kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

      『フィシスの波文』

2024年07月11日 | 映画














映画を見てきました

『フィシスの波文』

すごく良かったです
もういっぺん見たいぐらい
初めての映画館です
最初の 3場面で
タルコフスキーの水みたいな感じがした
それと熊谷守一
の絵の中で水滴があるんだけども
それがふわっと重なってきた

冒頭の近いところで
宗教学者山折哲雄さんが出てきた
この人から私の入り口だったもん

今も覚えている 阪神大震災の時に
アニミズムという言葉を中日新聞の紙面から教えてもらった『オリーブの木』

あの記事は本当に良かった
こんな風に映画に出てくるなんて嬉しいと思った

🌿

ドキュメンタリーには嘘がない

音楽もすごくいい
日本の和が どうしてわかってるんだろうって ちょっと思った

良い音楽が 映画作品をものすごく力を持ってくる

北野武の作品は
どの カットも絵になっているのが一番いいって言うけど
内容じゃなくて
連続する絵があるんでね
本当に綺麗なんだよ

竹やぶから 下から撮影すると
もう何か 宇宙みたいな感じに本当に持ってくる これはいいわ

上空から撮影するのではなくて
この下から撮影するのは
もう ものすごく思ってる人じゃないと こういう絵はできない

模様がこれからいっぱいで出てくるんですね これは本当に面白かったね
帰ってくる 途中から もうすぐに模様を目に入ってくる

文様 もんよう

パターン
パターン=リズム=心臓=血管=繰り返し=科学=文様

この作品を見ようと思ったのは
赤本で
赤本の中で少しだけあって

物質と魂

という言葉に惹かれた

いろんな美術家が出てきて
最後は北海道の話っていう風になってたからそれもいいなと思ってたの
でも 総合的にたくさんの美術家が ドキュメンタリーに出てきて
本質的なものをやってる

たくさんの美術家が文様のように出てくるんですね 同じ法則で出てくるんです これも面白かった

作品の最後の方で
知らないうちにカラーから
あ 白黒だ
白黒だ
と思ったの
モノクロっていうのはいろんな意味でやってるんだなと思ってそれがわかった
また色が出てくるんだけども
何か無意識の世界に入ってくるんだね そういう技術 なんだね 大した人だわ すごいよ

🌿

これは本当に面白かった
もう1回見たい

映画は ドキュメンタリー という手法は何かすごいものがある

しかしこの生活の中から
宇宙まで持ってくっていうのはすごいよ

この作品を見ていて
ある意味ではもう作中で 言葉はどこにもいらないんじゃないかなと思った

映像が本当に美しくて
変な物語もなくて
これは自然界の美しさをここまでも思わせてくれるっていうのはすごく嬉しい

今池まで行ってきて本当に良かったと思う

映画館は2階にあって
上りは右側の手すりがあったんだけど
下りは右側は手すりがなくて
なんとかできたよかった
左手がよろしくないんで 両方手すりにあると本当にありがたい

☘️以前まであった新しくなった
ミニシアターは
あまりいないんだろうなと思ったんだけど
今回のお客さんは多かった びっくりした

名古屋は12日までが見ることができます これは本当にいい作品だと思う
帰り道 夕立があったんだけど
少しは体も濡れたけど
雨の降る雨の水滴が
すごく嬉しいすごく美しい

物質と魂

やっぱりこの言葉は良かったな

この言葉が魅力的なんだな

全くそのままのドキュメンタリー というのは これは本当にすごかった 行って良かったと思います

フィシスって
あるがままの自然

って言う意味なんですね
うんよかった🌿

#フィシスの波文
#ナゴヤキネマノイ






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ゴダール

2022年09月16日 | 映画

         

9月13日

ジャン=リュック・ゴダール氏が

空の上に帰っていった

配信サイトで

『気狂いピエロ』を見ようと思う

作中

ジェームス・ジョイスのものまねを

少しだけやるシーンがある

あれが印象的

それと最後

さらに最後

アルチュール・ランボーの詩の一節が

語られる

あの詩の意味が全く判らずにいた

まだ20代の頃です

今は判る

歳は食うもんです

ゴダールの日記も読みたい

フランスっていうのは

何か先鋭的で

個人主義の賜物

と乱暴な言い方は良くないね

日本だって良い映画はあるからね

15年くらい前

芸術が好きな同僚がいた

村上春樹の好きな作品は

『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』

で意見が一致

たくさんの先鋭的な音楽のCDを借りた

その中で

こんな詩がある

「わたしたちはいつも裸 いつも孤独」

彼は言った

「北野武ってさあ、ゴダールが凄く好きなんだなあって思った」

その意味が判るのは数年後

だから北野武ってフランスで受けるんだ

と理屈が合う

何故

暴力をあれだけ執拗に描くかも判った

歳は食うもんだ

80年代

ニューウエーブと呼ばれる

音楽が咲き乱れた

ジャンコクトーが好きなんだろう

『コクトーツインズ』なんていうバンドの名前があったり

デビッドシルビアンは三島の『禁色』に触発されて

「タブー・ザ・カラー」という作品を発表

デビッドボウイにいたっては

アンディ・ウォーホルに捧げる歌や

ボブディランに捧げ

かつ歌い方も真似てる

「Song for dylan」

と言う曲があった

デヴィッドボウイはニューウェーブ以前の存在であり

ものすごい人だったと思う

セックス・ピストルズ(このバンド名のセンスの良さ!)やクラッシュとか

パンクがでてきた

ザ・スミスとか文学臭くて

ディペッシュ・モードやクラフトワークが出てきて

ディペッシュモードは神戸まで見にいった

ノイズというのも全盛期で

舞踏家の勅使河原三郎のノイズは凄かった

まだ山口小夜子が生きていた時代

ザ・ドゥルッティ・コラムの退廃美

映像はデレク・ジャーマンが凄かった

韓国では Nam JUNE paik ビデオアートの先駆けとしてすごい仕事をしてて

永平寺を撮ったビデオアートがあり

福井放送の施設でNam JUNE paik の個展があった

当時大阪に住んでいたので友達と福井まで行って Nam JUNE paik を見てきた

Nam JUNE paik は立花ハジメに

影響を与え

坂本龍一が先鋭的なアルバムを発表し日本のニューウェーブ

テクノが始まった

ロシアから亡命した映像作家

『タルコフスキー』も素晴らし過ぎて

大江健三郎がタルコフスキーのことを

小説の冒頭に持ってきたりして

それはそれは世界中

あらゆるジャンルが交差して

面白かった

ゴダールもまたそのような渦中にあり

影響を与え続けた映画作家です

大きな人だろうけれど

その大きさはまだわたしは知らずにいるので

これからです

面白いのは40年前をリアルタイムで体験しているので

今の芸術家が80年代の芸術家に影響されているのが

たまに判る時があります

たまに

ですけど

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ZEN 禅

2022年06月15日 | 映画

         

 

映画『ZEN  ー 禅』鑑賞

50年近く勘違いしていたことが判明

日本語字幕で発覚

何度も見てきた映画なのに。。。

「こけにしやがって!」

というセリフは映画にはありませんけれど

この「こけ」を

「苔」

だと思ってきた

恥ずかしい

「虚仮」とは。。。。

こういう思い込みって

怖いですねえ

ーーー

『がやの心』

おそらく映画のセリフの意味は

インド南方に仏教の聖地ブッダガヤがあるらしい

補説で「伽耶」ともいう

ということは

仏陀伽耶(ブッダガヤ)の心

という意だと思います

ーーー

道元は

京都東山区『建仁寺』から中国南宋の天童如浄(てんどうにょじょう)という

高僧から学び悟りを得る

如浄から「成ったな」

言われ

悟って修行悟って修行

その繰り返しだ

とセリフがある

重要なセリフだと思いました

只管打坐(ただ座る 瞑想)

を持ち帰り

京都深草の『興聖寺』

追われて山越え

福井『永平寺』となる

ーーー

セリフがある

「他者への依存はおのれの仏を否定することだ」

とある

凄いセリフです

ーーー

この映画は忘れた頃

繰り返し見る

最初の衝撃は凄くて

大学ノートに日本語訳を

書き留め

字幕に意味も補足されてあり

写した

去年そのノートを

忍び武士に貸したら

「凄いですね」

と発す

ーーー

この映画は

道元禅師を知るうえで

判りやすく

面白い映画です

今回も得たし

毎回

画面に向かって

時には手を合わせながら

見る

そんな映画です

ラストシーンが

何度見ても感動

道元役をやった

歌舞伎役者の中村勘太郎氏は凄い

他の役者もみんな凄いです

歌舞伎役者だからこそ

迫力がある

としか思えない

書き留める言葉の多さ

作品は

言葉の映画でもあります

 

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映画『ジョーカー』

2021年11月06日 | 映画
  


夜になって
腰イタ星人がだんだん
弱くなってきたので
気力が戻る
疲れも取れ
体も温まった

こんな時に
見る映画ではないけれど
アマゾンプライムで見られるので
早速
見たかった
『ジョーカー』を拝見

いやはや
奥深い

見たいと思ったきっかけは
以前
思想家だったか誰だったか
映画『ジョーカー』のような悪を言っていて
そうか見てみたいな
と思ったこと

もう一つは
京王線で起きた
電車内での放火と無差別殺人事件
容疑者は「映画『ジョーカー』になりたかった」
と供述
服装もジョーカーを真似ていたという

ただ
映画を見て
カンヌで賞をもらい
世界興行金額が凄いという
それほど
たくさんの人が見ている
ヒット映画とは知らず

これはまず
重層的で
一個人の生い立ちの不遇だけではなく
80年代の病んだアメリカを描いている
ということは
現代を描いている
そのことは
役者の演技の巧さよりも
さらに強烈に
迫ってきた

京王電車の事件も
当日はハローウィンの仮装した人たちが
たくさん乗っていると想像したと若き容疑者は供述
映画そのまま
のちに
若い子を持った親が
いつ自分の子供が
無差別殺人をして
死刑を望むのか
不安だという記事さえ上がった

目の前で人が唐黷トいても
写真を撮る
これを
病んだ時代
先進国の病気といわずして
なんというのか

そこを
描いた
映画であり
精神障害者への
福祉の限界
虐待のトラウマ
社会の貧富の差から
攻撃的になる民衆の
群集心理の浮ウ
インフルエンサーとしての
ジョーカーへの賛美
仲間からの裏切り
あらゆる
負を背負った男、ジョーカー
途中で
世の不条理に立ち向かう姿に
わたしも「頑張れ、ジョーカー」
と思ったほど
説得力ある物語

ここまで凄い映画を
腰イタ星人が弱まった夜に見て
悪夢を見ないわけがない

明日はライトな映画を見よう

でもこの映画
必見間違いなし
凄いです
みんな見てね


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万引き家族

2020年12月01日 | 映画
  


映画『万引き家族』見る

二度目
一度目はあまり印象なし
今回
見終わって
「いいなあ」
と声に出した

是枝裕和監督作品では
『誰も知らない』で
子役の圧涛Iな演出が凄かった
ここまで
子供を撮ることができるのは才能

今回も子供の演出が際立った
素晴らしい役者陣の演技以上に
素晴らしい構成だった

とくに
最後
万引き家族たちが
それぞれ
警察の取調室で受ける尋問は
胸に宿った

人が生きることと立法社会との
あまりにも大きな
埋めることができない
この乖離こそが
今作の『川』である

川の流れ
川の青く黒い深さ
どこまで流れているのか
水源はどこか

橋がどこにもなく
こっち側と向こう側の
陽気でさえある断絶

是枝監督は
その橋を視聴者に預けた
見るものが
その橋にならざるを得ない
吊り橋だろうが
渡し船であろが
いかだであろうか
かまわない
この『見えぬ川』の中に
わたしたちは生きている
そして橋もまた
わたしたちでできている

問いに答えない
これが件pであり
答は見聞きする人それぞれにある

法律とは一体何か
家族とは一体何か
人間が生きるとは何か
愛とは何か
凡庸な問いを
素晴らしい役者たちが
淡々と日常の中で
描く
ここに描かれているのは
生活である

大組織を社会と定義してみて
違法があれば
法が取り締まる

けれど
あの取り調べ室
安藤サクラさんの涙を
映画に明るい友人は
『聖母の涙』と書いた
そうだ
まったくそうだ
ただみんなが違う言い方をした方がいい
自分の言葉で言うのがいい
何故か
自分で考えることは
自分の言葉で話すことだから

まだわたしはこの映画の
取調室のシーンの乖離が
うまく言葉にできない
持っている言葉を取り急ぎ
使用させていただければ
こうなる
彼らは法律では有罪だけれど
神様の法律では無罪だ

まだ何度か見て
考えていきたい
何年かかっても



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独裁者

2020年06月05日 | 映画
  



映画『独裁者』見る

最後の演説は
何度見ても
素敵

この映画
わたしがまだ
小学生だったころ
親に連れられて
見に行ったのが最初
それから
レンタルで借りたり
何度も何度も
見ている

小学生の時
記憶に残っているのは
大きな地球の風船を
お尻で打ち上げるシーンだ
あまりにも滑稽で
それが地球の風船だとは
きっと知らなかったに違いない

ところどころ
たとえば
コイン入りのケーキの皿を
取り替えるシーンや
ハンナ聞こえるかい
と呼ぶ
チャップリンの演説
あいまいな記憶


演説の声に顔をあげるハンナ
あれはイコンだ

国は違えと
思うことは
宮沢賢治
『ひかりの足』という作品は
なんかすごい

チャップリンは
あの演説をラストシーンにやるための
独裁者という作品を作ったのではないだろうか
と思う

今聞いても
言葉が古くない
脚本に時代を入れず
民の普遍を話している

いつ見てもチャップリン
いつ読んでも宮澤賢治

偉大な人たちは
大きなものを残して
空に帰る





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ひめゆりの塔

2019年12月31日 | 映画
   

昨日は
動画
『ああ、ひめゆりの塔』を見た
吉永小百合主演

ある意味では
平和の重要なプロパガンダとしての
吉永小百合さんの存在は
現在でも有効である

昭和34年の作

昭和19年前後の沖縄の話
昭和19年なんて
わたしが生まれた36年から数えて
たった17年前の出来事

そういえるのは
わたしも年齢を重ね
17年という歳月が
いかに短いかを
実感できる年齢になったからである

17年前に沖縄で
こんなことがあった
ドキュメンタリーでだいたいは知っていたけれど
映画というのは
嘘もありながら
リアルに描かれるものだ

当然
美化されていよう
それでも
美化されて
あれだけの惨劇だったとしたら
もっと実際の具体は
グロテスクを極めている

見終わって
「ここから全部始まる」
と思った
戦争があって
戦後があり
今に至る

中村哲氏が空に帰った時
吉永小百合は
「許せない」
と言った
強い言葉だと思った
その理由が
この映画を見ればわかる
このような戦争犠牲が
実際にあり
その主役を演じるにあたって
相当の取材と史実を熟知せざるを得ない

不条理に「許せない」
という感情が芽生えるのは
この映画を見たあとと
そうでないのとは
まったく違う

戦争の悲惨を語りつぐ
何故
昭和34年に
この映画がつくられたか
作りたかったからだ

戦争体験は個々人で違う
個人の体験を
自費出版してのちに
残そうとする方もいる
文兼ッ人誌『じゅん文学』の
同人だった
伊勢さんである
それは伊勢さんにしかわからない
知らないことだからだ

戦争の悲惨
といっても
悲惨の現実感が乏しいから
言葉が
ただすべってゆくだけ
けれど
こうして
映像化として
作品化されることによって
わたしたちは
考え
想像することが可能になる
それが後世に残す
本当の意義である

世界を旅するカフカ先生は
ある日
言った
「わたしは観光で沖縄には行きたくない」
もちろん
他の戦地になった島々にも

日本本土を守るために
沖縄が犠牲になった
3人に1人が亡くなったという

文学も
政治も
この映画から
始まっている
ここを基点とする

過去を知れば
未来が見える
現在を現代の事物で
判ろうとしてもだめだ
そう知識人たちは
いう
その意味が

判る

井伏鱒二の動画を見たことがある
「戦争っていうのは恐ろしいもんです」
そう言って
井伏鱒二の表情が
長い時間
映像としてとらえられている
あのリアル感
戦争の恐ろしさのリアル感ではなく
井伏鱒二の
リアルな恐賦エが
凄かった

そうやって
二次情報に沿うしか
わたしたちには
他に方法がない

忘れられぬ映画を見た
この
『ああ、ひめゆりの塔』には
たくさんのことが
詰まっている



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花戦さ

2017年06月11日 | 映画


今日はこの映画を観てきました
主役が能楽師なので
所作がきれい
表情の作り方も見事

エンターテインメントだけれど
本質的には件p映画
ともかく
花の美しさに
涙が出て

そして仏性が
最初から最後まで

華道が
ここまで仏性であるとは

政治と件p

道元の伝記映画
『ZEN』を
重ねていた

『花戦さ』は
華道をやる人に
花の<目覚め>を
うながす作品
そういう意味では
マイノリティだけれど
思った以上に
良い作品

仏性を帯びた
数々のセリフは
利休が言えば茶道
池坊が言えば華道


絵師が黒い蓮を描く

エンターテインメントの
作り方を差し引けば
劇場の集客数は激減するだろう
でも
道元を描いた『ZEN』と
同じガチな真摯さで
この映画を観たい
と思ったのは
わたしだけだろうか

それにしても
松にたくさんの花は
素敵

ラストシーンで
主役に合わせて
客席で
手を合わせて
観ていた


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映像・言葉・音がパラレルに並べられているという凄さ

2017年06月02日 | 映画
河瀬直美監督
『光』

今朝になっても
余韻が残っていて

起きる前に
朝の脳は冴えている
昨日気づかなかったことが
ぱっとあらわれ

それは
映像と
音と
言葉を
並列に並べた
凄い映画手法だということ

こういう手法が全面に出ることなく
あくまでも
現実の世界を描きながら
またはスピリチュアルにもなりながら
しっかりと
映画の手法をとっている驚き

映画で映画について何かいう
映画批評の作品は
小説でも同じ手法の作品がたくさんある

でも
『光』は
その手法を全面に出さない
見事に隠され
しかも
魂に問いかけてくるだけの
<光>の意味の強さがある

おそらく
わたしたちがいう
<光>
と河瀬直美がいう
<光>
とは深みがまったく違う

ラストシーンの凄みは
河瀬直美の生きざまである

思い返せば
同じモチーフの繰り返し
初期のドキュメンタリー映画では
失踪した父に電話をかけ
会いにゆく
そういう喪失感

そして
育ててくれた
「おばあちゃん」のモチーフ

さらに
「おばあちゃん」が
認知症になった現実を
作品化したのは
10年前の
『殯の森』
『光』でも
行方不明になった
母を探すシーンが出てくる

というか
『光』を見ていて
河瀬直美の喪失のダメージと
それを人の喪失と共有させて
響かせるだけの
感性が素敵

中上健次が
大江健三郎が
同じテーマで
作品を何作も書くのと同じように
河瀬直美もまた
生涯を通じて
繰り返し繰り返し
表現する
家族の喪失
それを
ぎゅっと捕まえて
離さない

しかも
音声ガイドという現実を
モチーフにして
言葉の奥底まで
降りてくる
視覚障碍者と接することで
彼らの豊饒な想像力に目を向け
その本人に近い立ち位置まで
降りてくる感覚
それが
おそらく
河瀬直美の
共感感覚の優れたところ

映画という体と
左肩に言葉を乗せ
右肩に音を乗せて
河瀬直美は羽ばたく
魂の空へ

35か国で
上映が決まっているという
たくさんの人が
この作品を通じて
自身の思いや魂の響きに
耳を傾け
誰かの思いや魂の声に
素手で触るきっかけになるのなら
そんなに素敵なことはない

「思いが尽きないんだ」
というセリフが作品の中で
何度か繰り返されていた
尽きない思いこそ
生きていることに
目覚めている
証なのだ

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2017年06月01日 | 映画





今日は労働帰りに、
伏見ミリオン座で、
この映画を観てきました。
映像美であると同時に、
言葉の映画であり、
聞こえる音の映画でもありました。
帰り道、
伏見から栄まで歩く間、
聞こえる音に耳を澄ませていました。
どうしても、
この映画は観たかった。
だから観にゆきました。


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断食倹l

2016年04月24日 | 映画
     

久しぶりの
名古屋シネマテーク
ナイトショーがあったので
見てきた『断食倹l』。

原作はカフカの寓話集ということで、
本好きの友人に誘われ、
「小久保君、原作読んでくるといいよ」
といわれたけれど、
未読のまま。

結局、原作とは違う構成らしく、
映画は映画として、
作られていた。

最初、主役の人をどっかで見たことがある、
ずっと数分考えていて、
そうだ、
『パーマネント野ばら』に
出ていた人だ、と。

―――

山口昌男の「中心と周縁」ということを
まず思った。
中心は空洞で、
主役は中心で、
空洞、
周縁は、
さまざまな断片の掻き集め、
それは映画に出てくる多々の人物だけではなく、
音楽の大友良英、
ビジュアルとして名前を出しているアラーキー、
も含んで。

高橋源一郎の
初期の三部作のようで、
周縁から中心に引き寄せられる、
断片の連続、

表面上は派手な映画だけれど、
本当に地味派手だったのは、
吉増剛造のパフォーマンス。
あの数分だけが、
構造の中にあっても、
<地面>という原理に、
基づいていて、
ホッとした。
吉増のパフォーマンスを見て、
ホッとするというのも、
妙だけれど。

目当てで行った、
吉増の出演で、
「吉増剛造、よかったねえ」
なんていいながら、
夜の今池を歩いて。

ピース又吉なんかが見たら、
倹lとしても、作家としても、
「おもろかったわー」
とか言いそう、
ビートたけしなんかも、
「おいらにはああいう渇き具合、無理だね」
とか言いそう、
とかナントカ、
友人はウォッカを、
わたしはトマトジュースを、
飲んで、
嬉々として、
どうでもいいことを。





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ヒミズ

2012年08月15日 | 映画
今日は、
映画「ヒミズ」を、
観ました。
園子温監督の作品です。
311がテーマではないのに、
311をたぶん、
時期的に、
途中で、
導入せざるを得なかった、
という、
感じがしました。
311の「底」までは届いてはいない、
と思った分だけ、
この作品は僕にとって「欠け」が、
ありました。

311以降、
少しずつ、
表現者たちは、
何かを表現したい、
と思っています。
それがどれだけ、
完成度が低くとも、
描かざるを得ない、
という感情が、
端の僕にもあり、
ついこないだ脱稿した、
「宮熊」という小説も、
311の事柄です。
311を、
どう表現したらいいのか、
その興味は、
僕の中で尽きません。
「ヒミズ」も、
そのように観ました。
「冷たい熱帯魚」は、
肉体の映画でしたけれど、
「ヒミズ」は精神の映画で、
かなり、
くたびれる映画でした。
でも、
「ヒミズ」は、
僕はどうしても観たい映画でした。
そして、
次作の「希望の国」を、
とても楽しみにしています。

中日新聞で、
園子温監督は、
映画について書いています。
「希望の国」が原発をあつかう以上、
スャ塔Tーがつかなかったことを、
嘆いていました。
けれど、
潜在的にしても、
顕在的にしても、
原発を扱わない作品が、
これから通用するのだろうか、
と思います。
通用します。勿論。
でも、
僕の中では、
311以前に描かれた安穏な世界と、
311以降に描かれるシビアな世界と、
一線ができてしまいました。
一緒にすることは、
たぶん、
できないと思います。
言葉という共通性で、
それが一緒になれば、
うれしいのだけれども。

こないだ、
友人が言いました。
「震災で、表現の質が高くなる」。
僕は反論しました。
友人が言いたいことも、
判ります。
けれど、
表現というものは、
そんなに偉いものじゃない。
なくなればなくなった方が良いです。
井伏鱒二の「黒い雨」も、
チャップリンの「独裁者」も、
本当は、ない方が良いです。
「歌わないことが一番良いのだ」
と僕は高田渡の言葉を、10代に、聴きました。
「世界全体が幸せにならないかぎり自身の幸せはない」
という宮沢賢治の言葉が、
「ヒミズ」のレンタルDVDの、
ある映画の予告編にも、
使われていました。
岩井俊二は、
東北へ行って、
持っていったカメラで、
撮る気にはなかったそうです。

言葉を失う。
かろうじて出てきたヘンテコな言葉が、
次にやってきて、
そこからしか、
僕は、
僕自身は、
始めることができません。
「ヒミズ」での震災へのアプローチは、
僕の問題です。

「文学と戦争、文学と神、と言ったとき、それは文学のことなんだ」
と言った、
柄谷行人。
それがまだ有効ならば、
「文学と震災、文学と原発」
と言ったとき、
それは、
文学のことになります。
友人の言ったことは、
正しいのかも知れないです。
マジで、
これから僕らが取り組まなければいけない、
問題です。
「ヒミズ」の震災へのアプローチは、
今の、全部に繋がってきます。



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冷たい熱帯魚

2012年06月18日 | 映画
半端じゃない、
グロテスクと、
リアリズム。
本能との戦いが、
人間の歴史の始まり。
制度をつくらなければいけない理由は、
この映画を観れば判る。

それにしても、
気持ち悪くて、
晩ご飯を食べられそうにない。
何故って、
食べることも生理だから。
この映画は、生理の映画であって、観念ではない。ああ、気持ち悪い。。。

この作品を好き嫌いでいえば、嫌いだけれど、「好き嫌いで言っていいのか」という強い自問が残る。


「冷たい熱帯魚」を観たのは、
5月31日の夜でした。
ずっと気になっていて、
何年も経ってから、
観たのです。

凄い映画があるもんだ、
と衝撃が強すぎて、
夕御飯は食べられませんでした。
この映画でも、
他の作品でも良い、
この監督の作った映画を、
また観てみたい、
という欲求が、
最近、あります。
それがどうしてなのかは、
判らないけれど、
やっぱり、
また観たいです。

詩人から始まった、
園子温監督。
うーん、
また観たい。

そういえば、
リクオの「パラダイス」という、
素晴らしい曲の中で、
「本能が成熟しない限り、
 感受性も豊かにならないし、
 当然、理性も開化しない」
と、
アダルトビデオ監督の、
代々木忠、
の言葉を、
歌って(しゃべって)いたのを、
思い出しました。
「開花」かもしれないけれど、
きっと、
「開化」で良し、
としましょう。

コメント (3)
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MY HOUSE

2012年05月25日 | 映画
写真は、いとうたかおさんです。
週末の26日(土)から、
いとうたかお主演の映画、
「MY HOUSE」http://myhouse-movie.com/
が、全国ロードショー、
名古屋でも、
下記劇場は、
26日から上映されます。

上映時間

109は
http://109cinemas.net/nagoya/schedule/timeSchedule.shtml

名演小劇場は
http://homepage3.nifty.com/meien/schedule.htm

他劇場も、多々、上映。
詳しくは、
「MY HOUSE」」http://myhouse-movie.com/







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バベル

2011年07月29日 | 映画
蝉がまわりの、
3本の木から、
サラウンドで聞こえていて、
鳴き声の中にいると、
うるさいといえば、
うるさいのだけれど、
音だと思えば、
音なのです。
どうして、
蝉はこんなに長く、強く、
鳴くのだろう、
と思います。
交尾のためなのだろうけれど、
「うるさくてよけい暑いわ」
とヒトに言わせるほど、
大音量です。
ここまで大きな音を出すゆえんは、
何故だろう、
と、いつか、
ちゃんと調べようと思ってはいるのですけれど。

午後、松下さんが自転車に乗って、
南からやってきて、
至近距離になって、
あ、松下さんだ、
と思い、
「松下さん松下さん」
と呼ぶと、
松下さんは、自転車を減速し、
くるりとこちらに大きなからだを、
向けました。
数十秒話して、
松下さんは北へ向かいました。
風が吹いていました。
今度は、
帰りしな、
友達と会い、
古い喫茶店に行って、
ウイスキー入りの、
ケーキを食べて、
コーヒーを飲んで、
何事かを話し、
家に帰りました。

帰ってから、
映画「バベル」を見ました。
菊池凛子、圧巻。
映画は、二度目ですけれど、
やはり、メキシコの国境付近を、
炎天下、さまよう女性のシーンが、
凄いです。化粧は剥げ、
生死をさまよい、歩く、助けを求めて。
そのバックには、
真っ青な空。
この空は凄いです。
このシーンだけでも、
この映画は凄い。
前にも書いたと思うけれど、
シンクロというか、
パラレルというか、
場所が異なったところでの、
共時性の面白さは、
たまりません。
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