瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第8話―

2006年08月14日 20時52分01秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。

今夜は番茶を用意して待っていたよ。

嫌いではないだろう?


さてと…今夜も引き続き、妖精話をお聞かせしよう。


私達日本人は『妖精』と聞いて、綺麗な羽の生えた蝶の様に艶やかに舞う存在を想像するだろうが…実際にはこちらで言う所の『妖怪』に当るものだ。

美しい姿の物も居れば、恐ろしい姿をしていて危険な物も居る。


妖精の国は、地下に在ると広く信じられている。

これは妖精の先祖が、かつては信仰の有った土地神だったり、死者の霊だったりする事から来てるそうだ。

何れにしろ……深く付き合うには、危険な存在と言えよう。



イングランド北部に伝わるお話。


或る旅人が、険しい山道を1人で歩いていた。

しかし途中で日が暮れてしまい、旅人は道に迷ってしまった。

このまま闇の中を彷徨っていたら、崖から転げ落ちてしまうかもしれない…けれど、この寒さの中座り込んでいたら、凍えて死んでしまう…

弱り切った旅人は、少しでも寒さから逃れられる場所が無いものかと、そろそろと手探りで進んで行った。


程無くして、前方に微かな光が見えた。


近付くと、それは粗末な石造りの小屋の中で、燻っている火だという事が解った。

小屋は羊飼いが羊の出産時用に建てた物らしく、旅人はこれ幸いと中へ入って行った。


そこはまるで洞穴の様な石造りの小屋で、中には腰掛けられるくらい大きな石が、向い合う様にして2つ置いてある。

火の左側には山積みになった焚き付け、右側には太い2本の丸太。

旅人は、焚き付けを何本か燃やして火を大きくし、右手の石に座って悴んだ手足を温めた。


旅人が腰を下ろすと同時に、扉がさっと開いて、奇妙な姿をした物が1人入って来た。


旅人の膝くらいの背丈しか無い小人だったが、恰幅は良く逞しい体つきをしていた。


小人は、子羊の毛皮の上着を羽織り、モグラの毛皮で作ったズボンと靴を履き、雉の羽根を刺した緑苔の帽子を被っていた。

旅人を無言で睨み付けると、ドスドスと左手の石の上、旅人と面を合せる様に腰を下ろす。


それを見ていた旅人も、口を開かなかった。

小人の正体が『ドゥアガー』と言う、人間に悪意を持った妖精である事に気付いたからだ。


2人は見詰め合ったまま、黙って座っていた。


火が小さくなり……段々と小屋の中が寒くなって来た。


旅人は我慢出来なくなり、焚き付けを何本か取上げると、火を大きくした。

ドゥアガーは恐ろしい顔して旅人を見たが、しかし何も言わなかった。


暫くすると旅人に向って、大きな丸太の1本をくべろと、無言で合図して来た。

…しかし、旅人は何もせず、黙ってじっと座っていた。


遂にドゥアガーは、自分からその大きな丸太を1本取った。

丸太はドゥアガーの体より倍も長く太かったが、ドゥアガーはそれを膝で易々と折り火にくべた。


炎が赤々と上ったが、また直ぐに小さくなってしまった。


ドゥアガーが旅人に、「これくらいの事も、お前は出来ないのか?」と馬鹿にする様な仕草をしたが、何か罠が有ると考えた旅人は、寒くてもひたすら我慢して、そのままじっと座っていた。


漸く、光が微かに隙間から射し込んで来て、遠くで雄鶏の無く声がした。


その途端――ドゥアガーの姿は、小屋や火ともども消えてしまった…


明るい日の光の下……旅人は、自分が峡谷を見下ろせる、大きな岩山の突端の上座っている事に気が付いた。


……あの時、丸太を取ろうと、ほんの少しでも右へ動いていたら、谷から滑り落ち、骨がバラバラに砕けて死んでいただろう。



…今夜の話はこれでお終い。


さぁ…それでは8本目の蝋燭を吹き消して貰おうか…


……有難う……また次の御訪問を、お待ちしているよ。


ああ、また…お茶を残しているね。


…え?「確かに自分は、ちゃんと飲んだ」って…?


おかしいね……今度こそ間違い無いよう、淹れた筈なのだが……


まぁ深く考えるのは止めにしておこう…。


それでは、道中気を付けて帰ってくれ給え。


いいかい?……くれぐれも……


……絶対に後ろを振り返らないようにね…。



『妖精Who,s Who(キャサリン・ブリッグズ、著 井村君江、訳 筑摩書房、刊)』より。
コメント
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