"暮らしのリズム"的できごと

先人が培った暮らしの知恵を通じて今を楽しむ【暮らしのリズム】のブログ。旧暦、落語、音楽、工芸品、食、民俗芸能などをご紹介

処暑の頃~台風襲来か?

2005年08月23日 10時27分40秒 | 季節のおはなし

旧七月十九日 二十四節気の【処暑】です。

◆処暑◆ 暑さが止む意味から処暑という。涼風が吹きわたる初秋の頃で、暑さもようやくおさまり、綿の花が開き、穀物が実り始め、収穫の候も目前となる。昔から、この頃は二百十日と並び台風襲来の特異日とされており、暴風雨に見舞われることが少なくない。(「現代こよみ読み解き事典」より)

この頃を境に残暑が納まり少しずつ涼しくなってゆく、とのことです。関東地方などで最高気温を見ればまだまだ30度以上の真夏日ですが、土用の頃と比べると太陽の角度はだいぶ傾き、日差しの厳しさは和らぎ、空に浮かぶ雲の形は変わり、吹く風は心地よく感じられるようになってきました。

「二百十日」とは立春から数えて210日目、今年は9月1日(木)です。これから天候が荒れるとされる旧八月一日(今年は9月4日)の八朔、二百二十日(9月11日)頃までのだいたい二十日間くらいが台風の集中する時期なのでしょう。そして天気図を見ると、来てますね大きいのが。台風11号は金曜日(8/26)頃にやって来そうです。子供の頃の記憶ですが、夏休みの終わり頃は雨が多く「宿題日和」などと言っていたことを思い出しました。台風が抜けてしまえば、また少し涼しくなるのでしょう。


“打ち水”大ブレイク中

2005年08月20日 14時18分24秒 | 日々のことなど

旧七月十六日 望。七月の満月です。
東京では一昨日あたりから西の強い風が吹き、空気が澄んでいますね。

「今日満月?」という会話があちこちから聞こえてくるような、大きな月白々8-19tsukiと夜空を照らす、月夜が続いています。この晴天が続けば今日の満月も明るいでしょう。夕方銀座から月島に帰ると隅田川の向こう側にぽっかりと月が浮かんでいます。月島の名の由来は、月出島(つきいずるしま)なのでしょうか。次の満月、旧八月十五日(9/18)はもう中秋の名月。日に日に秋深まるというこの頃です。
(↑これは昨夜(8/19)の月。佃・住吉神社にて)

それにしても残暑が厳しいです。本日東京正午の気温は33.7度だそうです。まだまだこれから上がるのでしょうか。そんな今年、都市の温度を少しでも下げようと“打ち水”が大ブームになっています。8-20uchimizu【打ち水大作戦2005】のホームページをご覧頂けると、打ち水の効果、やり方、地域の打ち水イベントから、オリジナルTシャツ、さらには打ち水音頭CDに至るまで、打ち水に関するいろいろなことが紹介されています。この運動、テレビのニュースなどでも頻繁に紹介されていますが、皆思い思いにスタイルで打ち水を楽しんでいますね。中には浴衣を粋に着こなし、木の桶と柄杓で水を撒いている人もいます。昔の人の知恵を思い出して、過ごしやすさを追い求めようとすることは、とても良いことですね。

よくテレビでは、白昼に強い太陽に照らされたコンクリートやアスファルトに打ち水をしているところを紹介しています。確かに熱せられたコンクリートは打ち水によって冷やされ、水が蒸発する時に熱を奪う気化熱の効果で気温は少し下がるのですが、それはひとときのことだと思います。その後は周辺の湿度が急激に上がり、かえって蒸し暑く不快指数は上がってしまうように感じます。これは先日の住吉神社例大祭、御神輿に大量の水を掛ける時に身をもって実感しました。

そこで、私がよくやっている打ち水の方法をここでご紹介しましょう。自宅前の路地に打ち水をするのは、朝、路地に直射日光が差し込む前、だいたい8時くらいまででしょうか。そして夕方は少し空が暮れ始めた頃ですね。路地はコンクリートで固められているのですが、地面、そして植木にも水をやります。水は主に炊事になどに使った残り水。道具は5年くらい前に買った青森檜の桶と自分の手。手のひらをグーとパーの中間くらいに、手首を柔らかくして撒くのがムラ無くきれいに打ち水をするこつだと、思っています。

道具に使っている檜の桶についてちょっと。伝統工芸品が少しずつ見直されていることもあって、飯台、おひつ、桶、手桶といった木工品を目にする機会が増えてきました。
(↓my湯桶。いつでも檜の良い香りが立ちます)oke
檜の桶は風呂用にと買ったのですが、今は台所を中心に野菜を洗ったり布巾を絞ったり、打ち水用に米のとぎ汁を溜めておいたりと、活躍しています。水に濡れた桶を置いておくだけで、付近には檜の良い香りが立つのです。食品用には香りの少ないサワラ材を、風呂には檜を、と用途によって素材も違うそうです。こうした木工品はずっと生活に密着してきた道具であるために、今でも全国の職人が素晴らしい製品を作っています。もちろん東京都内にも。ぜひご紹介してゆきたいと思っています。


住吉神社例大祭~番外編~夢見心地な祭りの夜

2005年08月15日 19時14分50秒 | 日々のことなど

旧七月十一日。月の姿も段々と大きくなってきました。
今日は太平洋戦争終戦60年目の記念日。鎮魂と平和への願いの一日です。
例年、この日を過ぎると少しずつ秋の気配を肌で感じてゆきます。

今日までの三日間。深川の富岡八幡宮例大祭が行われました。今年は三年に一度の本祭りですから、鳳輦の渡御(8/13)と、神輿連合渡御(8/14)があります。昨日午後に永代通りの八幡前に帰ってくる各町内の大神輿の渡御を見物に行ってきました。どの町の御神輿もそれぞれに特徴があって美しいですね。伝統的な「わっしょい、わっしょい」という掛け声にこだわる渡御は、どっしりしていて勇壮。さすが御神輿の深川祭りです。

さて、佃・月島は祭りが終わって一週間が経ち、普段のリズムを取り戻そうとしています。今日は祭りの夜、住吉神社のお膝元、佃島の旧家で体験した粋で素敵な出来事を振り返って、番外編としてご紹介します。


8-7iida話はちょっと遡って佃島盆踊りの時。友人のかつてのお仕事仲間(通称:ヒメ)がご親戚だったというご縁で、唄の名手飯田恒雄さんを紹介して頂きました。そのヒメが祭り見物にやって来るという話を友人から聞いていました。で、その昼に少し自由な時間があったので佃島方面を自転車で回っていると、ツネさんのお宅(僭越ながら親しみを込めてそう呼ばせて頂いています)に「佃囃子奉納、若山社中、今夜午後九時半」という貼り紙があるのを発見。これは見逃す手がない、と期待感が高まります。午後の御神輿巡行も終わり、この日は解散。夜になって皆と月島のもんじゃ屋さんで合流していざ佃島へ。

8-7iidamikoshi飯田恒雄さんのお宅は、江戸の末期か明治の初期に建てられたであろう大8-7iidaohayasiとなります。胴太鼓に二つの締太鼓、篠笛と鉦という祭り囃子のシンプルな編成。ゆったりと静かな篠笛の調べで始まり、徐々に高揚してゆくかのようにテンポがアップしてゆきます。難解な規則性があるリズムと日本独特の間と旋律。癒しと活性が不思議に同居した精神の浮遊感が全身を支配します。まるで江戸の町にトリップしてしまったかのような・・・、あぁなんとも貴重な体験でした。飯田家の皆さんありがとうございます。また遊んで下さい。

wakayamaCD若山胤雄:四世若山胤雄(わかやま たねお)。若山流家元。江戸時代より続く神楽の血筋。1928年蔵前生まれ。「江戸里神楽 若山胤雄社中」として重要無形民俗文化財の指定を受ける。
「囃子組曲/若山胤雄・若山胤雄社中」日本クラウン(CRCM-60065)がお薦めです。


住吉神社例大祭~其の参~神輿上がる

2005年08月12日 17時20分24秒 | 日々のことなど

旧七月八日。明日は上弦の月。
東京湾大華火祭がありますが、空模様がよろしくないようです。
月も花火も湿りがちかな。

今日も佃住吉神社例大祭のレポートです。
月島・二之部の組織「若睦」に参加した私は、裏方の仕事に追われ、住吉神社で行われている儀式や行事などはほとんど観ることはできませんでした。それがちょっと残念でしたが、氏子地域全体のほぼ中心に位置する二之部にいれば、なんとなく全体が見えてくるようです。なんとなく町内を行ったり来たりしている御神輿の動きにも一つ一つに意味があるのですね。
8月6日(土)朝、大祭式という祭り本番スタートを告げるのろしのような儀式です。各町の御神輿は隊列を組んで清澄通りを北進し、佃島に集結します。
(↓清澄通りに大中小の御神輿が勢揃い。水をたっぷりかけてスタートを待ちます)
8-6kiyosumi    

その後、住吉神社を宮出しした獅子頭を先頭に各部の御神輿が御旅所へと向かい渡御してゆきます。そして日が沈むまで町内を巡行します。住吉神社の神様を宿した御神輿が、氏子である町内の隅々を練り歩いてゆくのが御神輿や山車の巡行なのですね。巡行の途中で休憩するときには笛・鉦・太鼓による軽快なお囃子が囃され、気分がポーっと高揚してゆきます。

8月7日(日)にはいよいよ宮神輿が登場します。珍しい八角形をしていることから通称“八角神輿”と呼ばれる住吉神社の御神輿は天保九年(1838年)に製作されたのだそうです。
(↓西仲通り商店街を渡御する八角神輿)
8-6hakkaku早朝に宮出しした八角神輿は午前中船に乗せられ船渡御に出て、東京湾晴海沖で海上祭を行います。午前中に行われるこの一連の儀式は観ることができませんでした。午
後は八角神輿が西仲通りを8-6hakkaku2通って御旅所への渡御を行います。8-8final八角神輿で燃え尽きたかに見えた担ぎ手の体力も「三年後まで担げない」という現実からか最後の力を振り絞ります。

三年に一度、神様が舞い降り町中を練り歩く、暑い熱い三日間がこれで幕を閉じるのです。

祭りに一歩踏み込んでみると、いろいろなものが見えてきます。見えてくると地元に対する意識が大きく変わってきます。地元の人たちのと距離がぐっと縮まります。
伝統、歴史、文化、継承、協調、情熱・・・大きなものを得た大祭でした。

佃・住吉神社の沿革はこちらをご覧下さい。


住吉神社例大祭~其の弐~祭始まる

2005年08月11日 17時56分18秒 | 日々のことなど

旧七月七日。旧暦の七夕です。
日本海側ではあいにくの雨模様だそうですが、その他では全国的に晴れ。
空気の澄んだところでは天の川が夜空に広がることでしょう。やはり七夕は旧暦で楽しむ行事ですね。
二十四節気の立秋(8月6日でした)も過ぎ、暦の上では秋ですが、残暑厳しく夏の彩りがそこここに感じられます。

さて、すっかりblogの更新をサボってしまいました。すいません。

住吉神社例大祭は8月8日(月)に終わりました。町内を走り回ったり、少しは御神輿を担がせて頂いたりと、使い慣れない筋肉を酷使したせいか、体のあちらこちらが悲鳴を上げています。それ以上に、夢のような充実した日々であり、精神的な空洞と言いましょうか「大祭が終わってしまった」という無常感のようなものが大きいです。

それでは大祭のレポートを順を追ってご紹介しましょう。町のいたるところにスケジュールが書かれたポスターが掲示されているのですが、そこに書かれていることが「実際にはどこでどんなことが行われ、それぞれにどんな意味があるのか」客観的に見ているだけではなかなか伝わってこない
かもしれません。私もそういった疑問に度々ぶつかりました。ことあるごとに会の先輩方にいろいろ教えて頂きましたので。そのあたりが伝わってくれると嬉しいです。


8月5日(金)。
8-5mikoshi各町内の御神輿清祓いが行われます。飾り付けが施された御神輿は町内の目抜き通りに建てられた御仮屋という建物に設置されます(←仮倉庫を出て御仮屋へ移動する御神輿)
大祭の期間中、御仮屋が町内御神輿のベース基地となるわけです。御神輿の前には榊、御神酒、
8-5mikoshi2塩、米、素麺、凍り豆腐、するめいか、昆布などなどの供え物が置かれます。そして住吉神社宮司のお祓いによって、御神輿に御霊(みたま)が入るのです。
この日の夕方には住吉神社にて本祭の前夜祭である宵宮、そして各町会、住吉神社のお膝元、佃住吉講による手打式が行われます。まず各町会はそれぞれ揃いの長着(浴衣より厚手の着物)を着て、
8-5otabisho勝どきにある住吉神社の分社(御旅所と呼んでいる)に集結して参拝します。(←御旅所での参拝)
そして高張(長い竹竿につるされた大きな提灯)を先頭に、住吉神社までおよ
8-5nishinakaそ2kmの道のりを行進してゆきます。神社に集結した後、宵宮と手打式が行われこの日の行事が終わります。
(西仲通り商店街を行進する隊列→)

淡々と説明だけしてきましたが、粛々とした一つ一つの儀式は、躍動感溢れる大祭直前の凛とした静けさを感じさせます。三年に一度の大祭を待ち焦がれた皆の期待が頂点に達してきます。