実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

夏休み(中)  実戦教師塾通信五百六号

2016-07-29 11:51:13 | 思想/哲学
 ☆☆☆
相模原で恐ろしい事件が起きました。あちこちから意見を求められましたが、迂闊(うかつ)なことは言えない状況です。でも私はすぐに、1938年岡山で起きた「津山事件」を思い起こしました。私が生まれる10年前、また日本が満州でソ連(現ロシア)と戦闘を続けていた頃です。
繰り返し映像/フィクションにされるこの事件は、『八ツ墓村』(横溝正史)「たたりじゃ~」のモデルと言ったら分かるでしょうか。
「津山事件」の犯人都井睦男は、詰め襟に脚絆(きゃはん)の出で立ち。しかし、脚絆の下は草履(ぞうり)でした。日本刀は上着の上から締めた安物の兵児帯(へこおび)に差し、ナショナルの懐中電灯を鬼の角のように二本、白鉢巻きで立てていたのです。30人の村人を、この日本刀と猟銃で次々と殺しました。
日本全体が重苦しい空気に包まれた時代に、山間の零細な村で起こった事件だったと思っています。


 夏休み(中)
     ~読書特集~

 1『テロルの決算』
 2『舟を編む』
 3『ラバウル戦記』
 4『夜と霧』

 1 『テロルの決算』(文春文庫)
 沢木耕太郎の名著。前から周囲に勧められていたが、今年になってやっと読んだ。1978年発行の本だ。私のは新装版。
          
 下の写真は、当時の社会党委員長浅沼稲次郎が、右翼の少年山口二矢(おとや)によって刺し殺される瞬間の写真だ。これは映像毎日ニュースから拝借したものであるが、私の世代でこの写真を覚えていない人はいないだろう。当時ほとんどの人は、この報道にラジオで接した。事件の衝撃は、
「ただいま暴漢が壇上に駆け上がりました」
に始まるアナウンサーの声と、新聞の写真で伝えられた。

浅沼の姿の後ろに自身の垂れ幕、そしてその左、二矢の後ろに、当時の自民党党首であり、総理だった池田勇人の垂れ幕が見える。1960年10月12日、日比谷公会堂での出来事だった。
 17歳の少年に何が出来る、背後にそれを指揮した組織があるに決まってる。誰もがそう思った。「大日本愛国党」に捜査が入った。しかしそこに浮かび上がったのは、愛国党を見限り、同時に愛国党や仲間から見放された少年の姿だった。ニュースも二矢を「元愛国党員」と伝えた。
 二矢は、真面目に日本の「赤化(せっか:社会主義化)」を恐れていた。以下の史実は、本書からのものではない。しかし、二矢の心情が蓄積された経過が、そこにはある。
 終戦直後、中国での社会主義政権樹立は、日本の目の前の出来事だった。さらに、人々は余り語らないが、朝鮮戦争の直接的きっかけとは、北朝鮮の膨張にあった。当時の金日成(金正恩の祖父)が指揮する「解放戦争」である。一時期、韓国は南端の釜山まで縮小する。さらに、歴史に封印されようとしていることがある。「この解放戦争を支援せよ」と、当時のソ連から日本の共産党に指示が出ていた。1952年に相次いだメーデー事件や大須事件は、それを受けたものだ。日本共産党の「50年綱領」は武装闘争を提起していた。二矢の危機感が迷妄(めいもう)だったとは言い切れまい。
 さらに二矢の気持ちを逆なでし、焦燥に駆り立てたのが、60年の安保闘争である。二矢たち愛国党員は、鉄帽(金属ヘルメット)をかぶり戦闘服に身を固め、釘の刺さったこん棒でデモ隊に襲いかかり、硫酸を浴びせた。しかしデモ隊は国会に突入した。また、安保条約が国会を通過したのも二矢の怒りをたぎらせた。それが「日本をアメリカに従属させるものだった」からだ。そんな二矢の姿が、愛国党員の間では「純粋すぎる青二才」として映った。二矢はそんな本部/事務所から「足を洗う」のだ。
 事件決行当日、二矢の実家でとっていた新聞が「朝日」でなかったら、と沢木は述懐(じゅっかい)する。新聞片隅の「本日の予定」という欄がなかったら、と言うのである。

 何を血迷ってと言われるのを承知で、私はこの安保闘争で命を落とした樺美智子と二矢の姿を重ねてしまう。

誰かが私を笑っている
向うでも こっちでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く (樺美智子 『人知れず微笑まん』より)

二矢は事件から二十日後、東京少年鑑別所で自殺するのだ。

 2 『舟を編む』
 2012年本屋大賞を受けた三浦しをんの作品。以前、この通信でも少し触れたと思う。
 誤解を恐れずに言えば、この本は、
「引きこもり万歳! 引きこもれ!」
というエールにあふれている。辞書作りにとりつかれ奮闘する人たちの話である。
          
雑談の中で「おませ」が出てくると、主人公マジメは話を中断してしまう。「おませ」に類似した「おしゃま」を思い出したからだ。そんなマジメに百%不似合い/不釣り合いな、美人で気立てのいい妻カグヤは板前をしている。彼女が言う言葉は、私たちが置き去りにしたことを指摘している。
「料理の感想に、複雑な言葉は必要ありません。『おいしい』のひと言や、召し上がったときの表情だけで、私たち板前は報(むく)われたと感じるのです。でも、修行のためには言葉が必要です」
 ついでながら、松田龍平・宮崎あおい演じる映画版もよいです。

 3 『ラバウル戦記』
 この本も、昨年の11月に水木しげるが亡くなった時に、少し紹介したと思う。私も水木氏が亡くなってから、慌ててこの本を手にした。
          
 全編に現地で描いた氏の絵がある。文の方は50年後の回想となっている。マラリアと機銃掃射が当たり前の最前線で、どうして楽観的でいられるのかと、私たちは思う。戦闘機とジャングルの色彩の対照に感心し、島での「楽園」な生活を思い、帰国をかたくなに拒絶する姿は、凡人の私たちに遠く及ばない。
 慰安婦の小屋に続く長い行列を見て、「(彼女たち)大変だろうな」とため息をつき、あるいは「行ってはいけない」現地の村に何度も訪れて、住民と仲良しになる等々。
 そこに戦争の罪過(ざいか)、そして現地の人間にとっては、島に上陸する者すべてが「招かざる客」だったという現実も照らしだされる。水木氏の淡々とした画と文章で、それらが浮き彫りにされる。
 私たちには『墓場の鬼太郎』であって、『ゲゲゲの鬼太郎』ではないんだと、改めて思うのである。

 4 『夜と霧』
 古典中の古典、日本語初版は1956年。遅すぎた私が、今年手にして読んだのは2002年の新版である。
          
強制収容所を体験した心理学者、ヴィクトール・フランクル。世界600万以上の人々がこの本を手にしている。ドストエフスキーの『死の家の記録』、そして内村剛介の『生き急ぐ』を思わせる、壮絶なルポルタージュである。
 多くの収容者が、命をついえる。あるものは暴力によって、または栄養不良/病気によって、そしてあるものはクリスマスまで解放されるはずだという希望を裏切られて。「恩赦(おんしゃ)妄想」というそうだ。
 フランクルは、これらに対し毅然(きぜん)と言う。
「抜け出せるかどうかに意味がある生など……そんな生はもともと生きるに値しないのだ」
フランクルは絶望で満ちた収容所での生活の中にも、「生きるに値する生」があると探し続ける。


 ☆☆
ドラマ『家売るオンナ』面白いですね。この話を楢葉の渡部さんに振ってみたら、
「原発売ってよ」
とは、絶妙なコメントをいただきました。

渡部さんの畑でとれたジャガイモです。おいしい。放射線不検出の書類を見せてくれるんです。複雑な気持ちになります。

これも渡部さんの畑。ひまわりも盛りを過ぎました。

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