こういう他分野の人の業績は新聞やテレビが伝えないと、なかなか僕たちは知らないことになる。でも、国際、科学、文化、社会などマスコミでも多くの分野にまたがって活躍した人は、なかなか全体像を伝えにくいんだろうと思う。

 今、美術への貢献と書いたけど、これは単に美術館を開いたというだけの事ではない。特に「女性画家」に関心を持ち、女子美術大学の理事長を2期務めている。さらに病院にも多くの絵を飾っているとのことで、単に特許料が入ったから絵のコレクターになったと言うだけでは済まない情熱ぶりである。もともと山梨大学の学生時代はスキー部と卓球部の主将で、国体選手。墨田工業定時制教諭時代も、卓球部を都大会準優勝に導いたという。「知育」「体育」「徳育」というけれど、これに「美育」がなくてはならないと昔言われた思い出がある。大村博士ほど、この「4つの力」を兼ね備えた人も珍しい。これほどの「巨人」が同時代の日本にいたことを知らなかったなんて…。

 ところで、僕が一番感心してしまったのは、以上の事柄ではない。科学者として成功しながら、芸術にも深い造詣を持つという人は他にもいただろう。でも、経営が悪化していた北里大学を救うため、大学教授を辞め、北里研究所理事となり、経営学と不動産学を学び、経営基盤を作り上げたのである。この話には心底ビックリした。並みの人ではないと知りながら、これほどの事は普通できない。巨額の特許料が入れば、自分も美術館を作るかもしれないが、自ら学園の経営者になるとは思えないし、それで成功できるとも思えない。この大村智という人物は、まことにけた外れのスケールの人物のように思われてならないが、多分「運と努力」でなしとげたとご本人は言うのだろう。

 ところで、この人を調べていて驚くことはさまざまあったのだが、オンコセルカ症とはつまり「フィラリア」なのである。フィラリアとは寄生虫の一種の総称で、その中にオンコセルカ症や象皮症がある。ところで、もともとイベルメクチンとは牛の寄生虫に対する薬だった。(世の中にいいことばかりはなく、イベルメクチンを与え過ぎ残留濃度が高い牛肉は規制の対象になるらしい。)その薬が十分の利益を上げたので、アフリカでの活動に関しては米メルク社が無償で配布しているわけである。ところで、フィラリアって言えば昔は犬の病気だった。昔の犬はよく病気ですぐに死んでしまった。昔飼っていた犬もフィラリアで死んだ。「犬糸状虫症」が正式名だという。最近は犬も長生きして、フィラリアで死ぬ犬なんかいないなあと思っていたのだが、それもイベルメクチンの恩恵なのだった。そうだったんだ。

 さて、そもそも「定時制教員をしながら大学院へ通う」ということは、今では許されない。(通信制や出張派遣による場合は別だが。)夜しか授業がないんだから、昼は大学院へ通えば生徒のためにもなるだろうというのは、今では「職務専念義務違反」と言われてしまう。処分の対象である。そもそも、「全定併置」はよろしくないというのが都教委の考えだというのは、ちょっと前に書いた通り。三部制の教員は「朝から夕方」「昼から夜」の2タイプの勤務になるから、当然のこととして夜勤務の教員も昼間も授業がある。かくして、大村先生のような人は二度と出ない。残念ながら、今の日本では。

 ところで、最初に触れた呼称の問題。朝日、毎日、東京などは「医学生理学賞」と書くけど、読売と日経は「生理学・医学賞」と書いているんだそうだ。(東京新聞12.8による。)原文をみると、“The Nobel Prize in Physiology or Medhicine"なんだそうだ。つまり訳すと「生理学」が先の方が正しい。だけど、「フィジオロジー」と言ってもよく判らない。ある種の「意訳」で「医学生理学賞」としてきたらしい。確かに日本ではこの方が判りやすいのも否めない。ここでも一応「医学生理学賞」としておく次第。
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「マイナンバー」と「マイカー」

2015年11月21日 23時21分42秒 | 社会(世の中の出来事)
 政治や国際問題を書く元気がだんだん戻ってきたが、そこへ行く前に「違和感のある言葉」を取り上げるシリーズを数回。前に「グローバル・フェスタ」とか「空気感」「目線」「○○学的」などを取り上げていて、カテゴリーの「言葉」にまとめている。さて。久しぶりに書くのは「マイ」である。

 ピーター・フランクル氏(数学者、大道芸人)だったと思うが、前にこんなことを書いていたとことがある。日本のあちこちを旅していて、ずいぶん遠くの山奥なんかも訪ねている。鉄道とバスで訪れたある宿で、翌日行きたいところへの行き方を支配人(?)に聞いたところ…。
 「そこはバスが廃止されてしまったので、マイカーで行くしかありません。」
 そこで次の日、ずっとロビーで待っていたのだが、何の連絡もないまま時間だけが経っていく。またフロントで聞いたところ、昨日聞いた支配人は非番で今はいないから判らないと言われてしまった…。

 説明は不要だと思うが、念のために解説しておくと。ピーターさんは支配人が「マイカー」で行くと言ったから、支配人が彼自身の車(マイ・カー)で案内してくれるとは、何と親切な宿だろうと感動して、翌日はずっと待っていたのだ。一方、支配人の方は「バスがないから、車で行くしかありません」と言っただけで、もちろん自分で案内するつもりなどなかった。それは日本人客なら自明のことだけど、考えてみれば確かに「マイカー」はおかしく、「ユアカ―」(your car)でないと。というか、車で来ていない客なんだから、タクシーやレンタカーの案内をすべきだったわけである。

 英語の勉強の最初の時期に、「I my me mine 」というのを覚えさせられる。順番に、主格、所有格、目的格、所有代名詞というらしいけど、これは忘れていて今調べた。これを二人称や三人称についても覚えるわけだけど、案外それは忘れずに残っているのではないか。だけど、先の場合を見ても、こんな簡単な単語だけど、実際の使い方で間違う時がある。所有格の所有者のとらえ方が反対になってしまったわけである。否定疑問文の答え方なんかと同じく、英語と日本語の感覚の違いである。

 そんなことを思い出したのは、例の「マイナンバー制度」とやらがきっかけである。政府の広報を見ると、「あなたのマイナンバーが通知されます」とか書いてある。あなたの番号なら、「ユア・ナンバー」と言うべきではないの?それはともかく、今はこの制度そのものの問題は扱わないが、一体この制度を正式には何と言うのかがよく判らない。政府の広報は「マイナンバー」で統一されているけど、このナンバーは自分で勝手に提供してはいけないとあるし、基本的には一生変わらないとある。つまり、勝手につけられたままなのだから、言葉の正確な意味では「マイナンバー」ではない。

 パソコンやケータイ電話のメールアドレスなんかは、自分で変えられるではないか。インターネットで登録している様々なサイトのパスワードなども変えられる。むしろ時々変えなさいと向こうから言ってくる。今度の「マイナンバー」とは全然違うではないか。だから、この番号の正式な名前を知りたいと思ったのだが、なかなか見つからない。いろいろ見ていると、要するに根拠法は「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」と言うことが判った。このぼう大な法律をざっと読んでも、どこにも「マイナンバー」と言う言葉はないようだ。「個人番号」で通している。

 「個人番号」というなら、意味は理解できる。英語で言うなら、“personal number"になるのだろうか。英語で言いたいなら「パーソナル・ナンバー」、あるいは法律どおりに「個人番号」と言ってればいいと思うんだけど。そこを「マイナンバー」などと言うのは、国民自身が望んでいる「いいもの」であるかのごとく印象付けたいということではないだろうか。とにかく「あなたのマイナンバー」なんて言うのは、慣れてはいけない表現だろう。
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ノーベル地学賞はないのだろうか-ノーベル賞番外

2014年10月22日 21時07分17秒 | 社会(世の中の出来事)
 ノーベル賞問題の最後というか番外編。憲法9条問題や村上春樹などを書きたいのだと思われたかもしれないが、それは前々から考えていたのでいつでも書ける。最近はトリュフォー映画祭をずっと見ていて時間がないから書きやすい問題を書いていたのである。(青色発光ダイオードの問題だけは、調べないと書けないから、書いていて一番面白かった。)もともと「地学教育の振興」という問題意識を持っていて、ちょうどいい機会だからノーベル賞と絡めて書いておきたい。

 10月初めの週末は連続で大型台風が襲来した。その前の週末には、木曽の御嶽山が突然噴火して多数の犠牲者が出た。そのひと月前には広島市で大規模な土砂災害が起こり、やはり多数の犠牲者が出た。一年前には伊豆大島で同じく大規模な土砂災害が起きた。そして3年半前には、三陸海岸沖でマグニチュード9の巨大地震が起きた。日本で生きている以上、地震、津波、火山噴火、台風、土砂災害などが起きることは避けられない。それが判っている以上、大地と気候のシステムを研究し、防災体制を整えることが重要だろう。でも、こういう問題が起きると、いつも地震や火山の研究者が少ないとか、恵まれていないという話を聞く。

 ノーベル賞になぜ地学賞がないのだろうか。それを言っても仕方ないけれど、もし「ノーベル地学賞」があったならば、世界中で、そして日本各地で、地震や火山、あるいは気候変動などの研究がもっと盛んになっていたのではないだろうか。ノーベル賞はノーベルの遺言で設立されたが、その中に「地学」分野に賞を作ることは入っていなかった。それはスウェーデンには地震や津波、火山噴火、台風などの被害がないからに違いない。医学賞や平和賞を設けたノーベルなんだから、もし大地震や巨大台風に襲われる国に生きていたら、そういう研究にも賞を設けて少しでも災害を少なくする研究を奨励していただろう。
  
 もっとも日本の理科教育では「地学」に含まれる「天文学」は、今や物理学賞の重要な一部門である。地球科学そのものも物理現象で起きているわけだから、一応は物理学賞で対応できないわけではない。(たまに地学分野に近い受賞がないわけではない。)しかし、ノーベル賞の自然科学3賞が、日本の理科教育の3科目、物理、化学、生物にほぼ対応するとすれば、もう一つの地学のみがノーベル賞がないという印象が強い。日本では、政府がノーベル賞受賞者を「50年間に30人」という数値目標を掲げているらしい。研究業績を数値目標で測るバカバカしさはともかく、そう決めてしまえば、ますますノーベル賞のない地学分野に進もうと考える若い研究者が減ってしまうのではないか。また研究費でも恵まれないということにならないだろうか。

 ないものは仕方ないのでノーベル賞は諦めるとして、それに匹敵する権威ある賞を日本が設立すればいいわけである。というか、似たような賞がすでにある。それは松下幸之助氏が寄付をして発足した「日本国際賞」で、ノーベル賞並みの賞をという発想で作られ、1985年以来2014年で30回を迎える自然科学分野の賞である。自然科学の様々な分野に贈られていて、プレートテクトニクス理論を確立した学者も対象になっている。毎年ではないけれど、地学分野にも贈られている。でも受賞者一覧をみた印象としては、医学賞、化学賞、あるいは情報科学のような分野が多い感じがする。この30年ほどの間にもっとも進んだ分野だから、当然と言えば当然だろうけど。だから、この賞の中でもいいし、別に作るでもいいけど、日本が中心になって地球に関する研究、あるいは防災技術の研究開発に対する世界的な賞を作るべきではないだろうか。

 僕がここでいくら書いても仕方ないけど、では高校教育の中で「地学」はどのくらい学ばれているのかを最後に確認しておきたい。と言っても、どうやって調べればいいのか。日本全体で各科目をどのくらいの高校生が履修しているかの統計は多分ないと思う。正規の科目として授業を行う時には、「教科用図書」を使用しなければならない。だから、教科書採択数(あるいは出版部数)が判ればいいのだが、それもよく判らない。だから、東京都で来年度にどのくらいの学校が地学の教科書を使用するかで考えることにする。高校といっても、大規模な全日制高校もあれば、小規模な定時制高校もある。どっちも一校ではおかしいが、それ以上は判らないので仕方ない。

 東京には、全日制高校175定時制高校55(定時制単独校=三部制高校もあるが、大部分は全定併置校)があり、通信制高校3、都立中等教育学校5がある。合計すれば、238校となる。多分すべての高校で来年度に使用するはずの保健体育の教科書は、245校で採択されている。(保健体育は2社、3点の教科書しかない。)どうしてこの数になるのか判らないけど、まあ、全部の学校で使うと、そのくらいの数になるわけだ。

 新教育課程では理科が非常に複雑で、一応書かないわけに行かないが、関係ない人はスルーして欲しい。「科学と人間生活」という2単位科目が新設され、他に「物理基礎」「物理」、「化学基礎」「化学」、「生物基礎」「生物」、「地学基礎」「地学」がある。「基礎」は2単位科目で、基礎じゃないのは4単位科目。さらに「理科課題研究」という1単位科目がある。必履修科目は「『科学と人間生活』を含む2科目又は基礎を付した科目を3科目」という、よく読まないと理解できない決まりになっている。それはともかく、来年の理科の教科書採択数は以下のようになる。

 科学と人間生活=105校、
 物理基礎=213校、物理=158校
 化学基礎=233校、化学=163校
 生物基礎=228校、生物=170校
 地学基礎=92校、地学=20校

 これを見る限り、「基礎を付した科目を3科目」、つまり物理、化学、生物の基礎を置いて必履修をクリアーする高校が圧倒的に多いのではないかと思う。多分全国的にそうではないか。大学受験や専門教員数の問題など様々な問題があるわけだが、以上の数を見る限り、地学を置かない高校が非常に多い。また、今まであった「理科総合B」という科目がなくなったので、高校で地学分野に触れないで卒業することが多くなるのではないか。また地理歴史でも、地理が冷遇される傾向にあり、地球的規模で発想できる人材育成が難しくなるのではないか。

 僕は歴史が専門だけど、地理や地学にも関心があり、世界地図を見るのが大好きだった。今も史跡を訪ねるのと同じくらい、ジオパークを訪ねるのが楽しい。糸魚川・静岡構造線やヒスイで有名な糸魚川を旅行したりしたのも思い出である。地質、地形、化石などに関心がある若い人はいっぱいいると思う。「地学教育」をもっと広める必要があるのではないか。
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「9条にノーベル賞」問題③-ノーベル賞⑥

2014年10月20日 23時16分45秒 | 社会(世の中の出来事)
 「9条を保持する日本国民」にノーベル平和賞をという問題の3回目。平和賞や9条に関する僕の考えは大体書いたので、最後に「この運動が見過ごしていると思う論点」を指摘して終わりにしたい。そもそも「日本国憲法(の一部の条文)に平和賞を」という発想そのものが、何か大きな勘違いをしているのではないだろうかと僕には思えるのである。それは、「日本国憲法に見られる国民主義的性格」に対する無批判である。

 憲法というものは、市民革命以後の「国民国家」のあり方を規定するものだから、国家の政体(三権分立の仕組みなど)を決めている条項では、確かに「国民条項」を設けているのが普通である。例えば、アメリカ合衆国憲法は、大統領に就任できる人間を以下のように決めている。(出生により合衆国市民である者、または、この憲法の成立時に合衆国市民である者でなけれ ば、大統領の職に就くことはできない。年齢満35 歳に達していない者、および合衆国内に住所を得て14 年を経過していない者は、大統領の職に就くことはできない。)従って、カリフォルニア州知事にはなれたアーノルド・シュワルツネッガー(オーストリア出生)は、合衆国大統領にはなれないのである。

 しかし、基本的人権の保障に関しては、もともと「天賦人権論」に基づく考え方がベースにあるから、単に「国民」だけではなく、「すべての人」に認めるという規定があるのが現在では普通である。ちょっと比べてみると、すぐにわかる。
日本国憲法14条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
世界人権宣言第2条(1948年12月10日、国連総会で採択) 
すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的もしくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる自由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
国際人権規約第2条(1966年、国連総会で採択)
この規約の各締約国は、その領域内にあり、かつ、その管轄の下にあるすべての個人に対し、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保することを約束する。

 日本国憲法は世界で最高の憲法だなどという人が昔は結構いたものである。今も相変わらずそんなことを言ってる人がいるかもしれないが、世界の人権に対する考え方は日本国憲法制定後にどんどん進歩している。日本の憲法には不足していることがいっぱいあると思うのだが、特に大きな問題は「外国人の権利」が規定されていないということである。これは「無意識的に落としてしまった」ものではなく、憲法草案を日本側で「国民」に直していたり、旧植民地出身者の日本国籍を無条件で奪うなどの経過をみれば、かなり「意識的に外国人を排除した」可能性が高いのではないかと思う。(ちなみに、植民地を保有していた国は、植民地の独立に当たっては、本国の市民権を保有するかどうかの権利を与えるのが一般的である。一律に国籍を奪った日本の例は、ちょっと考えられないほどの非人道的な措置ではないかと思う。)

 そういう憲法だから、2014年7月29日には最高裁によって、「定住外国人が生活保護を受給する権利は憲法では保障されていない」という驚くべき判決が出されている。(憲法は、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と定めているから、日本も国際人権規約を締結している以上、この最高裁の判断は間違っているのではなだろうか。)昨今の日本での大きな問題に、「ヘイトスピーチ」(憎悪表現)という問題がある。定住外国人に対する排外的主張が非常に多くなっているのは間違いない。そんな時代に、なぜ「日本国民にノーベル賞」という運動が起きるのだろうか。僕には不思議でならないのだが、これは戦後日本の「護憲リベラル」が「国民主義」(ナショナリズム)をきちんと向き合っていないということではないだろうか。

 国連自由権規約委員会では、加盟国の人権状況を定期的に審査し報告を発表している。8月に発表された最終見解は、慰安婦問題やヘイトスピーチ規制に関して報道されたが、もっともっとたくさんの問題を指摘している。前回(2008年)に比べ、非嫡出子の相続に関する差別規定がなくなったなどの「肯定的側面」も挙げている。その中には「同性カップルがもはや公営住宅制度から排除されないという旨の,2012年の公営住宅法の改正」というほとんど報道されていないと思う問題もある。

 しかし、全体としては日本社会には様々な問題が山積しているということをこの見解から見て取ることができる。男女平等、性的マイノリティ、非自発的入院(精神病者に対する問題)、死刑、人身取引、技能実習制度、福島原子力災害、難民保護、体罰、先住民の権利など実に様々な問題が取り上げられている。是非、先のサイト(外務省のサイトである)を見て欲しい。特に、毎回毎回指摘されているのは、「代用監獄」の問題である。代用監獄というのは、警察の留置場のことだが、捜査当局が取調べ対象者を自ら留置するなどという国は「先進国」にはないものである。「憲法9条を保持する日本国民」は、同時に「代用監獄を保持する日本国民」なのである。そうしたら、ノーベル平和賞には全くふさわしくない。イグノーベル賞に平和部門でもあれば対象になるかもしれないが。

 僕が思うに、「護憲リベラル」という立場の人には、「死刑制度」の問題をきちんと考えて欲しいと思う。「悪い犯罪者は日本国家が殺すことをができる」という権限を日本国家がもつのであれば、「日本を侵略する悪い外国勢力を殺すことができる」という「戦争」を肯定する権限につながるのではないか。ドイツもイタリアも、つまり先の大戦で日本の同盟国だった国々では、戦後直後に死刑を廃止する決定を行っている。これは「戦争への反省」が死刑廃止に結びついたと理解できるのである。日本の「憲法9条護憲派」も、きちんと死刑廃止に取り組むべきではないかと思うのだが。ノーベル平和賞はその後でいいと思う。
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「9条にノーベル賞」問題②-ノーベル賞⑤

2014年10月18日 23時45分06秒 | 社会(世の中の出来事)
 前回に続き、「憲法9条」にノーベル賞をと言う問題。今回は「憲法9条の歴史的意味」を考えてみたい。もし、憲法9条がなかったとしたら、戦後の歴史はどうなっていただろうか。日本はアメリカの参加する戦争にもっともっと深く関わっていたことは間違いないだろう。イラク戦争など中東の戦争の場合は、砂漠気候に慣れず、英語理解力が低い「日本軍」が戦闘に直接参加することはなかったかもしれない。しかし、ベトナム戦争の場合は、韓国やタイの軍隊もベトナムに派兵したわけだから、当然「日本軍」もアメリカの派兵要請を拒むことはできなかっただろう。戦闘に参加して、多くの戦死者を出していた可能性が高いのではないか。そう言う意味では、「憲法9条があって良かった」と僕は考えている人間である。なんだかんだ言っても、安倍首相であってさえ、集団的自衛権を「限定的に容認する」と言い、無限定にすべて認めるとは言えないのである。

 それではアメリカを中心とする占領軍は、どうして憲法9条を憲法草案に入れたのだろうか。初めから違った条文にしておけば、もっと日本に積極的な軍事的貢献を求められただろうに。しかし、それは「後知恵」というものである。9条制定の頃の問題意識は全然違ったところにあったからである。日本国憲法、特に9条には昔から「アメリカの押し付け」だという根強い批判があった。そういう人たちは、アメリカは「日本の国力を低くする」目的で9条を押し付けたと昔は言っていたものである。しかし、アメリカと言っても、本当の最高権力者であるトルーマン大統領には関わらないところで憲法草案が作られた。だから、「アメリカの陰謀」とするのは無理だろう。

 そもそもGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が憲法を作ってそのまま公布したというならともかく、当時は占領軍が憲法の案を作成したことは公表されておらず、あくまでも政府が作った案が帝国議会に提出された。憲法9条に「芦田修正」(「前項の目的を達するため」を9条2項の冒頭に加える)を施すことができたのだから、議会でもきちんと審議できた。(他の条文にも重要な修正があった。)その結果、議会を通過した案を、大日本帝国憲法の改正ということで、天皇の名で公布した。「議会で審議し、修正できた」ものを「押し付け」と言うのは言い過ぎだろう。慰安婦問題で、あれだけ「強制はなかった」などと言ってる人間が、ちゃんと議会審議できたものを「押し付け」呼ばわりはできないはずである。

 ところで、今は細かい説明は書かないが、古関彰一「日本国憲法の誕生」(岩波現代文庫)などの研究によれば、「憲法9条」は「天皇制存置」と深い関係があった。そもそも連合国はナチス・ドイツ解体を優先していたため、大日本帝国降伏後の日本(および日本の植民地)のあり方をきちんと決める前に日本が先に降伏してしまった。日本軍は「皇軍」と呼ばれ、天皇が大元帥として君臨していたわけだから、日本との戦争で大きな犠牲を払った連合国の諸国民は、天皇制に対して厳しい世論が存在した。戦争では圧倒的に米軍の力が大きく、占領軍の最高司令官も米陸軍のマッカーサー元帥が務めていたわけだが、タテマエ上は「連合国」である。本来はアメリカ以外の国々も占領政策に関与できるはずである。そこで「対日理事会」が作られることになったが、それはようやく1945年12月27日に決定され、翌1946年4月5日に初めての会合が持たれた。なお、参加国は米英ソ中の他、オーストラリア、ニュージーランド、インドである。

 憲法の案を占領軍が日本政府に提示したのは間違いないが、その日付の1946年2月12日という時期は、今見た「対日理事会」が開かれる直前に当たる。マッカーサーは天皇制を残して占領政策の協力者にすることを考えていたわけだが、ソ連やオーストラリアなどが加わる対日理事会がマッカーサーの頭上に出来てしまえば、「天皇制の廃止」が議論されかねない。そこで対日理事会発足直前に、「日本政府が自発的に作成した」として「戦争放棄」と「象徴天皇制」を決めたことにしたわけである。「押し付け」というなら、憲法9条の方ではなく「象徴天皇制」の方だったのである。

 憲法9条は「非武装国家」を志向していると読めると言えば、確かにそうも言える。政府自体も最初の頃は、個別的自衛権さえ放棄したと解釈していた時期もある。しかし、1950年に朝鮮戦争が始まると、GHQは日本に「警察予備隊」の創設を指令した。これが後に、保安隊、自衛隊となっていく「再軍備」の始まりである。そして、憲法9条があるがために、日本は「侵略の危機」に自力で対処することが難しいとされ、講和条約締結とともにアメリカとの間に「日米安全保障条約」が結ばれた。(安保条約の制定に関しては、昭和天皇が吉田首相の頭越しに米軍の存在を求めたという研究がある。)「9条があるのに、安保条約で米軍が居座るのはおかしい」とも言えるが、歴代政府の公式見解は「憲法9条があるから、日米安保が必要となる」というものである。しかも、9条と日米安保が出来た時代は、沖縄県は米軍の軍事統治下におかれ、大量の米軍基地が作られていた。昭和天皇はそれに対し、「沖縄の長期占領継続を求める」という「沖縄メッセージ」を米国側に伝達している。

 こうして考えてくると、「憲法9条」=「象徴天皇制」=「日米安保条約」=「沖縄の軍事基地化」は「4点セット」で戦後の日本を規定してきたというべきではないか。日本の置かれた歴史的位置からして、戦後の日本が「中立化」したり、ましてや「社会主義革命が起きる」可能性はほとんどなかったと思う。それが良かったかどうかの評価の問題とは別に。そして、「象徴天皇制」はほとんど定着している。(ある意味では、日本の歴史の大部分の時代が同じような体制だったからだろう。確かに「押し付け」ではあろうが、戦前と同じ絶対天皇制、国民主権下の象徴天皇制、天皇制廃止の三択で国民投票が行われていたとしても、象徴天皇制が圧倒的に支持されただろう。)「日米安保条約」も、今や東アジアの既存の枠組みとなっているのは事実であり、中長期的に考えるのは別として、短期的には数年内に安保条約をなくすという見通しは誰も持てないだろう。

 しかしながら、「沖縄の軍事基地化」は可能な限り早く、基地負担の軽減がなされなければならない。憲法9条をもっと理想的に解釈しようと、自衛隊や在日米軍や日本政府による自衛隊の海外派遣などは「違憲」であるとして、いくつもの裁判闘争が行われてきた。一部は原告側勝訴の判決もあったけれど、結局のところ、最高裁では認められていない。憲法9条を血肉化する試み、単に9条だけでなく平和的生存権、幸福追求権などとの関わりで、非軍事の領域を広げようとする試みがなされてきた。そのような広い意味での「護憲運動」を僕は貴重だと評価するが、結果として沖縄返還以後も沖縄の基地を劇的に削減することは出来なかった。そのことを考えれば、われわれは「憲法9条にノーベル賞を」ではなく、「沖縄県民の反軍事基地運動にノーベル賞を」と言うべきではないだろうか。もちろん、前回書いたように「沖縄県民」とか「運動」では授賞対象にはならないので、「誰か」を選んで推薦するべきだと思うが。(この問題はもっと書くべきことがあるので、あと一回続く。)
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「9条にノーベル賞」問題①-ノーベル賞④

2014年10月16日 21時40分02秒 | 社会(世の中の出来事)
 「日本国憲法第9条にノーベル平和賞を」という運動の話を初めて聞いた時、これは「無理筋だな」と思い、ここでも何も書かなかった。やってる人は善意でやってるんだろうから、わざわざ批判するつもりもなくて、「どうせ受賞できないんだから、スルーすればいい」と思っていたんだけど、最後の最後の頃に「有力候補にあがっている」かのような報道がなされたので、「もしかしたら受賞するかも」「来年以降に期待したい」などと言う声を見聞きするようになった。そこでやっぱり、この機会に自分の考えを書いておきたいと思うようになったのである。

 最初に「どうして受賞できないと考えたか」を書き、次回に「憲法9条そのものの評価」を書きたいと思う。ノーベル賞というものは、あるいは一般に賞というものは、個人に贈られる。ノーベル平和賞に限っては、「団体」も対象になるが、それは当然のことだろう。どちらにせよ、目的をもって自発的に行われた活動(研究、創作等)に贈られる。最初にこの話を言い出した人は、「憲法9条にノーベル賞を」という発想だった。しかし、これはノーベル賞の規約上、無理である。だから「9条を保持する日本国民」を対象に推薦したわけである。しかし、常識で考えれば、それでも無理だろうとしか僕には思えない。憲法9条の評価以前の問題として、平和賞の選考対象にならないだろう。もしかしたら、対象になるかならないか検討されたのかもしれないが、難しいということになったと僕は思う。

 そう思う理由は、「国民を認めてしまえば、対象が広がりすぎる」「国民という存在は、自発的に形成されているものではない」ということである。僕も日本国民であるが、日本国民であることを選択したわけではない。ごく少数、例えばドナルド・キーンさんのように、日本国民であることを自ら選択した人もいる。しかし、多くの人は「たまたま日本国民の父母の間に生まれた」ために、自我に目覚めた時には自動的に日本国民だったはずである。そのような僕が憲法9条にどういう考えをもっているかに関係なく、受賞者の一員に自動的になってしまうのはおかしいではないか。ジャン・ポール・サルトルがノーベル文学賞を辞退したように、「憲法9条は改正すべきだ」と考えている日本国民ならば、ノーベル平和賞を辞退できるのだろうか。

 この受賞を認めてしまえば、対象はものすごく広がる。「ナチスに迫害されたユダヤ人」「イスラエルに追われたパレスティナ難民」「アパルトヘイトを廃止した南アフリ国民」…といった具合である。今ならば「民主的な選挙制度を求める香港市民」こそ最有力な候補ではないのか。しかし、これは不適当であろう。「中国を刺激する」からではなく、報道によれば香港市民の中にも(経済的打撃を避けるため)民主運動に賛成でない市民がそれなりにいることを知っているからである。同じように、日本国民の中にも憲法9条を変えるべきだという意見の人も相当数いる。その意見を支持するかどうかは別にして、「国民」という一括りにして「授賞対象」に認めるのは無理と言うもんだと僕は思う。

 ではどうすればいいのだろうか。アパルトヘイト制度を廃止したという場合なら、それを先導した指導者がいるはずである。その指導者に授賞するわけである。ということで、アパルトヘイト問題ならばネルソン・マンデラとデクラーク元大統領にノーベル平和賞が贈られた。今までの受賞者を見れば判るように、具体的な個人・団体の選定には問題を感じることもある。例えば佐藤栄作元首相が選ばれているように。その場合も、「非核三原則」ではなく、日本の首相を務めていた佐藤を選んだのである。そのような「今までの例」「国際的常識」をもってすれば、日本が憲法9条を有していることがノーベル賞に値するのだとするならば、積極的に憲法9条を保持しようと努力してきた政治家がいるはずであるから、その人に授与すればいいのである。えっ、そんな政治家はいないではないかって? そうだとするならば、誰も思い浮かばないとするならば、そもそも「日本国民が憲法9条を保持してきた」という賞推薦の前提が怪しいのではないか。

 実際のところ、日本においては占領終了後の大部分の時期は、「憲法改正」(9条を変えること)を「党是」とする政党が政権を担ってきた。選挙制度の問題はあるにせよ、不正投票や不正開票が横行したわけではあるまい。日本の有権者は「憲法改正を主張する政党に過半数を与えてきた」(時期がほとんど)のであるが、同時に「憲法改正を主張する政党に国会の3分の2の議席は与えなかった」わけである。そのために憲法改正は一回も発議されなかった。だから「保持」されてきたわけであるが、この経緯は「国民がノーベル平和賞を受けるに値する」ほどのものだろうか。これでは、憲法9条ではなく、憲法96条にノーベル賞を与えるようなものではないかと僕には思える。

 では、憲法9条には全く意味はなかったのか。そうは思わないし、「憲法9条を血肉化しようと努めてきた人々」はたくさんいて、その努力の上に戦後日本はある。だから、もっとストレートに、「日本の護憲運動にノーベル賞を」と言えばいいではないか。例えば、「九条の会」(がふさわしいかどうかの問題はさておき)を推薦するというなら、それはそれでリクツが通るというものである。さらに言えば、世界の中で最も軍事基地が集中している地域の一つである沖縄の地で、粘り強く反基地、平和運動を継続してきた人々にノーベル賞をというのもいいのではないか。具体的な人名をあげにくいが、大田昌秀元知事とか、糸数慶子参議院議員など。あるいは、第二次大戦後70年を迎える2015年という年を考えると、戦後50年に際しての談話を発表した村山富市元首相を推薦することも考えられる。こういう話になると、党派性の問題が出てくるし、政治家には毀誉褒貶(きよほうへん)がつきもである。僕だって村山首相時代の政治を全部支持するわけではない。しかし、「村山談話」20年という象徴的意味を込めて考えるなら、「それもあり」ではないか。(もっと地道に様々な活動を行ってきた運動団体や市民運動家がいっぱいいると判っているけれど、もっとまとまりがつかなくなるから、「一応の知名度と象徴性のある人」として上記の人々の名を書いた。僕が推薦運動をする気はないので、念のため。)

 ところで、「もし本当に受賞したら、誰が受け取るんだろうか」などという声があった。そんなことも決まってないのに推薦していたわけである。だから初めから「九条の会」とかにしておけばいいのである。「日本国民」が受けるということなら、それは「内閣総理大臣」が受け取るしかないだろうと僕は思う。これに反対できる人はいないはずである。自民党の憲法改正案が通ってない以上、天皇が国家元首とは言えないだろう。天皇は「国事行為」として「栄典を授与すること」を行うと定められている。だから、国内で勲章を授与する方ではあるが、国民を代表して賞を受け取ることはできない。(と理解するのが自然な憲法解釈だと思うが、拡大解釈したい人もいるだろうと思う。)

 
 憲法前文にあるように、わが国は「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」するので、ノーベル賞を受け取るという行政行為は、国会で指名された内閣総理大臣が行うのが自然な解釈だろう。または、国権の最高機関である国会の議長が代表するとも考えられるが、衆参二人いるし、なによりノーベル賞授与式に参列するというのは、立法や司法ではなく、行政の担当であると考えられるから、内閣総理大臣が出席するべきだろう。もともとが護憲運動なんだから、憲法に則って首相に受け取ってもらうしかないのである。そんなバカな。何で改憲派の首魁である安倍晋三が、ノーベル平和賞を受け取るんだと思う人が多いだろう。というか、僕もそう思うけど、「護憲」を掲げる以上、誰も他の出席者を示せないはずだと思う。では、安倍首相はどうするか。自分の政見と違うから辞退すると言うか。言わないだろう。そんなことをするより、ノルウェイまで行って、「憲法9条は集団的自衛権を限定的に認めている、これからも積極的平和主義の日本外交を進めていく、では、ありがとう」と言うに決まってると僕は思う。これでは集団的自衛権反対運動はすべてパーではないか。今年受賞しなくて良かったなあと僕は思うわけである。
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村上春樹は受賞するのか-ノーベル賞③

2014年10月15日 22時59分47秒 | 社会(世の中の出来事)
 毎年のように、村上春樹(1949~)がノーベル文学賞の有力候補だと報じられるようになって、もう何年も経つ。文学賞発表日に村上春樹ファン(今は「ハルキスト」と言うらしい)が集まるカフェがあり、7時のNHKニュースがそこに集う人々を報じるのも、今や「秋の風物詩」である。一体、村上春樹がノーベル賞を受賞する日は来るのだろうか?この問題を今回は考えてみたい。

 ところで、最初に書いてしまうけど、結論的には「わからない」としか言いようがない。そもそも候補に上っているのかも明らかではない。これは他の候補の場合も同じで、選考はすべて秘密である。しかし、自然科学系の場合は業績評価がある程度はっきりしているのに対し、文学賞はその性格からしても「誰が受賞するかは判らない」。自然科学系の場合はほんの少しの間違いはあったとしても、おおむね「受賞した人は受賞するべき人だった」と言えるだろう。でも、文学賞の場合は、何十年も経つうちに忘れられてしまい、今や全く読まれない人が多数いる。半分が正当な受賞者で、残りの半分は「疑問付き受賞者」と言っても過言ではない。大体、第一回受賞者は誰かと調べると、当時まだ存命だったトルストイが有力視されながら、その思想が忌避されてフランスの詩人シュリ・プリュドムという詩人が選ばれた。誰だ、それ?

 ということで、プルーストジョイスナボコフボルヘスも、フォースターリルケD・H・ロレンスモームモラヴィアも受賞していない。サマセット・モーム、グレアム・グリーン、アルベルト・モラヴィアなどは、有名過ぎて世界中で売れているからノーベル賞が通り過ぎて行ったと言われている。そのことを考えると、世界中で大人気作家になっている村上春樹は、そのことが授賞には不利に働くのではないかと思われる。何も今さらノーベル賞をあげなくても、すでにみんな読んでいるじゃないかと選考委員は考えるんだろうか。文学史的に言えば、ノーベル賞は名誉は名誉だけど、特に文学者にとって最高の目標であるとは誰も思っていないだろう。

 「地域的な配慮」はあるのだろうか?ノーベル文学賞の受賞者を見てみれば一目瞭然、英仏独のヨーロッパの強国言語の作家が圧倒的に多い。ラテンアメリカの受賞が多くなったので、スペイン語も多い。地元のスウェーデン語の作家・詩人もかなり多い。ワールドカップの大陸回り持ちのような決まった法則はないけれど、言語的に見てみると、創作言語が英仏独西以外の人は10年間に3人程度ではないか。そのうち一人はヨーロッパの少数言語。非欧米系言語は10年に一人か二人。と見てくると、2006年のオルハン・パムク(トルコ)と2012年の莫言(中国)とすでに二人の受賞者がいることも不利に働く可能性がある。しかし、村上春樹は民族的伝統で売る作家ではないので、別に関係ないのかもしれない。その辺は選考委員会の情報が公開される何十年か先にならないと判らない。

 と言うことで、まとめてみると、少なくとも来年、再来年の受賞は可能性が低いのではないだろうか。そして、それでいいのだろうと僕は思う。この10年ほどで、選考委員会はドリス・レッシング、ル=クレジオ、バルガス=リョサら、もうすでにノーベル賞は回ってこないのではないと思われていた作家に授与するという決定を行った。そのことを考えると、村上春樹より先に授賞させるべき重要な作家はもっといるのではないか。僕が思うに、重要性と知名度、影響力からいって、ケニアのグギ・ワ・ジオンゴ(アメリカ在住)とチェコ(フランス在住で、近年は仏語で創作)のミラン・クンデラは落とすすべきではないと思う。

 僕は村上春樹を1980年の「1973年のピンボール」以来、主要作品はずっと同時代的に読んできた。そして、2001年の「海辺のカフカ」を読んだときに、村上春樹はいつかノーベル賞を取るのではないかと感じた。そう言う意味では、僕は村上春樹ファンでもあるし、村上春樹がノーベル賞を取るべきではないかと考えている人間である。でも、本人はそれほど気にしてはいないのではないか。候補と言われてからも、ノーベル賞狙い的な作品は特に書いていない。むしろ、恋愛短編集やジャズの本、チャンドラーの翻訳なんかばかりしているような感じである。マラソンと同じく、精神の平衡を維持するためでもあるんだろうけど、社会的な発言を行う「大作家」みたいな風貌はほとんど見せていない。(時に片鱗を感じることはあるが。)村上春樹が営々として訳してきた作家たちも、フィツジェラルド、チャンドラー、カポーティ、サリンジャー、ティム・オブライエン、ジョン・アーヴィングなど、非ノーベル賞の作家ばかりである。(レイモンド・カーヴァーはもしかして長命だったら、短編作家としてノーベル賞ということもないではなかったかもしれないけれど。)

 それより僕が気になるのは、日本の報道に見る村上春樹文学のとらえ方である。中には、「ポップ」で「軽い文体」で「都市風俗の中の孤独」を描いて世界的人気を得たとして、その代表として「風の歌を聴け」を挙げたりする。しかし、選考委員は日本語を読めない。基本的には英語、または仏語に訳されていない限り、検討の対象にはならないはずである。村上春樹は初期の2作の外国語への翻訳を許可していないから、「村上春樹ノーベル賞問題」を話題にするときには、「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」は外さないとおかしい。村上春樹を論じるならば、「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」「海辺のカフカ」を中心に考える必要がある。そして、オウム真理教のテロ事件をめぐるノンフィクション「アンダーグラウンド」「約束された場所で」を経たうえで「1Q84」が書かれる。現代社会を生きる人間の底の底に降りていく深い精神の穴(村上春樹の本では、よく「井戸」とされるが)と、そこからの脱出を描くのが村上春樹文学である。

 そのように考えると、宗教的背景のあるテロ事件が起き、「イスラム国」に欧米からも参加する若者がいるというような現代世界では、正気を保つためにハルキが必要だという人が多くいるのではないか。村上春樹にノーベル賞を取って欲しいと思う人は、まだまだ個人的な追憶の趣が強い「ノルウェイの森」などではなく、「ねじまき鳥クロニクル」や「海辺のカフカ」、「1Q84」などの大小説を戦争と宗教テロを経験した日本という場で書く意味をこそ語っていくべきだと思う。
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青色LEDの受賞に思う-ノーベル賞②

2014年10月14日 00時28分35秒 | 社会(世の中の出来事)
 2014年のノーベル物理学賞が、赤崎勇天野浩中村修二の三氏に贈られることとなった。日本人の物理学賞受賞者は、米国籍の南部陽一郎氏を加えて10名となる。日本人初のノーベル賞、1949年の湯川秀樹氏も物理学。二人目の朝永振一郎氏(1965年)も物理学。僕はこの時から記憶があって、小学校で先生が新聞を手にして解説してくれたのを覚えている。まあ、解説と言っても、日本人ですごい賞を取った人がいるんだよ程度だったんだろうけど。自然科学分野で僕に書けることは限られているんだけど、ちょっと考えたことがあるので書いておきたい。

 僕は中村氏などの受賞は今年はないのではないか、むしろ化学賞で受賞可能性があるのではないかと思っていた。物理学賞ではむしろ十倉好紀さんという人の前評判が結構高かったと思う。自然科学分野では、それぞれが幅広い学術分野を有していて、そのどこから選ばれるかは判らない。今年の受賞者の誰かが言っていたと思うけど、物理学賞は理論面の授賞が多く、実際にモノを作った技術的成果に与えられることは少ない。昨年(2013年)の物理学賞は、ヒッグス粒子を予言したヒッグス氏の受賞がほぼ確実視されていた。2012年の医学・生理学賞を受けた山中伸弥氏なども、その年でなくても数年の間に受賞することはほぼ確実と言われていた。そういう業績もあるけど、多くの場合は今年はどの分野が対象になるか判らず、しかも授賞までには数十年かかることが多いので、どうしても運次第という面がある。受賞に値する業績があっても亡くなっていたらダメ。

 青色発光ダイオードが発明された時から、「これはノーベル賞級」と皆が言っていたと思う。中村氏の名前も毎年のように候補に挙げられていた。その意味では不思議ではなく、多くの日本人はやっとめぐってきたかと思ったことだろう。僕は今まで、確かにすごい業績なんだろうけど、本当にノーベル賞に値するのかと思わないでもなかった。今回の受賞をきっかけに、いろいろ調べてみると、やはり非常に重要な業績なんだなあと再認識した。しかし、授賞に至る評価に関しては、さまざまな議論もあると思う。「青色」ができたことで、「光の三原色」がそろい、すべての色が出せるようになり、世界に広がる画期となったという話は皆知っている。この「青の発明」は20世紀中は無理だと言われていたという話もいつも出てくる。その話は、青色LEDの発明当時からずっと聞いている。

 でも、そういう話は、つまり「青が難しい」(青色は波長が短いから)ということだけど、それは「赤」や「黄」などに比べ難しいという話である。他の色が先に出来ている。他の色がすでにあるから、残った青を何とか作りたいという話になる。それでは、そもそも最初に「発光ダイオード」を作った人の業績はどうなるのだろうか。最後の青も偉いけど、そもそも最初に発光ダイオードを作った人がいるからこそではないのか。では、その最初の人は誰かと調べてみると、1962年に赤色発光ダイオードを発明したアメリカのニック・ホロニアック・ジュニアという人である。1928年生まれで、今も存命。ウィキペディアで調べると、様々な研究を行っていて、発明当時はGEのエンジニア。現在もイリノイ大学教授である。1963年段階で、やがて電灯が発光ダイオードに代わるだろうと予言したという。この人も有力なノーベル賞候補と言われ続けてきたし、日本国際賞なども受けている。だから、大学院生として関わった天野氏ではなく、ホロニアック氏が受賞したとしても全くおかしくなかったと僕は思う。

 でも、ノーベル賞を選考するスウェーデン王立アカデミーは、特に青色の発明を決定的に重視したわけである。これはどうしてだろうか。青を作る難しさに加え、青の完成により初めて発光ダイオードの普及が進み、そのことで「省エネ」「地球温暖化防止」、さらに携帯電話、パソコンなどに使われ発展途上国の情報環境が大きく変わったこと。貧しい国でも長い送電網を作らずとも、「照明」を行き渡らせることができること。そのような「世界を照らす発明」「世界を明るくする発明」だという側面を重視したのだと僕は思うのである。貧しい国、貧しい家では、文字通り社会が暗い。女性(母親)や子どもの部屋は家の中で暗い側にあり、照明や換気の面で恵まれないという社会は世界に多いと思う。家が明るくなるということは、それだけで教育や女性進出に好影響を与えるはずである。つまり「全人類的に有益な業績」なのである。これこそノーベルが本来望んでいたことではないか。単に物理学的業績に止まらず、平和賞や経済学賞的な観点も加えてみると、大変な業績だと判るように思う。

 さて、青色LEDを調べていて、興味深いことを知った。赤崎教授の話が最初にいろいろ出てきて、窒化ガリウムという物質は使わない人が多かったけど、ずっと信じて研究し続けたと語っていた。だから、そこがエライと思ってしまったんだけど、このガリウム(GA 原子番号31)という物質は単体では自然界に存在せず、ボーキサイトや亜鉛の副産物として作られるレアメタルだという。日本は世界最大の輸入国で、リサイクルされたアメリカからの輸入が多いが、そもそもの生産国は中国、カザフスタン、ウクライナなどであるらしい。しかも、高価である。ところが、もっと安い酸化亜鉛で青色発光ダイオードを作ることがすでに可能になっているのである。それは東北大の川崎雅司氏らの業績で、「青色LEDの再発明」とも言われているとのこと。そんな話は聞いたことなかったけど。

 ところで、3氏の受賞に関して「日本人は優秀だ」とか、そういう発想で持ち上げている人がいる。でも、赤崎氏の記者会見で「好きなことを追求してきただけ」と語っているのを聞き、こういう話は前にも聞いたなあと思った。30年前の大学ではそういうことが可能だったのである。今の日本の大学で可能なのか。「大学の自治」をどんどん壊し、大学を競わせる、そのための書類作りばかり大変な「改革」を進めてきた人には、この受賞を喜んで欲しくないと僕は正直言って思ってしまう。教育の場から、自由と創造性を奪うような政策を進めてきていて、何が「ノーベル賞受賞おめでとう」だと思う。大学教育も今信じられないほど変えられようとしている。武器輸出禁止の緩和に伴い、自然科学分野では「軍事技術」の開発も大学に入り込もうと狙っているらしい。そんな中で、全くの平和的な技術で世界に評価されるということは素晴らしいではないか。

 また中村氏の業績をめぐっては、会社と裁判したことは有名だが、今政府は「社員の発明はすべて会社に帰属する」という法改正を進めようとしている。何だろう、これは。安倍内閣発足以後、会社ばかり有利な政治をしている感じがするけど、これは余りにも露骨なんではないか。優秀な技術者は日本を捨てて外国で活躍してくださいということなのか。だから、エリートには英語、英語という教育改革を進めているのか。残った優秀でない日本の若者は戦争に行きなさいということか…とどんどん「怒りの邪推」がエスカレートしていくんですけど。中村さんもアメリカで仕事して、日本には長期滞在して温泉和食を楽しむのがいいと言っていた。そう、温泉と日本の食のバラエティは捨てがたいものだ。でも、日本はもっと冒険と勇気を貴ぶ社会にならないといけない。ちなみに、中村修二氏のお兄さんという人がテレビに登場して「弟より喜んでいる」と語っていた姿を覚えている人も多いだろう。この中村康則さんという人は、受賞ニュースの翌日に幕張メッセの「シーテック」で取材に応じていた。IT・エレクトロニクスの展示会で、中村康則氏は松山市にある「エフエーエスシステム・エンジニアリング」という中小企業の社長さんなのである。3Dプリンターなどを開発し出展していたのである。お兄さんは兄弟とも中学時代にバレーボール部で活動し、その経験が「青色LED発明の原動力」だと言っていたのが印象的だった。そういうことも大事なんだなあ。
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マララさんの受賞を喜びつつも-ノーベル賞①

2014年10月12日 00時43分08秒 | 社会(世の中の出来事)
 ノーベル賞授賞者の発表が一段落した。(経済学賞はまだだが、スウェーデン中央銀行によって賞金が出されている経済学賞は性格が少し違う。)この機会に少し考えていたことをまとめて書きたいと思う。なお、「日本人の受賞を期待する」という観点からは、「今年は少し残念だった」と思っている。今年は「複数の賞の受賞」がありうるのではないかと思っていたのである。次回以降に、化学賞や医学・生理学賞の受賞も期待したいところである。(それだけの研究成果はいっぱいあるようなので。)

 まず、最新の平和賞から。周知のように、パキスタン出身のマララ・ユスフザイさん(17)が最年少で受賞した。同時にインドの人権運動家カイラシュ・サトヤルティさん(60)が同時受賞。この共同授賞はなかなかよく考えられている感じがして、とても良かったんじゃないかと思う。マララさんは昨年も有力候補と言われたが、「最年少」が重荷になるのではないか、かえってパキスタン国内で反発を買うのではないか、再度の襲撃を呼ぶのではないか…といった懸念材料があると思われた。今回は、インドの児童労働反対運動と共同の受賞なので、「子どもの人権」「インド・パキスタンの平和」「宗教を超える」という面が強く出ている。だから「イスラーム過激派」だけを批判するということではなく、全世界で「教育を受けられない子供たち」への励ましとして、ノーベル平和賞が贈られたと誰でも判る。

 ノーベル平和賞は、スウェーデンではなくノルウェイのノーベル賞委員会により決定される。その性格から「政治的な授賞」があることは避けられない。2010年の中国の劉暁波は授賞式に出られなかった。1991年に受賞したアウンサン・スーチーが実際に賞を受けたのは、2012年のことだった。ノーベル平和賞受賞者が集まって行う会議があるが、今年は昨年亡くなったネルソン・マンデラを追悼して南アフリカで開催する予定になっていた。しかし、南アフリカ政府がダライ・ラマのビザを発給せず、今年の会議は開催を取りやめたというニュースが最近あった。このように、当該政府から認められない受賞者が時にいるわけだが、それは「平和賞の名誉」でこそあれ、「平和賞が偏った選考をしている」ということではないだろう。昨年が化学兵器禁止機関(OPCW)、一昨年がEU(ヨーロッパ連合)という決定も、シリアの化学兵器問題や欧州経済危機などに反応した決定だと思われる。

 日本では事前に「憲法9条」が有力候補などというニュースが流れ、案外と思う人まで喜んでいたりしたけど、僕は「悪い冗談」としか思っていなかった。「憲法9条を保持している日本国民」などという決定にならなくて良かったと思うのだが、その問題は数回後に書きたい。とりあえず、ここ数年の授賞決定を見れば、「世界で今一番平和と人権の危機を呼んでいる(とされている)問題は何か」が授賞の鍵になっている。そう考えてくれば、それは「イスラム国」や「ポコ・ハラム」だろうとすぐ判る。安倍首相が「日中関係は百年前の英独関係に似ている」かのような不用意な発言をして世界に衝撃を与えたが、それでも「日中の軍事衝突」とか「日本の軍事国家化」が世界の最大の焦点になっているわけではないとノルウェイのノーベル賞関係者は判断している。喜ぶべきことではないか。

 ということで、宗教的な過激派(あるいは過激なナショナリストも同様だけど)が伸長していることに対して「寛容の精神」を呼びかける意味がこの決定にはあると思う。だけど、それだけでは「政治的な決定」とだけパキスタン国内やイスラム諸国で受け取られる危険性が高い。われわれも、そういう文脈でよりも、日本でも大きな問題となっている「子どもの人権」という問題意識で受け取るべきだと思う。その方が生産的だろうし、日本の子どもが考えていくきっかけにもなるだろう。でも、その「解決」ははるか遠くにあり、というかむしろ悪化する可能性の方が強い。「喜びつつも、道遠し」という思いしかない。まあ、どんな問題でもそうなんだろうけど。それは本人も判っている。「これは始まり」だと。

 ところでマララさんの国連での演説は多くのニュースで取り上げていた。最後の部分。
One child, one teacher, one pen and one book can change the world.
Education is the only solution. Education First


 これぐらいなら聞いてても判るよね。というか、英語を使うと言っても、伝えるべき中身さえあれば、このように簡単な単語で伝えられるのだということがよく判る。でもこれはキング牧師のあの演説に並ぶ、歴史的な演説になっていくのではないだろうか。多くの中高の教科書(英語、社会など)に取り入れられていくんでしょう。英語の原文は検索すればすぐ見つかる。翻訳されたものは、11日付の東京新聞に載っていたので初めて読んだ。「ペンと本こそ最強の武器 マララさん国連演説全文」でネット上に公開されているので、是非一読を。(国連広報センターのホームページから引用と書いてある。)なお、三つの見出しを書いておくと、「すべてのテロリストの子どもに教育を」「女性が自ら立ち上がり闘うことが大事」「全世界の無償の義務教育与えて」である。

 この演説には多くの人名が出てくる。パン・ギムン事務総長とか、ムハンマドなどを除き、個々に出てくる近現代の人名を紹介してみる。マーチン・ルーサー・キングネルソン・マンデラムハンマド・アリ・ジンナーガンジーバシャ・カーンマザー・テレサである。前者の3人は「変革の伝統」、後者の3人は「非暴力の伝統」とされている。バシャ・カーンだけ知らなかったので、今調べてみたが、ガンジーの「塩の行進」をペシャワールで行ったガンジーの弟子のイスラム教徒だという。ペシャワール空港はバシャ・カーン空港と名付けられているそうである。
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「名誉教授」は務めない

2012年10月09日 23時04分02秒 | 社会(世の中の出来事)
 今日は休もうかと思ったんだけど、ニュースを聞いてて「言葉の問題」。「感動」は貰えるものなのか、とか、「グローバル・フェスタ」っておかしくない?という話を書いたけど、言葉についておかしいんじゃないと思ってることはもっといっぱいある。少し、まとめて書いてしまおうか。

 首都圏のニュースというコーナーで、来年の千葉県知事選挙に共産党推薦の候補が決まったというニュースを報じていた。いやあ、森田健作が当選してからもう3年経ったのか。どうなるのかと思ったけど、石原慎太郎や橋下徹ほど目立ってない。やはり東京や大阪という場所が「中央政府」を過剰に意識させてしまうのか。それはともかく、NHKのWEBニュースを見ると、

 来年4月に任期満了となる千葉県知事選挙に、千葉大学名誉教授の三輪定宣氏が共産党の推薦を受けて無所属で立候補することを表明しました。(中略)三輪氏は75歳。高知大学や千葉大学の教授を経て、現在、千葉大学の名誉教授などを務めています。千葉県知事選挙にこれまでに立候補を表明したのは三輪氏だけです。

 別に千葉県知事選の問題ではない。「名誉教授を務めています」の問題。ああ、この記者は「名誉教授」を知らないんじゃないか、と思った。僕も若いときは、助手、講師、助教授(今は准教授という)、教授、名誉教授、なんていう順番があると思っていた。年取ってきて一番偉くなった教授が「名誉教授」で、当然その大学で仕事をしていて、受けたければその先生の講義を聞けたりするもんだと

 でも、本当は違う。「名誉教授」は「称号」に過ぎない。「人間国宝(重要無形文化財保持者)を務めています」なんて言わない。同じように「名誉教授」も、仕事ではないから務めるという表現はおかしい。名誉教授は、その大学(高専も)の教授を辞めた後でしか、もらえない。企業では会長や社長を務めた者に対して、辞めた後も「名誉会長」「相談役」「顧問」などの肩書を付けて、部屋も用意して、まあ代表権はないけど、時々ご高説をうかがうというようなことがよくある。こういうのは、実際にそういう「役職」(特に意味のある仕事はないけど)に任命されているので、「務めている」と言っていい。でも、「名誉教授」はそういう「名誉職」ではなくて、本当に単なる称号なのである

 そして、「名誉教授」は実は学校教育法で決まっている。各大学が勝手にあげた称号ではなく、法に規定されたものなのだ。
 第百六条  大学は、当該大学に学長、副学長、学部長、教授、准教授又は講師として勤務した者であつて、教育上又は学術上特に功績のあつた者に対し、当該大学の定めるところにより、名誉教授の称号を授与することができる。

 「勤務した者で」とあるように、現職中になることはない。退職した人に追贈するものなのである。それでも退職後も講義を持つような人もいる。そういう場合も「特任教授」「客員教授」などの役職に別に任命される必要がある。東大や京大などの「有名大学」の教授だった人は、退職して私立大学に務めることもよくあるが、マスコミなんかに出るときは今の仕事ではなく、称号に過ぎない「東大名誉教授」を使ったりすることがある。そういうのもどうかと思うけど。

 今回の三輪氏という人は、他のニュースサイトを見ると、「千葉大学教育学部などで教鞭を取り、現在は帝京短期大学こども教育学科の教授を務めています。」とあった。つまりこの人の正しい仕事の肩書きは「帝京短期大学教授」である。それを現職ではなく、過去にもらった「称号」で表すのは、どうなのかなあ、といつも思っているので、ちょっと。
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