実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

住職のお話 実戦教師塾通信七百二号

2020-05-01 11:09:34 | 思想/哲学

 住職のお話

 ~GW(上)「神仏分離」「将門(まさかど)」~

 

 ☆初めに☆

外出自粛をされている皆さん、GWをどのようにお過ごしですか。私はこんな時がチャンスだと思い、近くにあるため逆に行かずにいたところを巡っています。行って驚きました。

千葉県柏市内は将門神社も行ったのですが、今回は妙見(みょうけん)信仰を引き継ぐお寺を訪ねた時の話に絞りたいと思います。

 

 ☆柏市福満寺☆

私の家からだと自転車で10分ほど、手賀沼から少し上がった大井地区に「福満寺」があります。境内に入ると四国八十八カ所霊場をコピーしたという、居並んだ祠(ほこら)。やはりひとつひとつ、番所のナンバーがあると言います。

 

 ご本堂です。

 

 ☆神仏分離☆

ご住職によれば「火災を繰り返したため、江戸当時の姿を唯一残している」山門。

実は、この平将門の看板横に、大井の「香取神社」がある。もう寺と同じ敷地だ。

この両者の明治における確執(かくしゅう)がないはずはない。私はたまらず、福満寺敷地内の住居兼社務所を訪ねました。応対してくれた女の方は、やがて私を中に招き入れ、ご住職に通してくれたのです。住職は車椅子で補聴器を使っていましたが、しっかりした口調で時にうなずき、歴史はだから面白いと言って笑いました。

明治は神仏分離令に伴う暴力ざたの「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」運動が当寺をも襲って、それまで同居状態だった香取神社の神官たちは、容赦なく仏像や施設を破壊したそうです。しかし本堂の観音像は、当時の住職が命がけで抱いて逃げ、辛うじて壊されなかった。住職が逃げた山門の通りは「観音通り」の名で今も残っている。そしてもっと傑作、いや心温まる話が、この香取神社の本宮、つまり香取神宮での話でした。

香取神宮でも数々の仏像が破壊あるいは売りに出される中、それを「おいたわしい」と買い求めた人々が近隣のお寺におさめた。ところが大正の時代となり、十一面観音菩薩坐像を始めとする四体が国宝に指定されます(現在は重要文化財)。神宮本社は、謝罪とともに仏像の「返還」を求めたそうです。もちろんお寺の怒りが収まるはずもなく、あえなく拒否という憂き目にあうのです。

 

 ☆琵琶湖=手賀沼!☆

「『手賀沼八景』の中のひとつ『大井の晩鐘(ばんしょう)』というのは、このお寺のことなんだ」、ご住職の話は続きます。

これが「晩鐘」の鐘がある鐘撞堂(かねつきどう)、先ほどの山門です。裏手から見たところ。

「将門記(ショウモンキ)によれば」とご住職が続けます。いや、この日この時まで、無知な私は「マサカドキ」と読むものだと思ってました。驚きは続きます。京(みやこ)からの独立を考えた将門は、坂東の地に同じものを構築しようと考えた。手賀沼を見た時、これが琵琶湖に見えた(この辺は、霞ヶ浦こそ琵琶湖だという反論が、茨城県は北相馬郡からありそう)。そして琵琶湖畔の地「大津」をなぞらえて、この地を「大井」と名付けたと言います。

現在のご住職がその昔、この話を沼南町の町長にしたところ、それは面白いという話になり、町で昭和53年に入居を開始した「大津ヶ丘団地」の命名となったらしいです。大津ヶ丘の「大津」って、滋賀県の大津のことだったとは驚きですねえ。

 

 ☆後記☆

これも興味深かった将門神社のレポートは、次回でなくお盆か秋あたりにしようと思います。次号は「市内紀行」でなく、「ハート紀行(インナートリップ)」って気取ろうかと思ってます。

これは新緑、先ほどの福満寺。

 ☆ ☆

昨年日本でのインフルエンザによる死者は3000人を越えています。そして感染者は1000万人。政府諮問機関のコロナ対策専門家会議は、誰のひとりもこの事実に触れないのでしょうか。私はコロナの危険性が低いと言いたいのではありません。どっかの首相が突然宣言した「全国一斉休校」の精査をし、この先の学校への指針としないといけないということです。ちなみに未成年のコロナ感染者は約500人。死者はゼロです(4月末)。この不可解な経過を称して、専門家の政府への「忖度」と考える方たちも出ようというものですが、私には「うかつなことを言って生じる責任」を恐れる「賢者たち」の姿しか思い浮かびません。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿