実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

リアルな場所 実戦教師塾通信七百八十六号

2021-12-10 11:11:37 | エンターテインメント

リアルな場所

~『日本沈没』から考える~

 

 ☆初めに☆

期待している冬のドラマ、『日本沈没』のことです。残念ながら、残念です。ずっと前から読んで下さってる読者には「残念」の意味が分かると思います。もう少し見てから言った方がいいかとも思いましたが、それで前に失敗しました。ため込まないで早めに言っておこう。制作側にいる方々には申し訳ないが、この10年を思うに、言いたい気持ちを禁じ得ません。もうクランクアップしているのでしょうか、「甘くはない」大どんでん返しが起こればいいと思います。

 

 1 「東日本大震災」

 関東(一部)が沈没しても、どうして東京、それも霞が関周辺のライフラインが健在なのはなぜなのか、平気でスマホが使えている状況を気になってはいた。アニメ『天気の子』も、水没した街のマンション上層階や高速道路が平チャラで、なぜか生活は平穏に保たれていた。それはファンタジーだから許されるのかもしれない。しかし、このドラマはファンタジーではないゾと。その辺りを気にしないようにしていたが、先週の「移民」計画を見たら、これはまずい。私たちは、東日本大震災というものを経験している。それを思いながら見ている人も多いと思う。先週、なぜか機能している都心の大型モニターテレビが写したのは、世界中からのエールだった。東日本大震災の時も、似たシーンが多くあった。私は、2011年のF1開幕戦だったと記憶しているが、導入部で現れたシューマッハを始めとするF1ドライバーたちが、片言の日本語で「マケルナ!」「イッショニ!」「ガンバレ!」と呼びかけたことを思い出した。『日本沈没』も、あの時の思いをしっかり持っているはずだ、と改めて感じた次第である。

 あの時は「移民」でなく「避難」だ。原発事故直後に福島県で避難した人の数は、県内外あわせて7~8万人と言われた。「県内」への避難とは、浜通りから会津・中通り方面への避難のことだ。これが「推定人数」であることは、いわきの人口が一時半分の15万人になったことからも言える。またこれに、首都圏から関西方面への一週間とか一カ月とかの「プチ避難」も含めたら、膨大な数になっていた。早め&自主的な春休みに入った多くの児童生徒も加わるわけである。あの当時、政府主導でことは進まなかった。混雑した空港の窓口が、ドラマでも少し映ったようだが、空港勤務をしている知り合いの話では、2011年の外国航路窓口は怒号が飛び交い、地獄のようだったという。ドラマでも海外への「自主的移動」が真っ先で、政府の指示など待たず進むというシナリオはなかったのだろうか。

 

 2 「ドラマ」と割り切れず

 推定7~8万人の福島県内外避難者の苦しみを、かすかにだが私たちは知っている。事故の後、わずか原発から20~30キロしか離れてないところでも、避難するひとたちを「受け入れがたい気持ち」が膨らんだことを、私たちは覚えている。県内では「税金も払わないで」「金をもらって」と白い目で見られ、県外では「放射能を運んでくる」と言われた。後者の景色は、欧米が、中東からの移民・難民に対して「あいつらはテロを運んでくる」と危険視していることに重ねてしまう。日本が難民受け入れに厳格な現状は差し置かれ、「たかだか7~8万人」の避難経験を総括できないでいる現状も差し置かれ、ドラマでは千万人単位の移民交渉が進んでいる。

 実際に起こる、起きているのは、あても金もない人たちが置き去りにされることだというのは、難民問題のイロハではないのだろうか。温暖化によって初めに沈んで行くエリアが、最もエネルギーを消費していないという皮肉な、いや、悲惨な状況を考えないといけないのが「先進国」なのだろう。とりあえず、ドラマでは映してないが、すぐに逃げたに違いない資産家や役人もいるはずだ。その現場を10年前、私たちは見てきた。霞が関官庁内で、官僚たちが「逃げよう/そうは行かない」と、ドラマでは激論を交わしていたことが救いだった。

 また一つ救いだったのは、天海(小栗旬)の母親(風吹ジュン)が良かったことだ。天海の移民勧誘に、「今さらここを離れるつもりはないよ」「いま、忙しいから」と、電話をきるのである(まぁこの電話も簡単につながってるのだが)。母親の後には、いつもの生活をする人々の姿があった。なつかしいと言ったら怒られるかもしれないが、いわき・久ノ浜のおばちゃんたちを思いだした。

 原作者の小松左京の作品に、私はあまり縁がなかった。身近にいたからだ。小松や小田実とは、集会・シンポジウム、そして『週刊アンポ』での出合いだった。彼らとのコンタクトは、作品ではなく社会運動、という流れにあったと思っている。開高健や阿部公房もあの頃、私(たち)のすぐそばにいた。話が聞ける・出来る環境にあることは、作品に近づくことにならなかった。そんなわけで私は50年前の『日本沈没』を読んでないが、ドラマは小松左京「原作」でなく「原案」レベルではないのだろうか。

 こんな風に言うのは、高望みからだろうか。私が感じているリアリティの場所が、福島の避難所や仮設住宅にあるからなのだろうか。残された回に期待するつもりだ。

 

 ☆後記☆

50年前のことで言えば、公開中の『MINAMATA』もそうですね。写真家ユージンスミスのことは知りませんでしたが、「入浴する母と子」の写真を見て知ることになりました。転載は控えますが、読者の皆さんも見た記憶があるのではないでしょうか。実写も交えた映画だったので、改めてあの頃を思い出しました。悪人と言い切れない演技を、國村隼が実に上手に立ち回るのに感動しました。ついでですが、この國村の「だってppmですよ」というセリフで考えました。要するに「ちっぽけな量ですよ」という意味。これが水俣病を産んだのです。今も良く聞くこの言葉、覚えておかないといけません。ジョニー・デップ、いいですねえ。

近くの小学校。最後に紅葉するイチョウで~す。

ロータス7、ではなく光岡自動車のコピーものです。知り合いの工場に入ったというので、私の愛車とツーショットしてきました。車好きの人でないと、車がどこにあるか分からないかもしれません。姿はほとんどレーサーです。


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