kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

夜を過ぎ朝になったら

2019年09月15日 | 生活詩
夜から朝になって
君は目覚める
朝の光の中を
歩いてゆく

夏の陽ざしはなく
やわらかい陽ざしが
君を包み
木々は葉を茂らせ
歌うだろう
君を迎えるために

空の雲が動いて
君に映画を見せる
鳥は飛んで
セリフを言う
風は君の袖口を揺らし
訴える
会いたかった
って

いつも初めてのことばかりだ
よく見てごらん
昨日との違いを
空の動きを見てごらん
あの雲は君に言う
「やあ、お初だね」

考えるな
憶えるな
思うな
歌えばいい




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あわれな鳥たち

2019年09月15日 | 生活詩
君がいないとさみしいよ
いつもそばにいてほしい
本当のことを言ったら


君は本当のことを教えてくれる
誰も知らないことばかり
君は知っている
神の石つぶての痛さも
神の包容のぬくもりも

本当のことを言ったら
君とずっと一緒にいたい
でもそれは実現しそうもない
見通しもない
金もない
ただ本当のことを言うと
君のそばにいたい
ずっと

あわれな鳥たちが
君のところにきて
訴える
いつまで火があがるのか
煙はいつ消えるのか
空を返してほしい
わたしたちの空を
って鳥たちは泣きながら
君に言う
一羽の鳥が
君の胸に潜り込み
鼓動を合わせる
世界は鳥のための
楽園だったことを
俺は君に教えてもらう

ずっと一緒にいたい
君と一緒にいたい


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手を使うな

2019年09月15日 | 生活詩
思考なんてするな
思えばいい
一瞬だけ
それが正しい

継続なんてするな
今行きたいところへ
足は向かってゆくようにできている
定型って何だ
誰が作った
それはお前の立法か

知らないヤツと
知らない話をするんだ
何かを得ようなんて考えるな
そのうち
嫌でも体にまとわりついて
消えない匂いになってゆくんだ

砂の上を歩てみなよ
どれだけ歩きにくいか
裸足でやってみなよ
足跡くらいはつくだろうが
すぐに風に消え
雨で流され
おまえの記録なんて
どうでもいいことだ
って気づくだろう

気の向くことだけをしなよ
それが幸せの揩ネんだ

悪いやつらと付き合うなって
誰に教わった?
教師か? 親か?
ふざけるなやつらが一番くせ者だ

反逆なんてするなよ
勝手にしてれば
嫌でもパトカーが追ってくる
光栄じゃないか
生きてるって感じがあるだろう
老律は破るためにあり
新律は叩き壊すためにある

自由に生きろだって
笑わせるな
森の中の自由な連中を見てみろよ
今日生きてゆくだけで必死さ
生きてくことは楽じゃない
苦しく悲しいだけだ
だから頭を使え
そのために足はある
手を使うな
足で知るんだ
真実なんて馬鹿なことを言うまえに
あの木まで行くんだ
そして祈れ
泡立ったスープが飲めますようにってな






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全部あるんだ

2019年09月15日 | 生活詩
空の青に行ってみたい
あそこにはなんでもあるのさ

海の青に行ってみたい
あそこにはなんでもあるのさ

君の瞳に行ってみたい
そこには誰をも愛する力がある

道の黒に行ってみたい
自分の影が消えてなくなるまで

草の緑に行ってみたい
そこには生きる知恵がたくさんだ

飛ぶ蝶の羽根に行ってみたい
空気の流れの色彩が見えるから

魚の鱗に行ってみたい
水の暖かさがわかるから

虫の目に行ってみたい
見えなかったものばかり飛び込んでくるんだ

神の目に行ってみたい
俯瞰なんてしてないことがわかるから

宇宙なんてどうでもいい
手につかめるものだけを
信じろ
目の前のものが
すべてなんだ




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その角を曲がれ

2019年09月15日 | 生活詩
彼がしてきたことは
実はたいしたことじゃない
名声と地位を手にいれて
人に裏切られただけだ

でも彼に同情なんてするな
自業自得だよ
全部自分で欲しがった結果さ
君だってそうだろう
今日食う飯さえないのは
君が選んだことだ
判ってるんだろう
本当は自分が幸せだってことを

さみしい涙なんて
世界中で流れっぱなしだ
それをいちいち言う必要はない
悲しい言葉なんて信じるな
本当は幸せの絶頂なんだぞ
悲しがるなんて笑えてくるよ

生まれたことを悔やむ前に
行ってみろよ
あの店に
あそこでたむろしてる連中の
脚を見てみろ
蹴り上げるためにだけ使って
金を巻き上げ
浮浪者にくれてやってる
そんな偽善者たちの
苦しさを
見てきなよ

寄付してくれって
また来やがった
てめえが働いて金を作れよ
誰も助けてはくれない
知ってるだろう
みんな一人なんだ
たかだか連れが二人か三人



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裸の水瓶

2019年09月15日 | 生活詩
太陽の下をまっすぐ歩いていけばいいんだ
途中でパンでも買って
リュックに入れて
食べながら歩きなよ

どこまで行っても
旅は終わらないんだ
知らないことは知らないままなんだ
だから動けよ
動けば判ることだってある
それが雨粒一滴分でも
海の養分には違いない

山に行け
谷に行け
人に会え
緑に触れ
体を全部晒すんだ
服を脱いで
肌身で知るんだ
誰が見ていようと
今さら知らぬことだろう
好き勝手に生きてきたはずだ
今さら堅気になんてなれるものか
できそこないで動いていけば
そのうち欠けていたものが
見つかって
君に寄ってくる

水瓶に入っているのは水じゃない
そんなこと知らなかったなんて
今さら言うなよ
水瓶の中には
夢も希望も絶望もないんだ
君が入れるんだ
昨日見た花の色を
たんまりと水瓶に詰めてやるんだ
誰かの鼻がその匂いに気づき
嗅ぎたいために近づくまで

仏は近くまできていた
君に言った
大丈夫だ心配するな
ただへまだけはするな
嘘をつかれるより
騙してやれ
俺みたいに
賢くなれ
うまくやってゆくためのことは
全部仏典に書いておいただろう
何度でも読むんだ
嫌になるまで
だが俺を嫌になることはずっとない
何故って
君が仏だから


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間違えるな

2019年09月15日 | 生活詩
思いは通じない
誰にも
考えは通じない
誰にも

でも太陽と月がある
空もある
それだけで十分じゃないか


心なんて信じちゃいけない
あるのは
一瞬の思いだけ
間違えるな
騙されるな
君の心に噛みつく猛獣たちの
涙の色を見るがいい
どいつも好きで噛んでくるわけじゃない
君の肉の香りで生きたいだけなんだ

何故生きてる? だって?
今さらそんなこと言うなよ
それより
おいしいリンゴを食いなよ
一番高いリンゴを丸ごと食っちまいな
そうすれば
答えはでるよ
できることから始めればいいんだ

誰も君の事なんて知ったことじゃない
それを知るまで何十年かかったんだ
今さら言うなよ
「あの人はわたしが好きなのか?」
なんて


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海へ行こう

2019年09月15日 | 生活詩
君は元気そうに振る舞う
何でもないような顔をして
いつものように
洒落た言葉を言う
けれど
本当は海に行きたいんだろう

過去はいつも君を叩く
未来はぼんやりと霧がかかって
現在君はコーヒーを飲んでいる
黙っているけれど
本当は泣きたいんだろう
海に行って溶けたいんだろう

街の中で知らぬやつらが
君をのぞき込み
笑いひそひそ言う
君は振り向かず
まっすぐ歩いてゆくけれど
振り向きたいんだろう
笑う連中の顔を見るために

海へ行こう
今すぐ
海へ行こう
今からすぐに
行けない事情なんて
どこにもないはずだ
海へ行こう
今からすぐ
君は海になるんだ
そうすれば
君は助かる


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淡々がよろしいのかな?

2019年09月15日 | 生活
昨日
思っていたことがある

吉田拓郎の歌い方

彼は淡々と歌う
それが良い
声質が良いというのもある

ところが
淡々と歌う歌手
大貫妙子も好き

けれど
激しいものが好き
奥田民生とか
加川良とか
金森幸介
いとうたかお

淡々と歌う時があるけれど
どこか
情熱がある

それはおそらく
生き方に由来しているようにも思う
わたしは
激しいのが好き
だから
たとえば
昨日見た友部正人の淡々とした感じも
大好き
けれど
あこがれる
自分にはないものとして

小説も激しいものしか書けない
静かなものは書けるけれど
淡々とはしていない

どちらが良い悪いではない

これは性分みたいなもの

淡々としているようで
激しさを持っている人
激しさの中に
淡々としたものを持っている人

両義性かもしれない

まあとにかく
炎天の中
木陰で
ふと
吉田拓郎の歌い方を
考えていた


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友部正人

2019年09月14日 | 生活




9月14日(土)名古屋・得三・友部正人リクエスト大会に行ってきました。
お客さんが入場時に紙に一曲書いて、箱の中に入れ、友部さんがステージで箱に手を入れて、ランダムに選ぶという楽しいアイディア。
3時間たっぷりのライブ。
ステージのうしろには
譜面立てが6台か7台置かれてあって
そこに年代順だろう詩が置いてあります。
ビジュアル的にもそれはとても良い感じです。
友部さんは
わたしも紙に書いてリクエストした『絵葉書』の詩がどうしても見つからなくて「あとからやります」と言い。
ほどなく急きょどこかで仕入れた『絵葉書』の詩がスタッフから手渡され、『絵葉書』を聞くことができた。
フォークソングのライブというより、詩の朗読会みたいで、今日は詩人、友部正人の言葉の一語一句を聞き逃すまいと、かなり集中しました。それでいて、とても素敵なライブで、行ってよかった。もっと聞きたい歌がたくさんあったけれど、その欲求が満たされない状態が一番良いのだろうと思います。一緒に行った友人のリクエスト曲は結局、紙に書かれてはあるのですけれど、友部さんの手には触られず、少し残念そうだったのが気の毒だったなあ。。。

わたしの好きな
日本のフォークシンガーたちは
楽器を持って
全国のライブハウスをめぐる。
吟遊詩人たちのように。

言葉を歌う
それは正統な表現方法
いくら詩人たちが朗読をやっても
あまりおもしろくない
盛り上がらない

ところがちゃんとリズムをもった人が
メロディと楽器を使い
詩を歌う
これは
実は凄いこと

本の詩は歌われると
違う顔を見せ始める
そんな素敵




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瑠璃の橋まで

2019年09月13日 | 生活
会うと
ホッとする
そんな人

名古屋で
知っている場所の中で
一番大好きな場所
そこを朝夕
自転車で抜けてゆく

広くない
深くない川があり
木が生い茂り
草が水面に迫り
野鳥保護区にもなっている
水があり
木があり
虫がたくさんいれば
鳥は来る

オオサンショウウオも近辺で
発見目撃され
その詳細な場所は明かされてはいない

細い散歩道
たくさんの人が行き交く
木漏れ日さえできないほど
両側に枝が生い茂り
川には魚がいる
小さなものから大きなものまで
ゴイサギが川面を飛んでゆくのも見た

そんな景の
川に沿った短い並木道

---

日中
雲っていて
過ごしやすかった
気温も低い
ここにも
草がいっぱいある
その形状のいちいちを
垣間見る
枯れた小枝を
音を出して折って
固くなった小さな枯葉をちぎり
硬い小枝で遊ぶ

木もいっぱいある
トンボ
飛ぶ

空もグレイだけれど
たくさん見える

ルオンが
昨日
「夜お祈りすると良い」
と言った
そう言った
やってみよう
と思う
朝はちゃんと
夜は簡単に挨拶だけ


寝る前に
深くお祈りすると良い
と言う
そう言った

川の終わりの橋あたり
黒いトンボが群れている
いつも見る
それだけ
生態系が良いということ
誰にも
運良く
荒らされない
自然界の生き物たち

その橋は
瑠璃
というのだ





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14歳の君に

2019年09月12日 | 生活詩


もしも
わたしに義理の息子ができて
それが中学二年生であっても
どんな義理の息子でも
愛する自信がある

14歳の子供の未来
わたしの14歳と重ねてみては
その限りない可能性に
夢を託すでもなく
笑って
見守るだろう

時に黙って
時にうながして

彼の人生は一度だけ
楽しく笑う時間が数秒でも多く
彼にもたらせることができるのならば
どんな馬鹿でも
わたしはやるだろう

時には一人になって
自分のことを考え
これから生きる彼を
応援するだろう
彼の良いところを探しまくり
それとなくそこを推すだろう

間違っても
君に
「24時間以内に死んでくれ」
とは言わない
わたしは言葉の浮ウを知っている
君が危機になった時
「あと24時間だけ生きてくれ」
とまず言うかもしれない

君よ
今度生まれた時は
わたしの息子に生まれなさい
14歳からの人生の喜怒哀楽を
存分に味わって
生きてください
お願いします








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58歳です

2019年09月12日 | 生活
    
         
    
    
    


バタバタと朝から夕まで
慌ただしい一日です

夜中
あけたままの
窓から
冷たい風が吹き抜けてきて
寒くて目が醒めた
ネックウォーマーと
毛布と夏布団にくるまって
再度
眠りに入る

早朝
この冷たく強い風こそ
部屋のものを吹き飛ばすほどの
風が懐かしかった
この夏
無風の日が多かった
これで
やっと
涼しくなり
すぐに寒くなる

いろいろ
悶々とし
行動し
疲れて
決定して
出かけて
帰る
南西へ
南東へ

ほとほと
くたびれる

良いメールを頂いたおかげで
安らいだけれど
しんどい人生だなあ

今日はしみじみ
と思う
58歳の誕生日の幕開けは
朝から不安と緊張に囲まれ
さすがに気落ちする
58歳の幕開けは
散々だけれど
打開し
走り
帰り
くたびれ
明日からの段取りで
また出かけ
戻る

ああ
やっと
これで一日
終わりそうだ
終わり良ければ
すべて良し

もやし10袋10円
バナナ二房128円
そのレベルの安さの八百屋
もやしはすぐに腐るので
冷凍庫に

生活を営む
束の間の
青空見学
花見学
葉っぱ見学
その
おのおのは
なぜだろう
どれも
同じ星の地上に立ち
空はこの星の
上に
いつもどこでも
ある
それが
青い
ということ
そのきれいを
見る刹那






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無思考からの逃走

2019年09月11日 | 文学
『燃えあがる緑の木』

その動画を見ていると
作品を読んでいた時のことが
思い出せない
本は確かに本棚にあるのに
内容もすっかり忘れている
読書で内容を憶えているのが希少だ
村上春樹なんて読んだ直後から
あれ何が書かれてあったんだろう
っていうことが常
読書は音楽みたいに
感覚しか残っていない
『燃えがある緑の木』も同様
憶えていないのだ
憶えられないのだ

ただ動画を見ていて
大江健三郎の
「一瞬よりわずかに長い時間」
というフレーズの意味
それはとても重要
その数十秒、数分間を
死者たちと見た記憶があり
それを死者とともに
現在も見ることができる
これは「魂」の問題であり
永遠に「魂」はどんな形であろうと
生き続けている
という大江の確信である

そこに
死んでも永遠に魂は生きて
わたしたちと共にいてくれる
それが
わたし自身にとっても
救済になった

大江が
救済を描く
わたしが大江を読む気持ち良さと
癒しと安心は
生死の区分ではない
「魂」の永遠だ
あのゴツゴツした文体だからこそ
一行一行
立ち止まって考えながら
の「時間」を与えてくれる
読者が
通りすぎないように
と願ってのあえての悪文

大江の初期の文体を
村上春樹は模倣している
と鋭い指摘を
カフカ先生は当時
発した

それくらい
大江の初期の文体は
読みやすかった

あえて変えた
読者は離れ
新しい読者を呼び込んだ

---

すごく前
吉本ばななちゃんが
言っていた
「死者との対話が一番リアル」
それは理屈抜きで共感した、する

死者は何も言わない
けれど
語りかけることで
繋がっている

昨日は大好きだった祖母の命日だった
あれから48年も経った
「兄も俺も歳をとったよ、知ってるでしょ」
そんなことを
西の空に向かって
話している

祖母との
『一瞬よりいくらか長い時間』
それを今でもいくつか思い出すことができる
その場所に立てばさらに良いのだけれど
思い出すだけで
匂いまで嗅げそうだ
祖母の笑顔

『燃えあがる緑の木』

魂は作中の『森』に帰ってきて
わたしたちと共に暮らすという
森は二酸化炭素を吸収し
酸素を排出する
動物は酸素を吸収し
二酸化炭素を排出する
それが植物と動物の共生関係だ

その森の空気を呼吸することは
さらに身体的に死者と
共有することを意味し
一体化するという大江の言い方

既成の宗教ではなく
なにもない祈りと瞑想の場所
それはどう考えても
大江が『キリスト教』と書けない
ところである

いつだった
大江は松山だったか
牧師に言われた
「あなたはそこまで信仰をしているのだから、信仰者だといって良い」
そう言われた大江は
逃げ帰ったという
信仰を否定する
つまり何かを信じると
すべてのことがらが
全部教義の解釈になってしまう
あらゆることを
宗教的に片づけてしまう
それは結果の原因
または結果の理論を考える
ということをしなくなる
という恐れからだとわたしは思う
原理の無思考性を大江は恐れた
大江はインテリだから
何故か
という問いを
すべてに持って
それを宗教という原理で
片付けてしまうことから
「逃げ帰った」のだ

だからすぐそのあとに
『信仰を持たない者の祈り』
というエッセイを書かざるを得なかった
それは大江の意思表明以外
何物でもない

大江は構造主義の魅力に取りつかれた一人であるにも関わらず
信という原理に強い実感と憧憬を持たざるを得ない

牧師が言ったことは本当だったからこそ
理に帰らねばいけない
と立ち返ったけれど
それでも
上記の題が示すように
大江の中で
感受と理論の両方を
原理主義と構造主義の両方を
両肩に担ぎ
脚を踏ん張って
生きてゆく
という表明である

信仰に沿いたい
けれど
自身でストップと言う
ある意味
考えたい欲望を持つ人の
禁欲性といえる

---

大江の言葉で
『自動化作用』
という言葉がある

それは
普段見慣れている

部屋
ドライヤー
パソコン
通いなれている
植え込みの花

それを脳は一度認識して
自分に危害、危機を与えない
対象だと認めると
当たり前のように
見過ごしてしまう
自動的に
「これはドアだ、これは鍵だ」
と再認識せずに
家を出てゆく
ところが
そのドアを初めて見た驚き
鍵を初めて見たとき
そのギザギザの形状の複雑さを
おそらく誰もが数秒間は見る

あらゆることに慣れてしまうと
新鮮さは失う
自動的に鍵をとり
ドアを閉め
いつもの道の
草や木
店を
通り過ぎてしまう
しかし
今一度
すべてをちゃんと見る
それの観察の力を再生することで
新たな発見がある
『自動的』に見過ごしてしまうことの危険性
無思考、無観察、無認識、無意識
それは良くない
という意志を込めて
怠惰な常態を
『自動化作用』が起こっている
と書いた

中上健次も同様のことを
端的な言葉で現わしている

「外国人の目で物を見ろ」

二人の巨人たち
そのあとに
巨人は出現していない







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体感する温暖化現象

2019年09月11日 | 生活
     
     
     


秋になったと思えば
昨夜は熱帯夜に近く
朝まで扇風機をまわしていた

今朝の空は雨雲がたくさんあって
ツクツクボウシがわずかに鳴き
猫も暑さにだれて寝そべっている

雨が午後から降る
そんな天気予報は
朝には解除され
くもりマーク
雨が降るからと
ベランダの植物に
水をささなかったけれど
早速
さした

散歩のあとの
アイスコーヒーと
エッグパン
定番のメニュー
ファミペイを1000円入金すると
箱ティッシュをまたいただく
これで4つ目

昨日いただいた
たくさんの生活必需品も
ストックとして
二階の部屋に置いておく
これでどれだけのお金が浮くだろう
うれしい
ありがたいのは
折りたたみ傘だ
必要だった
ありがとうございます

イートインで
簡単にスマホを見て
手帖に言葉を書き
今日やることを箇条書きする
8月は
そんなことさえ
できなかった
自炊もできなかった
やっと
戻ってきた

季節はまた夏のよう
昨日はまだ熱中症で
子供たちが唐黷スという

ヨーロッパでも
熱波が凄いという
たくさんなくなっているという

地球は熱くなってきていて
生態系が変わる
昆虫
植物は大きくなり
耐性がつく生物は生き残り
そうでない生物は淘汰される
それは摂理だからしょうがない




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