kotoba日記                     小久保圭介

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樋口英明さん

2015年04月16日 | 原発事故
昨日の新聞の見出しが印象的だった
今日
それをじっくり読んでみた
労働から帰って

4月14日
高浜 再稼働差し止め
福井地裁が仮処分
3、4号機新規制基準 否定

原発が司法によって
止まった
それも即効の効果があるのだという
「差し止め」という法律によって

樋口英明裁判長

福井地方裁判所
名古屋地方裁判所
名古屋高等裁判所

略して
福井地裁
名古屋地裁
名古屋高裁

名古屋へ転勤した樋口さんは
福井での継続した裁判を
わざわざ福井へ戻って
裁判長を務めた
そういう手続きが
法律でできるのだと知った
「この裁判は俺がやる」
という意気込み

そして高浜原発は
文字通り
「差して止める」ことになった
関西電力、国に立ち向かう
まるで
杉原千畝
まるで
シンドラー
と書けば
樋口さんは英雄である

違う
樋口裁判長は
ただの人
民の財産生命を守る
という法の原則に基づいて
その職の力
職権を最大限に行使して
国に一喝したのだ
「危険である」

極めて
冷静な判断
司法は感情ではない
前例に従い
参考にし
原告
原告の弁護士らの
「日本と原発」という
裁判に勝つために作られた
ドキュメンタリー映画を参考とした

裁判長とて
人間である
感情が人を最終的には動かす
この判決が
裁判長の感情である部分が
あったとしても
この「差し止め」の感情は
正しい感情だ
お金ではなく

生物の命を優先する感情に
わたしは賛成の手を挙げる

わたし忘れない
この裁判長の名前を

樋口英明さん




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アレか!?

2012年04月22日 | 原発事故
変です。
何故か、
判りません。

花粉。
去年よりも、
飛散はかなり少ないはず。
大型の低気圧も来て、
花粉もかなりまとまって、
飛散したので、
時期も量も、短くなるはず。

今年はそれでも、
僕はかなり重症。
薬も効かないし。
そして、驚くのは、
重症の人が僕以外に、
いる、
ということ。
たぶん、
もっといるはず、
去年より、ヒドイ、と。

変です。
どう考えても、
去年より、
重症になるわけがありません。
考えすぎかもしれないことですけれど、
これはもしかして、
アレのせい?
アレがとうとう、
人体に影響を及ぼし始めた?
こんなふうに、
抵抗力を落としているのは、
アレのせい?

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helpless

2012年01月17日 | 原発事故
彼と彼が
言い争う
僕は傷つく
彼が揶揄する
僕は傷つく
空と海が汚れる
僕は傷つく
彼が嘘をつき
「隠すな」
と彼が言い返す
僕は傷つく
川上弘美が
「神様2011」
を出版しなくてはいけない心情がある
僕は傷つく
高橋源一郎が
「恋する原発」
を執筆して出版にこぎつける
僕は傷つく

彼らも傷ついている
それを知って
僕は傷つく
知らないうちに
僕は傷つく
彼らはみんな
傷ついているのだ

がっかりする
草を見て
花を見て
がっかりする

福島は一つにならなくてはいけない
と誰かが言う
僕は傷つく
責任を持って対処いたします
と役人が言う
僕は傷つく

僕は自分が
傷ついているとは
知らなかったので
みんなが
傷ついていると知るまで
僕自身も傷ついているとは
判らなかったので

外部評が一番正しいという原則を知らないのですか
と内田樹が事故後に言った
だから僕らは日々見るのだ
外国の放射能拡散予測を
利害関係のない外国のメディアを
家族に不始末があれば
僕は隠します
会社に不始末があれば
僕は隠します
国に不始末があれば
僕はそれを隠します
それが当然だから
誰が好きこのんで
自分の不始末をおおやけにしますか
するもんですか

福島の原発事故のデータを
世界中がとっている
貴重なデータだから
それが外部である
こうなったらこうなる
教訓にする
冷静だ

故郷を追われたひとたち
その心情を理解できない
けれど
もし福島ではなく
名古屋だったら
僕は避難できるだろうか
そんなお金があるだろうか
仕事は
新しい環境で
かかりつけの医者はどこ
お人形さんを胸に抱えて
僕は出かけるのか

気にしたってしょうがない
そうかも
そうかもそうかもそうかも

ニールヤングとパティスミスが
「ヘルプレス」という歌を歌っている
ヘルプレス
歌詞は判らないけれど
僕は石が積まれた囲いの中で
上を見て
青い空を見る
どれだけ希望を失っても
必ず
小さな光はあるんだ
それはわずかな笑顔であったとしても
必ず
小さな希望の光は
やってくる
見つける目を持てば
必ず
見つけられる
傷は血小板によって治され
血は止まる

僕らは
なんとしても
生きてゆくのだ
悲しみに
苦しみに
思いのボールを投げてはいけない
返ってくるから

僕らは
まったくもって
傷ついてしまっているけれど
必ず希望があることを
希望を失ってはいけないことを
僕は教えられた
ニールヤングとパティスミスの
演奏と声と表情から


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ならば、人は果てよ

2012年01月16日 | 原発事故
今日、労働場の、
木が抜かれました。
ところが、
僕は何も痛みを感じませんでした。
今までは、
木が抜かれる、切られると、
本当に、
いてもたってもいられなかったのですけれど、
自分でも不思議でした。
抜かれる木を見ている、
それだけ。
あとはすっからかん。
伊藤比呂美著「読み解き 般若心経」
を読んでいる最中だからかもしれません。

最近、ふっと、
強い虚無感があります。
何もない、すっからかん。
それは、絶望的な、
原発事故のことを、
ずっと考えているからかも知れません。

いとうたかおさんの歌詞で、
「流れる大気がお前を守る」
という美しい歌詞がありました。
僕はこの歌詞を高校生の時に聴いて、
ずっと残って、
気落ちしている人を励ますときに、
よく使用した言葉でもあるんです。
ところが、
311以降、
「流れる大気がお前を守る」
という言葉が、
途絶えた。

無効になった歌詞や小説の多きこと。
自然を愛する歌詞や詩、
全部、駄目になった。
絶対的なエネルギーを持つ、
空や海、
そこに、
人工放射能が流れてしまっています。
ストレスとは、
人と人との間にしか生まれません。
そんな時、空や海が、
どれだけ、僕らを助けてくれたことか。
それを、文明が駄目にしました。
希望はどこにあるのか。
本当に、どこにあるのか。
金か。
金のために、
木が切られ、
海に放射能がたまり、
空に、放射能が舞い、
土に落ち、
花に着き、
草の葉脈を流れ、
雨の粒子に付着して落ち、
雪と共に落ち、
雪解け水に混じって、
人間は、
自然に、
何をするんだ。
本当に、
何をする気だ。
ならば、人は果てよ、
と思いたくなるのです。
でも、
人間には医学がある。
科学がある。
そこに、
必ず、
希望が生まれる、
と、
僕は思っています。

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2012年01月15日 | 原発事故
昼に、ショウガをたくさん買ってきて、
ショウガパウダーを作りました。
天日干しを少しと、
あとはレンジで作りました。

9時から、NHKスペシャル「海洋汚染」を、
見ました。
海上に、鳥が舞っていて、
放射能汚染された魚を、
この鳥が食べることになる、
と思いました。
食物連鎖で、
鳥が運びます。
あらゆるところへ。

食卓にあがる放射能、
という本があります。

作家の中沢けい、が、
今年は、「あけましておめでとう」
と書く気にはなれなかったそうです。
「本年もよろしくお願いいたします」
だったら、書ける、と。
ペケ(いとうたかおさん)も、
「今年ほどおめでたくない正月はない」
と書いていて。
それらを知って、
僕は愚鈍であった、
と思いました。

毎日、原発事故のことを、
思っています。
思わずにはいられない、
というか。
ツイッターで、
同じ問題意識をもった人たちのツイートを、
僕は日々、眠気と戦いながら、
リツイートしています。
これは記録しておくべきこと、
と思うツイートのみ。
今は正確(っぽい)な放射能情報のみを、
集めていて、
それが、どこかで一本の線になって、
道があれば、
と思っています。
僕にとっては、
ツイッターを、
有効利用できるすべを、
知ったと思っています。

本当のことは、
テレビ、新聞では隠される。
けれど、
隠されて、削除されるものが、
実は本当のことなんだ、
という実証でもあるのです。
だから、
隠され、削除されるものに、
怒ったり、落胆するのもしょうがないけれど、
冷静に注目することで、
何が本当のことだったかを、
想像することができます。


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テレビと新聞

2012年01月14日 | 原発事故
311以降、
生活の中で一番変わったことは、
7時のNHKニュースを見なくなったことです。
それと、新聞を以前ほど、
ちゃんと読まなくなったことです。

反原発のデモの記事が、
本当に小さく書かれてあったりして、
メディアという情報操作が、
いかにわたしたちの生活を左右することか。
大きなことでも、小さく記事にしたり、
小さな出来事も、大きくしたり。

新聞を読めば、
ちっとは賢くなるだろう、
なります、
と言われ続けてきたから、
そうした訳だけれど、
これは小学生の時にやらされた、
「うさぎ跳び」と同じです。
小学生の僕らは、
先生や学校が良しとする、
うさぎ跳びをやりました。
のちに廃止になったのはいつだったか。
新聞を読めば、
7時のニュースを見れば、
世の中のことが、
少しでも判る、
と。

このブログでも、
昨年、貼ったリンク先が、
デモ当日にとべなくなったことがありました。

あらゆるサイトやツイッターなどで、
削除されているものは、
逆に、それが削除しなくてはならない、
という逆説で捉えられます。
メディア。「不都合な真実」という題の映画があったっけ。
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