瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第72話―

2008年08月31日 21時44分43秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
雷雨が降り続く中、足繁く通ってくれて有難う。
風邪を引かないよう、各自椅子にかけてあるタオルで、よく体を拭くといい。

落ち着いた所で…貴殿は予言や予知というものを信じるだろうか?

信じるとしたら、どういった理由からだい?
未来は既に決ってると考えている訳だね?

例えば現在とは別に、過去も未来も独立した時間として存在するなら、確かに可能性は有るだろう。
いやそうでなければ、未来を予知するなんて不可能な筈。
過去~現在~未来と一方通行に時間が流れるだけなら、未来は存在せずしたがって見える訳が無いのだから。

また仮に独立した時間として存在するとしても、その未来を必ず迎えると誰が断言出来るだろう?
独立した時間が1つでも存在するならば、それとは違った独立した時間が存在してもおかしくない筈だ。
1つの未来を在ると認めておいて、他は認めないなんて矛盾してるじゃないか。
過去や未来や現在が、幾重にも重なって在ると考えねば、道理に適わないのだよ。

もしも未来が無数に在るとするならば…
結局の所迎える未来がどれか判らないとしたら…

例えば貴殿の命が残り僅かで潰えるとの予言を受けたとしたら……貴殿は如何されるかな…?


これは中国明の時代に、陶宗儀(とうそうぎ)が著した、『輟耕録(てっこうろく)』に在る1篇だ。




昔、真(しん)州の大商人が商売物を船に積み、杭州へ旅立った。

さてこの時代の杭州には、『鬼眼(きがん)』と呼ばれる高名な術士が在り、店を街中の目立つ所で開いていたが、占いが悉く適中するという評判で、何時も大勢の人を集めて賑わっていた。
評判を耳にした商人は、旅の記念にと思い、店を訪ねて占って貰うと、鬼眼は直ぐに神妙な顔付をして告げた。

「貴方は大金持だが、惜しい事にこの中秋の前後3日の内に寿命が終る」

そのお告げを聞いた商人は、酷く驚愕して怖れた。
以来、なるべく船路を警戒して進んで行くと、8月の初めに船は揚子江にかかった。

そこで商人は1人の女が岸に立って泣いているのを見付けた。
呼び止めて子細を訊いた所、女は涙ながらに答えた。

「私の夫は小商いをしていまして、銭五十緡(びん)を元手に鴨や鵞鳥を買い込み、それを舟に積んで売り歩いて、帰って来るとその元手だけを私に渡し、残りの儲けで米を買ったり酒を買ったりする事を日々の常にしております。
 今日もその銭を渡されましたのを、私が粗相を仕出かし落してしまいまして、どうしようかと途方に暮れていました。
 夫は気の短い人間ですから、腹立ち紛れに撲ち殺されるかも知れません。
 ならばいっそ此処に身を投げて死んだ方がましかと思い悩むばかり…」

女の言い分を聞いた商人は、「人は様々だなぁ」と呟いて嘆息した。

「自分は寿命が後僅かと言われ、それでももし金で助かるものならば、金銀を山に積んでも厭わないと思っているのに、此処には僅かの金に代えて寿命を縮めようとしている人が在る。
 貴女、死ぬなんて事を考えるのはお止しなさい。
 心配しなくとも、その位の銭は私がどうとでもして上げるから」

こう言って彼は百緡の銭を与えると、女は幾度も拝謝して立ち去った。

商人はそれから家へ帰り、両親や親戚友人に予言の内容を打ち明け、万事を処理して粛々と死期を待っていたが、その期日を過ぎても、彼の身に何の異状も無かった。


その翌年再び杭州へ行って、去年と同じ岸に船を泊めると、彼の女が赤児を抱いて礼を言いに来た。
彼女はあれから5日後に赤児を生み落して、母も子も恙無く暮らして居ると言うのであった。
それからまた彼の鬼眼の店を訪ねると、彼は商人の顔を見た途端、不思議そうに言った。

「貴方は未だ生きているのか?」

そうして商人の面相をじいっと眺めた後、彼は唐突に笑い出して尋ねた。

「察するにそれは、陰徳を積んだお蔭でありましょう。
 貴方は以前、人間2人の命を助けた事が有りますね?」



迎える未来は心懸け次第で変るものらしい。
ならば気に病む事無く、前向きに生きられるがいいだろう。
在っても無数であるなら、悩むだけ無駄だから。

この話も日本の落語等に影響を与えているので、何となく聞いた覚えが有る人も居るかもしれぬ。
また同じく収録されている『飛雲渡(ひうんど)』と言う話も筋は同じだ。

良きものに味を加え、伝えて行くのが人の力。
積み重ねて生まれるものが文化なのだろう。


今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

それじゃあ雷に気を付けて帰ってくれたまえ。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。



参考、『中国怪奇小説集(岡本綺堂、編著 光文社、刊 輟耕録―陰徳延寿―の章より)』。
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異界百物語 ―第71話―

2008年08月30日 22時16分52秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
蒸し暑さが戻って来たようだね。
こんな日の午後は夕立に見舞われ易い。
暫くは傘を忘れず持って行った方が良いだろう。

昨夜は特に凄かった。
夜9時から鳴り出した雷が、朝まで轟いていたよ。
雨も土砂降りで、溢れ出す様な勢いだった。

そんな悪天候の中来て頂いて嬉しく思うよ。
けど道中くれぐれも気を付けてくれたまえ。

さて今夜紹介するのは、昨夜の話の現代版だ。
どうやら青森の女子高生の間で噂になった話らしい。




友達から聞いた話なんだけどォー、


或る女子高生に子供出来ちゃってェー。

そんで困っちゃってェー、

だって育てられっこないじゃーん?

だから父親の男と一緒にィー、

こっそり車で遠くの湖まで出掛けてってェー、

そんで袋で包んで重石付けて、底に沈めちゃったんだってェー。

親にも知らせてなかったしィー、

誰もそのコが妊娠して子供産んで捨てたなんて解らなかったらしいよォー。


それでね、7年位経ってから、学生時代とは別の男と付き合って、結婚してェー、

で、2人目の子供産んだんだってェー。

もちろん結婚した男や周りには黙ってて、初めて産んだ子供だって事にしてたんだけどねェー。

その結婚した男とは上手くやって行けたみたい。


また何年か経って、子供も大きくなって、家族で旅行したんだってェー。

でね、その子が「湖に行きたい」って言うんで、湖まで出掛けて、そこの遊覧ボートに家族で乗ってねェー、

そしたらその子が急に「おしっこしたい」って言うからァー、

お母さんになったコが仕方なく抱えてやって、ボートの上で湖にさせたワケよォー。

したらさァ…その子が母親の方、くるって振り返ってさァ……


「今度は落とさないでね」


……なんて言ったんだってェ………。


これってチョー恐くなァーい?




臨場感を出す為、敢えて現代女子高生口調で語らせて貰った。
余談だが最近現役女子高生と話す機会が有り、「チョー簡単!」と実際に口にしてるのを聞いた時は、チョー感動したものだ。
最近はTV位でしか聞いた事が無く、「リアルに口にしてる女子高生なんて、もう居ないのでは?」と考えていたものでね。

閑話休題、話を怪談に戻すとしよう。

青森の怪談らしく、湖が効果的に使われている。
やはり県のシンボルである、あの湖だろうか?

それは兎も角、聞いての通り、筋は大体同じだ。
時代は変っても、国民の魂は変ってないという事だろう。

悪い事をすれば報いが来る。
悪い事を言えば事実となる。

今も昔も日本人は因果応報話が好きなのだ。


そう結論着けた所で、今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

それじゃあ気を付けて帰ってくれたまえ。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。



参考、『女子高生が語る不思議な話(久保孝夫、著 青森県文芸協会出版部、刊)』。
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異界百物語 -第70話-

2008年08月29日 22時37分25秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
8月最後の週末なのに、天気が荒れ模様だそうだね。
特に河川や海山近くに居る人は、突然の豪雨に気を付けてくれたまえ。

さて、今夜の話を紹介しよう。

「親の因果が子に報い~」とは、日本の怪談で有名な前口上だ。
これは輪廻転生を説く仏教の教えが浸透しているからこそ、生れた特色だろう。
死んでも魂は不滅という事は、犯した罪や積んだ功徳も引き続いて当然。
日本では因果応報型の怪談が幅を利かせているのである。

今から話すのは日本海側で多く見られるものだ。



昔、或る所に1人の若い漁師が居た。
その漁師の家に或る日、1人の六部が宿を求めて訪ねて来た。

六部とは全国66ヶ国の霊地を廻り、書写した法華経を1部ずつ奉納する僧の事だ。
今で言う所の「お遍路さん」に似た姿で、諸国を行脚して廻る僧とでも思って貰えばいいだろう。

宿を求められた漁師は愛想良く六部を出迎え、酒や食い物の世話等を手厚くしてやった。
そうして好い気持ちになった六部に、夜釣りにでも行かないかと言葉巧みに誘った。

暗く生温い晩の事だった。
月を隠す分厚い雲だけが、ぼんやりと明りを燈していた。
2人ゴツゴツとした大きな岩の上、座って夜釣りをしている内に、小雨がショボショボと降り出した。

旅の六部は盲だった。
それを幸いに漁師は六部の背後に回り、後ろから大きな石で撲り付け、殺してしまった。
哀れ六部は金目の物を全て奪われ、死んだ体は岩の上から海に突き落とされたのだった。


そうして漁師は何食わぬ顔で日々を過し、数年の刻が過ぎた。


漁師も年を取り、嫁を貰った。
その嫁との間に、赤ん坊も儲けた。
赤ん坊は男の子で、生れた時から盲だった。
それが為に大きくなっても、おしっこの度に漁師が外へ負ぶって行かなければいけなかった。

この晩もそうだった。
暗く生温く、月を隠す分厚い雲だけが、ぼんやりと明りを燈していた。

漁師は何時もの様に男の子からおしっこをしたいとせがまれ、海岸まで連れて行ったのだ。
抱えてさしてる最中、男の子は背後に立つ漁師に向い、こんな風に言った。

「おとっさん、こんな晩やったなー」

意味が解らなくて尋ねると、子供は振り返り、重ねて言った。

「こんな顔やったなー」

にやりと笑った子供の顔は、あの時漁師が殺した、六部の顔に変っていた。
漁師はあまりの恐ろしさに、男の子を放り出し悲鳴を上げたと云う。


誰も見ていないと思っても、神様は全て御存知だから、悪い事はしない方が良い――という話だ。




かなり広範囲で語り継がれてい、細部は所々違ったりするも、「人殺しの罪が己の子供に祟る」という筋は同じだ。
夏目漱石もこの話をモデルにして、『夢十夜』の第三夜を書いている。
あの果てしなく複雑に因縁が絡み合う怪談、『真景累ヶ淵』は挙げるまでもないだろう。

更にこの話は時を超え、現代でも尚生き続けているのだ。
明日はその話を紹介しよう。


今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

それでは気を付けて帰ってくれたまえ。

いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。




参考、『近畿民俗第55号―六部殺し―』
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異界百物語 ―第69話―

2008年08月28日 22時23分05秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
8月最後の週末、夏の終わりを告げる祭が、各地で行われる予定だね。
私は今年も、また某祭を訪ねる積りだ。
貴殿はこの週末、如何されるかな?

さて今回紹介する怪談もよく見られる型で、60番目に語ったのと同様『稽神録』に在る話だ。




天祐丙子(てんゆうひのえね)の年、浙西(せっせい)の軍士周交(しゅうこう)が乱を起した際、大将の秦進忠(しんしんちゅう)を始め、張胤(ちょういん)ら十数人が殺された。

その秦進忠と張胤に纏わる怪奇談だ。


秦進忠は若い時分、或る事に立腹し、未だ幼い召使の心臓を、刃でもって突き刺した。

その死骸を埋めてから数年後――己が殺したその召使が、胸を抱えて立って居る姿を見るようになった。

初めは百歩を隔てていたが、段々と近寄って来る。

冒頭で記した乱が起った日も、彼が家を出ようとした寸前、馬の前にその召使が立って居るのを、周囲に居た人々の全てが目撃したそうだ。

そして自陣を出た所で乱兵に逢い、彼は胸を刺されて死んだと云う。


同時に殺された張胤も、一月ほど前から自分の姓名を呼ぶ者が在ったと云う。

不思議にもその姿は見えなかったが、声は透き通っていて強く響き、これも初めの内は遠く、後になると段々に近く、当日は己が面前に在る様に聞え――

――そして彼も自陣を出た途端、直ぐに討たれたと云う。




最初は遠くに在ったものが、段々と近付いて来る。
この型は現代で有名な、『メリーさんの電話』と言う怪談と同じであろう。
近付く度に電話で居る場所を伝え、終いにはその者の背後に立つと云う、あの身の毛のよだつ話だ。
古来中国から伝来した怪談が、現代の日本でも生き続けている。
中々に奥深さを感じるではないか。

それにしても秦進忠が祟られた理由は解るが、張胤については理由が不明だ。
敢えて言うなら、死期を告げに来た死神の声だろうか?
そういう物の怪は、英国ウェールズにも存在する。
『カハラエス』と言って、姿は見せず、段々と近付く声だけで、大勢の死を予兆するそうだ。

何処の国も恐怖とは「迫り来る」ものであるらしい。


今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

それじゃあ死神に出くわさないよう、気を付けて帰ってくれたまえ。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。



参考、『中国怪奇小説集(岡本綺堂、編著 光文社、刊 稽神録―小奴―の章)』。
    『妖精100物語(水木しげる、編著 小学館、刊 カハラエスの章)』。
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異界百物語 -第68話-

2008年08月27日 22時23分07秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
すっかり秋の気候に変わり、雨の日が増えたね。
まったく季節が移り変わるのは早いな。
暑い夜に涼を求めて…とは言い難くなったが、今夜も怪奇の宴を楽しんで行ってくれたまえ。


貴殿は『ろくろ首』と言う妖怪を御存知だろうか?
ああ失礼…日本妖怪を代表する物の怪の1種だ。
貴殿が言われる通り、知らぬ者の方が少ないだろう。
しかし実は中国出身だと言ったら、意外に思われるだろうか?

これは中国東晋(とうしん)の時代、干宝(かんぽう)が書いたと云われている、『捜神記(そうしんき)』に出て来る1篇だ。




秦(しん)の時代、中国南方に落頭民(らくとうみん)と呼ばれる人種が在った。
その人種が行う祭の儀式は、虫落(ちゅうらく)と呼ばれていた。
その虫落に因み、「落頭民」と呼ばれるようになったとの事だ。

それだけでなく、その人種の頭は、よく飛ぶのである。


呉(ご)の時代の将、朱桓(しゅかん)と言う将軍が、1人の召使を置いたが、その女は夜中眠ると首が抜け出して、或いは狗竇(いぬくぐり、犬の出入用に垣根の下に掘った穴)から、或いは窓から出て行く。
飛ぶ時は耳を翼代わりにするらしい。

傍で寝ている者が怪しんで、夜中にその寝床を照らして視ると、ただ胴体が在るばかりで首が無い。
その体は常日頃より、かなり冷たくなっている。
そこで胴体に布団を掛けて置くと、夜明けに首が舞い戻って来ても、布団が邪魔になって胴に戻る事が出来ず、首は幾度か地に落ちて、その息遣いも苦しく忙しく、今にも死んでしまいそうに思えたので、慌てて布団を退けてやると、首は滞り無く元に戻れた。

こういう事が殆ど毎夜繰り返されるのであるが、昼の間は普通の人とちっとも変らなく見える。
しかし甚だ気味が悪いので、主人の将軍も捨て置かれず、ついに暇を出す事にしたが、詳しく話を伺うにそれは一種の天性で、別に怪しい物という訳ではないようだった。


この他にも、南方へ出征の大将達は、往々こういう不思議な女に出逢った経験が有るらしく、或る者は試みに銅盤をその胴体に被せて置いた所、首は何時までも戻ることが出来ず、その女は遂に死んでしまったと言う。




「ろくろ首」には、首が伸びるものと首が飛ぶもの、2種類が在るらしい。
日本で広く聞かれるのは首が伸びるものだが、この話を見るに、古くは「飛ぶもの」だったのだろう。
地方によっては今でも「首が飛ぶ」方で伝えられてる場合も在る。

面白いのは「種族の持つ天性であって、物の怪ではない」と、平静に語っている点だ。
流石は中国、国土が広いからか、心も広い。
日本も見習いたいものである。

尚、向うでは「飛頭蛮」と言う呼び方もされるが、こちらの場合は名前通り野蛮な人種で、夜になると人間を襲い、血を吸う等の悪さをすると伝えられている。
つまりこの場合は妖怪の扱いを受けているらしい。
「『うしおととら(藤田和日郎、作)』と言う漫画に出て来たな」と思い出す人も居るだろう。




今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

今夜はこれにてお開きだ。
どうか気を付けて帰ってくれたまえ。

いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。



参考、『中国怪奇小説集(岡本綺堂、編著 光文社、刊 捜神記―首の飛ぶ女―の章より)』。
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異界百物語 -第67話-

2008年08月26日 21時48分53秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
この所急に涼しくなったね。

ところで今夜7時~フジで放送した、『ほんとにあった怖い話』スペシャルを、貴殿は御覧になっただろうか?
何故か笑いの絶えないスタジオで、全体的な怪奇色は極めて薄いのだが、再現ビデオは毎回良く出来ている為、好んで観ているのだよ。
やはり日本の夏は怪奇を楽しんでこそ風流。
今年の夏はスポーツ三昧だったお蔭で、最近ただでさえ少ない夏の怪奇番組が、更に乏しくなってしまったのは残念だった。
来年に期待したい。

前置きが済んだ所で…今回の話は中国唐の時代に、張読(ちょうどく)が著した『宣室志(せんしつし)』からの1篇だ。
怪談好きなら、内容を聞けば「それ知ってる」と頷く事だろう。




唐の柳宗元(りゅうそうげん)先生が永州(えいしゅう)の司馬(しば)に左遷される途中、荊門(けいもん)県を通過して駅舎に泊った際、その夜の夢に黄衣を着た1婦人が現れた。
彼女は先生に向い再拝し、ひたすら泣いて訴えた。

「私は楚水(そすい)の者で御座いますが、思わぬ禍いに逢いまして、命潰えるのも一朝一夕に迫って居ります。
 貴方でなければお救い下さる事は叶いません。
 もしお救い下されば、長く御恩を感謝するばかりでなく、貴方の御運を翻して、大臣にでも大将にでも御出世出来るように致しましょう。」

こう言われて先生も無論に承知したが、夢が醒めてから思案してみるに、さてその婦人に心当たりが無い。
ついそのままにしてまた眠ると、彼の婦人は再びその枕元に現れて、同じ事を繰り返し頼んで去った。

夜が明けかかると、土地の役人が来て、「(荊州の)指揮官が貴方を朝食に御招待したいと仰せである」と伝えに来た。
先生はそれにも承知の旨を答えたが、未だ東の空が白みかけたばかりであるので、又もやうとうとと眠っていると、彼の婦人が三度現われた。
その顔は悲壮の色濃くして、如何にも危難がその身に迫っているらしく見えた。

「私の命はいよいよ危うくなりました!
 もう半刻の猶予もなりません!
 どうぞ早くお救い下さい!
 お願いで御座います…!」

一夜の内に三度も同じ夢を見たので、先生も考え込んでしまった。
或いは役人らの内の1人に、何か不幸でも有るのかと思った。
或いは今朝の饗応にて、何かの鳥か魚が殺されるのではないかとも思った。
何れにしても、行ってみたら判るだろうと思い、直ぐに支度をして饗宴の席に臨んだ。
そうして、主人に向かい彼の夢の話をすると、彼も不思議そうに首を傾けながら、兎も角も下役人を呼んで取調べると、役人は答えた。

「実は1日前に、大きい黄魚(こうぎょ、いしもちの類らしい)が漁師の網にかかりましたので、それを料理してお客様に差し上げようと存じましたが……」

「その魚はまだ活かしてあるか?」と、先生は訊いた。

「いえ、たった今その首を斬りました」

先生は思わずあっと言った。
今更どうにもならないが、せめてもの心ゆかしに、その魚の死骸を河へ投げ捨てさせて出発した。

その夜の夢に、彼の黄衣を着た婦人が又もや先生の前に現れたが、彼女には首が無かった。


それが為か、先生は大臣にも大将にもなれず、ついに柳州の刺史(しし、州長官の意味)で人生を終えた。




日本では、「池の大鯰もしくは川の大鰻が人間に化けて、或る人間に救出を願うも間に合わず、腹を割いてみたら生前その者から馳走になった赤飯が零れ出た」、という形に変えられ広く語られている。
最初読んだ時は如何にも日本らしい怪談に思えたが、実は原典は中国に有ったのである。
他に江戸の怪談として有名な、「『お侍さんが見た化け物はこんな顔でしたかい?』と振向いた蕎麦屋の顔はのっぺらぼう」、という話も中国に元が見られる。
いやはやまったく世界は一繋ぎであるなあと感心するばかり。
洒落っ気は日本版の方が有る気がするが、恐さの点ではやはり原典の方が上を行くように思う。
首を無くして、無言で非難される様なぞ、想像するだに恐ろしい。


今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

それじゃあこれにてお開きだ。
どうか気を付けて帰ってくれたまえ。

いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。



参考、『中国怪奇小説集(岡本綺堂、編著 光文社、刊 宣室志―黄衣婦人―の章より)』。
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異界百物語 -第66話-

2008年08月25日 22時02分06秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
約束を忘れずに来てくれて嬉しいよ。

今夜は昨夜言ったように、昨夜の話によく似た日本の怪談を紹介しようと思う。
平安時代初期に奈良右京の薬師寺の僧「景戒」が著したと云う、日本最古の仏教説話集『日本現報善悪霊異記(日本霊異記)』に在る1篇だ。




当時、大和国十市郡菴知村(やまとのくにとおちのこおりあむちむら)の東の方に、非常に裕福な家が在った。
性を鏡作造(かがみつくりのみやつこ)と云う。
その家に1人の娘が在った。
名を万(よろず)の子と云う。
未だ嫁がず、男との交渉も無い、処女で在った。
顔形が極めて整っていて美しかった為、次々と良い家柄の男が結婚を申し込んで来たが、それらを全て断って幾年か過ぎた。

そんな或る日、1人の見目麗しい男が、美しい色の絹布を積んだ車3台を持参して、結婚を申し込んで来た。
その豪華な結納品と、男の器量の良さに一目で惹かれた娘は、即男の申し入れを受けて結婚、己の寝所に招き入れたのであった。

その夜、寝室の中から「痛い!痛い!痛い!」と、娘の声が三度聞えた。

父母はこれを聞き、「未だ慣れないので痛いのであろう」と話し合い、構わずそのまま寝てしまった。


明くる日、娘夫婦が起きて来ないので、心配した母が寝所の戸を叩いて呼び起こしてみたが、返事は無かった。

不審に思い戸を開いてみれば……

……寝床には、唯娘の頭と1本の指だけが残っているのみ。

その他の部分は、まるで獣に食い千切られた様に、跡形も見えなかった。

この有様に、父母は怖れるやら、嘆き悲しむやら…男の姿を捜すも何処にも見当たらず。

ふと男から贈られた物を見れば、美しい色の絹布は獣の骨に変っており、絹布を載せた車はグミの木に変っていた。

その後、父母は舶来の綺麗な箱に死んだ娘の頭を収め、初七日の朝に仏前に置いて精進の食事を済ませた。


この話を方々の人々が伝え聞き、不思議がらなかった者は居ないと云う。




筋立ては殆ど同じと言って良いだろう。
最大の違いを述べるなら、「親切な者が遭った災い」を書いた原典と違い、こちらは「因果応報」の色が篭められている所だろうか。
仏教の教えを広める為の書物だから、この色付け方は当然と言えよう。
ただそのお蔭で恐さはかなり薄められてしまっている。
その代わり、艶笑話(ブラックユーモア)の匂いを感じられると言おうか…処女の娘が寝所で「痛い」と三度叫んだのを聞き、父母が「まだ慣れてないから致し方ない」と話す場面なぞ、巧く洒落ているのではなかろうか。
娘の名前も現代で音読みすると、エロスを極めていて面白く。
いやいや、下品な発想、失礼する。
しかしリアルに娘の遭った状況を考えると、「痛い」と叫ぶどころの騒ぎでなく思えるのだが…。


怪談から微妙に外れた所で、今夜の話はこれでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

それじゃあ気を付けて帰ってくれたまえ。

くれぐれも、いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。




参考、『日本霊異記(中巻第三十三、女人の悪鬼に点されて食噉はれし縁の章より 中田祝夫、訳 小学館、刊)』。
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異界百物語 ―第65話―

2008年08月24日 21時21分57秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
今年の夏はスポーツの秋ならぬ「スポーツの夏」。
五輪に高校野球にサッカープロ野球云々。
種々有れど貴殿の記憶に残ったスポーツは何だったかな?
私はやはりソフトボールだが…。
野球については拘りを持って観戦していたので、9月に入ってから改めて感想を書こうと思う。
前宣伝が鬱陶しいと感じもしたが、五輪のお蔭で数々のドラマを楽しめた。
参加した全ての選手に有難うと言いたい。

四方山話はこのくらいにして…今夜から数日は、怪談の系譜について話す事に致そうか。
これは怪談に限らずなのだが、話を聞いていて「その話に似たもの、何処かで聞いたな」と思う事が、しばしば有りはしないかい?
日本だけでなく、他国の物語に精通する岡本綺堂は、こんな思い切った告白をしている。


「日本固有の物語なぞ1つも存在しない」


「彼の『今昔物語』を始めとして、室町時代、徳川時代の小説類、殆ど皆中国小説の影響を蒙っていない物は無いと言ってもよろしいくらいで、私が一々説明致しませんでも、これは何の翻案であるか、これは何の剽窃(パクリ)であるかという事は、少しく中国小説を研究なされた方々には一目瞭然であろうと考えられます。
 甚だしきは、歴史上実在の人物の逸事として伝えられている事が、実は中国小説の翻案であったというような事も、往々に発見されるので御座います。
 そんな訳でありますから、明治以前の文学や伝説を研究するには、どうしても先ず隣邦の中国小説の研究から始めなければなりません。
 彼を知らずして是を論ずるのは、水源を知らずして末流を探るようなものであります。」(中国怪奇小説集―開会の辞―より)


――何事も0から生れた訳では無い。


そう心の何処かに留めとくがよろしかろう。


前置きはさて置き、先ずは中国唐代に段成式(だんせいしき)が集録した奇談集、『酉陽雑爼(ゆうようざっそ)』に有った1篇を御覧頂きたい。




貞元(ていげん)年間の事である。
望苑(ぼうえん)駅の西に王申(おうしん)と言う、大層心掛けの優れた百姓が住んでいた。
道端に楡の木を沢山植えて出来た日蔭に幾棟の茅屋を設け、往来する人々をそこで休ませては水を呑ませたり、役人が通行すれば別に茶を勧めたり等、数々の善行を積んでいた。

この様な日々を送る内、或る日1人の若い女が来て、水を求めた。
女は碧い肌着に白い着物を着ていた。

「私は此処から十余里の南に住んでいた者ですが、夫と死に別れて子供も無く、これから馬嵬(ばかい)駅に居る親類を頼って行こうと思っているので御座います」

女の話し方は実にはきはきしていて、その立ち居振る舞いも愛らしかった。
王申は気の毒に思い、水を与えるばかりでなく、家へ招き入れて飯をも食わせてやった。
そして今日はもう遅いから泊まって行けと勧めると、女は喜んで泊めて貰う事に決めた。


明くる日、昨夜のお礼に何かの御用を致しましょうと言うので、王の妻が試しに着物を縫わせてみると、針の運びが早いだけでなく、その手際が実に人間業とは思えない程に精巧を極めているので、王申も驚かされた。
殊に王の妻は一層その女を愛するようになって、仕舞には冗談の様にこんな事を言い出した。

「聞けばお前さんは近しい親類も無いと言う事だが、いっそこの家のお嫁さんになっておくれでないかね」

王の家には今年13になる息子が在った。
当時は13で嫁を迎えるのは珍しくなく、両親も以前より、息子に相応しい良い娘を探そうと心掛けて居たのであった。
王の妻の誘いを聞き、女は笑って答えた。

「仰る通り、私は頼りの少ない身の上で御座いますから、もしお嫁さんにして下さるなら、この上もなく幸せで御座います」

相談は直ぐに決まって、王夫婦も喜んだ。
善は急げと云うので、その日の内に新しい嫁入り衣裳を買い調えて、その女を息子の嫁にしてしまったのである。


その日は暮れても暑かったが、この頃此処らには盗賊が徘徊するので、戸締りを厳重にして寝ると、夜中になって王の妻は不思議な夢を見た。
息子が散らし髪で母の枕元に現れて、泣いて訴えるのである。

「私はもう食い殺されてしまいます…!」

妻は驚いて眼を覚まして、夫の王を呼び起した。

「今こんな忌な夢を見たから、息子の部屋へ行き、少し様子を見て来ようかと…」

「止せ、止せ」と、王は寝惚け声で叱った。

「新夫婦の寝床を覗きに行く奴が在るものか。お前は良い嫁を貰ったので、嬉し紛れにそんな途方も無い夢を見たのだ」

叱られて、妻もそのままに眠ったが、やがて又もや同じ夢を見たので、もう我慢が出来なくなった。

再び夫を呼び起して、無理に息子の寝間へ連れて行き、外から試みに声をかけたが、中からは何の返事も無い。
戸を叩いてもやはり黙っているので、王も不安を感じて来て、戸を開けようとすると堅く閉ざされている。
思い切って戸を抉じ開け入ってみると、部屋の中には怖ろしい物の影が見えた。

それは恐らく鬼とか夜叉とか言うのであろう。
体は藍の様な色をして、その眼は円く光り、歯は鑿の様に鋭かった。
その異形の怪物は驚く夫婦を衝き退けて、風の様に表の方へ立ち去って行った。

脅えながら息子の安否を確かめると、唯僅かに頭の骨と髪の毛とを残しているのみで、他は影も形も見付からなかった。




中々に惨く、恐ろしい話である。
さてこの話によく似たものが、日本にも存在する訳だが…紹介は明日に回させて貰うとしよう。


今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

それじゃあ鬼に遭わないよう、気を付けて帰ってくれたまえ。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。



参考、『中国怪奇小説集(岡本綺堂、編著 光文社、刊 酉陽雑爼―王申の禍―の章より)』。
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異界百物語 ―第64話―

2008年08月23日 21時01分48秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
気が付けば半分折り返して早後半。
今回は昨日予告したように、SFめいた話をさせて貰うよ。

貴殿は「タイムトラベル」を信じるだろうか?
今生きている時代を外れ、過去や未来へ移動する事は、果たして可能なものだろうか?

未来へなら移動出来ない事も無い。
例えば時間の流れ方が違う宇宙へ飛んで、地上へ帰って来れば、結果として当事者にとっては、「未来世界に現れた」感覚を持てるだろう。
一般的にこれは「ウラシマ効果」と呼ばれている。

しかし過去への移動は可能だろうか?
その為には現在とは別に、過去も未来も、独立した時間として存在していなきゃならない。
もしも可能であるとするなら、今生きてる時代とは別の「現在」が無数に存在する事となり、即ち「パラレルワールド(並行世界)」の存在を証明するのである。

とは言え現時点では、「時間は過去から未来へ一方通行に流れ、よって過去へのタイムトラベルは不可能」と唱える人間の方が多い。

しかし今回紹介する話は、そんな時間一方通行説を否定する様な、驚くべきものだ――




1901年10月、2人のイギリス人女教師が、フランスに観光旅行へ訪れた。
名前はシャーロット・アン・モーバリーと、エリナー・フランセス・ジョーデン。
モーバリーは当時オックスフォードの女学校の校長で、ジョーデンの方はその副校長を務めていた。
2人はガイドブックを携え、エッフェル塔や凱旋門、ヴェルサイユ宮殿等、パリの観光名所を粗方廻った後、プチ・トリアノンに行く事にした。


プチ・トリアノンとは、1762年ルイ15世が愛人のポンパドゥール夫人の為に建てた物で、後にルイ16世が王妃マリー・アントワネットに与えた、(当時の貴族の感覚では)田舎風の小じんまりとした離宮である。
余談だが、1687年にルイ14世が主に愛人マントノン夫人との逢瀬を楽しむ為に建てさせた、グラン・トリアノンと呼ばれる離宮も存在する。

宮廷での人付き合いに疲れた王妃マリーは、プチ・トリアノンに逃れ、静かに田園生活を楽しむ事を常としていたらしい。
マリーの育ったオーストリア宮廷は非常に家庭的だったそうで、子供の頃の彼女は家族で狩に出掛けたり、オペラを観賞したりして過していたと云う。
そんな楽しかった子供時代を、マリーは此処で懐かしんで居たのかもしれない。


さてプチ・トリアノンに向ったモーバリーとジョーデンだったが、途中で道に迷ってしまい、中々目的地に辿り着かなかった。

やがて目の前に、3本の分かれ道が現れた。
真ん中の道の少し先の方に、緑の制服を着て、三角帽を被った2人の男が立っている。
守衛だと思った2人は、男達に近付いてプチ・トリアノン迄の道を訊いた。
男達は「この道を真直ぐに行きなさい」と教えてくれた。

道を歩いている最中、2人は「まるで夢の中に迷い込んだ様な、おかしな気持ちになった」と云う。

歩いて行く内に2人は、前方に1軒の家を見付けた。
戸口には母親らしい中年女性と13歳位の少女が立っている。
2人共長い裾のスカートに、耳まですっぽり隠れる帽子と、やけに古めかしい出で立ちに思えた。

更に進むと、今度は行く手に深い森が見えて来た。

森の中には岩で囲んだ様な小さな音楽堂が在り、1人の外套姿の男が腰を下ろしている。
その男の顔は痘痕だらけで、何とも暗い表情をしていた。

薄気味悪く思うも、2人は気にせず森の中を更に進んだ。

すると突然、黒マントにつばの広い帽子を被った、まるで昔の絵画に出て来る貴族の様な格好の男が、2人の前に立ち塞がった。
男は酷く慌てた様子で、2人にフランス語でこう話しかけた。

「そちらは通れませんよ。右の方に行きなさい」

2人は素直に言われた通り右に進み、岩に架かる小さな橋を渡った。
渡った先には道が木々の下を通って続いており、やがて深い木立に囲まれた、プチ・トリアノンの四角い建物に辿り着いた。
建物の北と西にはテラスが廻らせてあり、背の高い雑草が生い茂り囲んでいた。
テラスの下の芝生には1人の女性が座って、キャンバスに向かい絵を描いている。

その女性がふと頭を廻らせ、通り掛った2人の方を向いた。
どちらかと言うと美しい顔立ちで、年の頃は30歳位。
つば広の帽子から、金色の巻毛が覗いていた。
此処まで歩いて行く途中で見掛けた人物同様、裾広がりのスカートに、ケープの如く肩に掛かった襟と、妙に古臭い装いをしていた。

2人がテラスに上がった時だ――またもや建物の戸口から1人の男が現れて、咎める様に言った。

「此処は入口じゃありません。正面玄関の方へ廻って下さい」

2人は慌てて頷いて、プチ・トリアノンの正面に向った。
するとそれまで圧し掛かっていた妙な不安がスーッと引き、急に周囲が明るく感じられたと云う。


その後2人は早々にパリに戻った。
帰りの汽車の中では、お互い自分が抱いた奇妙な違和感を、どう話したものか思案し、無言で居たと云う。

イギリスに帰って数日後、モーバリーは漸く口火を切るよう、ジョーデンに尋ねた。

「この間、プチ・トリアノンに訪れた時の事だけど……貴女、何だか妙な感じはしなかった?」
「あら、貴女も感じたの?」

問われるのを待っていたかの如く、ジョーデンも話に応じた。

「私だけかと思って、これまで黙っていたの。頭がおかしくなったと言われそうな気がして…」

後は堰を切った様に話が溢れ出した。


自分1人だけが体験した訳ではない事が判ると、俄然気になって来るもの。
翌年の1/2、ジョーデンは再びプチ・トリアノンを訪れる事にした。

タクシーをプチ・トリアノンの脇に乗り付け、そこから並木道を歩き出したが、岩に架かる小さな橋に差し掛かった際、またあの時の様に奇妙な心地がして来た。

不意に彼女の前に2人の男が現れた。
それぞれ三角帽を被り、赤と青のマントを羽織り、薪の束を積んだ荷車を押している。
けれど彼等をやり過ごしてから、次の瞬間振向いた時には、もうその姿は消えていた。

プチ・トリアノン宮を観た後、ジョーデンはまた道に迷ってしまい、深い森の中に入り込んだ。
すると周りに複数の人間が居る気配を感じ、衣擦れの音を聞いた。
楽器が奏でる音も微かに聞え、耳元をフランス語の会話が過ぎった。
ジョーデンは恐怖で心臓が早鐘の様に鳴るのを感じたが、勇気を振り絞って歩き続けた。
歩いて行く内、次第に音楽や衣擦れの音は遠ざかったと云う。

後で調べた所、その日その場所で集会等は、何も開かれていなかった事が判明した。


いよいよ不思議の感を深めた2人は、2年後またもプチ・トリアノンを訪れた。
ところが不思議にも、あの時見た橋も音楽堂も、全て消えていたのである。
方々を歩き回り、係員にも尋ねたが、無駄だった。
もしかしたら時代映画の撮影現場にでも迷い込んだのかもと考え、尋ねてみたが、そんな記録は無いと言う。

ではあの時見たものは一体何だったのか…?
2人はすっかり頭が混乱してしまった。

自分達が体験した出来事に確証を持とうとした2人は、その後ヴェルサイユについて調査を始めた。
何度もフランスに渡り、図書館を廻って、昔の地図や記録を調べたり、歴史家に意見を尋ねたりした。
すると2人が見た物は全て過去に実在しており、出会った人々もルイ16世の時代に確かに存在していた事が判ったと云う。

先ず2人が道を聞いた守衛の様な男は、服装からその時代プチ・トリアノンの守衛を務めていた、ベルシ兄弟であると思われた。
古文書から中年女と少女が居た家の跡が見付かり、岩石で築いたロココ調の音楽堂も当時確かに存在していた事が判った。
音楽堂に居た痘痕面の男は、王妃マリーに仕えた側近のヴァンドルイユ伯に似て思える。
王妃マリーの衣装係を務めたエロフ夫人の日記から、当時の宮廷の流行は、三角帽~つば広の帽子へ移行する過程であった事も判明した。
小川に架かっていた田舎風の橋も、エゼック伯と言う人物が書いた『一小姓の回想』なる本の中で、「当時その様な橋が架かっていた」という記述が認められた。
更に驚いた事に、プチ・トリアノンの庭園で写生をしていた女は、ヴェルトミュラーの描いた王妃マリーの肖像画にそっくりだったのだ。

そして2人が初めてプチ・トリアノンに訪れた8/10は、王妃マリーにとって非常に重要な日である事も判明した。

1792年8/10、パリ・セーヌ河畔のテュイルリー宮殿(フランス国王のパリにおける住居)は革命派の手に落ち、国王一家は早朝、立法議会の議場となった建物に連れ去られた。
そしてこのテュイルリー宮殿に一旦捕えられ、何時間にも渡って王政の廃絶を叫ぶ声を聞かされ、王家の召使やテュイルリー宮の護衛達が虐殺される光景を目撃したと云う。
その後国王一家はタンプル塔へ収容され、処刑されるまでの余生を過したのだ。

幽霊はこの世で最も思いを残した場所に現れると聞く。
自分達2人が体験した出来事――それは王妃マリーが捕えられた際に懐かしく思いを馳せた、プチ・トリアノンでの楽しかった日々の記憶ではないだろうか?

ジョーデンとモーバリーはその様に結論付けて、1911年に自分達の奇妙な体験を1冊の本にして纏めた。

タイトルは――『冒険』。


出版後この本は瞬く間に評判を呼び、2人の女史はあっという間に時の人となった。
そして同時に様々な議論を呼んだ。
この体験談は彼女らの妄想に過ぎないと或る研究家は主張し、多くの心霊研究機関も批判的であったと云われている。
むしろ一般読者から好評をもって迎えられ、同様な体験をしたと証言する人々が何人も現れたそうだ。
騒ぎを残したまま、ジョーデン女史は1924年、モーバリー女史は1937年に他界。

しかし2人が去った今も、「これこそ過去と現在が共存し得るという証拠だ」と主張し、調査を続ける者も居るとか。
2人の女史は自分達が体験した出来事を王妃マリーの記憶と考え、心霊現象であると結論付けたらしいが、タイムトラベルの1例と捉えた者は更にこんな説を唱える。

「1901年から来たモーバリーとジョーデンが、1789年のプチ・トリアノンの庭園で写生して居るマリーに会ったなら、1789年にマリーの方でも、1901年から来た彼女らが目前を通って行くのを見た筈だ。」

しかし残念ながら、その様な記録は残されてないと云う…。

そしてこれは個人的な疑問なのだが、ならば1/2は王妃マリーにとって、どんな意味を持った日だと言うのだろう?


もしも「タイムトラベル」が可能なら……諸問題はさて置き、夢が膨らむのは誰しも止められないだろう。




今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

それじゃあ時間の裂け目に落ちないよう、気を付けて帰ってくれたまえ。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

ああそうだ…最後にヴェルサイユ繋がりで宣伝させて貰うが、今年の9/12(金)~11/16(日)迄、ハウステンボスでは『永遠のベルサイユのばら展』を開催するらしい。
日本に居ながらタイムトラベルする積りで、是非お越し頂きたく思う。(→http://www.huistenbosch.co.jp/museum/topics/berubara.html)

では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。



参考、『ワールドミステリーツアー13(5)―パリ編― 第1章、桐生操、著 同朋舎、刊』、他こちらのサイト様の記事
(→http://www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-40.htm)や、ウィキペディア等々。
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異界百物語 ―第63話―

2008年08月22日 22時24分13秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。

昨日は素晴しいゲームを魅せて貰った。
貴殿は御覧になっただろうか?

ソフト、金メダルおめでとう。

「あんなに頑張ったんだから、此処で終れない」

選手全員から、そんな気迫を感じられたよ。
特に上野選手は、本当に天晴れだった。

試合にも感動したが、殆ど解説をしてない解説者にも、感動して笑ってしまった。
だが気持ちはよく解る…おめでとう。

暑い夜に相応しい、熱いゲームだった。


…脱線して済まない。

本題に戻らせて貰うよ。



1929年、或る年老いた農場主から聞いて、書き取った話だと云う。

或る日、何処からともなく変な爺さんがやって来て、村中をうろうろ廻る様になった。
その爺さんは1日中居たが、村人は気味悪がって、誰も話し掛けようとしなかった。
何とも奇妙な形をしていたからだ。
爺さんは鬼火みたく全身が光ってたと証言する村人も居る。

誰も彼も遠巻きに見ているだけだったが或る日、その爺さんが1軒の農場にやって来て、頻りに戸口を眺めているのを発見した。
その様子があまりに悲しそうだったもので、そこの家の婆さんが気の毒に思い、意を決して爺さんに近付くと、牧師の説教を真似て話し掛けた。

「主の御名にかけて――そこで何をしておいでかね?
 気の毒に、悲しそうなお人。
 さあ、私に話しておくれ」

すると灰に近い顔色をした、幽霊みたく思える爺さんの言う事には…

「一体、わしの水車小屋は何処へ行ったんじゃ?
 樫の木立の側に在った息子の家はどうしたんじゃ?
 川の側には、見慣れない大きな石造りの水車小屋が在るが、家は無くなって、樫の古い大木が1本在るだけじゃが…」

それを聞いて、婆さんには何となく訳が呑み込めた。

「そこに教会は無かったかね?」

「今朝市場へ出掛けて帰ってみたら、新しい石の教会が建っとるんだ。
 わしはかみさんに遅くならんよう帰ると約束したんだが…。
 かみさんは何処へ行っちまったんじゃ?」

「道で誰かに会わなかったかい?」

「それが妙な男でな。
 わしはその男と賭け事をして、つい浮かれてしもうたんだ。
 そいつはもっと遊んで行けと言ったが、わしは断った。
 かみさんが待っとるからな。
 だが、わしのかみさんは何処へ行っちまったんじゃ?」

その時――眩い光が燦々と射し、サクラソウが生える土手の様な、芳しい匂いの風が吹いた。
それからウタツグミが歌う様な、耳に心地良い声が聞えた。

「早く帰っておいで、お前さん。
 もうそこには用は無いんだよ。
 さあ、帰っておいで!」

すると幽霊の様に哀し気だった爺さんは、にっこり微笑んだかと思うと、次の瞬間――さっと跡形も無く消えてしまったと云う。



中々不思議で幻想的な話だが、少しSFの匂いも感じられる。
語られた通りに受取るなら、この爺さんは数十年前の過去の世界からやって来た様に思えるが、貴殿はどう考えるかな?
流石に少し出来過ぎていて信憑性が薄いが…時を遡って異界を覗き見たと言う報告は、案外多く残されている。
明日はその1例を紹介しよう。


今夜の話は、これでお終い。
取敢えずはお開きにするとしよう。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

それじゃあ異界に迷い込まないよう、気を付けて帰ってくれたまえ。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。



参考、『イギリスの妖精-フォークロアと文学-(キャサリン・ブリッグズ著、石井美樹子&山内玲子訳、筑摩書房刊)』。
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