瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第5話―

2006年08月11日 21時07分17秒 | 百物語
やぁ、いらっしゃい…今夜も待っていたよ。

さぁさ席に着いて、早速始めようじゃないか。


今夜はあの『怪談』で有名な、小泉八雲の著した書物からの話だ。

1度くらい耳にした事が有るかもしれないね。



伯耆の国の黒坂村の近くに、『幽霊滝』と呼ばれる滝が在る。

どうして、そう呼ばれるのか、私は知らない。

滝壺の近くに、氏神を祀った小さな社が在って、土地の人達は、それを滝大明神と名付けている。

この社の前に、木で拵えた小さな賽銭箱が有る。

この賽銭箱について、1つの物語が有る。


大変寒い或る晩の事、黒坂の或る麻取場に雇われている女房や娘達が、1日の仕事を済ませた後、麻取部屋の大きな火鉢の周りに集まって、怪談に打ち興じていた。

彼此十余も話が出た時には、もう大概の者は、何となく気味が悪くなっていた。

すると1人の娘が、そのぞくぞくする様な恐さから湧く快感を、一層強める積りで、「今夜、これから幽霊滝まで、たった1人で行ってみたらどう?」と大声で言い出した。

この思い付きを聞いて、皆わっと声を上げたが、その後直ぐ、上擦った声で、どっと笑い出した。

……「今日、私が取った麻を、行った人にすっかりあげるよ」と、一座の内の1人が、ふざける様に言った。

すると、「私もあげるよ」と、他の1人が言った。

「私も」と、また1人が言った。

「皆、賛成」と、更に他の1人が、きっぱりと言い放った。

……すると、麻取りの女達の中から、安本お勝と言う、大工の女房が立ち上った。

お勝は、2歳になる1人息子を、暖かそうにねんねこに包んで、背中に寝かし付けていた。

「ねえ、皆さん」と、お勝は言った。

「本当にあんた方が、今日取った麻をすっかり私にくれるんなら、これから幽霊滝に行って来るよ」

お勝のこの申し出を聞くと、一座の者達は、驚いた様な、蔑む様な声を出したが、お勝が幾度も繰返して言うので、とうとう皆、それを本気に取上げた。

麻取りの女達は、もしお勝が幽霊滝に行くようなら、今日取った分の麻はお勝にやると、一人一人、次々に言った。

「でも、お勝さんが本当に幽霊滝に行ったかどうか、皆にどうして判るのさ?」と、甲高い声で、誰かが尋ねた。

「そりゃね、氏神様のお賽銭箱を、持って来て貰うんだよ。それが何よりの証拠になるからね」と、麻取りの女達から、御婆さんと呼ばれている年取った女が答えた。

「持って来るよ」と、お勝は大声で言った。

そして、眠った子をおぶったまま、通りへ飛び出した。


その夜は酷く寒かったが、晴れていた。

お勝は、人通りの無い往来を、急いで歩いて行った。

身を切る様な寒さに、どの家も表戸を堅く閉めていた。

やがて、村から出て、お勝は、街道をひた走りに走って行った。

両側共凍て付いた稲田で、ひっそりと静まり返り、星明りが射しているだけだった。

30分程、広々とした街道を辿ってから、崖の下で曲っている狭い道へ折れた。

先に行くにつれて、道は益々暗く、益々凸凹が酷くなったが、お勝は良く勝手を心得ていた。

間も無く、滝の微かな響きが聞えて来た。

それから、更に2、3分ばかりも歩くと、道は広まって峡谷となり、微かな響きが、急に轟々鳴り渡る轟きに変った。

そして、目の前の、一面の暗闇の内に、滝の細長く垂れた水明りが、ぼおっと浮き出して見えた。

小さな社もぼんやり見え、賽銭箱も目に止った。

お勝は前に飛び出して、手を差し伸ばした。


……「おい、お勝さん」と、水の砕ける音を圧して、突然、警告する様な声が呼び掛けた。


お勝は、恐ろしさに気も遠くなる思いで、その場に立ち竦んだ。

「おい、お勝さん」と、再びその声が響き渡ったが、今度は前よりも一層、脅す様な語気を帯びていた。

しかし、お勝は本当に大胆な女だった。

直ぐ様気を取り直すと、賽銭箱を引っ掴んで駈出した。

もう別に、脅し付ける声も聞えなければ、姿も見えず、兎も角も街道まで辿り着いた。

此処で、お勝はちょっと足を止めて、ほっと息を吐いた。

それから、しっかりした足取りで、ひた走りに走り続けた。

こうして、とうとう黒坂村に着くと、麻取場の戸を激しく叩いた。

お勝が息を喘ぎながら、賽銭箱を手に持って、入って来た時、女房や娘達は、どんなに声を上げて、驚いた事か!

皆息を殺して、お勝の話を聞いた。

そして、幽霊滝の中から、何者かが2度までも自分の名を呼んだと言う話を、お勝がした時には、皆同情する様に、金切声を上げた。

……まあ、なんという女だろう。

本当に度胸の据わったお勝さんだ。

麻を貰うだけの値打は有るよ。

……その時、御婆さんが大声で言った。

「でも、さぞや坊やは寒かったろう。さあ、この火の側へ連れて来なさいよ」

「もうお腹が空いたろう」と、母親は言った。

「直ぐにお乳をやらなくちゃ」

「可哀想に、お勝さん」と、御婆さんは、子供を包んだねんねこの紐を解く手伝いをしてやりながら言った。

「おや、背中がぐっしょり濡れてるよ」

それから、御婆さんは、しわがれ声で喚いた。

「あらっ!血が……」

解いたねんねこの中から、床の上に落ちた物は、血に塗れた一括りの、赤ん坊の着物だった。

その着物からは、2本のごく小さな鳶色の足と手とが、ぬっと出ているばかりだった。


子供の頭は、もぎ取られていた……




今と違って闇が濃かった頃…人々は自然物全てに神が宿ると考えていた。

山峡深くは『聖域』と捉え、決して足を踏み入れないようにして気を付けていた…

……そんな時代の話だ。


…今夜の話はこれでお終い。


さぁ…それでは5本目の蝋燭を吹き消して貰おうか…


……有難う……また次の夜の訪問を、楽しみにしているよ。

道中気を付けて帰ってくれ給え。


いいかい?……くれぐれも……


……後ろは振り返らないようにね…。



『怪談・奇談(小泉八雲ことラフカディオ・ハーン、著 角川文庫、刊)』より。
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異界百物語 ―第4話―

2006年08月10日 21時21分52秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
よく来てくれたね。

さあ、何時もの奥の席に座ってくれ給え。


さて今夜は……恐い話を期待して来たなら、ちょっと拍子抜けしてしまうかもしれない。


そもそも貴殿は、幽霊が恐い存在だと考えるかい?


もしそれが、過去に生きていた人間で在り…人の心を持っていた存在だと言うなら…

私は、彼等をそんなに恐れる事は無いんじゃないかと…思うのだがね。


今夜はイギリスの大金持ちの貴族、ガブリエル卿の身に起きたと云われている話をしようじゃないか。



大金持ちの貴族ガブリエル卿は、ケント州ミンチェスターと言う町の外れに建つ、或る古い城を買った。

随分破格な値段で、ガブリエル卿は得をしたと大喜びしたが、実はこれには訳が有った。

前の住人は、この城で毎晩おかしな物音が聞えるので恐ろしくなり、さっさと手放してしまったのだ。

その話を後から聞いたガブリエル卿は、化物の噂が本当かどうか、確かめてみたいものだと考えた。


或る夜、ガブリエル卿が2階の隣の寝室でベッドに横たわっていると、階段をトントンと上って来る足音がした。

足音はやがて彼が寝ている部屋の前で止ったかと思うと、力任せにドアを叩き始めた。

ガブリエル卿は起上がり、暖炉の火掻き棒を掴んで、そっとドアを開けたが、廊下には誰も居る気配は無い…。


所がベッドに戻って暫くすると、またトントンと上って来る足音がする。

再び起上がってドアを開けてみたが……やはり廊下はしんと静まり返っているだけだった。


こんな事が毎晩続いて、流石の彼も寝不足で困ってしまった。


そして或る日、ガブリエル卿は新居のお披露目パーティーを開いて、大勢の友人を招いた。

皆とお酒や御馳走を囲んで、賑やかにワイワイ騒いでいると、突然テーブルの上の皿やグラスが、カチャカチャ独りでに動き出したのだ。

すわ何事かと友人達は真っ蒼になったが、ガブリエル卿は皆を落ち着かせると、この近くに居るであろう幽霊に向って呼掛けた。


「貴方…聞えますか?
 これからアルファベットを言いますから、その一字一字に硝子器を叩いて、文章にして答えて下さい。」


すると、何と幽霊は彼の言った事を理解したらしく、その方法で次の様な事実を話し出した。


「私の名前はカール・クリント。
 此処は私の城だ。
 以前私は、1人の女を争い、或る1人の男を殺してしまった。
 そして、この城の地下に、その男の死体を埋めたのだ……。」


此処まで言うと、後はピタリと通信は途絶え、その後はどんなに話し掛けようとも、応えては来なかった。


パーティーはすっかり台無しになり、ガブリエル卿の城は幽霊城だという噂が、忽ち広まってしまった。

しかし卿は、こうなったら幽霊の言った事が本当かどうか、調べてやろうと張り切った。

早速役所へ行って、記録を引っ繰り返してみる。

すると確かに今から100年以上も前、自分が居る城にカール・クリントと言う男が住んでいたという記録が見付った。


彼は早速霊媒を雇い、霊からもっと詳しく話を聞き出そうと考えた。

真っ暗な部屋で、卿は友人達と共に、息を潜めて霊媒を取り囲み、幽霊の出現を心待ちにする。


やがて……天井からトントンと足音の様な音が聞えて来て、真っ白な煙の様な物が周りに立ち込めると、それが段々、顎鬚を生やした赤毛の中年男の姿になって行ったのだ。


年の頃45、46の男は、卿等を怪訝そうに見て、「一体君達は、此処で何をしているのか?」と、尋ねた。

自分の城に見た事も無い他人が居る事に、ムッとしたらしい。


「此処は私の城だと言った筈だ。
 私が恋人シャルロッテと2人だけで静かに暮しているというのに、どうして君達は邪魔しようとするのか?」


御機嫌斜めの幽霊を宥め、交渉した結果、次の様な協定を結ぶ事になった。


「幽霊は地下室の1室で、恋人と一緒に暮す事。
 ガブリエル卿はそれ以外なら、何処の部屋を使っても良いが、その地下室だけは鍵を掛けて、絶対に近寄らない様にする事。
 こちらが幽霊の邪魔をしない限り、今後は卿等を脅かさない事。」


これで幽霊も卿の気持ちを理解してくれた様で、それ以来気味の悪い物音はピタリとしなくなった。


数年後、都合でこの城を手放す事になったガブリエル卿は、幽霊に別れの挨拶をしてこうと、久し振りに霊媒に霊を呼び出して貰った。

幽霊にこれまで約束を守ってくれた礼を言い、「今度、実は引越す事になった。それで、これまでのお礼に、何か君にしてあげたいのだが…」と言うと――


――驚いた事に幽霊は、「それなら貴方の引越し先に連れて行って貰いたい。そしてそこに一緒に住まわせて欲しい」と懇願して来た。


これには卿も心底驚いてしまった。


卿は暫く考えていたが、「まぁ、どうしてもと言うのなら、こちらは構わないよ。君達2人を連れて、引越す事にしよう。そして新居に一緒に住むと良い。」と、渋々ながらも答えた。


こうしてカールとシャルロッテの幽霊は、ガブリエル卿の永遠の居候となってしまったそうだ。


その後ガブリエル卿は1974年迄、新居で平穏な生活を送ったそうだが、引越してからは、遂に1度も幽霊達の姿も見ず、足音も聞かなかったと言う。



…幽霊もかつては人間だった事を感じさせる、心温まる話だと思わないかい?


それにしても………殺されて、地下に埋められた男は、化けて出て来なかったのだろうか……?


…今夜の話はこれでお終い。


さぁ…それでは4本目の蝋燭を吹き消して貰おうか…


……有難う……また次の夜の訪問を、楽しみにしているよ。

道中気を付けて帰ってくれ給え。


いいかい?……くれぐれも……


……後ろは振り返らないようにね…。



『ヨークシャーの幽霊屋敷 ―イギリス世にも恐ろしいお話―(桐生操 著、PHP研究所 刊)』より、記事抜粋。
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異界百物語 ―第3話―

2006年08月09日 21時30分38秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。

今夜も来てくれたね。

さぁ何時もの席へどうぞ。


藪から棒で済まないが、貴殿は『呪怨』という映画を御存知だろうか?

悪霊に呪われた屋敷の話だよ。

その屋敷に関わった者は、次々と取殺されて行く。

勿論、映画はフィクションだが…


……実際に、そんな屋敷が在ると知ったら……どう思われるかい?


その屋敷が在るのはロンドン。

有名なミュージカル『マイフェア・レディ』の舞台となった、超高級住宅街『メイフェア』。

ちなみに『マイフェア』と言うのは、『メイフェア』をロンドンっ子訛りで発音した言葉だそうだ。


メイフェア地区のど真ん中、ブランド店がズラリと並ぶボンドストリートの直ぐ側に在る、呪われた幽霊屋敷。


人はそこを『バークリー・スクエア50番地』と呼ぶ。


今夜はその屋敷で起きたと云われる、世にも恐ろしい事件の数々をお話ししよう。



此処が幽霊屋敷として噂される様になったのは、1850年頃から…。

1859年、当時の首相ジョージ・カニングの持家だったと言う由緒有る建物を、メイヤー氏なる人物が借りた事から端を発するという。


氏は、地位も名誉も有る紳士で、近く結婚式を挙げ、新妻と共に此処に住む予定だった。

その為に、家具から調度品から全て屋敷に揃え、心待ちにしていた。

所が結婚直前になって、婚約者が気を変え、破談になってしまった。


愛を裏切られ、同時に名誉まで傷付けられた氏は、失意のどん底に沈んだ…。


以来、屋根裏部屋に独り閉籠ってしまった。

昼間は下男に食事を運ばせ、屋根裏で絶望を噛締め…夜中になるとこっそり部屋から忍び出し、新妻の為に揃えた家具調度の並べてある部屋を、蝋燭片手に歩き回っていたという。


メイヤー氏のこんな生活が何時まで続いたのか、氏がその後どうなったのか、正確に知る者は居ないらしい。

ただこれ以降、此処が幽霊屋敷だという評判が立ち始めている。


時代は定かでないが、こんな出来事が有った。


この屋敷に新しく来たメイドが、氏が閉籠っていたと伝えられる、屋根裏部屋で眠る事にした。

彼女が部屋に入って1時間程後の事、突如その部屋からとてつもない叫び声が響いた。

驚いて家人が駆け付けてみると、彼女は目を大きく見開き、部屋の真ん中に棒立ちになっていた。


……彼女は発狂していた。


何を聞いても、意味不明の言葉を口走るばかり。

結局、発狂した理由は、解らず終いだった。

以来、この部屋は『開かずの間』とされた。


その後暫くして、こんな事件も起きたそうだ。


或る日、この屋敷でパーティが開かれた。

パーティーの男性客の1人が、この『開かずの間』の話を聞いて笑い、それなら自分がこの部屋で眠ってみせようと申し出た。

その際、次のように取決めをしたのだ。


「部屋に入って一定の時間が経ったら、ベルを1回鳴らす。
 これは、此処が快適な部屋だという証拠で有る。
 もし何か怪しい事が起きたらベルを2回鳴らすから、皆で助けに来てくれ。」


そして、彼は『開かずの間』に入った。


所定の時間が過ぎて、ベルが1回鳴った。


……何も無い、という合図である。


人々は安堵すると同時に、いささか拍子抜けもした。


――と、突然、狂った様にベルが鳴り出した!


集まった人々がびっくりして、部屋に駆け付ける。


しかし彼は既に………ショック死していた。


一体この部屋で何が起きたのか?――死体は口を聞けない。


この事件を期に、すっかり此処は化物屋敷として定着してしまった。

しかしそれでも興味本位に近付く者や、知らずに借りて被害に遭う者が多数出たという。


例えばベントリー氏と言う人物が此処を買い、2人の娘と共に越して来た時も、同様の事件が起きたそうだ。

やはり先ず、メイドがこの屋根裏部屋で絶叫した。

人々が駆け付けてみると、「それを私にくっ付けないで!」と口走りつつ、直ぐに息を引き取ってしまった。


……一体、この言葉の意味は何なのか…?


これを知った姉娘の婚約者の大尉が、試しに同じ部屋で泊る事にした。


――が、30分と経たぬ内に凄まじい悲鳴を上げ、ピストルを連射した。


人々が部屋に来てみると、勇敢な大尉はピストルを握り締めたまま、息絶えていた。


確かにピストルの弾丸は発射されているのに、弾丸の跡は何処にも見当らなかった。


また事件が起きるに先立って、姉娘は動物園の檻の中を思わせる悪臭を嗅いだと言う。


この屋敷の名をロンドン中に轟かせた事件を紹介しよう。

1930年頃、ピカディリー・サーカス界隈で、夜中に遊んでいた水夫2人組の身に遭った話だ。


夜中まで呑んで騒いで遊んだのは良いが、ふと気付いたらもう泊る所が無い。

どうしたものかと2人千鳥足で彷徨う内に、程近いメイフェアの一角に紛れ込んでいた。

貴族の多く住む地域であり、およそ近寄り難いお屋敷が並んでる中、50番地に在る屋敷だけが空家然としていた。

見るからに荒れており、人が住んでそうはない。

これ幸いと、2人はこの屋敷で朝まで過す事にした。

最上階の1室…屋根裏部屋が比較的綺麗で、快適に眠れそうだと寝床に選んだ。


暫くすると、何やら騒がしい音が聞えて来た。

壁を叩いている様にも、物を壊している様にも聞える。

誰か居たのだろうか?

こんな荒れ果てた所に、一体どんな人間が……


………2人は、蒼くなって顔を見合わせた。


物音は階段を上って来、けたたましい足音に変った。


――ドアがいきなり開いた。


形の定かでない、何かがそこに居た。


水夫の1人は、咄嗟の判断で逃げた。

そいつの脇を辛うじて擦り抜け、部屋の外に飛び出したのだ。


そこで巡回の警官に出会い、事情を話した。

警官と共に、おっかなびっくり屋敷に戻る。


……が、そこにはもう、何の気配も残って居なかった。


水夫の相棒が死体になってた以外は……


彼は最上階の窓の下の鉄柵に、体がぼろぼろに裂かれて引っ掛っていた。


その表情から、とてつもない恐怖が滲み出ていたという。


幽霊の正体は、現代でも解っていない。

ただ、色々な説が並べられているだけだ。


メイヤー氏の怨霊が棲み付いて離れないのだとか。

かつて此処の住人の1人だったデュプレ氏なる人物が、狂暴な兄を部屋に閉じ込めていたとか。

一連の殺人はこの兄がしたもので、それを隠蔽する為に、デュプレ氏が幽霊の噂を立てたのだとか。


しかし実は、1939年に某古書店が、この屋敷跡にオープンしている。

店は今も営業中で、そこの店員曰く、「もう何十年も、何も起きてない」との事だ。


噂はあくまで『噂』だったのか?


あの屋根裏部屋で、また誰かが夜を過してみない限り、真相は闇の中だろう……。



…今夜の話はこれでお終い。


さぁ…それでは3本目の蝋燭を吹き消して貰おうか…


……有難う……また次の夜の訪問を、楽しみにしているよ。

道中気を付けて帰ってくれ給え。


いいかい?……くれぐれも……


……後ろは振り返らないようにね…。



『ワールド・ミステリー・ツアー13 ①ロンドン篇(第2章 友成純一、著 同朋舎、刊)』より、主に記事抜粋。
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異界百物語 ―第2話―

2006年08月08日 20時51分02秒 | 百物語
やあ、今夜も来てくれたね。

どうぞどうぞ、席はちゃぁんと用意してあるよ。

さあ、こちら……いっとう奥が、貴殿の席だ。

そう…そうやって壁に凭れて座った方が、背中に安心感が持てて良いだろう?


さてと……用意が整った所で、2話目を話すとしようか。


私には子供の頃から憧れてる幽霊屋敷が3軒有ってね。


1軒目は昨夜話した『ボーリィ牧師館』。

2軒目はアメリカ、シリコン・バレーに在る、『ウィンチェスターハウス』。

3軒目はイギリスに在る、『バークリー・スクエア50番地』。


今夜は2軒目の『ウィンチェスターハウス』を紹介しよう。




IT産業の中心地、シリコン・バレー。

ハイテク企業建ち並ぶ街の中、周囲から浮く様に建つ奇怪な屋敷、『ウィンチェスターハウス』。

あまりの奇怪さに、1974年、カリフォルニアから州の史跡に指定された程だ。


どの様に奇怪なのか?

…それを説明する前に先ず、かつてこの屋敷の女主人だった人物について、語った方が良いだろう。


その女主人の名前は、『サラ・ウィンチェスター』…新型ライフル銃の販売で莫大な財をなした、ウィンチェスターの妻だ。


1866年、オリヴァー・フィッシャー・ウィンチェスターという男が、新型ライフル『ウィンチェスター銃』の特許を手にし、売り捲った。

この新型銃は彼が発明した訳ではなかったが、製造販売権を持っていた事で、銃を売ってあがる利益は、悉くウィンチェスターの財産となった。

南北戦争から第一次世界大戦迄、ウィンチェスター銃は合衆国の軍隊に採用された公式銃であった為、彼と一家は当時の金で2千万ドルを軽く超える蓄えを拵えたそうだ。


さて、オリヴァーには『ウィリアム』という名の息子が居た。

商才が相当有った男らしく、『ウィチェスター銃』を世界的ヒット商品としたのは、この息子の手腕に因るらしい。

そのウィリアムが1862年9月に、父方の遠戚に当る『サラ・パーディー』という名の女性と結婚した。

小柄ではあるが美しい女性で、四か国語を自在に操り、音楽の才能にも溢れた、名門の令嬢だったらしい。

2人が結婚してから4年後、家業のライフル銃製造が大当りした事も有って、若い夫婦はコネティカット州で幸せな、しかし多忙な日々を送っていた。


所が、経済的大成功した身代りかと思える様な個人的不幸が、次々とサラや一家を襲った。

1866年に出産した女の子が、僅か1ヵ月で死んでしまい、1881年には夫のウィリアムも過労が祟り、肺結核を患って世を去ったのだ。

愛する家族と死に別れ……サラは悲しみの底へ突落された。


さて、彼女の生きた時代、19世紀のアメリカでは、心霊ブームが吹荒れていた。

降霊会があちこちで開催され、所謂『こっくりさん』等の方法で、死者との交信が頻繁に実験されていた。

夫を失って2年後…当時44歳になっていたサラも、ボストンで名の知れた霊媒を尋ね、死後の国に居る娘や夫の話を聞こうとした。

しかし、そこで思いもかけない『警告』を聞かされてしまう。


「ウィンチェスター夫人、貴女は西海岸へ行って、豪華で美しい家を建てねばなりません。
 そして…その家の建築を決して止めてはなりません。
 昼も夜も、建て続けなければいけないのです。
 これをしなければ、貴女は直ぐに死ぬでしょう。」


入神状態の霊媒からそう言われて、サラはびっくりした。

理由を訊くと、「貴女の家族が売ったウィンチェスター銃で、何千何万の人が死にました。その償いは、貴女にしか出来ないからです。」――


――サラは、恐ろしさに凍りついた。


ウィンチェスター銃に撃ち殺された人々の呪いが、一族に掛かっている事実を知ったからだ。


1883年、彼女はコネティカット州ニューヘブンの豪邸を棄て、毎日千ドルにも上る特許収入と手持ちの莫大な財産を持って、カリフォルニア州サンノゼへ引越した。

敷地は161エーカー(1エーカーは約4047㎡)も在ったが、建物はたった8部屋しか無い農場…しかし、これから死ぬまで家を建て続けねばならない身にとっては、却って遣り甲斐の有る小さな家だった。


以後、サラは1922年に亡くなるまで、ほぼ30年に渡り、それこそ何かに取憑かれたかの如く、家を建て増しして行った。

建物に用いる材料は最高級品ばかり。

その上に、暖炉は47個、階段は40ヶ所、バスルーム13ヵ所を始め、沢山の台所や居間等を、『霊の指示』通りに意味無く造り続けた。

家族を亡くして以来、降霊術に凝り出したサラは、その内に自分でも霊と接触出来る様になったという事で、日々全てを霊からの警告通りにこなして行ったのだ。


霊の御告げは、奇怪な指令に満ち溢れていた。


挙げれば、「正面扉は俗人に一切使わせるな」という命令。

1903年にセオドア・ルーズベルト大統領がこの屋敷を訪れたそうだが、その時も脇の出入口を使わされたらしい。

…大統領で在りながら俗人扱いされたルーズベルト氏は、さぞや心中複雑だった事であろう。


サラは「人に顔を見せるな」とも指示され、常に顔をベールで隠していた。

或る時地下室で、ベールを取った彼女の顔を見てしまった職人達は、即刻解雇されてしまったという。


階段は13段、天井は13枚の板、シャンデリアの蝋燭は13灯という風に、『13』の数にも拘った。

シャワーはこの館に1つだけ、13番目のバスルームの、13枚目の窓に設置された。

鏡は屋敷中にたった2枚しか無かったり、階段一段の高さは僅か4.5㎝しか無かったり、上って行くと行き止まりの階段、開けると壁で塞がっている扉、落し穴、迷路、護符の装飾、毎晩1時と2時に鳴らす鐘等、悪霊が戸惑う様な仕掛を至る所に取り付けた。

この鐘…正確な時間に鳴らさないと悪霊に効かないという事で、鐘楼の近くに天文観測台を造り、クロノメーター(経線儀)で経度測定をしながら、毎日時刻を合わせていたらしい。

また、家具は全て上等で立派な物ばかりだが、趣味の悪い蜘蛛の巣柄等のデザインになっている。

これは彼女に友好的な霊を喜ばせる為の品物だったそうだ。

そして、サラが日々霊と会話していたという、『青い降霊室』。

此処は隠し戸と隠し通路が在る上に、壁と壁に挟まれた場所に在って、誰にも近付けないようなっていた。

彼女は此処に隠れ込み、霊を呼び出し、『お筆先』で霊告を書き留めていたそうだ。

霊から、明日の増築場所を指定する通信が有ったらしい。


増築に次ぐ増築に明け暮れていたサラの身に、1906年、とても恐ろしい事件が発生した。


『サンフランシスコ大地震』だ。


家が倒壊する事は無かったが、5階~7階の3階分だけが、屋根毎滑り落ちてしまった。

この地震で最大の被害を受けた部屋は、サラの寝室だった。

扉が壊れ、外へ出られなくなってしまったという。

彼女は壊れた寝室に幽閉され、数時間行方不明となった。

泣けど叫べど外へは声が届かない、完全防音構造にしてあったからだそうだ。

…これ以後、屋敷は4階以上高くなる事が無くなった。


『地下のワイン室事件』というのも有る。


或る時サラが地下室へ行くと、ワイン倉の壁に黒い手形がベットリと捺されていた。

この手形が彼女を恐ろしい形相で睨み付けていたらしい。

サラは、「もうワインを呑むな!」という霊からの警告と理解し、地下のワイン庫へ通じる入口を塗り込めてしまった。


地図が無ければ歩けない屋敷の中、一体彼女が何をしていたのか…外部の人間には想像すら付かなかった。

この巨大な160部屋の怪建築に住んでいたのは、サラと彼女の姪、そして13人の大工、10人のメイド、8人の庭師…合計して33人のみだった。

金銀財宝に溢れた豪邸であったにも関わらず、サラの生前中、泥棒に侵入されるという事件は1度も起きなかったそうだ。


しかし彼女はその財産を全て浪費する事無く、街に多くの寄付を行い、社会奉仕も忘れなかった。

夫の死因だった肺結核を治療するサナトリウムを、街に建造してまでいる。

安らかな死と、来世で愛する夫や娘に出会える事を、心から願っていたサラ…恐らく社会奉仕は、その願いを叶える為に積んでいた善行だったのではないかと言われている。


サラ・ウィンチェスターは1922年、82歳で亡くなった。

死ぬ日まで1日たりとも休まずに増築を続けた。

こうして、「20世紀で最も手の懸かった個人住宅」と言われる家が出来上がった。


現在この『ウィンチェスターハウス』では、内部を一巡する1時間ツアーを実施している。

ガイドツアーは基本的に毎日行われていて、床に貼り付けられた窓、天井にぶつかる階段、開けると壁になっているドア等、さながら忍者屋敷並の仕組を見学出来る。

カリフォルニアに遊びに来た際は、是非訪ねてみると良いだろう。



…人は死を恐れる。

この世に生を享けたからには、必ず免れられない運命と知りつつ、恐れる…。


それは、『見えない』からだ。


例えば貴殿は…背後が見えない事を、恐ろしく思わないかね?

背凭れが有ると…不思議と落ち着くだろう?



…今夜の話はこれでお終い。


さぁ…それでは2本目の蝋燭を吹き消して貰おうか…


……有難う……また次の夜の御訪問を、楽しみにしているよ。

道中気を付けて帰ってくれ給え。


いいかい?……くれぐれも……


……後ろを振り返らないようにね…。




『荒俣宏の20世紀世界ミステリー遺産(集英社、刊)』より、記事抜粋。
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異界百物語 ―第1話―

2006年08月07日 21時04分51秒 | 百物語
こんな遅くに斯様な場所へようこそ。

足下暗いんで、気を付けて席に着いてくれ給え。


凄い数の蝋燭だなって?

…ははは、折角これから『百物語』をしようってんだから。

蝋燭が百本無くちゃしまらないだろう?

おっと、机は揺らさない様、気を付けてくれ給え。

蝋燭のドミノ倒しで火事起したなんて…間抜け過ぎて笑えもしないからね。


『百物語』の仕方は…説明しなくても解るかい?

そうそう、1つ話し終る毎に、1本ずつ蝋燭を吹き消して行くのさ。

そうして全ての蝋燭の火が掻き消えた後に………


………本当の怪異が現れると云う。


最初は信じてない人でも、段々と濃くなる闇の中、ひょっとしたら…もしかしたら……と考えてしまう。

昔の人は中々巧い演出を考えたと思わないかい?


『恐怖』…これは人間でも動物でも持ってる感情だ。

しかし、自ら『恐怖』に近付く心…これは人間にしか多く見られない。

人間は見えない、知らない何かを恐れ、同時にそれを見ようと、知ろうと向って行く。

恐れをも凌駕する『好奇心』こそ、人間を人間たらしめたもの。

今宵、好奇心を堪え切れずに、この場に集った酔狂な輩…貴殿の勇気を心から褒め称えたい。



さぁ、前置きは此処までだ。

第一夜は、私が今迄聞いた中で、最も驚嘆した怪奇屋敷について、語らせて貰おう……




イギリス、サフォーク州のうらぶれた田園地帯に在る『ボーリィ牧師館』。

煉瓦と石とで出来た、赤褐色のゴシック様式の建物。

所謂心霊研究家が調査した限り、此処では130年間に千回以上も怪異が起きたという事らしい。


始まりは1862年。

この年、サフォーク州のサドベリー近くに赴任して来たヘンリー・ブル牧師は、17人もの大家族を抱えていた事から、新しく教会を新築する事にした。

数ヵ月後、35も部屋の在る、瀟洒な煉瓦造りの教会が完成。

…所が、ブル牧師一家が翌年館に移り住むと、これらの部屋のあちこちに幽霊が出没するようになった。

移り住んだ当日、一家は、突然18個もの教会の鐘が、一斉に鳴り出したのを聞いている。

鳴らす者の姿等何処にも見えないのに、ガランガランと喧しく鳴り続ける鐘。

堪え切れずにブル牧師が、「誰が鳴らしているのかは知らないが、お願いだから、ちょっとでいいから鳴らすのを止めてくれ!」と訴えると、突然鐘はピタリと一斉に鳴り止み、辺りは水を打った様に静まり返ったそうだ…。


それ以降、ブル牧師一家は、数々の怪異に悩まされるようになった。

出現した幽霊は30種類にも及んだと言うから、さながらホーンテッドマンションの如しだ。

2階の客用寝室では、決まって白衣の老修道女の幽霊が出た。

此処に泊った客は夜中、傍に誰か居る様な気配を感じて、ハッとして目を覚ます。

しかし気付いた時はもう遅く…修道女の霊に、氷の様な手で全身押え付けられ、身動き出来なくなってしまう。

大抵の客はゾーッとして、そのまま気を失ってしまったらしい。

『青の部屋』と呼ばれた部屋には、青いドレスを着た、ベールを被った美しい女性の幽霊が出た。

更に館の外庭には、月夜の晩に黒い馬の牽く四輪馬車が、何百回も現れた。

四輪馬車は見ていると突然猛スピードで道を走り出し、そのまま森の中に消えてしまうのだそうだ。

この馬車の通る道は、後年調査したゴーストハンターから、『幻の馬車通り』と名付けられた。

怪異は幽霊が出現しただけでない。

不気味な事に、ブル牧師の一家が飼っている猫が、36匹も続けて怪死してしまった。

その為、庭には猫専用のお墓が作られた程だ。(36匹も死なせてしまう前に、飼うのを止めろよ、可哀想に…と思わなくも無い)

現在でも、ボーリィ牧師館に猫を連れて行くと、怯えて全身の毛を逆立て、ほうほうの体で逃げ出してしまうという。


一体何故、この館にこんなにも怪異が現れるのか?

近所で伝え聞く噂では、この館が建てられた場所には昔、ベネディクト派の修道院が在ったとの事だった。

遠い昔、此処でベネディクト派の修道士が尼僧と駆落ちしようとして捕えられ、2人ともその場で惨殺されてしまったという伝説を、ブル牧師は聞いていた。

ブル牧師の娘のエセルは、或る日、目が覚めた時、枕元に1人の男がスーッと立っているのを目撃し、また或る時は1人の尼僧が、祈りを唱える様な仕草をしながら、通廊を滑る様にこちらに向って歩いて来るのを目撃している。


1870年6/20、当時有名な心霊研究家として名高かったホリングスワース博士が、ブル牧師の懇願でこの館を訪れた。

博士はこの際徹底的な調査を行おうと、最新式の科学装置を手に乗り込んで来たのである。

その日の午前2時頃、ホリングスワース博士は、庭で通りの方から白い尼僧の幽霊が出現するのを見た。

幽霊は足早にこちらに向って来たが、途中でふと足を止めた。

博士がじっと目を凝らすと、白いベールを被った40歳くらいの尼僧の姿が、月光の中にボーッと浮び上がっている。

その時博士は、全身ゾーッとする様な戦慄を覚えたそうだ。

すると尼僧の幽霊はまた急に歩き出し、なんと館の煉瓦塀をスーッと向う側に摺り抜けてしまったのだ。

そして裏庭で待っていた仲間のポッター氏の目前に、今度はその尼僧が煉瓦塀の中からスーッと現れたのである。

呆気に取られている氏の前で、幽霊は月光を浴びて次第に空に舞上り、館の2階の窓の中に吸い込まれて行った。


1892年にブル牧師が急死すると、息子のハリー・ブル牧師が跡を継いだ。

このブル牧師も、やはり尼僧や四輪馬車の幽霊を何度も目撃したらしい。

或る日、ペットのゴールデン・レトリヴァー犬が、庭に何かに怯えて、盛んに吠え立てていた。

犬が吠え立ててる方向をブル牧師が見ると、果樹の下に2本の人間の脚の様な物が、ニョキッと出ているのが見えた。

すわ侵入者かとブル牧師が近付くと、2本の脚はスタスタと裏門の方へ歩いて行く。

次の瞬間ブル牧師は、その『侵入者』が脚だけで、上の胴体や頭が無い事に気が付いた。

呆然としてる間に、2本の脚はやがて門の向うに消えてしまったという。

…このペットのゴールデン・レトリヴァー犬も、後に怪死してしまったらしい。

息子のブル牧師は、父親であるヘンリー・ブル牧師の幽霊をも目撃している。


更に1928年、ブル牧師が死んでガイ・エリック・スミス牧師が跡を継ぐと、この頃から恐ろしいポルターガイスト現象が、頻繁に館を襲うようになった。

床を歩く音、壁やドアをドンドン叩く音…。

教会のオルガンが独りでに鳴り出したり、台所の食器が空中を飛回っては、粉々に砕け散る事も有った。

或る日突然、玄関のベルがけたたましく鳴ったので、スミス牧師が出てみると、誰も居ない。

暫くしてまた鳴り出したので、牧師がまた玄関に駆け付けたが、ベルは鳴り続けているのに、やはり誰の姿も無い……という様な事が続いた。

これらの騒動で、遂にスミス牧師はノイローゼになってしまったそうだ。


ボーリィ牧師館の名はイギリス中ですっかり有名になり、今度は20世紀最大のゴースト・ハンターと名を馳せていた、全英心霊研究所の設立者でもあるハリー・プライス氏が、1929年に大掛かりな調査チームを組んで、館に乗り込んで来たのである。

このプライス氏、これ以降、度々この館を大規模に調査している。

プライス氏の調査記録によると、確かにボーリィ牧師館の内外では、奇怪な心霊現象が頻繁に起り、尼僧や四輪馬車の幽霊が、彼がそこに滞在した1年間だけでも、50回以上現れたという。

突然、室内が氷を張った様に寒くなったり、瓶が空中を飛回ったり、壁に「ヘルプ・ミー!」と血塗れの字が滲み出したり、幽霊の顔が浮き出したりした。


1930年にはL・A・フォイスター牧師が跡を継ぐ。

…しかし何とこの頃、最初の所有者であるブル牧師親子の亡霊までも出現するようになった。


「この館で死んだ者は、永遠にこの館で彷徨う事になる…!」


恐れをなしたフォイスター牧師が、1935年館から逃げ去ると、1936年にはヘイニング牧師が跡を継いだ。

しかしやはり堪え切れず、直ぐに逃げ出してしまう事になる…。


悪魔祓いをしようとしたベネディクト会の修道士が、空中から飛んで来た小石に頭を直撃された事も有ったそうだ。


1937年5月から再び、プライス氏が館を借り切り、48名の調査団と共に本格的な調査を行った。

そして霊魂を呼び出す降霊会が行われたが、この時霊媒師のグランヴィルは、この館に現れる幽霊の正体の1人が、マリー・レール(マリアンヌと言う説も有り)と言うフランスの修道女だと告げた。

この修道女はルアーヴルの修道院を出て、当時この地の領主だったウォルダー・グレイヴス家の男性と結婚したが、夫は1667年5月に、この館の在った場所で彼女を虐殺したのだそうだ。


1938年、グレッグソン大佐が館の新しい主になったが、その年、プライス氏の調査チームが、『プランシェット(西洋版こっくりさん)』を用いて、霊界通信を行っている。

この時、サネクス・アムレスと言う名の霊媒師は、「近い内にボーリィ牧師館が火事で焼け落ちるだろう」と告げた。

そして翌年の1939年2月、実際に原因不明の火事が起って、館の内部が焼け落ちてしまったのである。

火事が起った当時、数人の人間が、燃え盛る2階の窓に、少女の姿を目撃している。

消火活動の最中に、灰色の服を着た男が逃げ出して行くのを目撃した者も、何人か居たそうだ。


更に1943年、プライス氏の調査チームが館の地下室を掘り起すと、4mの深さの地中から、女性の頭蓋骨やその他の骨の破片や、修道会のペンダントが発見されている。

…これがあのマリー・レールの物だったのか…今となっては誰にも解らない。


ボーリィ牧師館は、1938年にグレッグソン大佐が買い取って以降も、何度も持ち主が変ったが、それからも様々な怪奇現象に悩まされ、現在は誰も住む人は居ないらしい。


最近では1975年2月、クルーム博士がBBC放送の協力で、大規模な科学的調査を行っている。

調査団はそれこそ赤外線撮影カメラや録音装置や磁力計等、館の室内や庭の隅々まで、あらゆる最新の科学実験装置を配置した。

この時も、火事で焼けた後の褐色の煉瓦壁を激しく叩く音がしたり、部屋のドアが独りでに開閉したり、尼僧の幽霊が2階の窓から空高く浮遊して、庭の芝生を彷徨ったりという怪現象が起きている。

更に或る番、月光を浴びてキラキラと輝く幻の馬車が、調査団の目前に現れたそうだ。

2頭の黒い馬が牽く四輪馬車が、猛スピードで外庭を通り抜け、煉瓦壁を通過して消え去るまでの約3分間、設置した録音テープが突然止まり、磁力計は狂い、温度計は10度も急降下してしまった。

しかも自動シャッターの赤外線カメラは激しいハレーションを起し、そこに異常なまでの磁力が働いてる事を証明したのである。




…今夜の話はこれでお終い。


さあ…1本目の蝋燭を吹き消して貰おうか…


……有難う……また次の夜の訪問を、楽しみにしているよ。

道中気を付けて帰ってくれ給え。


ああそうそう……異界の話をした後は、絶対に後ろを振り返っちゃ駄目だよ。


………話に惹き付けられ、貴殿の背後に、べったりと貼り付いていた連中と、顔を合せてしまうだろうからね……。





『ヨークシャーの幽霊屋敷 ―イギリス世にも恐ろしいお話―(桐生操 著、PHP研究所 刊)』より、主に記事抜粋。
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