【
戻】
「生意気女」、「男女」と影で罵られていた。
「顔は可愛いのに」と残念がる者も居た。
確か俺より2つ上だったから、今は21になる筈。
無骨な面を外して頭に巻いた手拭いを脱ぐと、意外にも繊細な造りの顔が現れた。
汗が滑る白いうなじ、整った目鼻立ち、記憶を辿れば結構な美少女だったかもしれない。
その気高さ強さ故に他人を遠ざけ、俺以外に友達は居ないようだった。
いや、現在音信不通という事は、俺ですら友達と認められてなかったのかも。
孤独なんぞ屁でもない顔で素振りに励む師範の娘に、俺は入門早々試合を申し込んだ、そしてあっさり負けた。
道場に通うまでは負け知らずのお山の大将だったから、その晩は一睡も出来ず枕に悔し涙をたっぷりと吸わせた。
明くる日には涙も涸れ、懲りずに勝負を挑み、また負けた。
来る日も来る日も負け負け負けの連荘、猛練習しても勝てない俺を、くいなは「弱い男」と嘲った。
ああそうだ、思い出した、あいつの名前――「くいな」って言ったっけな。
2千敗を数える頃、東京へ引っ越す事が決まった俺は、あいつを空地へ呼寄せ、最後の対戦を申し込んだ。
負けっ放しの弱い男のまま別れたくねェ、せめて最後くらい引分けて、好敵手として覚えられたい。
季節は春だったか夏だったか、周りの田圃に水が張ってあって、鏡みてェに満月を映してたから多分夏だ。
あいつが竹刀を振るう度に空気が凛と震え、ゲコゲコ煩い蛙の声が静まった。
闇夜に鋭く光る瞳は俺の動きを一瞬たりと見失わず、追い詰められた果て竹刀が地に打ち捨てられた。
「私の…2千1勝!君の2千1敗ね!」
落ちて転がる竹刀を拾おうと屈んだ俺の喉元、あいつは剣先を突きつけて勝ち誇った。
せめて対等に見られたかったのに、結局無様な負け犬のまま…弱い奴と哂われて、何時か忘れられると思ったら、悔しいよりも悲しくて涙が零れた。
「ちくしょう!ちくしょう!」と鼻水垂らして、みっともなく喚く俺の頭上に、声がポツリと落ちて来た。
「そんなに悔しがる必要無いよ…すぐに私の事なんて追い抜いちゃうんだから」
か細く低い声、見上げたくいなの瞳は勝者らしからぬ悲愴を湛えていて、唇は泣きそうにわなないていた。
「…なんでおまえが悔しそうな顔してんだよ?」
俺より強いくせに、負けた事なんかないくせに。
竹刀を拾って立上り、向き合うと、自分の目線が若干下がる事に気が付いた。
何時の間にか俺の身長はくいなを追い越していた。
逆に見下ろされる形になったくいなの顔が、益々悲しげに歪んだかと思うと涙が零れ落ちた。
訳の解らない苛立ちが喉を突く。
「なんで勝ったおまえが泣くんだよ!?」
「だって、悔しいもん…!!」
目を爛々と輝かせ泣き叫ぶくいなを前に、俺は呆気にとられるしかなかった。
決闘前より高い位置に昇った満月が俺達を煌々と照らす。
涙で濡れたくいなの顔が、月光を受けて白く光ってた。
「…ゾロは良いね。男の子だから、鍛えた分だけ、どんどん強くなれる。
でも私は女だから、鍛えても強くなれない。
大人になったら、私はゾロに勝てなくなるんだよ。
だって成長した後は、女は男より力が劣るから…!!」
そう言うと涙を手の甲で拭った、地面に落ちたくいなの竹刀がカランと音を立てた。
「私もゾロみたいに男の子に産れたかった…!!
そしたら負けないのに、負けやしないのに…!!
力に恵まれてるゾロが羨ましいよ…!!」
「卑怯な事ぬかしてんじゃねェ!!!!」
聞いてる内、怒りが猛烈にこみ上げた。
さっきとは逆にあいつの喉元へ、剣先を勢い良く突きつける。
驚いた拍子に泣き止んだくいなが、皿みたく真ん丸な瞳で俺の顔を見詰めた。
「男の俺は力に恵まれてて、女のおまえは力が劣ってるだと!?――誰がんな事決めたんだよ!?
俺はライバルのおまえに勝ちたくて、毎日猛練習してんだぞ!!
将来俺がおまえを負かしたなら、それは俺の方がおまえより強くなろうと努力した成果だ!!
なのにおまえは俺に負けた時、『産れつき力が劣ってたせいだ』っつって言い訳する積りか!?
剣士が勝負する前から逃げてんじゃねェ!!!!」
一気に捲し立てたら息が切れた。
呆気にとられたままのくいなの顔を見て冷静さが戻る、だが引下っては剣士の恥と開き直って畳み掛けた。
「誓え!!!将来、俺と世界最強の座を懸けて、正々堂々勝負する事を!!!
その日まで、お互い鍛えるんだ!!!
鍛錬怠って弱くなってたら許さねェぞ!!!」
竹刀を持ってない方の手を前へ差し出す。
くいなは涙と鼻水をシャツで拭うと、おもむろに顔を上げ、俺の手を強く握り締めた。
「…世界最強の座を懸けてなんて、よく言うよ!
1度だって私に勝てた事無いくせに。
でも、その意気を買って、認めたげる!
あんたは私の生涯のライバル!だから…お互い今よりもっと強くなって、どっちが1番かを決しよう!!」
「おう!!約束だ!!!」
泣きながら笑うくいなの手を握り返して俺も笑った。
――約束、したじゃねェか…。
月光が急に強さを増し、見詰めていた顔を呑み込んだ。
真っ白い光の中ぼんやり浮ぶ輪郭が、次第に成長し別の女の顔に変った。
何時の間にやら夜が明けたらしい、眩しさに堪らず瞬く。
陽の光を背に、茶色い瞳とオレンジ色の髪をした女が、俺の顔をじっと見詰めていた。
老けたなぁ、くいな、と危うく口にしかけて気が付く――ナミだ。
「漸く、お目覚め?」
「ああ…もう朝か?」
「どころか…もう昼よ!!この万年寝ぼすけべ!!!」
――ゴォン!!!と除夜の鐘の音にも似た重たい拳の衝撃で、俺は夢から完全に覚める事が出来た。
欠伸をしながら伸びをして寝床を探る、手の平に湿った土が付着した。
花壇じゃねェか、我ながらよくも熟睡出来たもんだ。
Tシャツに手をゴシゴシ擦り付けてたら、ナミが鞄からウェットティッシュを取り出し拭いてくれた。
「顔にまで付いてるのか?」
「ええ、髪にも服にもべったりよ!水撒いたばかりだったのね」
「いいって!乾いた後叩きゃ落ちるだろ!」
「泥だらけの男を連れて歩く女の気持ちを察しなさいっつの!」
みっともねェから止めろってェのに、ナミはお節介を発揮し、爪先から天辺まで拭ってく。
終いにゃ消毒とばかりに、顔にべったり貼り付けられた。
おかげで剥がされた後も顔がスースー涼しくて、夏かと錯覚する陽の下でも暫く汗を掻かずに済んだ。
ナミがティッシュを捨てに行ってる間、辺りを見回すと、正面には洋風の城が建っている。
驚いたな、いつ外国へ来たんだ?
「…何処だ、ここは?」と放心して呟いたのが耳に届いたらしく、戻って来たナミは軽蔑の眼差しで「長崎よ」と答えた。
「長崎の、ハウステンボス!」
「長崎?って事は外国じゃなく、九州なのか」
目の前に堂々と建ってる城と、続く道は赤煉瓦造り。
成る程、噂に違わぬオランダ村だ、まるで日本に居る気がしねェ。
関東平野から遥々ここまで来た記憶まるでゼロ?苦労知らずで羨ましいわね、こっちは弁当作ったり洗濯する為に午前3時起きよ、なのにあんたは天使の寝顔で殺意マックス、いっそ置き去りにしてやろうと思ったけど、1人分キャンセル料ふんだくられるのは勘弁ならないわ、仕方なく踏んでも殴っても起きずに居るあんたを着替えさせ、引き摺ってJR・モノレール・飛行機・バスと乗り継ぎ辿り着いたってのに、あんたは花壇で寝こけたまま云々と、ナミが甲高い声で恨みつらみ罵りの言葉を並べ立てるのを、右耳から左耳へと適当に受け流す。
まぁ途中で落っことされず無事着けたのは何よりと、目立たぬように欠伸を噛殺した。
一頻り不満を吐き出したナミが静かになったところで、荷物だけ先に泊まるホテルへ送る事にする。
俺達が立ってる左横の小さな建物が、場内ホテルの受付らしかった。
扉を開けて入った中は、小じんまりした外観の割に豪華だった、天井にはシャンデリアが吊下がっている。
上品な物腰の受付係の女に、ナミが旅行鞄を預けてる様子を、俺は背後からボーっと眺めていた。
女が預り証を用意してる間、ナミは気さくに話しかけ、場内情報を仕入れようとする。
俺にはからきし外交の才が無い為、この手の役は自然とナミに任せきりだ。
丁度正反対に愛嬌良しで、如才ない受け答えを得意とするナミは、振り返るとチケット2枚+パンフを、1組俺の方へ寄越した。
「1枚は入場券、もう1枚は対象アトラクション利用券だって。2日間有効だから失くさないでね!」
「おまえが持っててくれよ。俺が持ってると確実に失くしちまいそうだ」
先だってもGパンの尻ポケットにしまった筈の1万円が煙の如く掻き消えた、俺とは正反対に管理能力も図抜けて高いナミは信頼置ける個人バンクでもあった。
まァつまりは生活の全ての面で、俺はナミに頼り切っている。
出会った頃は野良猫に懐かれた程度に考えてたってェのに、今では出会う以前どうやって独りで暮らしてたのか覚えてない。
「ま、確かに私が持ってた方が安全かもね!」
そう言って笑うとナミはパンフだけを手元に残し、チケットをしまったポーチは、肩から提げたエコバッグの中に放り込んだ。
「でもパンフは見るでしょ?入場前に興味の有るイベントとかチェックしといたら?」
「俺の事はいいから、おまえの好きにしろよ。俺はおまえの言われた通り付いてくだけだ」
「張り合いの無い…初めて来た場所だってのに、あんたに好奇心ってもんは無いの?」
「おまえが来たくて連れて来た場所だからな。好きにさせようって最初から決めてんだ」
「何その殊勝な態度。希少過ぎて不気味なんだけど…」
「いーからさっさと入ろうぜ!正午切っちまう」
薄気味悪がるナミを残し、俺はさっさと前方の城に向って歩き出す。
と、ナミが慌てて腕を引っ張り引き止めた。
「ちょっとゾロ、何処行く積り!?入口は後ろの建物の中よ!!」
――は!?後ろ!?
反射的に振り返り、そして改めて城の方へと顔を向けた。
日本には不似合いな、極めて目立つ、メルヘンじみた建物…んじゃあれは何だってんだよ???
「あれは場外ホテル!!ジェイアールとか言うホテルだって、マップに書いてある!後ろの建物が入国棟って言う、パークの入口なの!!」
ナミが指差す後方にも同じく赤煉瓦造りの建物、ナミの言う通りなら真ん中のトンネル潜った先に、パークへと続く入口が有るのだろう。
良く見りゃ風にはためく色彩豊かな旗が刺さってるその下、壁に「入口」との表示書きがされていた。
だが比べると明らかに後方のが地味、紛らわしい事この上ねェ!
入口は初めて来た人にも判り易く、派手目に造っとけよ!!
並木と花壇で城…ホテルへと続く道まで造ってあったら殆どの客が誘導されちまうわ!!
憮然として前後の建物を睨んでる俺を、ナミは馬鹿にするよう笑ってこう言った。
「迷子にならないよう、しっかり付いてくるのね、億年方向オンチさん!」
【続】
…入国棟よりも目立つ場外ホテルの公式サイトは
こちら!(※回し者では非ず)