旧正月十八日。昨日は日本海に低気圧、太平洋側に高気圧が位置したので、午前中から強い南風が吹いて、関東では“春一番”となりました。東京の最高気温は17℃まで上がって、日中はコートもいらないほどの暖かさ。でもそれが午後2時くらいを境に一転し、夕方は真冬の陽気に。風邪をひかないように天気予報から目が離せない季節になりました。
昨年6月の「足立区伝統工芸展」でお話しを伺い、『本染め手拭のできるまで』というドキュメンタリーDVDを買い求め、興味を抱くと、街で見る手拭いや浴衣にどんどん惹きつけられてゆきました。問屋さんを紹介していただき、念願叶って初めての浴衣を仕立てたのが夏のことでした。是非一度染める作業を生で拝見したい、という想いが募っていたのですが、ついに実現しました。
訪ねたのは足立区の一番北、工場の裏の綾瀬川を渡れば埼玉県八潮市という場所にある旭染工株式会社です。予め電話でお願いして工場を見学させていただきました。解説と案内をして下さるのは二代目社長の阿部晴吉さんです。旭染工では伝統工法を改良して明治時代初期に考案された“注染”という技法が行われています。今回は写真を中心に、その工程を追って行きたいと思います。分割写真は左上から時計回りの流れになっています。
工場にはシンボリックなやぐらがあって、染める前の白生地や、染め上がった反物を干しています。訪ねたのは春の嵐の午後。染め上がった浴衣や手拭いが風に舞っていました。(写真右)
染める前の白生地、小巾綿織物は“練地(ねりじ)”というお湯に浸す工程と天日乾燥を終えると“地巻(じまき)”という作業を行います。布目を真っ直ぐに均等にしてゴミや付着物を取り除きながら巻き取ってゆきます。反物は20~40メートルととても長いので工場は1階と2階を繋ぐ穴が空いています。地巻が終われば、次の“型付(かたづけ)”の工程に移ります。(写真左、右上の方が社長の阿部さん)
“型付”または“柄付”“糊付”は型紙を枠に張って、
台の上に伸ばした白生地にへらで防染糊を塗ります。この糊の付いていないところに染料が浸みてゆくのですね。一枚塗っては白生地を蛇腹状に折り返してまた塗って、という作業を白生地が終わるまで続けます。白生地の最初と最後には“捨て生地”という使い回しの生地に糊付けをします。糊はもち米や海藻などの天然素材を用いて、生地や染料の種類、柄の細かさなどによって微妙に調整しているのだそうです。型付が終わった反物は細かい砂が敷き詰めてある地面に置いておきます。
次の工程が染色です。注染台に生地を乗せて、調合した染料を薬缶(やかん)で注ぎ、
足踏みペダルでコンプレッサーを加減し台の下から減圧して吸い取ります。染料を注ぐ方向、早さ、量、吸い取るタイミングなど、ムラなく綺麗に染めるのは、職人技が必要なのだそうです。左の写真は浴衣地です。“白地差分け”という染色法で2色の蝶を染め上げています。藍色の蝶は、左右の手で異なる色の染料が入った薬缶を持ち、同時に注いでグラデーションとなる“ぼかし染め”となっています(右上)。これは特に興味深い技でした、ひじょうに熟練された技が必要だそうです。
写真右、左上は染まる部分が大きい“地染一色”。右上は日本舞踊の手拭いで、柄は「道成寺」。“白地差分け”ですね。染めの次は水洗いです。井戸水を引き込んだ水洗機を使って染め上がった生地をよく洗い(右下)、糊や余分な染料を落とします。
工場のすぐ裏手にには県境の綾瀬川が流れています。昭和30年の創業当時は川で作業をしていたそうです。清らかな川に色とりどりの染め物が泳ぐ風景は、また風情があったのでしょうね。水洗が終わると乾燥し(左下は機械での乾燥)、再び地巻きしてから蛇腹に畳んでこの工場での工程はおしまいです。
とここまでは、染め工場での工程です。一枚の手拭が出来るまでには、生地を織る職人、型を描く職人、型紙を切る職人・・・たくさんの職人の手が携わっています。大変失礼なのですが旭染工さんには思っていたよりたくさんの職人の方が作業をされていました。最近は少しブームになっているということもあって、手拭や浴衣を街で見かけることが多くなりました。いいものはお値段も張るのですが、やはりそれだけの技術と素材、手間が注ぎ込まれているものなのですね。
「いいものを作っていても、ある時に安いものがでてくると、すぐそれに取って代わらってしまう。伝統工芸はそんな世の中になんとか追いついて行かなければならないのです」という阿部さんの言葉に重みを感じました。
◆◆注染に関するアーカイブをぜひご覧下さい◆◆
2007.7.22【佃島盆踊りと初めての浴衣】
2006.11.28【手拭いで感じる季節の移ろい】
旧正月十四日。昨日は二十四節気の【雨水(うすい)】でした。
雪散じて水と為る也(『暦林問答集』)
雪解けが始まる頃、草木が芽吹き始める頃、なのでしょう。立春を過ぎても冬のような寒気に支配され、余寒が厳しかったのですが、ようやく「三寒四温」の気配が感じられるようになってきました。梅やまんさくの花も咲き、春の香り沈丁花の蕾もはちきれんばかりの膨らみを見せています。いよいよ春本番ですね。
足立区で伝統工芸の江戸指物をされている田中清八さんを久し振りに訪ねました。
奥様から電話を頂き、新潟県小千谷に新築される日本家屋の障子が完成し、数日後に工務店に納品する、というお話しだったので、その前にひと目拝見したいと思い、出掛けてゆきました。
震災で大きなダメージを受けた小千谷ですが、地震に負けない頑丈な日本家屋を、ということで、親子二人の大工が伝統工法で一年間かけて築いた家に収まるそうです。
4枚の障子が二組。高さはいずれも七尺二寸三分(219cm)。1枚の幅は狭い方が二尺二寸二分(67cm)、広い方は二尺八寸五分(86.5cm)。材料は最も高級で時間の経過と共に美しく表情を変えてゆく米檜材です。
大きい障子は横組子が多い“横繁障子”で二本の縦組子を中央に寄せた“吹寄障子”の意匠を採り入れ、さらに室内側の小障子が上下する“摺上げ障子”(関東では“猫間障子”と言いますね)になっています。
小さい障子は縦横の組子が荒く大きい“荒間障子”の意匠でこれも“摺上げ障子”になっています。
シロウトが下手なコメントをしてもしょうがないのですが、凛とした姿で、美しさと暖かさがあります。こんな障子に冬の低い角度の日差しが当たる様を見てみたいものです。この障子が収まる和室の顔になることでしょう。
田中さんはここしばらく体調を崩されていた、ということですが、以前お会いしたときに話していた、江戸時代の駕籠の制作意欲は衰えを知らず、この日もかつて修繕に係わった時の写真を見ながら熱く語って下さいました。ぜひお元気で、夢を実現して欲しいものです。
田中清八さんに関してはこちらもぜひご覧下さい。
2007年6月17日『職人技に触れる。指物師・田中清八さんとの再会』
2006年7月2日『指物・建具工芸師、田中清八さんを訪ねる』
<<『手前味噌仕込み会』開催日間違いでした。誤:3/21→正:3/20です。>>
旧正月三日。余寒が厳しく、今日は広い範囲で雪が積もりそうです。「東京で雪が多い年は暖冬」とよく言いますが、今年は寒くなるべき時には寒く、結構パンチの効いた冬だと思いますね。
“暮らしのリズム”と“居酒屋ニュー信州”が共同主催するこのイベントでは、参加者みんなで茹でた大豆を潰し、糀と塩と混ぜ合わせて、一升(2kgの味噌になります)入る各自の瓶に仕込んでお持ち帰り頂きます。初めてご参加頂く方には、焼き物の一升瓶をご用意するのでご安心下さい。仕込み作業のあとは去年、一昨年に仕込んだニュー信州の味噌を使った料理を中心に打ち上げの酒宴です。味噌をアレンジした様々な料理を店主の榎慎一さんが教えてくれます。(写真は拙宅の手前味噌。左が麦麹と米糀を半々で仕込んだ一年もの。右は米糀だけの二年ものです。下町製の名道具、野田琺瑯のに小分けしています)
それぞれのご自宅で熟成した味噌は、仕込みの条件は同じでも様々な風味になります。半年後の秋頃には手前味噌を持ち寄って【手前味噌自慢の会】も開催します。
ご興味のある方、ぜひお誘い合わせの上振るってご参加下さい。お問い合せご質問もご遠慮なくお寄せ下さい。
“暮らしのリズム”&居酒屋ニュー信州共催
【手前味噌仕込みの会】
日 時 ◆ 平成20年3月20日(木曜日・春分の日)13時集合
会 場 ◆ 居酒屋ニュー信州
渋谷区渋谷 3-20-16 tel:03-3797-6966
内 容 ◆ 手前味噌仕込み作業(13:00~16:30)
各自仕込み味噌2kgをお持ち帰り(容器付き)
味噌を使った肴で乾杯~酒宴(17:00~)
費 用 ◆ 5500円(瓶、仕込み味噌2kg、乾杯の一杯と味噌料理2品付き)
酒宴での追加お飲み物、酒肴は各500円です。
ご予約/お問い合せ ◆
材料準備のため2月29日(金)までにお申し込み下さい。
定員に達した場合は募集を締め切らせていただきますので、
予めご了承下さい。
3月1日(土)以降のキャンセルはお断りさせていただきます。
参加者がご用意するもの◆エプロンなど、ポテトマッシャー(持っていれば)
お願いと注意◆できるだけ汚れても気にならない服装でご参加下さい。
つけ爪、マニュキア等の方は作業に参加できません。
当日仕込んだ味噌を宅配便でお届けご希望の場合、
送料自己負担で承ります。
◆◆手前味噌関連のアーカイブ◆◆
2005.10.31手前味噌の蔵出しです~発酵食品万歳!
2006.2.8“手前味噌仕込みの会”やりますっ!
2006.3.26“春分のこの佳き午後に味噌仕込み”
2006.11.13“手前味噌仕込みの会”自慢の宴
2007.2.6第2回「手前味噌仕込みの会」開催のお知らせ
2007.3.22春分の日にはみんなで味噌仕込み
2007.4.11『手前味噌仕込み会』写真集
2007.9.30【手前味噌自慢の会】で味噌三昧
旧十二月三十日。そう、今日は旧暦の大晦日。そして明日2/7は旧正月です。
今年、拙宅では「旧暦カレンダー」というのを掲げています。
旧暦のひと月が一枚に書かれてて、曜日にかかわらず毎月一日が左上に来ます。日ごとの月の姿が描かれていて、一日は朔日、新月で、そこから徐々に丸みを帯び、十五日頃の望、満月からまた欠けてゆく、という流れを毎月繰り返します。掲げてひと月が経過しましたが、どうも慣れません。曜日がずれているのと、今の暦の日付がとても小さく書かれているので、今日が何月何日なのかわかりづらいからなのでしょうか。それでも月の流れが少しずつですがわかるようになってきました。一昨日くらいまで朝起きると西の空にあった薄い月は姿がわからないようになしました。明日は朔です。というわけで“師走”のカレンダーを一枚めくり、新年“睦月”を迎えます。
一昨日の月曜日2月4日は二十四節気の【立春】でした。暖冬と言われていたこの冬は“寒”(1/6の【小寒】から)に入ってとても寒く、立春を過ぎてもまだ暫く続きそうです。それでも梅の蕾はすっかりほころび、日当たりの良いところでは満開となっている木もあります。
そんな春の訪れを感じさせるのは野山の花だけではないようです。三浦半島では新物のわかめ漁が春の訪れにあわせて本格的になってきています。鎌倉の材木座海岸でも収穫し釜揚げされたわかめを物干しに吊して乾かすしている風景が春を感じさせられます。寒の頃、たくわんにする大根がずらりと並んで寒干しされていた風情から、半歩季節が進んだことを実感します。
旧十二月二十七日。今日は節分。寒の締めです。東京は早朝から雪がちらつき始めすっかり雪景色となりました。
節分といえばいろいろな風習がありますね。煎った大豆を撒いたり、歳の数、あるいは歳の数に一つ加えて食べたり、その年の吉方を向いて太巻きを一気に食べる恵方巻だったり、鰯の頭を柊の枝に刺して玄関に飾り邪気を祓ったり・・・と、その地その地で様々です。節分は二十四節気の立春、立夏、立秋、立冬の前日で、年に4回あります。季節を分ける日、と言う意味があります。中でもこの立春前日の節分がとても一般的なのは、季節の最初、年の始め、長い冬の終わりを予感させる春の訪れに因ることなのでしょうね。皆さんの暮らしの近くにはどんな風習がありますか。
いつも催しの事後レポートばかりになってしまい、面白そうな催しは事前に教えてください、という声も届くようになったので、今日は一つご紹介しましょう。
国立小劇場で3月1日(土)に開催される『山形 出羽の芸能』です。詳しくは国立劇場のHPこちらをご覧下さい。公演は午前の部「山伏が伝えた芸能」と午後の部「山形を彩る芸能」の入替性二部構成になっています。中でも私が興味を抱いてチケットを入手したのが「山伏が伝えた芸能」です。
山形の出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)は、山伏修業のメッカとして全国から山伏が集まって、修検と情報交換がされていました。やがて山伏らは東北の各地に散って民俗信仰に影響を与え、豊富民俗芸能のルーツを伝搬していったとされています。今回はそのルーツの一つと言っていい、山形県内で行われている神事と芸能「冬の峰 松例祭神事」出羽三山神社(鶴岡市)、「稲沢番楽」(獅子舞/三人太刀/金巻)稲沢番楽保存会(最上郡金山町)、「杉沢比山」(翁/鳥舞/景政)杉沢比山保存会(飽海郡遊佐町)を東京の舞台で披露する貴重な公演で、とても興味深いです。
午後の部「山形を彩る芸能」では
「花笠音頭」東京花笠連合会、「日和田弥重郎花笠田植踊」日和田弥重郎花笠田植踊保存会(寒河江市)、「梓山獅子踊」(道行/梵天舞)梓山上組獅子踊保存会(米沢市)、「黒川能」(羅生門)黒川能上座(鶴岡市)
が上演されます。
また、ロビーでは民話語りの実演が行われます。
きっと山形の、それぞれの芸能が伝承されている土地を訪れたような感覚になることでしょう。非日常的で素朴で躍動感ある山伏伝来の芸能をぜひご覧下さい。