瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第7話―

2006年08月13日 21時23分26秒 | 百物語
やぁ、こんばんわ。

今夜はお茶を用意して待っていたよ。

ほうじ茶は嫌いかい?


え?暑い日に熱い茶は無いだろうって?

…大丈夫、直ぐに涼しくなるさ。


さてと……今夜は、昨夜紹介した『アハ・イシカ』から、間一髪逃げられた人間のお話をするとしようかな。



舞台は昨夜と同じ、スコットランド高地地方。

ヘブリディーズ諸島の1つ、アイラ島に、牛を沢山飼ってる農夫が居た。

その内の1頭に、丸い耳をした可愛い雄の仔牛が産れたと云う。

農場に居た物知りな老婆が、この仔牛は唯の牛じゃない……『クロー・マラ』だと告げた。


『クロー・マラ』と言うのは、水棲馬『アハ・イシカ』同様、水棲の妖精と言うか化物だが、『アハ・イシカ』と比較して、性質の穏やかな水棲牛だった。


老婆の助言により、仔牛は3年間、他の仔牛から離され、毎日雌牛3頭分の乳で育てられた。


すると、仔牛は素晴しい雄牛に成長した。


或る日の事、農夫の娘が入江で牛達の番をしていると、1人の見知らぬ若者がやって来て、娘の隣に座った。

若者は金髪で蒼い目をしていて、大層美しかった。

人懐こい微笑を少女に向けながら、気さくに話し掛けて来る。

その微笑に、少女はうっとりと見惚れてしまった。


会話はとても弾み、暫くすると、若者は娘に髪を梳かしてくれるよう頼んだ。


この当時この地では、愛情表現として、仲の良い男性の髪を女性が梳かす行為は、普通に見られた。


すっかり若者に気を許していた娘は、横になった若者の頭を膝に乗せると、彼の髪を掻き分け、優しく梳かし始めた。


そうしてる内に、うとうとと眠くなり……うっかり櫛を髪の中に落としてしまった。

慌てて拾上げようとして――


――若者の美しい金髪の間に、緑の海藻が生えているのを見付け、ぎょっとした。


娘は、若者が恐ろしい水棲馬の化物、『アハ・イシカ』であると気付いたが、悲鳴を堪え、勇気を振り絞り、小声で歌を歌いながら、そのまま優しく梳かし続けた。


娘の歌う歌を聴いてる内に…変身している怪物は、静かに眠ってしまった。


それを見て、娘はそっと気付かれないようエプロンを外すと、そろそろと膝から外し、眠っているアハ・イシカをその場に残して、足音を立てないよう、農場に向って逃げ出した。


もう一息という所で、後ろから凄まじい蹄の音を立てながら、獰猛な水棲馬が迫って来た。

娘は恐ろしくなって悲鳴を上げた。

捕まれば水中に引き摺り込まれ、八つ裂きにされてしまう。

その時、娘の悲鳴を聞いた老婆が、クロー・マラを解き放った。

クロー・マラは唸りを上げながら、アハ・イシカに挑みかかって行った。


2頭は激しく戦いながら、湖深くに沈んで行った。

翌日、クロー・マラの死体が岸に打上げられたが、アハ・イシカが現れる事は、もう2度と無かったそうだ。



…今夜の話はこれでお終い。


さあ…それでは7本目の蝋燭を吹き消して貰おうか…


……有難う……また次の訪問を、楽しみにして居るよ。


ああ、まだお茶を飲んでいないようだが。


…え?「自分の分なら、ちゃんと飲んだ」って…?


おかしいな……確かに人数分、淹れた筈なんだが……


まあ、あまり深くは考えないでおこう…。


それでは、道中気を付けて帰ってくれ給え。


いいかい?……くれぐれも……


……後ろは振り返らないようにね…。



『妖精Who,s Who(キャサリン・ブリッグズ、著 井村君江、訳 筑摩書房、刊)』より、記事抜粋。
コメント
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