毎度、週末(と決めてるわけじゃないけど)の神田川下りの旅…最初の頃は夏までに書き切る予定だったんですけどね~~、人生とはままならないものです。(汗)
それはさて置いて、前回「桜橋~神田川を下る旅~その16」に引き続き、今回は上流から数えて104番目の高塚橋~112番目の仲之橋までの区間を採り上げたいと思います。
尚、撮影日は一年前の2020年3月末頃です。(一部今年の春撮影した写真も有;)
↑源流から数えて104番目の橋…「高塚橋」
前回紹介し忘れたのですが、1つ前の神高橋は、新宿区と豊島区の境に架かります。
で、この高塚橋は両岸とも豊島区に架かります。
しかし高塚橋の「高」は豊島区高田から、「塚」は新宿区戸塚町から、一文字ずつ取ってるとの事。
神高橋から128番目に架かる隆慶橋までは新宿区と豊島区、それに文京区が入り混じり、3つの区の特色が混然一体となって、独特なカオス感を醸しています。
中野区と新宿区の境の時と比べ、川の整備にあからさまな差が無いのは、3つの区の仲が比較的良好だからだろうか?
…そう言えば現在の都知事と豊島区長は仲良かったなと。(笑)
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、高塚橋上より上流側を向いた風景。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、高塚橋上より下流側を向いた風景…ここから107番目の高田橋まで親水テラスの集合地帯です。
☆高塚橋下流側の立ち寄りスポット…親水護岸広場
心無い人が溜まり場にして、騒音等の迷惑行為を頻繁に起こしたせいで、現在は残念ながら閉鎖中。
野外ステージにでも利用されたんだろうか?(したくなる外観ではある)
↑源流から数えて105番目の橋…「戸田平橋」
名曲「神田川」の歌詞に登場する三畳一間の下宿のモデルは、以前この橋の近くに建ってたアパートと、後年「神田川」を作詞した喜多條忠氏が語っています。
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、戸田平橋上より上流側を向いた風景…橋の欄干に桜の細工が施されててお洒落。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、戸田平橋上より下流側を向いた風景…ここから下流へ向かい、ポツポツ桜並木が復活致します。
↑戸田平橋側に居た野良猫…神田川とは特に関係無いですが、傍らの吸い殻バケツとの組み合わせに、趣きを見出したもので。(笑)
☆戸田平橋側の立ち寄りスポット…「諏訪神社稲荷大神」
上流から見て左岸側、鶏唐揚げ店の片隅に、お稲荷さんを祀る小さな鳥居が建っています。
鳥居に刻まれた「諏訪神社」名から推理するに、高田馬場に旧くから建つ「東京新宿諏訪神社」と関わり有るのかな?分社か何かかな??――なんて考えたのですが、はっきりした事は解りません。
地図で確認すると東京新宿諏訪神社は、戸田平橋から早稲田大学西早稲田キャンパス方面へ歩いて行けば、突き当たる位置に建ってるもよう。
↑源流から数えて106番目の橋…「源水橋」
橋の欄干に水車や桜の絵がデザインされた綺麗な橋。
この付近は昔、水車が回る村だったそうで、その歴史を今に伝える為に、この様なデザインにしたらしい。
「源水」と言う橋名からも、水が全ての源だった土地の歴史が、伝わって来ますね。
↑源水橋上より上流側を向いた風景…土地の歴史と橋名に準じてか、親水テラスが両岸に造られてる。
☆源水橋上流側立ち寄りスポット…親水テラス(※対岸にも在り)
川床に下りられる階段は、付近の学校から要望が有った時だけ開放するのだとか。
川の流れをより近くで観て、水に親しんで欲しい――と言うのが親水テラス設置の意図らしい、成る程、成る程。
↑源水橋上より下流側を向いた風景…川沿いに植えられた桜の本数が段々増えて参りました。
この先、神田川随一の花見ルートが控えておりますので、御期待ください。
↑源流から数えて107番目の橋…「高田橋」
新目白通りが上を走る橋で、見ての通り車両の交通量が無茶苦茶多いです。
↑高田橋上より上流側を向いた風景…脇に階段が見えるのでお解り頂けるでしょうが、この橋にも親水テラスが設置されています。
高塚橋~高田橋までの区間は、親しみを篭めて「親水テラス銀座」と呼びたい。
↑高田橋上より下流側を向いた風景…前方に架かるのは、次に紹介する高戸橋です。
↑高田橋下流側は、一部が前へ出っ張り、テラスを形作ってる。
その下のトンネルより流出する「高田馬場分水路」――ここで「桜橋~神田川を下る旅~その15」と、前回の「桜橋~神田川を下る旅~その16」の記事を振り返ってください。
ちなみにこの高田橋と、前に架かる源水橋は、両岸とも豊島区に架かります。
↑源流から数えて108番目の橋…「高戸橋」
新目白通りと明治通りの交差点に架かり、明治通りが上を走ります。
二本の大通りが交差する為、車が引切り無しに通る。
更に橋の下流側を荒川都電が走る。
文章だとゴミゴミして喧しいイメージ抱くでしょうが、現地は開放的で風情有る環境を保っています。
高戸橋付近に立ってた看板によると、「戸田平橋~曙橋が架かる区間は、多様な生き物が生息し、人々が親しめる、環境に配慮した護岸整備を行っている。具体的には、神田川に棲む生き物の生息場を再現する為、現況の砂州を保存し平瀬を創出、河床にスロープを付けて石を貼り付け魚道を設置、川床の石に藻類を繁茂させる、建物の側にはケヤキ等の高木を植える等々、人間の暮らしと自然環境が調和する護岸計画を元に整備してる」んだそうな――素晴らしい!!!
↑高戸橋上より上流側を向いた風景…橋下、左は神田川の本流、真ん中と右は前回下落合駅側に架かる辰巳橋付近で妙正寺川と合体し暗渠となった神田川高田馬場分水路の出口だそう。
↑高戸橋上より下流側を向いた風景…桜並木を背景に最後の都電「荒川線(現名称東京さくらトラム)」が走ります。
ここからが凄い!ここから117番目に架かる江戸川橋まで、「上流から歩く場合の神田川第五お花見コース」に指定させて頂きます!!
↑高戸橋~次の曙橋間に架かる都電「荒川線」の鉄橋。
写真の3人が走る歩道を右折すれば、「上流から歩く場合の神田川第五お花見コース」が始まります。
↑都電「荒川線」鉄橋~曙橋へと続く遊歩道。
↑源流から数えて109番目の橋…「曙橋」
この橋より花見客の人口がどっと増えます。
↑曙橋上より上流側を向いた風景…桜の枝振りが見事、川の流れの中に見える階段の様な物は、魚が遡上し易い様に設置してある魚道です。
↑曙橋上より下流側を向いた風景…水色の太い管はガス管、水色なのは一応、景観に配慮して塗られたのかもしれない。
↑源流から数えて110番目の橋…「面影橋」
四谷怪談に在原業平伝説等、数々のエピソードの舞台として登場する有名な橋。
現在は橋の側で工事を行ってるせいで、本来の美しい風景は望めません。
大きなマンションでも建つのか?…来年春には工事終了してるだろうか?
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、面影橋上より上流側を向いた風景。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、面影橋上より下流側を向いた風景。
…上流・下流とも、橋の上から眺める桜並木は絵になる美しさなんですが、いかんせん現在は工事音が喧しくて。(汗)
☆面影橋側の立ち寄りスポット…「山吹の里の碑」
(上流から歩いて来た場合の)左岸に、小さな碑が建てられています。
工事してる敷地内の片隅に建ってるので、注意しないと見付けられませんが。(汗)
「新宿区山吹町から西方の甘泉園、面影橋の一帯は、通称『山吹の里』と云われています。
これは、太田道灌が鷹狩に出掛けて雨に遭い、農家の若い娘に蓑を借りようとした時、山吹を一枝差し出された故事に因んでいます。
後日『七重八重、花は咲けども、山吹の実の(蓑)一つだに、無きぞ悲しき』との、後拾遺集に在る古歌に掛けたものだと教えられた道灌が、意味が理解出来ず娘に対し激怒した己の無学を恥じ、それ以来和歌の勉強に励んだとの伝承が有ります。
この碑は神田川の改修工事以前は面影橋の袂に在りましたが、良く見ると『山吹之里』の文字の周辺に細かく文字が刻まれてるのを確認出来ます。
分析の結果、この碑は元々、貞享三(1686)年に建立された供養塔を転用した物である事が解りました。」(←碑の側に立ってた看板書きより抜粋)
最後にさらっと恐い事書いてますね――元は供養塔だったのか!(汗)
多分、太田道灌関わりのエピソード後付けですわ…。
☆面影橋側の立ち寄りスポット…都電「面影橋」駅
面影橋の側、新目白通りのど真ん中に位置します。
都電が車と一緒に走る風景を撮ろうと、鉄道ファンが連日詰めかけるスポットです。
ちなみに下流方面向いて撮りました。
↑面影橋~三島橋までの区間は、遊歩道が道路脇に続き、明るく開放的な雰囲気です。
↑源流から数えて111番目の橋…「三島橋」
両岸とも新宿区に架かる橋です。
嘗て近所に「三島」名の神社が在った事に由来し、付けられた橋名だそう。
そして益々増えてく花見客の姿。
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、三島橋上より上流側を向いた風景。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、三島橋上より下流側を向いた風景。
…桜も前方を覆わんばかりに濃い枝振りになって参りました。
↑三島橋の袂で振り返り、都電「面影橋」駅を撮影した写真。
☆三島橋~仲之橋間立ち寄りスポット…「早稲田水稲荷神社」
神田川から外れて、新目白通り裏になりますが(汗)、古来より地元で名の知られた水の鎮守社ですので、神田川巡りの際には是非寄って欲しいスポットです。
大本の水神様が祀られてるだけでなく、富士講跡に天神様に大国主命に堀部安兵衛、諸々、見所いっぱいです。
神社の隣の小学校裏には、二宮金次郎像も建ってます。↗
↑神社への表出入口である鳥居と、本殿。
朱色の鳥居に護られたお稲荷様の顔は、愛嬌溢れるものでした。
↑御社の裏に残る富士講跡、「富塚古墳」と呼ばれ、戸塚町の名前の由来になった場所だとか。
元は早稲田大学9号館裏に在ったのが、ここに移されたのだそう。
↑赤穂浪士随一の剣客と謳われた「堀部安兵衛の碑(堀部武庸加功遺跡之碑)」
元禄七(1694)年二月十一日、堀部安兵衛は市ヶ谷から喜久井町を通り、馬場下の小倉屋で枡酒を煽ると、高田馬場に駆けつけ、叔父の菅野六郎左衛門の果し合いに助太刀し、相手方三人をばったばったと斬り倒した。
彼のこの武勇伝は「高田馬場の決闘」と呼ばれ、後世、講談・逸話・芝居の題材に選ばれた。
尚、講談・逸話・芝居の中で、彼の功績は三人斬りから十八人斬りへと過剰な演出が加えられた。(フィクションはこれだから…)
碑の側に立ってた看板には、下記の様な説明文が記載されてました。↓
「地域の伝承として知られる『高田馬場の決闘』における赤穂浪士『堀部安兵衛』の事績を顕彰する記念碑。
江戸時代に高田馬場の管理を委託されていた甲州屋の子孫、行田久蔵が、明治43(1910)年に建立した。
当初は茶屋町通りに在る久蔵の植木園に建てられたが、昭和46(1971)年に現在地に移された。
記念碑が建てられた当時は、日露戦争後の国家主義の高揚を背景とし、忠臣蔵の再評価が高まった時代であった。
また、明治から大正にかけては全国的に建碑ブームが巻き起こり、歴史上の事象や人物に関する顕彰運動が盛んな時代でもあった。」
成る程、銅像や記念碑を建てるのが、当時のブームだったわけか。(笑)
↑早稲田水稲荷神社に参拝を済ませ、風光明媚な場所で知られる「甘泉園」へ――水稲荷神社の隣に在るんですよ、実は。
☆三島橋~仲之橋間立ち寄りスポット…新宿区立「甘泉園公園」
新宿区立では唯一の回遊式庭園との事。
名前の由来は、園内の湧水が清冽で常時涸れず、茶に適した名水だったからとか…蛍まっしぐらの甘い水だったんだね。
「江戸時代宝永年間(1704ー1711年)に徳川御三家の一つ尾張徳川家の拝領地となり、その後、江戸中期の安永三(1774)年に初代清水家の江戸下屋敷が置かれた。
明治30年頃、子爵の(中村)相馬家が所有し、庭園として整備されたが、昭和13年に早稲田大学に移譲された。
戦後、都はこの地を買収し、改修した後、昭和44年、新宿区へ移管。
以降、新宿区立公園として現在に至る。
庭園は、神田川右岸を東西に走る台地の北面の傾斜地とその低地に在って、段丘の高低差を利用し、泉の水を引いた池を廻遊する林泉になっている。
池傍より見上げる雄大な常緑樹林に囲まれ、春のツツジ、秋の紅葉が水面に映り、見事な景観を創り出しているとの事で、『日本の歴史公園100選』に選定された。」←園内の案内看板より抜粋。
↑こちらが公園内の案内図。
2つの澄んだ池を取り巻く様に樹木が繁って、情緒有る景観を創り出しています。
↑どのくらい池の水が澄んでるかってえと、オタマジャクシがわんさか棲んでるの!!
近頃姿を見なくなったと言われるオタマジャクシが、こんなにウジャウジャ!!
夏から秋にかけては蛙の鳴き声が賑やかに響くんだろうな~。
↑和風庭園には付き物の東屋。
公園の頂上部にて、清水が溢れ出る場所を発見…これが嘗て名水で知られた湧水だろうか?↗
春の風景も綺麗だけど、秋の紅葉のシーズンが特に人気らしい。
今度は秋に訪れたいと思いました。
…寄り道はここまでにしといて、次の神田川に架かる橋を目指します。(汗)
↑源流から数えて112番目の橋…「仲之橋」
以前は桜の枝振りが付近で最も良いと言われた花見の名所でしたが、ここで残念なお知らせが……次に架かる豊橋迄の区間は、環状第4号線の整備工事により、遊歩道が断絶しています。(涙)
遊歩道が行き止まりになってて先へは行けないの…迂回するしかないの――どうしてわざわざ花見の名所の桜を切り倒して道路敷こうとするかな~!
都心に集中する交通を分散化させる目的で敷くそうだから仕方ないけど、当初は東京五輪前に完成させる予定じゃなかったっけ?
新型コロナ流行という不確定要素も有ったけど…リニア新幹線と環状第4号線、どちらが先に完成するか、読めなくなって来たなと。(笑)
↑仲之橋上より上流側を向いた風景…開花時期の違いか、一部濃いピンクの桜になってるのが可愛いらしい。
↑仲之橋上より下流側を向いた風景…前方に見えるのが環状第4号線の一部になる予定の新橋です。
↑下流側を向いて撮った新橋と、迂回途中に撮った桜並木が途切れた空間。
尚、新橋はどう見ても車道なんで数には入れません。(前回数えた気がするけど;)
↑上流側を向いて撮った新橋と、迂回路に利用されてる新橋隣のマンションのコンコース。(汗)
こちらのマンションの管理会社が寛容なお陰で、コンコースを通り抜けて遊歩道に戻る事が出来る。
迷惑行為でマンションの住民や管理会社の方を怒らせないようにせねば。
☆仲之橋~豊橋間の立ち寄りスポット…雑貨&喫茶「iro」
遊歩道沿いに、外観がお洒落な喫茶&雑貨店が建ってます。
店内は狭そうだけど、珈琲とケーキを味わいながら、窓に映る美しい風景を眺められる事確実。
新型コロナの流行が収まったら寄ろうと考えてるので、それまでどうか閉店せずに持ち堪えてください…!
インスタ止めちゃったみたいで、結構心配してるんだ。(汗)
HP無いので食べログ記事参照(→https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130504/13245477/)
↑雑貨&喫茶「iro」にて買った「桜乃葉おこし」、人へのお土産にしたので味は解らず。
↑仲之橋~豊橋への遊歩道、途中から再び明るい表通りに出ます――といったところで、続きは次回!
【続】
それはさて置いて、前回「桜橋~神田川を下る旅~その16」に引き続き、今回は上流から数えて104番目の高塚橋~112番目の仲之橋までの区間を採り上げたいと思います。
尚、撮影日は一年前の2020年3月末頃です。(一部今年の春撮影した写真も有;)
↑源流から数えて104番目の橋…「高塚橋」
前回紹介し忘れたのですが、1つ前の神高橋は、新宿区と豊島区の境に架かります。
で、この高塚橋は両岸とも豊島区に架かります。
しかし高塚橋の「高」は豊島区高田から、「塚」は新宿区戸塚町から、一文字ずつ取ってるとの事。
神高橋から128番目に架かる隆慶橋までは新宿区と豊島区、それに文京区が入り混じり、3つの区の特色が混然一体となって、独特なカオス感を醸しています。
中野区と新宿区の境の時と比べ、川の整備にあからさまな差が無いのは、3つの区の仲が比較的良好だからだろうか?
…そう言えば現在の都知事と豊島区長は仲良かったなと。(笑)
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、高塚橋上より上流側を向いた風景。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、高塚橋上より下流側を向いた風景…ここから107番目の高田橋まで親水テラスの集合地帯です。
☆高塚橋下流側の立ち寄りスポット…親水護岸広場
心無い人が溜まり場にして、騒音等の迷惑行為を頻繁に起こしたせいで、現在は残念ながら閉鎖中。
野外ステージにでも利用されたんだろうか?(したくなる外観ではある)
↑源流から数えて105番目の橋…「戸田平橋」
名曲「神田川」の歌詞に登場する三畳一間の下宿のモデルは、以前この橋の近くに建ってたアパートと、後年「神田川」を作詞した喜多條忠氏が語っています。
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、戸田平橋上より上流側を向いた風景…橋の欄干に桜の細工が施されててお洒落。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、戸田平橋上より下流側を向いた風景…ここから下流へ向かい、ポツポツ桜並木が復活致します。
↑戸田平橋側に居た野良猫…神田川とは特に関係無いですが、傍らの吸い殻バケツとの組み合わせに、趣きを見出したもので。(笑)
☆戸田平橋側の立ち寄りスポット…「諏訪神社稲荷大神」
上流から見て左岸側、鶏唐揚げ店の片隅に、お稲荷さんを祀る小さな鳥居が建っています。
鳥居に刻まれた「諏訪神社」名から推理するに、高田馬場に旧くから建つ「東京新宿諏訪神社」と関わり有るのかな?分社か何かかな??――なんて考えたのですが、はっきりした事は解りません。
地図で確認すると東京新宿諏訪神社は、戸田平橋から早稲田大学西早稲田キャンパス方面へ歩いて行けば、突き当たる位置に建ってるもよう。
↑源流から数えて106番目の橋…「源水橋」
橋の欄干に水車や桜の絵がデザインされた綺麗な橋。
この付近は昔、水車が回る村だったそうで、その歴史を今に伝える為に、この様なデザインにしたらしい。
「源水」と言う橋名からも、水が全ての源だった土地の歴史が、伝わって来ますね。
↑源水橋上より上流側を向いた風景…土地の歴史と橋名に準じてか、親水テラスが両岸に造られてる。
☆源水橋上流側立ち寄りスポット…親水テラス(※対岸にも在り)
川床に下りられる階段は、付近の学校から要望が有った時だけ開放するのだとか。
川の流れをより近くで観て、水に親しんで欲しい――と言うのが親水テラス設置の意図らしい、成る程、成る程。
↑源水橋上より下流側を向いた風景…川沿いに植えられた桜の本数が段々増えて参りました。
この先、神田川随一の花見ルートが控えておりますので、御期待ください。
↑源流から数えて107番目の橋…「高田橋」
新目白通りが上を走る橋で、見ての通り車両の交通量が無茶苦茶多いです。
↑高田橋上より上流側を向いた風景…脇に階段が見えるのでお解り頂けるでしょうが、この橋にも親水テラスが設置されています。
高塚橋~高田橋までの区間は、親しみを篭めて「親水テラス銀座」と呼びたい。
↑高田橋上より下流側を向いた風景…前方に架かるのは、次に紹介する高戸橋です。
↑高田橋下流側は、一部が前へ出っ張り、テラスを形作ってる。
その下のトンネルより流出する「高田馬場分水路」――ここで「桜橋~神田川を下る旅~その15」と、前回の「桜橋~神田川を下る旅~その16」の記事を振り返ってください。
ちなみにこの高田橋と、前に架かる源水橋は、両岸とも豊島区に架かります。
↑源流から数えて108番目の橋…「高戸橋」
新目白通りと明治通りの交差点に架かり、明治通りが上を走ります。
二本の大通りが交差する為、車が引切り無しに通る。
更に橋の下流側を荒川都電が走る。
文章だとゴミゴミして喧しいイメージ抱くでしょうが、現地は開放的で風情有る環境を保っています。
高戸橋付近に立ってた看板によると、「戸田平橋~曙橋が架かる区間は、多様な生き物が生息し、人々が親しめる、環境に配慮した護岸整備を行っている。具体的には、神田川に棲む生き物の生息場を再現する為、現況の砂州を保存し平瀬を創出、河床にスロープを付けて石を貼り付け魚道を設置、川床の石に藻類を繁茂させる、建物の側にはケヤキ等の高木を植える等々、人間の暮らしと自然環境が調和する護岸計画を元に整備してる」んだそうな――素晴らしい!!!
↑高戸橋上より上流側を向いた風景…橋下、左は神田川の本流、真ん中と右は前回下落合駅側に架かる辰巳橋付近で妙正寺川と合体し暗渠となった神田川高田馬場分水路の出口だそう。
↑高戸橋上より下流側を向いた風景…桜並木を背景に最後の都電「荒川線(現名称東京さくらトラム)」が走ります。
ここからが凄い!ここから117番目に架かる江戸川橋まで、「上流から歩く場合の神田川第五お花見コース」に指定させて頂きます!!
↑高戸橋~次の曙橋間に架かる都電「荒川線」の鉄橋。
写真の3人が走る歩道を右折すれば、「上流から歩く場合の神田川第五お花見コース」が始まります。
↑都電「荒川線」鉄橋~曙橋へと続く遊歩道。
↑源流から数えて109番目の橋…「曙橋」
この橋より花見客の人口がどっと増えます。
↑曙橋上より上流側を向いた風景…桜の枝振りが見事、川の流れの中に見える階段の様な物は、魚が遡上し易い様に設置してある魚道です。
↑曙橋上より下流側を向いた風景…水色の太い管はガス管、水色なのは一応、景観に配慮して塗られたのかもしれない。
↑源流から数えて110番目の橋…「面影橋」
四谷怪談に在原業平伝説等、数々のエピソードの舞台として登場する有名な橋。
現在は橋の側で工事を行ってるせいで、本来の美しい風景は望めません。
大きなマンションでも建つのか?…来年春には工事終了してるだろうか?
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、面影橋上より上流側を向いた風景。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、面影橋上より下流側を向いた風景。
…上流・下流とも、橋の上から眺める桜並木は絵になる美しさなんですが、いかんせん現在は工事音が喧しくて。(汗)
☆面影橋側の立ち寄りスポット…「山吹の里の碑」
(上流から歩いて来た場合の)左岸に、小さな碑が建てられています。
工事してる敷地内の片隅に建ってるので、注意しないと見付けられませんが。(汗)
「新宿区山吹町から西方の甘泉園、面影橋の一帯は、通称『山吹の里』と云われています。
これは、太田道灌が鷹狩に出掛けて雨に遭い、農家の若い娘に蓑を借りようとした時、山吹を一枝差し出された故事に因んでいます。
後日『七重八重、花は咲けども、山吹の実の(蓑)一つだに、無きぞ悲しき』との、後拾遺集に在る古歌に掛けたものだと教えられた道灌が、意味が理解出来ず娘に対し激怒した己の無学を恥じ、それ以来和歌の勉強に励んだとの伝承が有ります。
この碑は神田川の改修工事以前は面影橋の袂に在りましたが、良く見ると『山吹之里』の文字の周辺に細かく文字が刻まれてるのを確認出来ます。
分析の結果、この碑は元々、貞享三(1686)年に建立された供養塔を転用した物である事が解りました。」(←碑の側に立ってた看板書きより抜粋)
最後にさらっと恐い事書いてますね――元は供養塔だったのか!(汗)
多分、太田道灌関わりのエピソード後付けですわ…。
☆面影橋側の立ち寄りスポット…都電「面影橋」駅
面影橋の側、新目白通りのど真ん中に位置します。
都電が車と一緒に走る風景を撮ろうと、鉄道ファンが連日詰めかけるスポットです。
ちなみに下流方面向いて撮りました。
↑面影橋~三島橋までの区間は、遊歩道が道路脇に続き、明るく開放的な雰囲気です。
↑源流から数えて111番目の橋…「三島橋」
両岸とも新宿区に架かる橋です。
嘗て近所に「三島」名の神社が在った事に由来し、付けられた橋名だそう。
そして益々増えてく花見客の姿。
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、三島橋上より上流側を向いた風景。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、三島橋上より下流側を向いた風景。
…桜も前方を覆わんばかりに濃い枝振りになって参りました。
↑三島橋の袂で振り返り、都電「面影橋」駅を撮影した写真。
☆三島橋~仲之橋間立ち寄りスポット…「早稲田水稲荷神社」
神田川から外れて、新目白通り裏になりますが(汗)、古来より地元で名の知られた水の鎮守社ですので、神田川巡りの際には是非寄って欲しいスポットです。
大本の水神様が祀られてるだけでなく、富士講跡に天神様に大国主命に堀部安兵衛、諸々、見所いっぱいです。
神社の隣の小学校裏には、二宮金次郎像も建ってます。↗
↑神社への表出入口である鳥居と、本殿。
朱色の鳥居に護られたお稲荷様の顔は、愛嬌溢れるものでした。
↑御社の裏に残る富士講跡、「富塚古墳」と呼ばれ、戸塚町の名前の由来になった場所だとか。
元は早稲田大学9号館裏に在ったのが、ここに移されたのだそう。
↑赤穂浪士随一の剣客と謳われた「堀部安兵衛の碑(堀部武庸加功遺跡之碑)」
元禄七(1694)年二月十一日、堀部安兵衛は市ヶ谷から喜久井町を通り、馬場下の小倉屋で枡酒を煽ると、高田馬場に駆けつけ、叔父の菅野六郎左衛門の果し合いに助太刀し、相手方三人をばったばったと斬り倒した。
彼のこの武勇伝は「高田馬場の決闘」と呼ばれ、後世、講談・逸話・芝居の題材に選ばれた。
尚、講談・逸話・芝居の中で、彼の功績は三人斬りから十八人斬りへと過剰な演出が加えられた。(フィクションはこれだから…)
碑の側に立ってた看板には、下記の様な説明文が記載されてました。↓
「地域の伝承として知られる『高田馬場の決闘』における赤穂浪士『堀部安兵衛』の事績を顕彰する記念碑。
江戸時代に高田馬場の管理を委託されていた甲州屋の子孫、行田久蔵が、明治43(1910)年に建立した。
当初は茶屋町通りに在る久蔵の植木園に建てられたが、昭和46(1971)年に現在地に移された。
記念碑が建てられた当時は、日露戦争後の国家主義の高揚を背景とし、忠臣蔵の再評価が高まった時代であった。
また、明治から大正にかけては全国的に建碑ブームが巻き起こり、歴史上の事象や人物に関する顕彰運動が盛んな時代でもあった。」
成る程、銅像や記念碑を建てるのが、当時のブームだったわけか。(笑)
↑早稲田水稲荷神社に参拝を済ませ、風光明媚な場所で知られる「甘泉園」へ――水稲荷神社の隣に在るんですよ、実は。
☆三島橋~仲之橋間立ち寄りスポット…新宿区立「甘泉園公園」
新宿区立では唯一の回遊式庭園との事。
名前の由来は、園内の湧水が清冽で常時涸れず、茶に適した名水だったからとか…蛍まっしぐらの甘い水だったんだね。
「江戸時代宝永年間(1704ー1711年)に徳川御三家の一つ尾張徳川家の拝領地となり、その後、江戸中期の安永三(1774)年に初代清水家の江戸下屋敷が置かれた。
明治30年頃、子爵の(中村)相馬家が所有し、庭園として整備されたが、昭和13年に早稲田大学に移譲された。
戦後、都はこの地を買収し、改修した後、昭和44年、新宿区へ移管。
以降、新宿区立公園として現在に至る。
庭園は、神田川右岸を東西に走る台地の北面の傾斜地とその低地に在って、段丘の高低差を利用し、泉の水を引いた池を廻遊する林泉になっている。
池傍より見上げる雄大な常緑樹林に囲まれ、春のツツジ、秋の紅葉が水面に映り、見事な景観を創り出しているとの事で、『日本の歴史公園100選』に選定された。」←園内の案内看板より抜粋。
↑こちらが公園内の案内図。
2つの澄んだ池を取り巻く様に樹木が繁って、情緒有る景観を創り出しています。
↑どのくらい池の水が澄んでるかってえと、オタマジャクシがわんさか棲んでるの!!
近頃姿を見なくなったと言われるオタマジャクシが、こんなにウジャウジャ!!
夏から秋にかけては蛙の鳴き声が賑やかに響くんだろうな~。
↑和風庭園には付き物の東屋。
公園の頂上部にて、清水が溢れ出る場所を発見…これが嘗て名水で知られた湧水だろうか?↗
春の風景も綺麗だけど、秋の紅葉のシーズンが特に人気らしい。
今度は秋に訪れたいと思いました。
…寄り道はここまでにしといて、次の神田川に架かる橋を目指します。(汗)
↑源流から数えて112番目の橋…「仲之橋」
以前は桜の枝振りが付近で最も良いと言われた花見の名所でしたが、ここで残念なお知らせが……次に架かる豊橋迄の区間は、環状第4号線の整備工事により、遊歩道が断絶しています。(涙)
遊歩道が行き止まりになってて先へは行けないの…迂回するしかないの――どうしてわざわざ花見の名所の桜を切り倒して道路敷こうとするかな~!
都心に集中する交通を分散化させる目的で敷くそうだから仕方ないけど、当初は東京五輪前に完成させる予定じゃなかったっけ?
新型コロナ流行という不確定要素も有ったけど…リニア新幹線と環状第4号線、どちらが先に完成するか、読めなくなって来たなと。(笑)
↑仲之橋上より上流側を向いた風景…開花時期の違いか、一部濃いピンクの桜になってるのが可愛いらしい。
↑仲之橋上より下流側を向いた風景…前方に見えるのが環状第4号線の一部になる予定の新橋です。
↑下流側を向いて撮った新橋と、迂回途中に撮った桜並木が途切れた空間。
尚、新橋はどう見ても車道なんで数には入れません。(前回数えた気がするけど;)
↑上流側を向いて撮った新橋と、迂回路に利用されてる新橋隣のマンションのコンコース。(汗)
こちらのマンションの管理会社が寛容なお陰で、コンコースを通り抜けて遊歩道に戻る事が出来る。
迷惑行為でマンションの住民や管理会社の方を怒らせないようにせねば。
☆仲之橋~豊橋間の立ち寄りスポット…雑貨&喫茶「iro」
遊歩道沿いに、外観がお洒落な喫茶&雑貨店が建ってます。
店内は狭そうだけど、珈琲とケーキを味わいながら、窓に映る美しい風景を眺められる事確実。
新型コロナの流行が収まったら寄ろうと考えてるので、それまでどうか閉店せずに持ち堪えてください…!
インスタ止めちゃったみたいで、結構心配してるんだ。(汗)
HP無いので食べログ記事参照(→https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130504/13245477/)
↑雑貨&喫茶「iro」にて買った「桜乃葉おこし」、人へのお土産にしたので味は解らず。
↑仲之橋~豊橋への遊歩道、途中から再び明るい表通りに出ます――といったところで、続きは次回!
【続】