"暮らしのリズム"的できごと

先人が培った暮らしの知恵を通じて今を楽しむ【暮らしのリズム】のブログ。旧暦、落語、音楽、工芸品、食、民俗芸能などをご紹介

五年振りの【西馬音内盆踊り】目に映ったものは

2008年08月30日 13時44分27秒 | まち歩き

 旧七月三十日。二十四節気の【処暑(しょしょ)】から一週間。不安定な天気が続いています。連日晴れ間が覗いたかと思えば、急に黒い雲が現れ雷鳴と共に激しい雨に見舞われたり、傘の手放せない日が続いています。8月も明日で終わり。青空と強い日差しはもう戻って来ないのでしょうか。

 月遅れのお盆を岩手で過ごし東京に戻る前日、秋田の内陸、雄勝郡羽後町西馬音内
(にしもない)に継承されている0831nishimonai3『西馬音内盆踊り』の初日を観に行ってきました。豊年祈願、地元の名士や先祖を偲ぶ民間信仰、盆の供養を目的に伝承されて来た盆踊りの起源は400年前とも700年前とも言われています。毎年8月16日から18日の三日間、町の中心にあたる通りで行われています。
 絹の端切を縫い合わせ祖母から母、母から娘へと何代も受け継がれた端縫いの衣装に編み笠、一方亡者を連想させる黒い彦三(ひこさ)頭巾に藍染めの浴衣、と踊り手の衣装がとても神秘的です。踊のお囃子は秋田音頭に似ている「音頭」と、つるとかめもアルバム『しゃっきとせ』で聴かせている「願化(がんけ)」。ご当地性たっぷりのユニークな歌詞で唄い手が自慢の喉を聴かせます。
 西馬音内盆踊りを初めて観に来たのは、5年前の2003年。その時の印象としては、地元の人やこの町出身の人たちがこの盆踊りを楽しみにして、大事に愛して来た雰囲気が伝わってくる、手造りの盆踊り、というものでした。見物に来た観光客もたくさんいましたが、それを外側から暖かい眼差しで見守る、といった感じでした。
 ところが今回は、何かが違う、という印象でした。
0831nishimonai4洗練されたというか、盆踊りを中心にした大きなイベントになっているというか、コマーシャルなものになったというか・・・。盆踊り会場の周囲にはすべて有料の座席や桟敷が設けられています。これでは有料席を買っていなければ、踊り手を観ることはほとんど無理。以前は通り一本を長い輪になっていたのが、途中横道(写真左)ができてT字型の踊の輪になっています。中心には大画面ビジョンが据えられ折しもオリンピックの女子レスリングのパブリックビューに。盆踊りが始まるずいぶん前から、スピーカーでお囃子の録音が延々流れています。

 初めて訪れた時。夕風に吹かれて会場に近づいて行ってみると、盆踊りに向けて町がそわそわしていて、商店や地元の人たちも気軽に親しみを込めて声を掛けてくれました。0831nishimonai1 皆この日を一年間待っていたんだな、と実感します。そこにはBGMも何もありません。あまり先入観を持たずに乗り込んだので、これからどういう盆踊りが行われるのだろう、とこちらもわくわくしています。空が暗くなってくる頃、櫓から勇壮な「寄せ太鼓」が響き、町中に盆踊りの始まりを告げます。この一気に押し寄せる高揚感にゾクゾクっとしたのを今でも良く覚えています。踊が始まれば、踊の輪を見物したり、路地を歩いたり、名物の冷やかけそばを食べたり、優しい時間だったように記憶しています。
(写真は今年の囃子櫓。2005年に出来た西馬音内盆踊り会館に設営されるようになりました。囃子連の「寄せ太鼓」やっぱりかっこ良かったです)

 西馬音内のとある旧家の奥様にお話を聞きました。
「盆踊りは最近すごく変わりました。風情がだいぶなくなってきました。以前は町の者しか踊には加われなかったのですが、今ではよそで踊を覚えて来た人がたくさんいて、それでなのでしょうか。私の義母は踊りは踊れましたけど、
よそから嫁いできましたから、人前ではずーっと踊らなかったものです」

 見物人からお金をとるとお客様になるのですね。そうなるといろいろ関係が変わっていってバランスが崩れていってしまうのかもしれませんね。伝統を継承するという難しさを痛感しました。

 


夕凪の街へ~その参『広島』

2008年08月21日 16時07分19秒 | まち歩き

 旧七月二十一日。まだまだ厳しい残暑が続いていますが、明後日は二十四節気の【処暑(しょしょ)】です。

陽気とどまりて、初めて退きやまんとすればなり
 『暦便覧』(天明八年/1788年発行)

 お盆の頃一週間ほど岩手におりましたが、ひと雨降るごとに空気が涼しくなって行き、いつの間にか蝉の合唱に代わって、キリギリスのスイッチョンが里山を支配しておりました。東京もそろそろ涼しくなってくれるといいのですが・・・。

 7月の終わりに行って来ました広島の旅の模様、今日が最後で広島市内です。今回の旅を思いついたのは、幼少の夏を過ごした広島に行ってみたいという思い、今年で最後の広島市民球場でカープの勇姿を見たいという思い、などありましたが、決定的に背中を押してくれたのは『夕凪の街 桜の国』という映画でした。あの日から63年が経過し、被爆者の平均年齢が75歳を超えたという今年ですが、映画ではこの先何世代に渡って被爆の影響が遺伝してゆくのかわからないという深刻な現実を、ストレートに伝えています。31年ぶりにあらためて平和記念資料館を訪れ、慰霊碑に手を合わせようという感情が自然に沸き上がってきました。

 さて、広島へ来たらやっぱりカープです。0819hiroshima1 私の贔屓は在京セリーグのアウトドア派(わかるかな?)ですが、 いつもカープとカープファンには強いシンパシーを感じています。日没の遅い市民球場一塁側で、真夏の太陽をたっぷり浴びながらベイスターズ戦を観戦しました。市民球場は本当に風情がありますね。混雑を避けて途中で球場を後にしましたが、試合は9回裏アレックスの劇的サヨナラHRで4対2とカープの逆転勝ちでした。(写真左上は、ホテルの窓から比治山を望む風景です)

 世界文化遺産の厳島神社もはずせません。0819itsukushima宮島口からはフェリーで10分ほど。JRと松大汽船の2社競合の海運ですが、 JRは往路に大鳥居の前を通るのがウリなんだそうです。行ったときはちょうど干潮、大鳥居の近くまで行かれるのはいいのですが、海に浮かぶような回廊が眺められずちょっと残念。日曜日ということもあり、たいへんな賑わいでした。お参りをしておみくじをひいて(吉でした)、早々に引き揚げることにしました。

広島の市内には、路面電車が走っています。市営の電車ではなく広島電鉄という私鉄のネットワークです。
0819hiroden 今環境によろしいとかで、トラムと呼ばれて再評価されている路面電車ですが、 この街では日常の足としてとても愛されているように感じました。各地で引退した車両を譲り受けて、再利用していたり、ピカピカの新車からレトロな車両までバリエーション豊かです。東京でも、もっと中心部で都電を復活させてみたらどうでしょうか。(写真左上は京橋川に架かる稲荷大橋を渡るところ。右下は終点の広島港(宇品)駅。ヨーロッパのどこかの駅のような雰囲気で、とても奇麗です)

 広島滞在最終日、もう一度瀬戸内の海と島々を見たくなり、広電で宇品港にやってきました。0819ferry 少し傾いた日差しと蒼い海、入道雲、折り重なるように連なる島々。幼少の頃の思い出、広島の海そのものが目の前に広がります。フェリーの切符売り場を見ていると「広島湾おさんぽクルーズ」というのが目に留まりました。宇品港から江田島の切串港を片道30分で往復するフェリーに乗れて500円とのこと。ただし
切串港では下船できません。行って帰って来て1時間、短い船旅を楽しむことにしました。ここは冷房の効いた客室ではなくデッキで潮風を浴びたいところです。島々を結ぶ高速船やフェリー、貨物船の行き交う中、キラキラ輝く瀬戸内の風景はこれから先きっと忘れることはないでしょう。また折りをみて広島には訪れてみたいものです。


スク☆ハジ・プロデュースの長唄ライヴのお知らせ

2008年08月19日 12時53分42秒 | 芸能の催しごと

 旧七月十九日。今月は旧暦の日付と、今のカレンダーの日付が一致しています。旧暦のお盆と、月遅れのお盆も同じ日程でした。そして月齢と日付も同じなので、今日がどんな月なのかもすぐにわかります。いつも旧暦の日付を頭に入れておくと、月の移ろいと一緒に楽しく暮らせるような気がします。

 一つお薦めのイベントをご紹介します。6/14(土)に開催した『噺と三味線~五月雨のたはむれ』(こちらこちらをぜひご覧ください)に出演して下さいました長唄三味線の女性ユニット、スクイーズ☆ハジキーズの松永鉄駒さん、松永鉄六さんがプロデュースするライヴです。
9_5彼女たちの師匠、松永鉄九郎さんを中心としたその名も『テツクロの会 in 庚申塚』。
 楽しいトークを交え、わかりやすく、楽しく、奥深く。長唄というちょっと敷居の高い伝統音楽を必ず興味深いものへと誘ってくれます。2006年の暮れに鉄九郎さんが主催する会(こちらをご覧ください)を観に行って「いつかこんな会をやりたいな」と思い、先日のイベント実現に結びついた経緯があり、今回のライヴは自信を持ってお薦めいたします。ぜひお誘い合わせの上、お運び頂ければ幸いです。

『テツクロの会 in 庚申塚 第一回』
日時 : 9月5日(金)19時半開演
場所 : studio Four (豊島区巣鴨4-42-4) 電話 : 03-3918-5944
料金 : 3,000円(税込/全席自由)
出演 : 松永鉄九郎, 杵屋三七郎, 東音阪本剛二郎, 松永鉄文智, 松永鉄駒, 松永鉄六
チケット予約 : スク☆ハジオフィス sukuhaji_office@yahoo.co.jp
         松永鉄九郎事務所  fe9@jcom.home.ne.jp


夕凪の街へ~その弐『呉』

2008年08月07日 15時49分16秒 | まち歩き

 旧七月七日。今日は旧暦の七夕。そして二十四節気の【立秋】です。「暦の上では」とよく聞きますが、まったく秋という実感のわかない酷暑ぶりです。それでも朝6時頃に水辺に出てみると、空気はわずかにヒンヤリとして、空には鱗雲がなびいていました。ここ数日襲った雷雨によって洗い流されたのでしょうか、済んだ青空がいつもより高く感じられる朝でした。今日からは「残暑」ですが、もはや「暑中」よりも長いのが「残暑」になってしまっているようですね。

0807kuresen  広島への旅の第二弾。尾道に続いて訪れたのは「呉」です。尾道で山陽本線の各駅停車に乗り込み、三原で乗り換え呉線に入ります。三原からは途中「広」で乗り継ぎ呉までは1時間45分。のんびりとした移動です。呉線は瀬戸内海の海岸と背後から迫る山とのわずかな隙間を国道と共に縫って走ります。車窓からは、貨物船と競争したり(写真の感じです)、波打ち際を走ったり、海水浴場の賑わいを手に取るように見ることが出来、飽きることがなく時間を感じさせない絶景の路線でした。

 呉は明治の中頃から終戦まで軍港として栄えた町です。 今でも海上自衛隊の駐屯地があって、制服姿の自衛官が町を歩いていたり、
0807kurekou港には潜水艦や戦艦が停泊している(写真右の風景)ので、どことなく横須賀の町に似た雰囲気でした。7歳か8歳の時に一度だけ来たことがあるのですが、記憶といえば商店街のおもちゃ屋さんでウルトラマンのソノシート付き怪獣集を買ってもらったことくらいです。駅の南、港の周辺は大規模なショッピングセンターが出来て、人気の「大和ミュージアム」(写真左:左側の建物)や海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」(写真左:中央の潜水艦)があって賑わっています。いろいろ見所はあるのですが、この町では喰いっ気を出すことにしました。

 呉出身の後輩によると、名物の冷麺を食え、とのことで早速ガイドブックにも載っている写真のお店に行ってきました。0807reimen_2 岩手で有名な焼き肉屋さんの冷麺ではなく、見た目は冷やし中華ですが、決定的に違うのはデフォルト酢が入っていない、という点。鶏ガラベースでしっかりとした味のスープに細めの平打ち麺がマッチしてとても美味しかったです。テーブルには黒酢と唐辛子が一本入った酢が置いてあり、好みで掛けるのですが、黒酢が美味しいです。これは東京に進出したらヒット間違いないなしでしょう。

 もう一つ、呉の名物あります。これは横須賀にある奥さんが呉出身という焼き鳥屋さんで初めてしったのですが「みそだき」です。
0807santori鶏の皮をちょっと甘めの味噌でじっくり煮込んだ料理で、とりあえずビールとみそだき、というのが定番だそうです。だいたい200円くらいという値段も嬉しいですね。繁華街にある昼から営業している居酒屋「第一 三とり」でこれを頂きました。濃い目の味とぷりぷりした皮の食感がたまらず、ビールが進みます。広島に向かう電車までもう少し時間があるのでもう一品。「ちりめん生酢」を頂きます。胡瓜、わかめ、ちりめんじゃこ、茗荷、生姜に絶妙なバランスの甘酢が掛かって冷やしてあり、清涼感がたまりません。こうなるとお酒が欲しくなります。呉のお酒といえば「千福」。冷たい生酒を一合頂いて駅へと急ぎました。

 ほとんどグルメリポートになってしまいましたが、次回はいよいよ広島の街です。


暑く熱い日々が終わり~佃住吉神社例大祭

2008年08月05日 17時30分33秒 | まち歩き

 旧七月五日。強い日差しが注がれて猛暑の日々から一転、今日は早朝から雷鳴と大粒の豪雨に見舞われています。これで少し涼しくなってくれると有り難いのですが、まだまだ猛暑は続きそうです。

 三年に一度、真夏の大祭。佃住吉神社の例大祭が8月1日(金)から4日(月)までの四日間行われました。連日35度近くまで気温が上昇する水掛け祭にふさわしい天気の中、隅田川対岸の島々が熱く活気づきました。

0805nobori_2(写真上=8/1の午前10時、住吉神社を囲むように6本の大幟旗が一斉に揚げられ、祭のムードがぐっと盛り上がって行きます)

0805shishigashira(写真右=8/2の行事は獅子頭の宮出しと町内渡御です。雌雄一対の獅子頭の特に触ると縁起がいいとされる鼻緒を佃住吉講の若衆が勇壮に奪い合います。翌日に登場する宮神輿=八角神輿の巡幸路を祓い清める目的の伝統的な行事です)

0805hakkaku_2
(写真左=8/3は早朝5:45から境内にて八角神輿の出社祭~宮出し~海上祭~船渡御出船が行われます。左上より時計回りで:厳かな出社祭/佃住吉講の若衆が威勢よく八角神輿を担ぎ上げ/低い位置から高く迫り上げられるまで波に揉まれているかのようです/前日夕方に御霊移しを前に装飾や担ぎ棒が整えられて行きます)

0805suijousai(写真右=左上から。早朝の柔らかい日差しの中、宮出しをした八角神輿は旧石川島の隅田川テラスに降りてきます/待機している艀舟に載せられ/水上祭を執り行い/船渡御に出ます。かつては担いだまま海中渡御が行われていました。そのため八角神輿は内部の隅々まで漆がしっかり塗られているそうです)

0805hakkaku2_2 (写真上=八角神輿は8/3に勝どきの御旅所で一晩置かれ、最終日8/4に各町を渡御します。我が町、月島二之部にもやってきましたので、家の近所を通る時を中心に今回はたっぷり肩を入れました)



 始まってみればあっという間の四日間です。また三年後まで、となると寂しい気もします。今回は出来るだけ中心の住吉神社に足を運び、そこでどのように祭が行われているかを、僅かですが感じることが出来ました。貴重なものを見ることが出来てとても胸が熱くなりました。町内を渡御する八角神輿の重さを前回以上に感じたような気がします。