広島
◇宮島◇
世界遺産の宮島に行きました。乗り気じゃなかったのですが、行ってみて良かった。干潮時、鳥居のもとに行けます。浅瀬に蟹や小魚が暮らしてました。鳥居から外(海側)の生物は獲(と)ってもいいのだそうです。
これは翌日の満潮時のショット。午後は年一度のお祭だったそうです。
◇平和記念公園◇
宮島から遊覧船が出ていて、原爆ドームに直接行けます。これは広島観光ガイドマップです。宮島から遊覧船の進む点線が、地図左下のドームまで続いています。右上がJR広島駅です。
遊覧船から見た原爆ドームです。
記念公園に来ました。
園内と資料館は、外人の姿がびっくりするくらいでした。宮島もそうでしたが、欧米系の外国人がほとんどで、記念公園に関しては、日本人よりも多かったのではないでしょうか。前回記事のお寿司屋さんに聞いたら、
「やっぱりオバマさん(の影響)やろな」
という答でした。
そしてこれが、オバマさんの折った鶴。
◇ゲバラの広島◇
広島に行ったのは、8日。原爆投下された6日の翌々日です。式典の片づけはまだ終わっておらず、献花も残ってました。
ご存じの方も多いと思いますが、この秋、ゲバラの映画『エルネスト』が封切られます。ゲバラとともに生きた日本人の映画だと言います。
1959年、軍事政権を倒したキューバ。その年、新政府が世界に送った使節団の団長がゲバラでした。日本に着いたゲバラは、予定になかった広島行きを、突然決行。夜行列車で広島に着き、平和公園で献花の後、被爆者のもとを訪れ、
「これは世界の悲劇だ」
「こんなことは二度とあってはならない」
と、涙を流したそうです。
読者は知っているでしょう。でも書きたいと思います。
1959年、カストロとともに軍事政権を倒し、キューバ革命を起こしたゲバラは、新政府閣僚の席を拒絶し、
「第二第三のベトナムを!」
と、ラテンアメリカへと発(た)ちます。そしてボリビアで逮捕され、その翌日処刑されます。1967年10月9日のことです。
それから50年が経ちます。献花はゲバラの長男、カミーロゲバラと、この映画の監督で、同じく『北のカナリアたち』『大鹿村騒動記』の阪本順治のものです。
☆後記☆
広島には何度か行っているのですが、原爆ドームは初めてでした。高校の頃から、そして学校の教員をつとめる中でも、広島の悲惨な姿を見て紹介もしてきたつもりです。でも、原爆ドームは別でした。衝撃でした。
☆ ☆
いま、北朝鮮とアメリカの動きに目が離せません。まさしく記事の最後にあげた、キューバを思い出します。1962年、キューバにミサイル基地が建設される時のキューバ紛争です。ソ連(現ロシア)がキューバに資材を運ぶのを阻止するため、アメリカはキューバの海上封鎖を行いました。米ソが全面核戦争に入るという、まさに危機的状況でした。
☆ ☆
今回、目標だけでなく弾道ルートまで事前に公表という、謎の多い北朝鮮のグァムへのミサイル「予告」。さて日本は、
「もし、弾道が外れるか部品が落ちる等のアクシデントがあって、日本に落ちるようだったら」
打ち落とす用意があるという。ミサイルがグァムに直行しても、そういう事はしないというのです。どう考えても、これは「集団的自衛権」の行使ではない。
それがいいだの悪いだのではありません。どうして誰もこのことを取り上げないのでしょう。まさか「寝ている子を起こしてはいけない」などとは言わないでしょうね。
☆ ☆
どうでもいい話もひとつ。二の丑。ようやく本物の鰻重にありつきました。
◇宮島◇
世界遺産の宮島に行きました。乗り気じゃなかったのですが、行ってみて良かった。干潮時、鳥居のもとに行けます。浅瀬に蟹や小魚が暮らしてました。鳥居から外(海側)の生物は獲(と)ってもいいのだそうです。
これは翌日の満潮時のショット。午後は年一度のお祭だったそうです。
◇平和記念公園◇
宮島から遊覧船が出ていて、原爆ドームに直接行けます。これは広島観光ガイドマップです。宮島から遊覧船の進む点線が、地図左下のドームまで続いています。右上がJR広島駅です。
遊覧船から見た原爆ドームです。
記念公園に来ました。
園内と資料館は、外人の姿がびっくりするくらいでした。宮島もそうでしたが、欧米系の外国人がほとんどで、記念公園に関しては、日本人よりも多かったのではないでしょうか。前回記事のお寿司屋さんに聞いたら、
「やっぱりオバマさん(の影響)やろな」
という答でした。
そしてこれが、オバマさんの折った鶴。
◇ゲバラの広島◇
広島に行ったのは、8日。原爆投下された6日の翌々日です。式典の片づけはまだ終わっておらず、献花も残ってました。
ご存じの方も多いと思いますが、この秋、ゲバラの映画『エルネスト』が封切られます。ゲバラとともに生きた日本人の映画だと言います。
1959年、軍事政権を倒したキューバ。その年、新政府が世界に送った使節団の団長がゲバラでした。日本に着いたゲバラは、予定になかった広島行きを、突然決行。夜行列車で広島に着き、平和公園で献花の後、被爆者のもとを訪れ、
「これは世界の悲劇だ」
「こんなことは二度とあってはならない」
と、涙を流したそうです。
読者は知っているでしょう。でも書きたいと思います。
1959年、カストロとともに軍事政権を倒し、キューバ革命を起こしたゲバラは、新政府閣僚の席を拒絶し、
「第二第三のベトナムを!」
と、ラテンアメリカへと発(た)ちます。そしてボリビアで逮捕され、その翌日処刑されます。1967年10月9日のことです。
それから50年が経ちます。献花はゲバラの長男、カミーロゲバラと、この映画の監督で、同じく『北のカナリアたち』『大鹿村騒動記』の阪本順治のものです。
☆後記☆
広島には何度か行っているのですが、原爆ドームは初めてでした。高校の頃から、そして学校の教員をつとめる中でも、広島の悲惨な姿を見て紹介もしてきたつもりです。でも、原爆ドームは別でした。衝撃でした。
☆ ☆
いま、北朝鮮とアメリカの動きに目が離せません。まさしく記事の最後にあげた、キューバを思い出します。1962年、キューバにミサイル基地が建設される時のキューバ紛争です。ソ連(現ロシア)がキューバに資材を運ぶのを阻止するため、アメリカはキューバの海上封鎖を行いました。米ソが全面核戦争に入るという、まさに危機的状況でした。
☆ ☆
今回、目標だけでなく弾道ルートまで事前に公表という、謎の多い北朝鮮のグァムへのミサイル「予告」。さて日本は、
「もし、弾道が外れるか部品が落ちる等のアクシデントがあって、日本に落ちるようだったら」
打ち落とす用意があるという。ミサイルがグァムに直行しても、そういう事はしないというのです。どう考えても、これは「集団的自衛権」の行使ではない。
それがいいだの悪いだのではありません。どうして誰もこのことを取り上げないのでしょう。まさか「寝ている子を起こしてはいけない」などとは言わないでしょうね。
☆ ☆
どうでもいい話もひとつ。二の丑。ようやく本物の鰻重にありつきました。
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