kotoba日記                     小久保圭介

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坂道

2018年12月31日 | 生活詩
冬の朝
荷物をたくさん積んだ
小さな車の
小さなカーナビで
行く場所の道を調べる

兄夫婦とわたしの
道行きは
乳母の墓参り
すべてを愛してくれた
乳母の面影は
未だに消えることなく
その娘さんたちからも
たっぷりの愛を注いてもらったからこそ
人にやさしくできる
それは兄とて同じこと

わたしたち兄弟は
たくさんの人に
愛されて育った
それは本当についている
そうでない人を
たくさん見てきたから
そうでない人がいるから
判るのだ
愛された人間の豊かさ
愛されずにきた人間のさみしさ

ゆるやかに美しくまがった
川が流れている
丘にある墓地の坂道をのぼり
桶に水を汲もうとしても
凍結していて
どこの蛇口からも
水は出ない
同じ問題に直面する人々の話に混ざり
一番下の蛇口は水がでるらしい
戻って
桶の半分くらい
水を汲んでは
また坂道をのぼってゆく
そのとき
わたしたちは白い息を吐いて
のぼってゆく

花を手向け
柄杓で墓石に水をかけるとき
冷たくないのかな
と思った

墓前で正座して
膝が冷たい敷石に接着する
手を合わせる
兄が乳母に何かを言ったけれど
聞き取れなかった

生き残った者は
終えた人の面影を
一生の糧として
生きてゆく

明日がある
おぼろげに
わたしはそう思い
坂道を下ってゆく
面影と交わり
こころの目を
閉じたまま
わたしたちは
来た道を
戻ってゆく
生きるため




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四世代家族

2018年12月30日 | 生活詩
四世代の会食があろうなど
若き日
誰ひとり
想像はしなかったはずだ

卓を囲んで
和食にみな
箸を伸ばし
食べることが
生きていることなど
すっかり忘れて
おだやかな歓談に
相槌を打ち
それぞれの思いはしまって
ともかく
こうして
家族という形を認めては
喜んでいる

わたしは彼らを見ている
四世代が集ったとき
当たり前のように
写真を撮ろうと誰それが言う
その家族の形の
ほんの隅っこに
わたしもいるらしいけれど
家族で生きている実感は
瞬時に通り過ぎ
すぐに消える
ただ
みなの笑顔が
わたしを幸せにはしている
笑顔の美しさは
それは他者であっても
同じように幸せにしてくれることは
誰にも言うまい

店の女が
カメラを持って
わたしたちの集合写真を撮る
「もう一枚、チーズで」
と言う
儀式はこの集合写真撮影で
だいたいが終わる

親子の前に
わたしはひとりだ
兄弟の前に
わたしはひとりだ
甥や姪の関係の前から
わたしはひとりだった
愛情がないわけでは
けっしてない
むしろ
誰ひとり漏れることなく
いとおしい人たちだ

彼らを見る
ほとばしるDNAの揩ェ
表情と体形と声にあらわれる
遺伝子の繋がりの凄さに
後ずさりして
わたしとて
しかも
その一員なのだ
一要素なのだ
そう思ったとき
わたしは家族という形から
観念で逃げようとしても
どうしようもないことを
悟った

どの人にたくさんの言葉が詰まっているだろう
それを見ている
見えやすい人と
見えにくい人がいる
黙っていても
しゃべっていても
内側に言葉がたくさんある人を
わたしは常に狙っている
わたしが言葉を書くのではない
彼らの内側にいる
言葉を外に出してあげるだけだ
わたしは見る
話し終えた時の
瞬時の表情
話を聞いている人の
瞬時の表情
そして
沈黙する人
わたしはカメラだ
わたしは見ている
それがたとえ
家族であっても

店の外に出ると
夜が
冷たい

それぞれ
違った道をゆく
元気で
じゃあまたね
気をつけて

挨拶が飛び
ほころぶ笑顔
みな
それぞれの生活に戻る
その時
彼らはそれぞれに
闇を抱えている
誰にも言えず
時にこうして
四世代が集い
安心しては
生きるしんどさに
戻ってゆくのだ

だからこそ

元気で

気をつけて






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バスターミナルの椅子に座って

2018年12月29日 | 生活詩
バスターミナルの
椅子に座って
パンを食べ
お茶を飲みながら
ずっと話していた
ところかまわず

バスターミナルの
椅子に座って
いくつものバスを見送り
いくつもの服が通り過ぎていった
話すことと聞くことは
ほぼ同時におこなわれ
聞きながら
話すことを組み立て
話しながら
次に聞かされる言葉を
想像した

バスターミナルの
椅子に座って
想像した言葉は
もちろんされず
問と答えは混じって
生きることの
拡大は
加速して
充満した

バスターミナルの
椅子に座って
わたしたちの目は
バスや人
わたしたちの鼻は
排気ガスの匂いを
嗅いではいただろうけれど
そういう情報は
いっさい脳で映像化されず
無意識の領域に
払い落され
交わす言葉と
言葉のイメージ作りに
脳は電気信号を送り
映像化することに
やっきになっていた

バスターミナルの
椅子に座って
バスは間違いなく
わたしたちの前を通り過ぎ
アナウンスが聞こえ
人々が並ぶ姿を
目は捕らえていたというのに

バスターミナルの
椅子に座って
膝から寒さを感じたけれど
それも
脳は払い落した
加速する言葉
言葉にしろと
急がせる思考
わたしたち
ずっとどれだけでも
話していただろう

バスの時間が
決められていて
良かった
でないと
風邪をひく

バスターミナルの
椅子に座って
比喩で使った目がみていたもの
それは黄色い点字ブロック
その先はいったいどこに向かっているのか
そういう比喩を
かろうじて
使えたことが救い
もう一つは
矢印のマーク
これも比喩で使った
矢印の先を疑うことで
未知にすることで
わたしたちは
どこにでもゆける

バスターミナルの
椅子に座りなおして
脳で考えることと
目が見たものを結合する
それが
実感だ
実感こそが
大事

わたしたちは
言いたかったのかもしれない
実感は常に
皮膚の記憶に刻まれ
あの寒さだけは
忘れず
脳内で組み立てた
言葉の像は
消えてゆく

バスターミナルの
椅子に座って
わたしたちは
一つのことを
伝えるために
たくさんのことを
引用し
装飾した

寒さを忘れ
ろくにパンも食べずに


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手帖とペン

2018年12月28日 | 生活


みどり





雪が
ちらほら

もう手帳に
言葉を書くスペースがなく
今年も
落書きだらけ

毎年
手帖は
予定や用事を書くためだけじゃない

言葉で記述するのだ
常に
どこでも
思ったら
記述するのだ

そうしないと
忘れてしまうから

一瞬の光を
必ず
言葉にする
そうやって
もう何十年過ぎた

最後の最後まで
わたし
ペンで
落書きをしていたい
それは生きる癖のようなもの

誰かといる時も
話の途中でも
「来た」ら
すぐに手帳を出して
ペンを走らす
殴り書き
時に
自分でも判読不明な文字がある
それもヨシ

たいてい
わたしの書き癖を
みな知っているので
黙ってそういう時は
ほっといてくれる
それがいつも
ありがたい

落書きの一行
単語が
詩になり
時に
小説になってゆく

手帖とペン
外出時の
わたしの道具
大切な
道具



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あのおすいません

2018年12月27日 | 生活
寒し

疲労困憊

いとうたかおさんのアルバム
『そうかい』を
スマホで聞きながら
自転車を漕ぐ
声が
体を解いてくれる
ホッとする
静けさを取り戻し
一日
やってゆける
疲れていようとも
大丈夫
歌の力
音楽の力は
生きように及び
楽になる



カラス
北へ向かう
カラス
南へ向かう
陽光


あのお
すいません
雲さんは
どこに
行かれるんでしょうかねえ

動いてゆく雲に
言う

良い感じ





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アジアのおしるこ

2018年12月26日 | 生活
彼も
おしるこを
飲んだ
と言う

寒さの中
疲労で
缶コーヒーではなく
糖分たくさんの
おしるこ

屋外作業は
そういうものを
体は求める

おもしろいなあ
と思ったのは
明らかに
東南アジアから来ている
若い労働者
まだ十代だろう
彼もまた
今日
自動販売機のボタンを押し
おしるこを手に取っていた

おしるこは
アジアの飲み物になった


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ゆらぎも風も

2018年12月25日 | 生活
川沿いの樹木たち

樹木たち
川といつもいっしょ
さかなも
とりも
ゆらぎも風も
いつもいっしょ

ニールヤング
鳴る

残業
暗がりの中
「クリスマスが終わっちまうがや」
と男は言った


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happyに伝えること

2018年12月24日 | 生活
タレントのローラさんは
辺野古について発言する
「happyに伝える(方法)ことを考えてきた」
この言い方は凄い
つまり
文体のことを言っている

シリアスなことを
どう
happyに伝えることができるか
popに伝えることができるか

ローラさんの言っている『言い方』は
本当に大事

時事問題だけじゃない
すべて
のことは
そういうことです

フランツ・カフカ

天丼
トマト
菜っ葉

ベッド

いただいた

ありがとうございます

今日はクリスマスイブであり
祖父の命日

だから
いつも神妙な日


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LINE

2018年12月23日 | 生活
思うわぬ人から
LINE繋がりの申請があった

ケータイさえ持たぬ
テレビもない
見ない人

本当にナニナニさんですか?
と言葉を返すと
そうだという

まあスマホを持つにあたって
いろんなことがあったのだろうけれど
それは聞かない

早速
LINE電話がかかってきて
いろいろ話を聞く
ふむ。。。

それにしても
LINEがしたくて
スマホにしたようなもの
今までみたいに
いちいちアドレスを探す必要もないし
簡単で良い
動画も画像もサイトも貼って送れるし
音源も簡単


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見渡す限りの 仲間たちだ

2018年12月21日 | 生活
並木道

老子先生は
自転車のペダルを漕いで
西へ向かった

「見渡すかぎりの 仲間たちだ」


いとうたかおさんは歌う

こないだ出たアルバム
『そうかい』の中には
いい言葉がたくさんあって
上記もその中の一つ

ずっと歌を歌ってきて
こういう歌詞が出てくるまでの
たくさんの時間
表現者はまさに
生きよう
であり
どれだけ
物を考えているかが
あらわれる

いやでも
表現したものに
それがあらわれる

一番それが言えるのは
絵だと思ってきたけれど
どうやらそれもあやしい

こうして
歌詞の一つ一つに
心が止まり
その意味を考える
こうして
発された言葉は
わたしの中に宿り
また年月をかけて
発酵してゆく

いとうたかおさんは
まさしく
未だに
わたしの導き手であり
物を考える
思う
疑う
ことの
訓練を
うながしてくれる
もちろん
信じる
ことは
なおさらに


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人は人

2018年12月20日 | 生活
うなだれ
歩く
青年を
追い越して
僧侶は
西へ向かった

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通信障害

2018年12月19日 | 生活
softbankのスマホが
通信障害
3時くらいから6時半くらいまで
電話も通じず
ほどなくネットもだめになった

androidなのでSDカードに入れてある
音楽は聴ける

さりとて
特別に
問題があったというわけではない

電話がつうじないことぐらい
何でもない

ただ
今回は
災害があったときの
シュミレーションにはなった
原始的に戻る
戻らざるを得ない
だから
それでいい

ネットで
本当に必要なものって
ない
アプリもたくさん使っているけれど
どれもこれも
なきゃないで済む


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言葉は残る

2018年12月18日 | 生活
熱病の如く
のめり込んだ
真言密教
すべては大日如来の化身
大きな思想を得た
5月

大きな思想から離れ
残るもの

それは
「すべては大日如来の化身」
という言葉
これは不意に現れ
瞬時にわたしを救い
去ってゆく

原理は常に
排他的になる危険をはらみ
局所は熱を帯びる

滑り台(青)
木がきれい

白き団地に
夕陽が
来て
壁の白を
朱にそめてゆく
それを
見ている

自然界がすること
それを
見ている


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姉たち

2018年12月16日 | 生活
懐かしい姉妹
来宅
会食

6年前にも
お会いしたけれど
変わらず元気で
なにより

知らずのことはたくさんあって
わたしが生まれてすぐに
お世話になっていた家の
娘さんたち
おそらく
とてもかわいがってくれたのだろうと
確信する

その家の庭は
大きな松があって
野放図で
獣道の如く
道にゆく
細い草道があった
牛乳瓶が雨ざらしにしてあって
常に牛乳の匂いがほんのりと
漂っていた

その庭を見ていた
ずっと生まれてから
10年、11年
その家には
音楽があった
ルノアールの贋作があった
そういう家で
わたしは実質的な
姉二人に
面唐ンてもらっていた

兄と二人兄弟であるにもかかわらず
どこか中性的だと言われるゆえんは
この姉妹にある

今さらになって
気づく

感謝しかなく
みんないい歳になっても
遠い過去の
呼び名で呼べる
幸せ

ありがとうございます


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風が吹いているんだなあと思った

2018年12月12日 | 生活
あめのちくもりのちはれ

西の空に
水色
出現

頭上に


登場

前方の

揺れ

風が吹いているんだなあ
と思ったので
そう手帳に書いた


南東に向かった

首痛し




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