kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

タカム・ヴジョン

2022年09月30日 | 生活詩

         

その人は

呼び鈴を鳴らしていた

しばらくすると

窓が開いた

その人は言葉を買った

五百円するという

店主は年月日を墨で書いた

その人は聞いた

「水の道はどこですか」

店主は答えた

「天と地」

店主は身を乗り出して続けた

「歴代の主は今わたしであり、湧き水を守っている」

わたしにもよく聞こえるところに来るよう

軽く手招きした

わたしたちは

店主の話を聞いた

長く話すのはめったにないだろうから

一言も聞き漏らすまいと

思ったけれど

わたしの目は店主の動く口を見ていた

言葉は口から発されるのに

店主の体が話していることに気づいた

長い話が終わり

その人は東に向かう階段を降り

わたしは戻って

階段を降りた

屏風の前で

その人が空を見ていたので

わたしは言った

「椿」

「椿」

その人も言った

白い紙が揺れ

木々が揺れた

その人は舞いあがる寸前だったので

涙ぐんでいた

わたしは言った

「あなたに会わせたい人がいる。その人は言霊の町に住んでいる」

電車が確実にその駅に停車するが如く

湧きいずる『水の庭』駅で

わたしたちは半ば確信に満ち

見えぬ電車を降りたのだ

その人は言った

「水の道が見え始めた」

わたしは答えた

「はい」

大気

人々が水を汲む

その人はまた涙ぐんでいた

紡ぎの音は黄金で

光の直線は風に動じず

まっすぐ空から地を突き抜ける

それは無音という轟音

光、光

大きな流れの中にいる

庭に立ち

話す言葉はすべて

言霊になり

飛んでゆく

言霊の軌跡を

わたしたちは

空に見ていた

役割が生じたと

わたしは思い

「天と地を行き来するのですか」

わたしは聞いた

「そうです。たくさんいます」

時間は人間が便宜上作ったもの

わたしたちがいる場所から

時間が消滅し

強い風の音だけが

聞こえていた

タカムの庭

涙ぐんでいたその人が

のちに

重要な箴言を発することなど

まったく知らずに

わたしは

わたしたちは

時が消滅した

タカムの庭に

立っていた


※絵はmariaさん


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きゃりーぱみゅぱみゅ2020ーRap Relay

2022年09月29日 | 生活

                  

きゃりーはかっこいいねえ

これは2020年

パンデミック元年

世界中が

閉塞感に覆われた

ある法案をめぐって

異を唱えるツイートを

きゃりーがすると

ある政治家がきゃりーに向けて

あなたは歌だけ歌っていなさい

と言ったことを

今でも覚えている


かっこいい人たちが

Rap Relayをしました

素敵ね

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淡々と語る文芸ー笑いの文学

2022年09月28日 | 文学

         

 

機会を得て

水野俊夫氏の作品

『父母の肖像』を読ませていただいた

数ページ読んだ時

いわゆる『笑いのツボ』に入り

50枚の作品最後まで

抱腹絶倒

声を出して笑った

これは第一部であり

第二部、第三部と300枚の大作

第二部の冒頭の一行を読んだだけで

笑えてくる

内容は実に悲壮的であり

土地争いのドロドロの内容で

普通なら怒りと憎しみ

わびしさや哀れと

負の感情が渦巻く内容なのだけれど

どこにも悲壮感がない

内容はドロドロでも

語り部が確かに知的であり

冷静沈着

そのギャップの面白さ

どこかにあったと思ったら

漱石を想起

元々作者が漱石を好んでいることは

承知していたけれど

ここまで好きだとは知らず

油断大敵

いろんな家族の惨事があるのだけれど

そこさえ作者は知ってか知らずか

漱石の文体が体に入っていて

淡々としている

いやむしろ

飄々としていると言った方が正しい

だからとて語り部の作者が冷徹であるとも

いえず

作家としての

ほどほどの情があるのだし

怒りもするし感情的になったりもする

けれど根本には冷静に人間の所作を見る目がある

人間の欲に絡んで

いろんな登場人物が名古屋弁で

いろんなことを言い

叫び

行動するのだけれど

それを定点観測船の如く

見事に数値化するとまではいわないけれど

極めて知的な処理をする文体である

時代設定が昭和なので

これは漱石の弟子である内田百閒に続く

さながら昭和の内田百閒に続く水野俊夫といってもいい

淡々としたユーモア

この笑いの落とし方は落語そのものであるし

漱石もまた落語が好きだったと作者から聞いた

さらに漱石の妻の鏡子は悪妻であり

漱石がノイローゼになった時

ユーモアを込めて言った

「主人は頭が悪いのです」

 

水野俊夫氏の言葉は

上品な日本語文化の賜であり

わたしような下品な笑いではない

うらやましい限りです

今までこの文体に注目する読者に

恵まれなかった作者こそが悲壮

手前味噌ですけれど

わたしは文芸評論を

ある一定水準はできるという自負があります

ここまで笑える小説を読んだのは

何年ぶりだろう

判りやすい笑いの箇所は誰でも判る

ところが地味な笑いの箇所が随所にあり

そのたびに

「ある方はバスの中で本作を読み

笑いを堪えるのがたいへんだった」

と作者から聞いた

その方は国語の先生らしく

文ということを判ってる方であろう

 

何が書かれてあるかより

どう書かれてあるか

これは中上健次でも大江健三郎でも高橋源一郎でも

三島由紀夫でもみな同じ

極めて大事なのは

文体である

嫌というほど「文体、文体」と

わたしは言い続けてきた

けれど

文体には好みがあり

好き嫌いはどうしようもない

わたしはこの作品がひどく面白い

30年しか書いていないわたしが

作者のようなキャリアをもった方の

文の色合いに触れた時

文芸の本当の面白さを

堪能するしか他にない

 

 

 

 

 

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シズノアネの暮らし

2022年09月27日 | 生活

                  

 

シズノアネは鹿児島に生まれた

山育ちの集落

生活は凄い

電気は来ているのだけれど

釜炊きの方がおいしいらしく

二個ある釜で薪をくべ

ご飯を炊き

汁物や炒め物を作る

トイレはドボンで

それは全部は畑の肥料になる

肥だめ

今の人たちは肥だめなんて知らないかもしれないけど

名古屋市北部生まれのわたしの地域は

昭和40年代

肥だめがあった

シズノアネは囲炉裏

かやぶき屋根

天上には守り神の蛇が住まい

兄一人妹二人の4兄弟は

囲炉裏の掘りごたつで

勉強

兄は長男ということもあり

さらに勉強ができたので

別に勉強机がある

大学まで行ったという

集落から町まで

歩く

二時間か三時間

学校はもっと近くにあったという

父親はたまに町まで用事で行く

お酒が好きで

集落への山道を登る

家に着くころは

一升瓶片手に登ってくるのだけれど

半分以上

お酒がないらしい

飲んで歩いてくる3時間の山道

楽しいだろうな

野菜は全部自給自足

草を食べさせるため

牛二頭と馬一頭を飼う

草が生えれば彼らを連れてゆき

食べさせる

鶏もたくさんいたし

豚もいた時があったらしい

いろんな動物と共同生活

馬は神事に使うらしく

集落のすべての家が

馬を飼っていたわけではなく

シズノアネの家は

やはりまわりに比べて

富んでいたに違いない

想像しなくても

夏はかやの中で寝る

台風が来たところで

たいしたことがないという

きっと地形の問題で

山の集落は大丈夫な地域だったのだろう

だから集落ができたのかもしれない

当時

三種の神器と呼ばれた

冷蔵庫とテレビと洗濯機

冷蔵庫はあったという

肉と魚を冷凍していた

テレビはなかったという

父親が買わなかった

テレビなんか見ていたら

バカになる

ラジオが良いと言ったという

それは正しい

洗濯機が来るまで

シズノアネらは

洗濯板で洗濯

井戸から水を汲み

アニメの如く

スイカを冷やして食べたという

洗濯機が来

ローラー式

わたしの家もローラー式の洗濯機で

よくローラーを回した

昭和30年代から40年代の暮らしは

今の定年後夫婦が都会を離れ

やるのが流行かもしれぬけれど

何かが違う

本当の昭和30年代は

ゆとりがなく

それが当たり前だった

肥だめまで現代人は

作らないと思う

幼い時の暮らしは

長年の人生に

反映される

貧富というよりも

文化基準が

まず幼い時に設定されているから

いつでもそこに戻ることが可能

わたしたち昭和生まれは

やはり得だったと思う

いろんな虫や緑が豊富で

凄く楽しかったから

 

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正しいイカフライの食べ方

2022年09月26日 | 生活

         

昼食は休憩がとれる

コンビニのイートインだったのですけれど

カップラーメンとかあまりに体に悪いものばかり

食べていたので

今日はスーパー『大回転』へ

天下御免のチキン南蛮弁当

ああおいしそう

けれど食べるところがない

『大回転』の店先に停めた自転車にまたがり

チキン南蛮弁当を食べ始めた

右に弁当

左利きなので左に箸

前かごに水が入ったペットボトル

飲みたいと考

箸を置き

右手に弁当を持ったまま

ペットボトルの蓋を器用にあけて

飲みました

同時にバランスが崩れ

右手に持った弁当から

何かが落下

地面を見ると

まだ一口も食べていないチキン南蛮4切れが

すべて落下

左側は信号で止まる車列

「あいつ、弁当落としたよ! 見て!!」

てなもんだ

だからどうした

究極のポーカーフェイスで

チキン南蛮弁当のチキン南蛮全部を落としたけど

「それが何か?」

てなもんだ

平然とたくあんやらポテトサラダを食い

ご飯を食べた

信号が変わる

車列が進む

「だから何か?」

全部食べたあと

落ちたチキン南蛮

を足で寄せ

もう一度『大回転』の中へ突入

あっ

っと声を出し

掴んだのは

イカフライ二ツ入り198円

再び

自転車にまたがり

イカフライを食べる

おいしい

ああやっと揚げ物が食べられた

労働場に戻り

鈴木大拙先生に

正しいイカフライの食べ方を言う

1 まずスーパー『大回転』に行く

2 チキン南蛮弁当を買う

3 自転車にまたがって食べる

4 チキン南蛮を全部落とす

5 再度『大回転』に突入

6 イカフライを食べる

大拙先生は『無限』を見ている最中だったので

何もお答えにならなかった

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言葉の夢

2022年09月25日 | 生活

         

 

今日は日曜日

行く場所があったけれど

無理

終日

寝倒す

夏の疲れか

朝から夜の8時まで

5度寝くらいしたかな

ずっと妙な夢を見て

うなされていた

意味不明の言葉が

夢の中で語られ

それカタカタでしか表せない言葉

日本語でもなく外国語でもなく

まったく知らぬ言葉

聞こえて

文字になってあらわれ

だんだん頭にきたので

「カトモが何やねん!」

カトモという言葉ではなかったのですけれど

「ニギムハが何やねん!」

ニギムハという言葉ではなかったのですけれど

兎にも角にも

ツッコミを入れまくる

あれらの言葉は

きっと古代の言葉だと思う

漢文化が入る前の言葉

古代の人たちは神様と

ずいぶん話していたという

現代では意味不明

そんな言葉だらけの夢でした

けれどよく寝た

気持ちいい

 

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読書の一コマ

2022年09月24日 | 生活

         

 

図書館で借りた本

返却し忘れる

ああ

パソコン右横付近に

書類の山と新聞切り抜き

その下にあった

すっかり忘れていた

もちろん未読

だがしかし

この本

あまりに面白かったので

再読のため借りた本

まあいいぞもう読まなくても

ということだったのかも知れぬ

ともかく平謝り

図書館の窓口

 

 

 

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秋分の日

2022年09月23日 | 生活

                  

 

秋分の日

此岸と彼岸の距離が

一番近くなる日

よって

朝の祈りは

尊く深く

ご先祖様や故人を思う日

神様にも

仏様にも

そうすることによって

秋分以降の流れが

まったく違うのだという

ーーー

終日 雨

強い雨

鈴木大拙先生とわたしは

休憩時

地下にもぐる階段を見つけ

中は暖

いつも涼しきコンビニのイートイン

「寒い。あそこの店員は頭がどうかしています」

と大拙先生に言うと

「どうかしてこそ、辿り着ける時がある」

寒い 辿り着かなくてもいいので

何とかしてほしい

「迷いのない雨だ」

そうかもしれないけど

ああ寒い

大きな傘をさした人

カフカ先生登場

羊羹と林檎をいただく

ありがとうございます

本日 秋分の日

寒いという人あり

暑いという人あり

摩訶不思議なり

 

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悪慣れ

2022年09月22日 | 生活

                  

 

鈴木大拙先生が言った

「悪慣れ」

「え」

門下生はググることを禁じられている

よって語彙の意味を検索することはできない

悪く慣れる

という意味だろうけれど

門下生は問いに答えねばならない

それも一生かかって

何がどうして「悪慣れ」なのか

妙に

空が空に見える

 

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彼岸花綺麗って思えるようになりました

2022年09月21日 | 生活

         

          

来たる9月23日は秋分の日

掛川で最近

友達になった人

「彼岸花綺麗って思えるようになりました」

と書かれていた

まったくもって同感

送っていただいた

写真がきれいなので

Upします

いいですね彼岸花

秋分の日は

彼岸と此岸が一番近くなる日だそうです

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スズムシ コオロギ キリギリス

2022年09月20日 | 生活

         

 

 

台風一過

吹き返し

涼し

雲の動き

昨日は飛び

今日はゆっくり

空高きまで

風の方角や強さが判る

蒸し暑き去る

気象に関して

鈴木大拙先生が

「蒸し暑かったのはかくかくしかじかでかくだったからだ」

と発し

「先生の聡明の源の色合い」

と答えると

めずらしく鈴木大拙先生が冗談を言った

「我、度が過ぎた天才なり」

笑に笑

大拙先生とわたしは

すぐに空の見学に戻る

懐かしき夏日

夜は秋

スズムシ

コオロギ

キリギリス

 

 

 

 

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焼肉とは何か

2022年09月19日 | 生活

                  

 

以前

サウス先生とナマステ先生と三人で

焼き肉を食べにいった

名古屋にあるチェーン店

『あみやき亭』

二人はビールを飲み

肉を食う

わたしはウーロン茶と肉を食う

もうみんないい歳なのに

獣の如く

何人前も頼み

すぐに食べきって

また注文

野菜類はほぼ皆無

肉だらけ

カルビだのタンだのロースだの

未だにどこの部位なのか判らぬ

知っているのは

ホルモンは腸

タンは舌

ともかく塩だれやレモンダレや甘口だれ辛口だれ

ぐちゃぐちゃになり

とにかく焼いて食う

それをずっと続ける

話しながら

けれど基本は肉を食う

飲みながら

けれど基本は肉を食う

肉をひっくり返しながら

基本肉を食う

パットで注文を取りながら

肉を食う

何が何でも肉を食う

たまにエリンギやキャベツやつくねやソーセージを焼く

だがしかし何といっても肉を食う

もういいかな

とビビンバというご飯の上にキムチみたいなものがのった

ご飯を食べ

終了

みんな話しているのだけれど

たいした話ではないので

忘れる

三人で15000円

一人5000円

値段は値段だけど

たまにはいい

とにかく肉がおいしくて

堪能

帰路

ふと「一人焼き肉」なる言葉が浮かんだ

なるほどわたしも「一人焼き肉」に行きたい

行く人たちの気持ちが判る

自分のペースで食べられるし

しかもおいしい

さらにわたしはお酒が飲めないので

もっと安くなるはず

そして今日

台風の帰路

柳原通りの脇に

天下無敵の『あみやき亭』登場

こんなところに

夢の国があるとは知らなかった

今度ぜったい決行しよう

一度も体験していない

「一人焼き肉」

思えば同じ語源で

「一人カラオケ」がある

あれは歌が好きでしょうがない人が一人でたっぷり

誰に気兼ねなくリクエストをして

絶叫または歌い跳ねる

見ているのはモニター越しの店員さんだけ

実は『一人焼き肉』も

カラオケと焼き肉が違うだけ

好きを極める

に尽きる

好きなことを好きな場所で好きな時に一人で堪能する

「あらあの人、一人だわ」

という目線は昨今なくなった

肉を食いたいから食いに来た

それだけ

焼き肉

これほどおいしいものか

この世にあるとは

うかつだった

私は生きながらにして

寝ていたのだ

真に生きること

生きる誠とは何か

人が到達するところとは何か

悟るとは何か

文学とは何か

焼肉の中の焼肉とは何か

台風とは何であろうか

生死とは何か

一瞬とは何か

言葉とは何か

仕事とは何か

理想郷とは何か

超現実とは何か

美とは何か

私たちはどこから来てどこへ行く

深淵とは何か

主義とは何か

その答は

あみやき亭に行けば

わかる

たぶんな

いや待てよ

私はバカだった

あみやき亭に行かずとも

あらゆる真理を体に得ること

それは

あみやき亭に住めばいい

さらに修行を積めば

私自身があみやき亭と化し

永劫回帰のあみやき亭と

成ることこそ

到達である

 

 

 

 

 

 

 

 

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川っぺりムコリッタ

2022年09月18日 | 生活

         

荻上直子監督

という見出しを新聞で

見ると

安心する

この監督が制作した作品で

『かもめ食堂』『めがね』は何度も見た

見ていて安心する

雑雑とした現代社会で

このような監督が一人いるだけで

ホッとするのは

わたしだけではないでしょう

足るを知る

作品は最小限の登場人物で構成され

最小限のセリフ

最小限の動作

『めがね』の中で

「梅はその日の難逃れ」

という言葉がでてくる

朝 梅干しを一個食べるだけで

その日の難を逃れることができるという意

梅干しは強い殺菌力があり

口内環境を整え

胃腸の環境を整える

梅干しは塩分こそあれ

アルカリ性の食べ物

人体が酸性に傾くと

錆びが出てよろしくない

そこでアルカリ性食品かつ発酵食品の

梅干しを食べる

理にかなった諺

現代人がすっかり忘れている

アルカリ性の身体と

生物が本来持っている

生きる速度を

元に戻す作品群

ともかくゆっくりすること

生活を小さくすることが

二つの作品で描かれている

異常なスピードと情報の渦中で

みんな心身が壊れる

作品には海が出てくる

防波堤に座って

ビールを飲みながら

フランス語で詩を朗読したりする

知的な作品と言ってしまえば

身も蓋もない

知的とは

そんなふうに使う言葉ではない

本来の人の生活

人体に合った

生きる速度と知るべき知恵

生きる知恵とでもいいたい

荻上直子監督の作品を

全部見たわけではない

気に入った作品を何度も見る

監督もそれが本意だと思う

新聞で紹介されているのは

新作『川っぺりムコリッタ』映画『川っぺりムコリッタ』|2022年9月16日(金)全国ロードショー (kawa-movie.jp)

見たい

何故か

見たいから

こういう言い方が

荻上直子監督の雰囲気に合っているのではないかな

詩人に置き換えると

谷川俊太郎

違う

あそこまで作為的ではない

茨木のり子

違う

あそこまで勇ましくはない

石垣りん

違う

あそこまで

生活的でもない

もっと森羅万象に沿って

一体となって

過ごす生活

足るを知る

今回の題「ムコリッタ」とは

仏教の時間の単位の一つらしく

現代の時間に直すと

48分となるそうな

そこで思い浮かべるのは

平明で誰でも読める詩人

八木重吉に似ている

八木重吉は

敬虔なクリスチャンだったけれど

今回の新作は仏教を通じて

死生を緩やかにユーモラスに

描いた作品だそう

キャストを見れば

みんな繊細なひとたちばかり

強欲な世界からはほど遠く

真の静けさを体現する

映画監督の

新作は

きっと仏像が並んだ

仄暗い御堂の静けさを

たたえているに違いない

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願いが叶った

2022年09月17日 | 神社仏閣

          

今朝

事任八幡宮 ことのままはちまんぐう

で知り合ったお友達と

LINEしていて

閃いて

音源を送った

それは

いつも洗濯中に弾くギターの録音

二層式なのですすぎの時

渦巻きの音を聞きながら

たいていギターを弾く

10分くらい

録音したのは1分半

うまく録音できたので

送った

以前

ギターの音を聞きたいと

名古屋の友達が言っていたのもあって

いろんなところに

音源を送った

残念だけど

ブログには容量が大きすぎて

貼ることはできません

驚いたのは

反響の多さ

癒された

今いろいろあるからやすらいだ

ギター弾くんすね

何度も聞いてます


まあそれは一日中

LINEの着信音が鳴りっぱなし

普段LINEをしない人にも送る

返事なしも多く

それでも

素敵なコメントをいただいた

タイミングがよかった

1分半の音源は

短くも長くもなく

録音した場所もよく

あらゆる意味で

音源送信は喜んでいただいた

夕方になって

あれ これって自分がやってるんじゃないわ

と思った

ヘタなのにこれだけ人の心に届くことに

驚きしかない

これってきっと音霊が宿ってるかも

そうなると

きっと

事任八幡宮 ことのままはちまんぐう

の本宮で

願い事をすると叶うという言い伝えがあり

61歳になると

願い事はなく

誰かのために何か少しでもできたらいいと思って

頑張りますのでお守りください

的なことをぶつぶつ言っていたのです

白い石を紙で磨きながら “ことのまま”に願いが叶う?事任八幡宮 | ハマラボ[ハママツ研究所]|お出かけ|浜松に住む人のための情報ブログ (hamamatsu-lab.jp)

気まぐれで送った音源が

思った以上に反響があり

これは自力じゃない

そうでないと

こんなに反響はないはず

と思ったと同時に

閃いた

これって少しであっても誰かのため

になっているかもしれぬ

事任八幡宮 ことのままはちまんぐう

の本宮で石磨いて

願い事したから

それが叶ったのかも

主祭神の

己等乃麻知比売命様 ことのまちひめのみことさま

が現地で知り合ったお友達を通して

叶えてくれたかも

嬉しい

またお礼参り行かなきゃ

二週間で二回掛川まで行ってますけど(笑)

二回目は鈴木大拙先生に導かれ

磐座まで行ったし

山の中腹にある本宮までは

道案内があるけれど

本宮から磐座までの道は

一切

道案内がない

危ない道だったから当然です


今日は良い日

ありがとうございました

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ゴダール

2022年09月16日 | 映画

         

9月13日

ジャン=リュック・ゴダール氏が

空の上に帰っていった

配信サイトで

『気狂いピエロ』を見ようと思う

作中

ジェームス・ジョイスのものまねを

少しだけやるシーンがある

あれが印象的

それと最後

さらに最後

アルチュール・ランボーの詩の一節が

語られる

あの詩の意味が全く判らずにいた

まだ20代の頃です

今は判る

歳は食うもんです

ゴダールの日記も読みたい

フランスっていうのは

何か先鋭的で

個人主義の賜物

と乱暴な言い方は良くないね

日本だって良い映画はあるからね

15年くらい前

芸術が好きな同僚がいた

村上春樹の好きな作品は

『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』

で意見が一致

たくさんの先鋭的な音楽のCDを借りた

その中で

こんな詩がある

「わたしたちはいつも裸 いつも孤独」

彼は言った

「北野武ってさあ、ゴダールが凄く好きなんだなあって思った」

その意味が判るのは数年後

だから北野武ってフランスで受けるんだ

と理屈が合う

何故

暴力をあれだけ執拗に描くかも判った

歳は食うもんだ

80年代

ニューウエーブと呼ばれる

音楽が咲き乱れた

ジャンコクトーが好きなんだろう

『コクトーツインズ』なんていうバンドの名前があったり

デビッドシルビアンは三島の『禁色』に触発されて

「タブー・ザ・カラー」という作品を発表

デビッドボウイにいたっては

アンディ・ウォーホルに捧げる歌や

ボブディランに捧げ

かつ歌い方も真似てる

「Song for dylan」

と言う曲があった

デヴィッドボウイはニューウェーブ以前の存在であり

ものすごい人だったと思う

セックス・ピストルズ(このバンド名のセンスの良さ!)やクラッシュとか

パンクがでてきた

ザ・スミスとか文学臭くて

ディペッシュ・モードやクラフトワークが出てきて

ディペッシュモードは神戸まで見にいった

ノイズというのも全盛期で

舞踏家の勅使河原三郎のノイズは凄かった

まだ山口小夜子が生きていた時代

ザ・ドゥルッティ・コラムの退廃美

映像はデレク・ジャーマンが凄かった

韓国では Nam JUNE paik ビデオアートの先駆けとしてすごい仕事をしてて

永平寺を撮ったビデオアートがあり

福井放送の施設でNam JUNE paik の個展があった

当時大阪に住んでいたので友達と福井まで行って Nam JUNE paik を見てきた

Nam JUNE paik は立花ハジメに

影響を与え

坂本龍一が先鋭的なアルバムを発表し日本のニューウェーブ

テクノが始まった

ロシアから亡命した映像作家

『タルコフスキー』も素晴らし過ぎて

大江健三郎がタルコフスキーのことを

小説の冒頭に持ってきたりして

それはそれは世界中

あらゆるジャンルが交差して

面白かった

ゴダールもまたそのような渦中にあり

影響を与え続けた映画作家です

大きな人だろうけれど

その大きさはまだわたしは知らずにいるので

これからです

面白いのは40年前をリアルタイムで体験しているので

今の芸術家が80年代の芸術家に影響されているのが

たまに判る時があります

たまに

ですけど

コメント
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