kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

煮る

2008年10月31日 | 生活
くもり。
Tさん、あーーー、転勤。オジと寂しがる。

帰宅。今度の日曜日は、終日、麻雀。メンバーが足りないというので、
しかたないです。
なので、日曜にすることを、
キツイのをおして、
今日、やった。煮物多々、洗濯。
ひじきの煮物と、切り干し大根の煮物と、
かぼちゃを煮て、水菜を煮た。
で、ふらふらして寝た。

そうそう、とうとう、街中から少しはずれたところに、
すこし回り道したところに、
八百屋を先日見つけた。
値段は高くもなく安くもなく。
でも、野菜がなくなったら、重宝な店である。
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紙まるめ

2008年10月30日 | 生活
今日は労働後、
六時から労働場の休憩所で、
飲み会がありました。
僕もオジも、お酒は飲めないので(って嘘ですけど)、
「小久保君、7時には帰らせてもらおうな」
とマジでめちゃくちゃ体がシンドイし、
明日も6時半から労働だし、
はっきりいって帰りたい、
というのが僕らの心情。
下座に座って、出口に近い場所に座り、
服も着替えて、
即、立ち去れるようにスタンバイオーケー。
で、
始まりました。
寿司やら、チャーハンやら、
パン生地でなんぞが巻かれた、
なんつーの、あれ、西洋春巻き、生春巻きっていうか、
薄いパン生地に、野菜やらハムやらが巻いてあるやつ、
等を、わいらは食らった。それがとんでもなくおいしい。
はあ、人はこんなものを食らっているんやな、
と少し驚き、
まわり、職人さんばかりで、
ほどなく偉い職員さん達が登場。
で、わいらは起立して挨拶。
で、偉い人達は、
どうしてだ、
なんでか、下座に座ってしまい、
わいらは、緊張した。至近距離。
「小久保君、もっと食え」
と小さな声で言うオジ。
食わないで、じっとしているとよくない。
でも、わいはオジほど気を使わないので、
食った食った。
ウーロン茶なんかを、紙コップにぽとぽと入れてみたり。
「いや、うまいわ、これ」
と偉い人らにもわずかに聞こえるように、大人の配慮、
声を微調節しつつ、
西洋春巻きやら、いろいろ食った。
ゴマでまぶした団子が乗った皿から、
オジが、
「小久保君、これも食え」
とゴマ団子。
それは、中が甘い。あんこの団子だ知らなんだ。
人はこのようなものを食っているのか、
とマジで初めて食べるものが多い。
で、もう食べられないとわいは言う。
でも、黙っているわけにもいかず、
さりとて、なんぞを話すこともなく、
内輪のオジと話しているのも失礼だし、
でも、偉い人達の方には、目も合わせられない、
仮に、
個人的な、世間の話題になると、
わいらはばちばちに人と根本的にずれているし、
オジはうつむいて、
念じているし、
「さあ、帰ろう、そろそろ」
とわいはオジに念を送るまでもなく、
オジはひたすら7時になるまで念じていた。
で、本気で、そろそろ、
とわいらは発語した。
右側は酔い始めた職人さんたち、
左側が偉い様ら。
「上着だけ着るわ」
とオジが立ち上がった。
で、そのまま偉い様にオジが挨拶して、
わいらはおいとまさせてもらう、
という流れ。
ところが、
オジが、また席に座って、
「え」
とわいは胸でひとりごち、
なんやら、今度は、オジが、
テーブルの紙をまるめはじめた。
もじもじしている。
そわそわしている。
はあー、人間というのは、
奇妙な事をするな、
と笑ってはいけない、と大人なら笑うところじゃない、
と辛抱したけど、無理だった。
「オジ! 何しとんや、紙まるめてどげんするんじゃ?」
とわいが笑うと、
「待て、ちょっと待っとけ!!」
とオジも変な笑いと緊張と、
タイミングを見計らっていて、
こんな事態の時は、素早きが良し、
オジが偉い様のとこに行って、
挨拶をして、
もじもじ、そわそわを勿論見ている偉い様は、
こころよく、
「あ、はい、はい」と発し、
わいらを引き留めるなんてことはしないです。
で、その場を立ち去ることの素早さは、
脱兎の如く、
で、外に出て、
「オジ、何で紙まるめとんや」
と夜の街で、わいらは笑いがとまらなんだ。
オジの仕草は、吉本というか、志村けんのコントみたいで、
僕は帰り道、自転車を漕いでいる最中も、
家に帰ってからも、
本当に笑えて笑えて、大変だった。
どーして、オジって、
あんなに面白いんじゃろう。あー、楽しかったし、おいしかった。
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緑を吸う

2008年10月29日 | 生活
緑を吸う

パチンコ屋の前に座り込み、
携帯電話で泣きながら話す女
朝早く。
ほどなく、
立って、東に歩んで行った。

百十円、拾う。
野菜をたくさん買う。

朝、草の川を見、
草は刈られていた。
虫はまだ刈られていない方へ逃げた、
と想。
ほどなく、
また草は生える。
緑を吸う
信号待ちの数十秒だけ。
緑は、
緑は、
良い匂いがする。
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フロンティアのパイオニア

2008年10月28日 | 生活
空青く、
風弱く、
人、歩き、話し、
陽、来、
高橋尚子、
今年の春、その走りを目前で見て、
泣きそうになって、家に急いで帰った。

フロンティアのパイオニアという歌を、
まだ見ぬ高橋尚子の幻の評伝映画に、
ドキュメンタリー映画に、
高橋の走る姿に、
僕なら重ねる、使用する。
・・・
 
 「遙かに遠くへ 
  走る 走る ひとり ひとり ひとり」
                
 
                 ---奥田民生「フロンティアのパイオニア」より。

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中上健次

2008年10月28日 | 読書
中上健次と上野千鶴子の対談。

「共同体から個人が出てきた時には、もう物語はなくなっちゃったんだ。物語が物語であるためには、私の物語があなたの物語であるという置き換え可能性がなかったら、もはや語りものにならないんで、そういうものがなくなってしまえば、すでに物語の成立する根拠はなくなる」

と、富岡多恵子の「表現の風景」から、
上野千鶴子が引用していました。
たくさんの人の共感を得る、ということではなく、
物語が出てくる地域性のことを言っているのだと思う。
この対談集は25年前のもので、
今でも大事だな、と思うのは、「地域性」なのだと思います。
それは作家にとっての、場所のことです。

「文学で一番大事なことは、血を流したやつを見ることよ。そこに血を流して転がってる人間を見て、これをどうやれるかということが文学なんだ」

と、上野との対談で中上は言っています。
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2008年10月27日 | 生活
聡怩キる。
土を見る。
土を思う。
中上を思う。
中上は、土(自然のこと)をやったか?
むしろ山に火をつけてまわるような、
荒魂(あらたま。反語は和魂)であった。
でも、自然(土)の一部であった。

くもり空、少々、肌寒し。
陽、時に来、それ背に。

---

限界の先に頂点がある。

---

セザンヌ先生からもらった本、
及び、上野千鶴子への強烈な批判。

---

苔、発見。敷石の間にたくさん。
緑が光っているようで、
とてもきれいです。

昨夜、ベランダから聞こえた音は、何。
街の音以外の音。
たぶん、想像するに、
建物が取り壊されたあと、
広い敷地があって、
雨が降ったあとは、水たまりになっていて、
草も生えていて、
そこから聞こえる秋の虫のざわめき?
自然界からの音には違いない。
それにしても、不思議な音。
まるで、異界から聞こえるようなそれ。
今日も聞こえた。
やはり、あの敷地、草のところから聞こえてくる。

中上健次の対談集、読了。
たけしの「TVタックル」に、
生前の中上が出ていた時のことを思い出していた。
蟹が何かテーマで、
ナントカ蟹という小さな蟹がゲストの机の上に置かれた。
ゲストは蟹を手にとって一応、見ていたけれど、
中上だけは、執拗にその蟹を手にとって、
何かぼそぼそと言いながら、蟹を見ていた。
あの時の中上は作家である。作家の仕草である。
蟹は、中上の中で、
とんでもなく遠くまで想像力を羽ばたかせていたに違いない。
今、そう思う。

熊谷守一の、
絵の、
凄さ。
その色、
バランス、
単純化。

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アイム・ノット・ゼアー

2008年10月27日 | 音楽
昨夜は、
ボブ・ディランの評伝映画「アイム・ノット・ゼアー」を観ました。
ディランの歌声が、いろんな場面で流れてきて、
その独特の声を聞くたびに、元気になる。
どんな曲でも、元気になる。
「何でだろうな」といつもディランの歌声を聞くたびに、
思います。
多感な時に聞いたから、というだけじゃないような気がする。
僕はディランをたまにしか聞かないけれど、
ある友人はいつもディランを聞いていて、
先日も電話したとき、ディランの歌が流れていました。
ディランの歌声を聞くと、
まず冷静になり、道を想像し、思考が詩的になります。
そして細かいことがどうでもよくなり、細かいことが大切になります。

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辛抱できなんだ

2008年10月26日 | 映画
ひじきだって煮なきゃいけない。
切り干し大根だって煮なきゃいけない。
ご飯を炊いて、ラップしなくちゃいけない。
中上健次の対談集だって、今週中に読まなきゃいけない。
熊谷守一の「太陽」の特番の本だって今週中が期限。
洗濯物もしまわなちゃいけないし、
それでいて、
ゲオが!
一本100円だからって、
セザンヌ先生の所にいった帰り、
ゲオに!
立ち寄って、
旧作一本は一週間借りられるから良いとしても!
明日返却の「アイム・ノット・ゼアー」を借りてしまった、
ということは!
今日中に見るということ。
今から! 見る!!! こと!!
でも、見たくてしょうがないのだ、
これは、ディランの評伝映画!! ブシュゴギャンストラバャ宴塔ランハアノ!!
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わだばゴッホになる

2008年10月25日 | 健康
やっと週末です。
オジと昼休みに自転車で散歩に行きました。
オジは最近、携帯で写真を撮っていて、
街の景を撮っています。
僕らは西に向かい、南に向かい、東に向かってペダルを漕ぎ、
労働場まで戻って昼ご飯にしました。
昨夜、たくさん寝たのに、食後も熟睡です。
体が思ったより疲れていたことを知りました。

帰宅途中、丸ちゃんのところに寄り道をして、
しばらく四方山話。
丸ちゃんに先日会った時、
体が一回り大きくなっていて、
最近は労働場まで歩いているようです。
僕は健康オタクなので、
納豆の常食を勧めました。
毎日、片道三十分歩けば、
健康に悪いわけがありません。
丸ちゃんは凄い。

夜、洗濯をしながら、
劇団ひとりが演じる棟方志功をテレビで見ました。
とても良い演技で、いくつかの場面で涙目です。
「わだばゴッホになる」は、とても良い本で、
先日も、つい借りてきそうなタイミングだったので、
今日のドラマは良かったです。

「板極道」という志功の著作も、かなり良かったと記憶していて、
兎にも角にも、ユニークな人物。
評伝ドラマでは、フランキー堺が演じた「山頭火」以来の、
素晴らしいドラマでした。
劇団ひとりは本物の志功みたいで、
他の役者さんを食ってしまっていました。
ただ少し思ったのは、
志功の知性や冷静さはドラマにはなく、
おなじみのキャラクター重視というのは、
仕方がないのでしょうけれど、
もしも民放が4時間ドラマにしたならば、
時間と比例して、
もっと素敵なドラマになっていたことでしょう。

志功のエピソードで、
朝、新聞を読んでいた志功は、
三面記事で、母親が子を殺す記事を見て、
近眼の目を新聞紙にくっつけるようにして記事を読み、
涙が止まらなかったそうです。
自分の親に殺された子の供養のため、
志功は仏の版画を彫ったそうです。
メ[ズもとった人ですけど、
こころの優しい人だったのだろうと思います。
ドラマの中の「善知鳥」も、
亡くなった姉の供養の柵(作)だったようです。

柳宗悦が志功に言った言葉があり、
僕は時々、それを人にも自分にも言います。
「本物は苦しみの中からしか生まれない。
いかんせん、君もそのくじを引いてしまった一人だ。
だが君はそれでいて、心の清い、優しい人だ」
この言葉に志功は励まされ、作品を作ったそうです。
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寝唐キ

2008年10月24日 | 生活
雨がけっこう、強く降っていました。
午後にあがりました。
青空が少し見えて、また曇り空になりました。
雨上がり、風が吹くかな、と思っていたけど、
吹かなかった。
この時期の雨は冷たいのですけど、
終日、梅雨のような蒸し暑さでした。
帰ってから、
カーペットでばたんと寝唐オてしまい、
夜中に目が醒め、
お風呂も入らずに眠りこけました。
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心、ここにあらず

2008年10月23日 | 生活
今日はずーっとぼんやりしていて、本を読む気が全然しませんでした。
昨日は昨日で、
幸運のまっただ中、
帰ってから見ようと思っていた棟方志功のVTRも、
おーーーーー、見逃してしまい、
もう生活、無茶苦茶です。
何も手に付かない、とはこのこと。
大幸運も、善し悪し、とか。
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異能

2008年10月22日 | 文学
中上健次と谷川雁との対談、読了。
同じく、阿部謹也との対談「中世ヨーロッパ・被差別民・熊野」読了。
阿部謹也さんとの対談の中で、
新宿に住んでいる中上に、
「風に乗って熊野というか、お生まれになった新宮の声も、
聞こえるんじゃないでしょうか?」
という質問に、
「はっきり聞こえる気がします」
と答えています。
対談の中に、異なった能、異能、異能者という言葉が出てきますけど、
中上は、異能でもって、熊野の声を聞くことが可能だったのでしょう。
それは、うまく言えないのですけど、
当たり前のことだろうと僕は漠然と思うのです。納得するというか。
それと、
中上に、「熊野というのは何だ?」と質問されると、
こんな言い方をする、
「熊野は地図の上にはない」、と。
全部を引用すると大変なのでやめますけど、
この対談集は、半分ぐらい判って、半分ぐらい判らないのですけど、
何か凄いことが書いてある気がして、手放せません。
でも、かなり遅読で、毎日、数ページしか読めません。

---

曇り空です。
今日も、昨日に続き、
びっくりするような幸運に恵まれました。
二日連続だと、ちょっと恐くなるほどの運です。
こんなこともあるんだなー、と。


街角付近を、
一匹のカラスが歩いています。
人を浮ェらず、
至近距離でぶらぶらしているカラスを、
行く人々も不思議そうに見ていきます。
僕らは毎日、そのカラスを見ているので、
あまり最初の不思議な感じはなくなってきましたけど、
写真を撮ろうとすると、うまくいきません。
それにしても、
カラスって、大きいです。
鳩より一回り大きく、
羽根は黒光りの中に、ブルーが混じっています。
かなり、かわいい。
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中上と藤井

2008年10月21日 | 文学
第三文明社 中上健次発言集成2 対談Ⅱの中の、
藤井貞和との対談「物語とは何か」読了。

まず、物語は、
声と身体表現、ということを言っていて、
それは伊勢物語の話の文脈の中で、
彼らは言っている。
声と身体表現。

物語には神話のしっぽが必要、と中上。

ーーー
藤井
「記念講演で、今、体をめちゃくちゃにするほど忙しくしたい、
というふうなことを中上さんは言っていました。それを僕のほうで言い直してみると、
新しい物語をつくり出す場所へ自分を暴力的に動かそうとしている、ということだと思う。
 たとえば、中上さんが、”南へ”とか”韓国へ”とか言うのも、なにか物語を生み出すときにはエネルギーというか暴力的な破壊力というか、単なるずれというよりも意図的なずらし方というか、そういうのが外側から必要なんじゃないかという感じがするわけですよ。それを『虫諱xとか『宇津保』なんかでも、もしかしたら考えられないかどうか……。」
中上
「もちろん考えられると思います。『虫諱xとか『宇津保』も何しろスケールがでかいですよ、単純に言うと。つまり『虫諱xが視座に置いているのは異界というか、月の世界から来るところの、そういう異界が入ってますよね。それも神話の最初のものだし、それを物語的に展開するという仕組みを持っていますよね。」

                   <神話から物語へのズレ>より引用。P183


全体は宇津保物語のこと。
その文脈の中で、
身体、声、音楽、神話のしっぽをつかむ物語、物語のエントロピー性、
ということを、藤井、中上は、
言っているのでした。
音楽が物語に重要で、
ことの葉の、<こと>は、音楽のことなんだと、吉増との対談でも言っていました。
ここらへんの、音楽と物語という話になってくると、
もう僕は感覚を今は頼りにするしか方法がありません(涙

この対談集は、とても分厚くて、どうしようかな、と、
思っていたのですけど、めちゃくちゃ面白いので、
もう少し、
他の人との対談も読んでみたくなりました。
中上って、やっぱり、凄いです。

僕にとっては、この二人の対談は、
それだけで、凄い対談だと思っています。

---

図書館へ。知里幸恵を二冊、書庫にわんさとある吉増剛造を二冊、古川日出男を一冊、宮沢賢治を二冊。
現在、三つの図書館で借りているのですけど、
とにかく、返却日が近い本から。
宮沢賢治と知里幸恵は児童図書で借りたかったので、
18時に閉まるらしく、労働を5時ピタでオジに帰してもらいました。感謝。

---

と、びっくりしたというか、
またハッピーな出来事が朝から。
すんげえ、とみんなで。


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島の色 静かな声

2008年10月20日 | 映画
昨夜、録画しておいた第21回東京国際映画祭を、
今、見ました。
すんごい数の映画が出品されていて、
どれもすごく見たいです。
今週は、東京の各地で上映されているらしく、
見たいなあ、って思いました。
茂木綾子さんの、
「島の色 静かな声」も、少しだけテレビで見ることができました。
詩的な映像、という解説がありましたけど、
きれいな映像で、
名古屋で上映されたら行こうと思っています。
前作「風に聴く」も何度も見ました。
凄く、がつくほど、
映像がきれいです。
できれば、賞を獲ってほしいなあ、と思います。
獲ったら、やったあー、って、思うだろうな。
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2008年10月20日 | 生活
10月18日付けの「草の川」、
に写真があります。

今朝、いつものように信号待ちで、
写真と同じ立ち位置で緑を見ていたのです。
ここは以前、電車が走っていたところです。
で、
あ、と思いました。
階段は、駅へ降りるためのものだったんじゃないか、と。
すると、
撮影している橋の真下、
階段が終わったところに、
電車がやってきて、
たくさんの人々を乗せて、
「ちんちん」という合図を鳴らして、
レールを走って行ったのです、たぶん。

今は駅も、レールもなく、
蛍が見られるように、
保護されている場所。
でも、階段は残っていて、
この「草の川」、「緑の道」、「ミヨリの森」と、
いくつも僕は命名している、
きれいな場所に、
ずっと昔、僕の親の世代の人達は、
息を出し、電車に乗ったのでしょう。

時は過ぎて、現在、ここに時は来ているけれど、
階段だけは、
そのまま、
当時の人々の、
通勤通学の靴達と、
接触していた、
手すりも、
当時の人々の、
手で握られていた、
このように、
過去が、
生々しく、
今に、あるという驚き。

緑の道を、
走るのは、
幻想のちんちん電車。

近日、「銀河鉄道の夜」を、読もう。
この緑の道と、
繋げてもみたい、できることなら。
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