kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

吉本隆明

2010年03月14日 | 文学
ETV10の再放送で、
吉本隆明を見ました。
一年か二年前に、
放映され、その時も今日同様に、
ビデオ録画をしていたのですけれど、
どこかでなくしてしまいました。
だから、
今日、再放送があって、
良かったな、と思っています。
以前見た時は、
解らなくて、
ビデオを巻き戻しながら、
メモも取って、
勉強したのですけれど、
そのメモもなくしてしまいました。
僕はなくすことはめったにないのですけれど。

吉本隆明は、
番組の最後の方で、
「役に立たないことが、件pの本質なんです」
と糸井重里に言いました。
僕は、そうなのか、
件pは、役に立たないのか、
と思いました。
というか、
いつの間にか僕たちは、
役に立つものを、
と思い込まされてきてしまっていて、
そうか、役に立たなくてもいいんだ、
と、
たぶん、
番組を見たたくさんの件p家は、
思ったに違いありません。
吉本隆明がそう言ったことが重要です。

今日の映像は、
たぶん誰もが吉本隆明の印象の一つとして、
強く心に残るものでしょう。
「吉本隆明がこう言った」
というだけで、それだけで、
いいのだろうと思います。

腰の曲がった吉本隆明は、
インタビューを終え、
廊下を歩き、突き当たりを、
左に曲がって、
その姿を消したと同時に、
白い猫が吉本隆明の道程を、
戻ってくる、
それがラストシーンです。
詩的だ、と誰もが思うことでしょう。
北野武が映画の撮影の時、
確か、お寺の門を撮っていて、
偶然、猫が横切ったことがあり、
そのことを、北野武自身が、
シーンとして、
「やったね!」と偶然に歓喜していたのを、
思い出していました。
NHKの映像の人たちも、
あの白い猫の登場には、
きっと歓喜していたことでしょう。
「暗喩としての猫」とか、
そんなことを言い出す人もたくさんいそうです。
にしても、
猫はやっぱり、件pに近いです。

件p言語論で、
自己表出という言葉が出てきて、
「言葉」の問題ですけれど、
木にたとえると、
根、幹にあたるものが、自己表出、
花、実、枝にあたるものが、指示表出、
とのことです。
つまり、
花があって、
「ああ、きれいな花だ」
と自分に言うのが、自己表出、
誰かといて、花が同様にあって、
「きれいな、花だね」
と他者に言うのが、指示表出。
指示表出は、伝達であって、
「伝達としての言語は件pではない」
と吉本隆明は一番最初に、言いました。
凄いなあ、と思っていて、
花や実は、件pではなく、
幹、根が、件pである、
と言いました。
でも、
一本の木はたいてい、
根と幹と枝と花と実、
そして一番目につくのは、
葉です。
全部があって、
一番だと思います。
それに、
花はきれいだし、
実は食べられるし。
まあ、
だからこそ、
件pは、役に立たないというのでしょうけれど。
僕は、件pが好きなので、
幹や根を大事に思います。
テレビをつけると、
花や実ばかりで、
ちょっと食傷気味と感じている人も、
多いのではないでしょうか。

もう一つ、
吉本隆明は僕にとって、
大切なことを言っていました。
それは、
「人間が自然に、加える(というか)、自然を表現することで、
自然も変化して、また人間の側にも新たな変化が及ぶ、受ける」
という、内容のことです。
僕はかなりこのことは、凄いことだと思いました。
実際の花を絵に描いていたら、へんてこな花を描いてしまった。
でも、へんてこな絵は、「どうしてこんな花を僕は描くのだろう」、
と戻ってくる意識のこと、だと今はあえて解釈してみましたけれど、
この話で、
僕が一番強烈に思ったことは、
花と無言の会話をしている、
それは喜びに満ちていて、
広がり、遠くまで行くことができる道を、
作ってくれる、
そんな心象の、
全景です。


あと、
モーツァルトの演奏者の話。
モーツァルトという人を知って演奏するのと、
楽譜だけを見て演奏するのとでは、
大きな違いがある、
というくだりです。

浅はかであっても、
無知をあらわにしても、
やっぱり、
ちゃんと思ったことを、
書き残しておきたかった、
そんな思いで、
これを書いています。
それはどうしてかというと、
書きたいからです。

人間と自然に、
相互関係があるのと同じように、
教養と表現も、
互いに求め合い、刺激しあう関係なのだろうと、
思います。

糸井重里が、
「現代、みんな間違いを、
どこへ戻っていってやり直せばいいのか、
わからない、
でも、
吉本さんは、
<あそこに太陽があるでしょ>、
と方向を示してくれる」、
大きな自然の叡智、
からの見方を、
たぶん糸井さんは言いたかったのだろうと、
思うのです。

お風呂に入りながら、
そのことを、まあ考えていて、
マルクスの話を思い出していて、
「結果には必ず原因があるんだよなあ」、
と、
当たり前のことに、
気がつきました。

良い番組でした。
先回も見ているのですけれど、
初めて聞くような感じです。
きっとタイミングが今日の方が、
合っているのでしょう。

本じゃなくて、映像なので、
吉本隆明が言っていることに、
立ち止まって考えているうちに、
映像は次の話になってしまっています。
考えている間、
僕は吉本隆明の、
あの穏和な表情と、
情熱、
あの手を、
目は見ていました。

もうひとつ。
「自己表出は自己表出にしか対応しない」、
という発言や、
「現代の件pが、
たくさんの素材があっても、
過去の件pに劣る」、
という発言を、
お風呂からあがってすぐに、
思い出して、
ここに記しておかねば、
と思いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南へ

2010年03月07日 | 熊野
 
      


先日、友人と、取材? を兼ねて、
「往復ワイドビュー南紀で行く! 秘湯川湯温泉 期間限定名物<仙人風呂>スペシャル」
に行ってきました。
いわゆる、バスで熊野をまわる旅行です。
バス旅行の良いところは、値段が安いことと、
バスガイドさんがいろいろ教えてくれることです。

写真は潮岬の展望台です。
雨がけっこう降っていたので、
展望台まで上ってくる人は、
少なかったけれど、
僕らは行きました。
なぜかというと、
行きたかったからです。
潮岬が最南端だということも知らない僕は、
この南のペンキの文字を見て、
ああ、一番南まで来たんだな、
と思いました。

雨の、
速玉神社は、
三山の一番最後の場所でした。
那智大社はけっこうゆっくり見られましたけれど、
本宮は短い時間しかありませんでした。
だから、
速玉神社に着くと、
僕は真っ先にバスを出て、
傘をさして、
走ってゆきました。
ガイドさんが「お気をつけて」
とか言いましたけれど、
振り返ることもなく、
まっすく境内に行きました。
僕は一分でも多く、
速玉神社の境内の中にいたかったのです。
もっと本当はいたかった。
もっと近くにいたかった。

初日は、晴れていて、
那智大社で、ずっと財布に入れておいた小さなお守りを、
やっと返すことができました。
あらたに、また小さなお札をいただきました。
滝は、流れていました。
友人は、このツアーを楽しみにしていて、
とにかく熊野三山のお札を三枚もらってくるのが、
目的の一つでした。
友人は、暇なとき、
木彫りをしています。
僕も仏を一体、彫ってもらったことがあります。
そして、今度の熊野行きのため、
自ら神棚を作ったらしいです。
(こないだ、宅にいったら、確かに手作りでした)

川湯温泉は、寒い時にしかやっていないので、
期間限定です。
僕は熊野に年に二度、三度と足を運んでいたけれど、
この川の中の温泉だけは、
本当に入るのが夢でした。
今回それが実現して、うれしかったです。
脱衣所も、粗末なもので、なきに等しい。
それでも、山に囲まれ、
岩にもたれての、温泉です。

夜、川に沿って建っている旅館専用の、
露天風呂に入っていると、
雨が降ってきました。
お風呂に入っているので、
雨も気になりません。
夜の山の、小さな露天風呂です。

熊野は、かまえていくと、
跳ね返される、
と本宮の宮司さんに以前教えてもらいました。
友人は、
熊野に、
圧唐ウれてしまい、
また行きたい、
と言っています。
かまえていなかったんだろうな、
と思いました。

そうそう、
泊まった旅館の、
ロビーの一角に、
部屋があって、
友人が手招きするので、
行ってみると、
テレビがついた部屋にソファーがありました。
誰もいません。
友人が本棚を見てにこにこしています。
見ると、
熊野のガイドブックと一緒に、
中上健次の全集が揃っていました。
これはうれしかった。
「娯楽室に中上健次だよ」
と友人は言いました。
いいなあ、と僕も思いました。
友人は、かなり本を読む人なので、
この「熊野集」がナンタラカンタラ、とか、
中上健次の話です。

      




翌日、新宮から潮岬へ行く途中、
バスガイドの小川さんは、
中上健次の墓がある場所を、
手で知らせてくれました。
その墓地の中に、
中上健次がいるんだな、
と僕らは思いました。
でも、もっぱら、小川さんの、
ツアー客への文学者の話は、
佐藤春夫の話が多かったです。


先日も、テレビで、
日本のパワースャbトの一つに、
熊野がとりあげられていました。
本宮が紹介されていましたけれど、
那智大社、速玉大社も、かなり強いです。
本宮は厳しいけれど、あとの二つは柔らかいです。

テレビを見ていて、
奈良の三輪大社をとりあげていました。
今度は、一度、加藤先生に同行させてもらった場所、
三輪大社に再び、行きたくなりました。

とにもかくにも、
あれだけまわって、
たくさん食べて、
一泊して、
ワイドビューで、
2万弱なんて、
けっこう、バスツアーが、
好きになりました。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする