瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第17話―

2006年08月23日 21時58分50秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。

毎日呪文の様に「暑い」と呟いていないかい?

そんな貴殿の背筋を涼しくさせる様な話を、今夜もお聞かせしよう。


イギリスで妙にリアリティの有る伝説として、残されているものが有る。



12世紀の初め頃、ウルフ・ピット近くで、妖精の子供達を発見したという話が、『中世年代記』の中に記されているそうだ。


付近に住む農家の人達が、或る洞窟の入口で、驚いた様子でおどおどしながら座っている2人を見付けた。

男の子と女の子で、普通の人間と同じ大きさと姿をしていたが、2人とも頭から爪先まですっかり薄い緑色をしていた。

誰にも子供達の話す言葉は解らなかったし、子供達にも人々が話し掛ける言葉は解らなかったようだ。


そこで人々は2人の子供を、ワイクスに城の在る、サー・リチャード・ド・カーンと言う騎士の所へ連れて行った。

2人はとてもお腹が空いている様子だったが、パンにも肉にも手を触れず、激しく泣くばかりだった。

そこへ偶然城の中に、そら豆が大量に運び込まれた。

それを目にした子供達が欲しがってる様に思えたので、皮を剥いて中の豆を見せてやると、夢中でそれを食べ出した。


2人の内男の子は、悲しそうで弱々しく…暫く経った後、やつれて死んでしまった。


だが女の子の方は、人間の食べ物を食べるようになり、現地のアングロ・ノーマン語で話す事を習い、段々と皮膚の緑色も薄くなって、普通の人と同様に見えるまでになった。

女の子は洗礼を受け、成人すると結婚して家庭に落ち着いた。


落ち着いた所で、人々はどうやって彼女がこちらの国にやって来たか尋ねた。

彼女も自分の国について、色々と話した。


その話によると、彼等の住んでいた国は、『聖マーチンの国』と呼ばれ、人々は皆キリスト教信者なのだという。

その国には太陽や月は無いが、何時も夜明け前の薄明かりの様な、仄明るい光に包まれていたという。

その国全体と、そこに住んでいる生物も人間も、皆緑色をしているという。


或る日、女の子と男の子が家畜の群れを追っていた時、洞窟の入口まで来ると、素晴しい鐘の音が遠くから聞えて来た。

2人は初めて聞くその音色に誘われて、洞窟内を歩いて行く内、角を曲った所で突然太陽の光をいっぱいに受けた。

その眩しい光と急に吹いて来た風にぼう…っとなり、気を失って地面に倒れてしまった。


その後、2人の元に大きな声が届き、驚いて目を覚ました。

2人は逃げようとしたが、眩しい光の為に道が見えず、うろうろしている間に捕まってしまったという事であった。


初めの内はとても恐がったが、女の子は直ぐに人間達が親切である事に気付き、終いには自分の奇妙なやり方で、人間の生活の中に落ち着いたと伝えられている。



…実に不思議な話と言えよう。

もしこの2人がキリスト教信者の国から来たとしたら、それはこちらで言う所の妖精には当らなく感じるのだが。

しかし女の子の話を聞くと…どうにも私達とは違う世界から来たとしか思えない。

果して『聖マーチンの国』なんて場所が実在するのか?


リアリティ有る記録として残されているのが、奇妙に感じられてならない。

貴殿はこの話を、真実有った事と思えるだろうか…?


今夜の話はこれでお終い。


…それでは17本目の蝋燭を吹き消して貰おうか…


……有難う……どうか今夜も気を付けて帰ってくれ給え。


いいかい?……くれぐれも……


……後ろは絶対に振り返らないようにね…。



『妖精Who,s Who(キャサリン・ブリッグズ、著 井村君江、訳 筑摩書房、刊)』より。
コメント
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