実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

ジャンゴ 実戦教師塾通信八百七号

2022-05-06 11:15:52 | エンターテインメント

ジャンゴ

 ~ウクライナ侵攻・補(6)~

 

 ☆初めに☆

ゴールデンウイーク初日の渋谷は、嬉しそうな顔の人たちが一杯でした。それでも普段の休日から見れば、渋谷の人出は半分もいません。ハチ公は、人がいないところを見計らって撮った写真ですが、これもホントなら、人波に隠れて見えない。

思いがけず、舞台の招待を受けました。渋谷ブンカムラの「theaterコクーン」で上演された『広島ジャンゴ2022』(以下「ジャンゴ」と表記)です。千秋楽の鑑賞なる幸運を得ました。

迷いましたが、カテゴリーは「エンターテインメント」にしました。

 

 1 困難と覚悟

 残念な内容だった。秀逸だった『ハンドダウンキッチン』(2012年)と同じ演出家だったとは、信じられない思いである。役者たちのダイナミックな演技といい、舞台は水の豊かなエリア、安宿や枯れた街へと、目まぐるしくも鮮やかに変化を見せた。エンターテインメントで、楽しむものと割り切れば良いのだろうが、コンテンツがそうではない。そこには、世界にあふれる貧困と悲惨、傲慢と暴力が満ちている。

「それを言えば、その場所に寄り添う」ことにはならない。例えば、「風化を許すな」と言えば、風化を防ぐわけではない。私流に言えば、「それを言う時と場所」がいい加減ではいけない。これも例えば、大川小学校の事件の風化は、それを「私たち」が語り続けることで防げるとは思えない。私たちには「抱える悲惨がない」からだ。74人の子どもたちが津波に巻き込まれた原因は、高裁(最高裁)が言う避難訓練の甘さや避難場所の誤認ではない。それは「その場にいるものしか出来ない確認と決断の『欠如』」であり、今も学校的体質としてあり続けているものだ。「大川小学校の風化を許さない態度」とは、この体質が出て来る時の困難、に対する「覚悟」のことだ。

 「ジャンゴ」では、DV/幼児虐待/ブラック企業など数々の諸問題が、これでもかと描かれる。これらは、「盛りだくさん過ぎる」というより「不誠実」と言い換えた方がいい気がしている。メディアが良く使う「神の声」-これでいいのかという声、のように数々の不幸や悲惨が登場する。すべてをつなぐ道筋が微かな「希望」だとは、分かった風なことを言う。「絶望」のひとつについて言えば、父が娘を「犯す」動機もいきさつも語ったつもりなのだろう、でも、さっぱりわからない。

 対照的と思える舞台が、これも十年前となるが、前川知大演出の『奇ッ怪Ⅱ』だ。設定は津波と原発事故である。事故や臓器移植や自殺など、そのかたわらに残された側の「喪失」が描かれる。共感できるのは、死者との道筋(この頃は何にでも「絆」が使われたが)を安直に語らないことだった。死者とのつながりは、あくまで「予感」や「符号」、そして「不安」として描かれた。そこには控えめな、寄り添える「かもしれない」という、私たちのすがるような気持ちがあった。共感とは、強引な手続きで得られるものではない。

 

 2 民主と独裁

 注目した場面がある。

 ロシアのウクライナ侵攻があって「ジャンゴ」は直前、一部書き加えられたか、おそらく変更されている。「ライズアップ!」なる下りは、直近まさかのピンクフロイドか?と妄想してもみた。最後に、不正と暴虐に対する人々の抵抗と思える章立てがある。これが良かった。民衆の戦いがいいのではない。権力者の居直りがいいのだ。

 多くの川が流れ、井戸水も豊かだった町が干上がる。それが町長(仲村トオル)の策略だった、と暴かれる場面である。詳細は記憶にないのだが、肝心なことは、

町は誰のおかげで成り立っているか分かってるのか?/軽はずみな考えや行動は止めておけ

通訳すれば「分かった風なことを言うな」というのである。そして、「正義はひとつではない」と演説、いやこの場合「アジテーション」と言うべき熱弁をふるうのである。圧巻だった。この「正義」とやら、トランプの頃の流行りのフレーズだ。「独裁」にして欲しかった。

 今、ウクライナで起こっていることは、「独裁」と「民主」の戦いなのか。プーチンはもちろん独裁者であり、やってることは独裁だ。何の異議もない。しかし、ゼレンスキーのやってることは「民主」か。そんな甘いものではあるまい。将校は選挙で公選/徴兵も志願制とする等の民主化政策のおかげで、ロシア革命政権は兵士200万の戦線離脱があったことを、前に書いた。武力と財力すべてを抱え込んでいた帝国ロシアに、軟弱路線が通じるはずがない。レーニンが打ち出した「プロレタリアート独裁」とは、強力な独裁しか「帝国ロシアの独裁」に対抗できるものはないというテーゼだった。この「プロレタリアートの独裁」が、「共産党という一党の独裁」に変わったなどとよく批判される。このスターリン批判のいい加減さは、ヒットラーを批判すればナチズム批判は十分、といういい加減さと同じだと言っておく。マルクス主義者のクソどもが「右翼」と批判していた、小林秀雄のひと言が力強い。

「レーニンが目指したものは、コンミュニズムの勝利ではない。革命の成功である」(『ソヴェットの旅』)

レーニンは、ロシアの人々が何を必要としているか誰よりもよく知っていた、という。

ロシアと戦う人々と共にあるため、ゼレンスキーは「民主主義」を選択しなかった。そして、18歳~60歳までの男子を出国禁止にしたのだ。まるで「ロシアの革命なくして、ウクライナの解放もない」と、ゼレンスキーは言ってるかのようだ。

 

 ☆後記☆

「ひとり娘」を求めて、蔵元の茨城県・石下に行きました。途中に立ち寄った、大宝・八幡神社です。

京都・石清水八幡宮より歴史が古いと言われ、驚いているところです。日を改めてレポートします。

境内にはこの時期に満開となる、ヒトツバタゴが咲き誇ってました。

 ☆☆

大相撲、始まりますね。照ノ富士、隆の勝、あと若隆景も頑張れ!


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