国道114号線
~「寄り添う」心~
☆初めに☆
楢葉の渡部さんの牧場は、年末に宮崎で競(せ)り落とした牛たちも加わり、賑(にぎ)わっていました。
外に出ていた牛たちです。予定日が1月末の牛にもあいさつしました。
仲間と浪江/第一原発へ行って来たことを、渡部さんに話しました。
「浪江の人たち、あん時ぁ大変だったなあ」
自分たちのことも言わず、おばあちゃんがしみじみと言うのです。
1 『プロメテウスの罠』
朝日新聞が連載『プロメテウスの罠』を始めたのは、2011年の秋である。あの頃、東京は八王子から、いわきに来ていたヘルパーさんが、記事のスクラップを「読んでみて」と、ボランティアのみんなに回した。それで私はこの連載を知った。第一回のタイトルは「頼む、逃げてくれ」である。そこに「国道114号線」での、驚くべき出来事が書かれていた。浪江町の津島地区での話だ。
政府から10キロ圏内に避難指示が出されたのは、震災翌日の早朝5時44分。そして、それが20キロに拡大されるのは、その約12時間後である。津島地区は第一原発から北西に約30キロのやまあいである。だから津島の人たちは、ここなら安全と思い、学校や公民館や寺ばかりでなく、民家までも避難してくる人たちに開放した。しかし、ほどなくプルーム(原子雲)が浪江から飯舘村を襲うことを、みんな知らずにいた。
『……そのころ、外に出たみずえは、家の前に白いワゴン車が止まっていることに気づいた。中には白の防護服を着た男が2人乗っており、みずえに向かって何か叫んだ。しかしよく聞き取れない。
「何? どうしたの?」
みずえが尋ねた。
「なんでこんな所にいるんだ! 頼む、逃げてくれ」
みずえはびっくりした。
「逃げろといっても……、ここは避難所ですから」
車の2人がおりてきた。2人ともガスマスクを着けていた。
「放射性物質が拡散しているんだ」
真剣な物言いで、切迫した雰囲気だ。
家の前の道路は国道114号で、避難所に入りきれない人たちの車がびっしりと停車している。2人の男は、車から外に出た人たちにも「早く車の中に戻れ」と叫んでいた。
2人の男は、そのまま福島市方面に走り去った。役場の支所に行くでもなく、掲示板に警告を張り出すでもなかった。
政府は10キロ圏外は安全だと言っていた。なのになぜ、あの2人は防護服を着て、ガスマスクまでしていたのだろう。だいたいあの人たちは誰なのか……』(『プロメテウスの罠』より)
恐ろしい情景だ。この出来事の検証がやられたのかどうかを、私は知らない。自衛隊のある部隊が、上部の命令を待たず住民の避難を促(うなが)したというのが、私のおぼろげな認識だ。なにせこの時点で、原発から30キロという津島地区は避難の必要がなかった。
確かに「逃げなさい」ではなく「逃げてくれ」とあるのも、「二人の男は掲示板に警告を張り出すでもなかった」というのも、それと整合する。私は、映画『シン・ゴジラ』のワンシーン、防護服で固めた隊員が、丸腰の住民を避難させる恐ろしいシーンを、また思い出す。
国道114号線を見てみよう。被曝放射線量の図は、まさにプルーム(原子雲)が通過したあとを示している。
『福島原発事故はなぜ起こったか』(政府事故調査委員会編集)より
国道114号線が分かりづらいので、同じく2013年のもので『福島民友』の記事からのアップ。
2 <学校化>された社会
部外者と言える私たちが、当事者であるために出来ることは、こうして何度でも思い返すぐらいだという気がしている。
「東電は、浪江に原発事故を通告しなかったんだよな」
渡部さんが言う。事故通告は、原発立地自治体だけに必要だったからだ。大熊/双葉は原発立地自治体ではあったが、浪江はそうでなかった。
そして放射能拡散予測ネットワーク(通称SPEEDI)のデータが、米軍には流された。それを知らず、浪江/飯舘村の人たちは、プルーム(原子雲)の通り道に沿って避難した。
「殺人行為に等しい」
こう言って怒ったのは、浪江の馬場町長である。
「あれはあくまで『予測データ』。外(はず)れたらどうする」
「間違って、住民を被曝させたら誰が責任をとるんだ」
多分、こんな議論が果てし無くやられた。そして「決断は回避され」た。ここでも「大川小学校」でのドタバタが、コピーのように繰り返された。SPEEDIの運営主体が文科省とは皮肉なものだ。開発費用100億円が一体なんだったのか。
朝日新聞の土曜日に、別冊「be」で連載されてる「みちのものがたり」をご存じでしょうか。昨年の秋だったか、この欄で「国道114号線」を取り上げたのです。
3 「寄り添う」心
渡部さんが言った。
「いや、6号線に猿はいねえ」
浪江で猿を見たという話を、私は「6号線で見た」と言ったのだ。
「サンロクだ、きっと」
そう言えば、迷った道のかたわらに「36号線」という標識があったことを思い出す。福島の人たちは、やはりよく知っていると昔は私も思った。しかし、それも違うと今は思う。
以前、多くはいわき市で行われた、楢葉町政の説明会や弁護士の勉強会に出向いては、渡部さんが言っていたことを思い出す。
「みんなあんまり来てねえんだよな」
複雑な思いの中で、確実な情報や道を、きっと見つけて来たのだ。
「いわきの人たちはどうしてる?」
唐突な渡部さんの質問だった。干物の「ニイダヤ水産」や、おばちゃんたちの大変な姿を思いながら、そうですねえと私は生返事をする。
「家は新しくしたのかな」
「出来ねえんだろうなあ」
目の前で、もうすぐ棟(むね)上げになる母屋を前に、そう言ったのだった。
おばあちゃんの浪江の人たちを思う言葉もそうだった。そして、渡部さんの言葉も温かい。
「コトヨリさんが来月来るころは、もっと家らしくなってるよ」
渡部さんは顔をゆるめて言った。
☆後記☆
6月に収穫だという玉ねぎが、渡部さん家の畑に植えてありました。
お土産に、裏の畑でとれた白菜をいただきました。
超高値の白菜です。鍋で美味しく、ありがたくいただいてます。
☆ ☆
胸くそが悪くなるニュースと、それにハイエナのように群がる連中、大変な大相撲です。でも栃の心の優勝は、それらを掃(は)き清めている、私はそう感じました。栃の心が外国出身であることと春日野部屋であること、それが栃の心をさらに輝かせているのが不思議でした。
そして、隆の勝は9勝6敗。立派な成績で初場所を締(し)めました。
おめでとう、栃の心!
頑張れ、隆の勝!
~「寄り添う」心~
☆初めに☆
楢葉の渡部さんの牧場は、年末に宮崎で競(せ)り落とした牛たちも加わり、賑(にぎ)わっていました。
外に出ていた牛たちです。予定日が1月末の牛にもあいさつしました。
仲間と浪江/第一原発へ行って来たことを、渡部さんに話しました。
「浪江の人たち、あん時ぁ大変だったなあ」
自分たちのことも言わず、おばあちゃんがしみじみと言うのです。
1 『プロメテウスの罠』
朝日新聞が連載『プロメテウスの罠』を始めたのは、2011年の秋である。あの頃、東京は八王子から、いわきに来ていたヘルパーさんが、記事のスクラップを「読んでみて」と、ボランティアのみんなに回した。それで私はこの連載を知った。第一回のタイトルは「頼む、逃げてくれ」である。そこに「国道114号線」での、驚くべき出来事が書かれていた。浪江町の津島地区での話だ。
政府から10キロ圏内に避難指示が出されたのは、震災翌日の早朝5時44分。そして、それが20キロに拡大されるのは、その約12時間後である。津島地区は第一原発から北西に約30キロのやまあいである。だから津島の人たちは、ここなら安全と思い、学校や公民館や寺ばかりでなく、民家までも避難してくる人たちに開放した。しかし、ほどなくプルーム(原子雲)が浪江から飯舘村を襲うことを、みんな知らずにいた。
『……そのころ、外に出たみずえは、家の前に白いワゴン車が止まっていることに気づいた。中には白の防護服を着た男が2人乗っており、みずえに向かって何か叫んだ。しかしよく聞き取れない。
「何? どうしたの?」
みずえが尋ねた。
「なんでこんな所にいるんだ! 頼む、逃げてくれ」
みずえはびっくりした。
「逃げろといっても……、ここは避難所ですから」
車の2人がおりてきた。2人ともガスマスクを着けていた。
「放射性物質が拡散しているんだ」
真剣な物言いで、切迫した雰囲気だ。
家の前の道路は国道114号で、避難所に入りきれない人たちの車がびっしりと停車している。2人の男は、車から外に出た人たちにも「早く車の中に戻れ」と叫んでいた。
2人の男は、そのまま福島市方面に走り去った。役場の支所に行くでもなく、掲示板に警告を張り出すでもなかった。
政府は10キロ圏外は安全だと言っていた。なのになぜ、あの2人は防護服を着て、ガスマスクまでしていたのだろう。だいたいあの人たちは誰なのか……』(『プロメテウスの罠』より)
恐ろしい情景だ。この出来事の検証がやられたのかどうかを、私は知らない。自衛隊のある部隊が、上部の命令を待たず住民の避難を促(うなが)したというのが、私のおぼろげな認識だ。なにせこの時点で、原発から30キロという津島地区は避難の必要がなかった。
確かに「逃げなさい」ではなく「逃げてくれ」とあるのも、「二人の男は掲示板に警告を張り出すでもなかった」というのも、それと整合する。私は、映画『シン・ゴジラ』のワンシーン、防護服で固めた隊員が、丸腰の住民を避難させる恐ろしいシーンを、また思い出す。
国道114号線を見てみよう。被曝放射線量の図は、まさにプルーム(原子雲)が通過したあとを示している。
『福島原発事故はなぜ起こったか』(政府事故調査委員会編集)より
国道114号線が分かりづらいので、同じく2013年のもので『福島民友』の記事からのアップ。
2 <学校化>された社会
部外者と言える私たちが、当事者であるために出来ることは、こうして何度でも思い返すぐらいだという気がしている。
「東電は、浪江に原発事故を通告しなかったんだよな」
渡部さんが言う。事故通告は、原発立地自治体だけに必要だったからだ。大熊/双葉は原発立地自治体ではあったが、浪江はそうでなかった。
そして放射能拡散予測ネットワーク(通称SPEEDI)のデータが、米軍には流された。それを知らず、浪江/飯舘村の人たちは、プルーム(原子雲)の通り道に沿って避難した。
「殺人行為に等しい」
こう言って怒ったのは、浪江の馬場町長である。
「あれはあくまで『予測データ』。外(はず)れたらどうする」
「間違って、住民を被曝させたら誰が責任をとるんだ」
多分、こんな議論が果てし無くやられた。そして「決断は回避され」た。ここでも「大川小学校」でのドタバタが、コピーのように繰り返された。SPEEDIの運営主体が文科省とは皮肉なものだ。開発費用100億円が一体なんだったのか。
朝日新聞の土曜日に、別冊「be」で連載されてる「みちのものがたり」をご存じでしょうか。昨年の秋だったか、この欄で「国道114号線」を取り上げたのです。
3 「寄り添う」心
渡部さんが言った。
「いや、6号線に猿はいねえ」
浪江で猿を見たという話を、私は「6号線で見た」と言ったのだ。
「サンロクだ、きっと」
そう言えば、迷った道のかたわらに「36号線」という標識があったことを思い出す。福島の人たちは、やはりよく知っていると昔は私も思った。しかし、それも違うと今は思う。
以前、多くはいわき市で行われた、楢葉町政の説明会や弁護士の勉強会に出向いては、渡部さんが言っていたことを思い出す。
「みんなあんまり来てねえんだよな」
複雑な思いの中で、確実な情報や道を、きっと見つけて来たのだ。
「いわきの人たちはどうしてる?」
唐突な渡部さんの質問だった。干物の「ニイダヤ水産」や、おばちゃんたちの大変な姿を思いながら、そうですねえと私は生返事をする。
「家は新しくしたのかな」
「出来ねえんだろうなあ」
目の前で、もうすぐ棟(むね)上げになる母屋を前に、そう言ったのだった。
おばあちゃんの浪江の人たちを思う言葉もそうだった。そして、渡部さんの言葉も温かい。
「コトヨリさんが来月来るころは、もっと家らしくなってるよ」
渡部さんは顔をゆるめて言った。
☆後記☆
6月に収穫だという玉ねぎが、渡部さん家の畑に植えてありました。
お土産に、裏の畑でとれた白菜をいただきました。
超高値の白菜です。鍋で美味しく、ありがたくいただいてます。
☆ ☆
胸くそが悪くなるニュースと、それにハイエナのように群がる連中、大変な大相撲です。でも栃の心の優勝は、それらを掃(は)き清めている、私はそう感じました。栃の心が外国出身であることと春日野部屋であること、それが栃の心をさらに輝かせているのが不思議でした。
そして、隆の勝は9勝6敗。立派な成績で初場所を締(し)めました。
おめでとう、栃の心!
頑張れ、隆の勝!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます