死刑制度に関して、何回か。僕はずっと昔から死刑制度廃止論者で、廃止運動のまとまった集まりである「死刑廃止フォーラム90」にも90年の発足当時から賛同会員になっている。僕の中では解決してるので、実はあまり書く気がしない。書きだすと100回くらい必要になると思うし、すぐ書けるけど。死刑に反対ならどんどん書けばいいと言われるかもしれないが、「死刑制度は死刑存置論によって存在しているわけではない」と思っている。死刑制度を存在させているのは「死刑存置感情」なので、それに対抗して「死刑廃止論」を展開しても、かえって「またリクツで論を立てている」と思われるだけで、議論が成立しないのではないかと思っているのである。
では、今回書くのは何故なのかというと、野田内閣や橋下「維新の会」を考える前提として、死刑制度の問題を考えてみたいのである。さて、3月29日に小川敏夫法務大臣の指示で、3人の死刑が執行された。1年8か月ぶりで、2011年は一回も死刑執行がなかった。それは江田五月、平岡秀夫という死刑反対派が法相だったことが大きいのだろうと思う。昨年暮れに、一川防衛相、山岡国務相(国家公安委員長、消費者担当相)に対する「問責決議」が参議院で可決された。それを受けて野田首相は1月初めに内閣改造に踏み切ったが、両大臣の交代、岡田克也副首相の登用が注目される中、その時なぜか法務大臣が平岡秀夫氏から小川敏夫氏に交代した。後から報道されたところでは、平岡法相は死刑存廃の議論を法制審議会に諮問する考えを示していたらしい。どうも死刑制度の問題で異例の法相交代(他の閣僚はほとんど交代していない)が起きたのではないか。
新任の小川法相は就任当時から執行再開に積極的な意向を示していた。だから執行そのものは意外ではないと言えるが、その理由づけと日付には考えさせられた。(理由づけの問題は次回。)昔は国会開会中は執行しないものだったが、近年はそれは無視されている。多分、「平成23年度内の執行」ということなのだろう。前回は2010年7月、その前は2009年7月で、「4月から3月までの会計年度」で見れば、死刑執行がない年度はなかったことになるのである。
しかし、ちょうど執行前日の28日の新聞(発表は27日)に、アムネスティ・インターナショナルは、2011年の死刑執行状況を報告している。計198国中、執行があったのは20か国。多い順に、中国(670以上)、イラン(360)、サウジアラビア(82)、イラク(68)、米国(43)、北朝鮮(30)となっている。中国や北朝鮮は完全な執行数は判らないので、もっと多いだろうと思う。これらの国の名前を見れば、人権状況に問題がある国、米国が「ならず者国家」とかつて呼んだ国や、そこに戦争を仕掛けて自らも好戦国家と言われる米国(死刑を廃止した州もある)などの名前がずらっと並んでいる。ここに名前を連ねるのは不名誉なことではないのか。法務官僚はそういう世界の状況を知らないはずはない。このままいつまでも死刑制度を維持していけるのか、何も感じないのだろうか。
アムネスティのサイトを見れば、1978年には「廃止国60 存置国122」だった。それが2009年になると「廃止国139 存置国58」に大きく状況が変わっている。もちろん世界がどうあろうと、日本が独自の政策を取るということもあってよい。でも他の問題では「世界では」「グローバル化」などと言ってる人が、死刑制度の問題を避けているのが不思議なのである。法務官僚は「議論しなくていい状況」だと本当に思っているのだろうか。この、「世界の状況への鈍感さ」が他の問題にも通じる現在の日本の大きな問題なのではないかと思う。
では、今回書くのは何故なのかというと、野田内閣や橋下「維新の会」を考える前提として、死刑制度の問題を考えてみたいのである。さて、3月29日に小川敏夫法務大臣の指示で、3人の死刑が執行された。1年8か月ぶりで、2011年は一回も死刑執行がなかった。それは江田五月、平岡秀夫という死刑反対派が法相だったことが大きいのだろうと思う。昨年暮れに、一川防衛相、山岡国務相(国家公安委員長、消費者担当相)に対する「問責決議」が参議院で可決された。それを受けて野田首相は1月初めに内閣改造に踏み切ったが、両大臣の交代、岡田克也副首相の登用が注目される中、その時なぜか法務大臣が平岡秀夫氏から小川敏夫氏に交代した。後から報道されたところでは、平岡法相は死刑存廃の議論を法制審議会に諮問する考えを示していたらしい。どうも死刑制度の問題で異例の法相交代(他の閣僚はほとんど交代していない)が起きたのではないか。
新任の小川法相は就任当時から執行再開に積極的な意向を示していた。だから執行そのものは意外ではないと言えるが、その理由づけと日付には考えさせられた。(理由づけの問題は次回。)昔は国会開会中は執行しないものだったが、近年はそれは無視されている。多分、「平成23年度内の執行」ということなのだろう。前回は2010年7月、その前は2009年7月で、「4月から3月までの会計年度」で見れば、死刑執行がない年度はなかったことになるのである。
しかし、ちょうど執行前日の28日の新聞(発表は27日)に、アムネスティ・インターナショナルは、2011年の死刑執行状況を報告している。計198国中、執行があったのは20か国。多い順に、中国(670以上)、イラン(360)、サウジアラビア(82)、イラク(68)、米国(43)、北朝鮮(30)となっている。中国や北朝鮮は完全な執行数は判らないので、もっと多いだろうと思う。これらの国の名前を見れば、人権状況に問題がある国、米国が「ならず者国家」とかつて呼んだ国や、そこに戦争を仕掛けて自らも好戦国家と言われる米国(死刑を廃止した州もある)などの名前がずらっと並んでいる。ここに名前を連ねるのは不名誉なことではないのか。法務官僚はそういう世界の状況を知らないはずはない。このままいつまでも死刑制度を維持していけるのか、何も感じないのだろうか。
アムネスティのサイトを見れば、1978年には「廃止国60 存置国122」だった。それが2009年になると「廃止国139 存置国58」に大きく状況が変わっている。もちろん世界がどうあろうと、日本が独自の政策を取るということもあってよい。でも他の問題では「世界では」「グローバル化」などと言ってる人が、死刑制度の問題を避けているのが不思議なのである。法務官僚は「議論しなくていい状況」だと本当に思っているのだろうか。この、「世界の状況への鈍感さ」が他の問題にも通じる現在の日本の大きな問題なのではないかと思う。