kotoba日記                     小久保圭介

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冨田さんの庭

2010年02月25日 | 生活
 


     


引き合わせ、
という言葉、
偶然、
という言葉、
あるきっかけで、
冨田さんという方にお会いしました。
冨田さんは名古屋、それも僕の近所に住んでいて、
物をお書きになっている、
というふうに紹介されて、
「どんなものを?」
と僕が訊ねると、
冨田さんはにっこりして、
最新の論文を庭に持ってきました。
内容は難しくてわからないのですけれど、
日本語の起源、ということを、
僕は数時間、縁側で拝聴させていただきました。
カタカナが発生する話や、
言葉の読み書きができる国は、
日本は比率が世界的に高いこと、
それが相当古くから、中国の文献の中から、
日本の識字率の高さを証明するものを発見した、
と冨田さんは少し興奮気味で発されました。
また琉球王国での伝達は、縄の結び目であったり、
同じく文字を持たないアイヌの話まで、
僕はなるべく言葉がいつどうやって日本でできて、
というふうに話を戻すのですけれど、
冨田さんの話は、どんどん脱線してゆきます。
カオスというか、
それは、
冨田さんの庭みたいで、
目の前にジャスミンの木があったり、
裏横に、レモンの木があったり、
石や苔、洗面器や、水やりのためのシャワーの口、
とにもかくにも、
話は細部へ細部へと流れていきました。
ちょうどお昼になってしまっていて、
奥さんから縁側に、サンドウィッチと甘酒を用意して頂いても、
その味がわからないほど、僕は冨田さんの話を聞いていました。
初対面なのに、
本当に楽しい時間でした。

写真は、アイヌの人たちの、
狩りをする時の、矢です。
くるんであった新聞は、釧路新聞で、
「祭りに使うものです」と冨田さんは言いました。
矢の先に、毒が塗られていて、
強毒だと獲物はすぐに死にますけれど、
人間が獲物の肉を食べてもその毒で死んでしまうらしい。
だから、毒を弱くする。
けれど、獲物は林の奥深くへ逃げていってしまい、
どこかで矢が刺さったまま唐黷ワす。
それを見つけ、
誰の獲物か、
を判断するために、
この矢には、家紋が彫ってあります。
「それはどの部分ですか」
と僕。
「この丸いところ、間隔もそうです」
と冨田さん。
冨田さんはもうすぐ本を出されるそうで、
現在、77歳。
丸の内の県図書へ通って、
研究しているそうです。
学者さんの話は細かくて理解するのが大変で、
断片だけ、なるほど、と思って聞いているのですけれど、
家に帰ると、
僕の頭に残っているものは、
内容ではなくて、
学問への、パッション、情熱です。
「僕も文学の話をするときりがないし、終わり、ということがないです」
と言うと、
冨田さんは、当たり前に過ぎるリアクションでしたけれど、
言葉通り、二度、うなずきました。

道元のことを最近、ノートに書き写していたのですけど、
今僕らが当たり前に使っている言葉の、いくつかに、
「あ、これも仏教用語か」、と驚いていました。
道元が生きていた1200年頃から、
現在まで、言葉が線でつながっていることを、
知らされました。
たかだか、800年ぐらい前のこと。

学校の授業では、歴史は本当に現実から遠かった。
けれど、800年前なんて、
ぜんぜん遠くない、
と道元のことを調べていると思いました。
そんな話を冨田さんにして、
聖徳太子が漢語を学んでいく話を聞きながら、
音読みと訓読み、
そして、
口語体と文語体の問題が、
たとえば、
喜多ふありの作品に、
僕はすこぶる切れ味の良い文体を読むのですけれど、
文学上の問題として、
現代でも、まだ口語と文語がある、
と、
驚いています。
時間は確かに流れているけれど、
僕は、発語や文字が、
起源から脈々流れてくる音を、
冨田さんの声に聞こうとしていました。

冨田さんの庭は広くて、
結構、丁寧に手入れもされているのですけれど、
冨田さんは手入れをしているつもりでも、
大きな庭の多々な植物や石は、
冨田さんの手を逃れ、
変化してやみません。
変わってゆくものを、
冨田さんの不思議が見入ります。
のびてゆく枝や、柔らかな新芽は、
くるりとその葉を広げて、
冨田さんは、
緑のいちいち、
葉脈の細部を見ています。
そうしている間に、
歳月が過ぎ、
石に苔が張り、
今度はその苔の艶を見ている間に、
レモンの木に大きな実がついて、
「おいしくないんだよ」
と言っているうちに、
緑色の小さな鳥が来て、鳴きます。
冨田さんはあちこちを見回し、
「これはこれで、こうか、、」
と、つぶやきます。

飽きることのない、
冨田さんの学問の庭で、
僕は心地よい時間を、
ともにさせてもらいました。
ティーカップに入った、
甘酒が、
体を温めてくれました。


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ZEN、二風谷

2010年02月07日 | 生活
先日、
NHKで永平寺の修行僧の番組、
を、見ていました。

以前、注jさんという知人がいて、
労働が終わると、
いきつけの喫茶店に寄り、
寝る直前まで本を読むという、
生活をしている方でした。
当時、「今、アイヌの本、読んでるんや」、
と言い、平沢進を聴いていた僕は、
曲名にあった「カムイミンタラ」という言葉を言うと、
注jさんは、うれしそうに、「お、知ってるね」、
と笑いました。
注jさんは、いろいろな思いで、
永平寺に向かったそうです。
ところが、
名古屋から高速道路で福井は永平寺に行く途中、
交通事故を起こして、行けなかったとのこと。
幸い、怪我もなく、
永平寺での修行はできず、
「行くな、ちゅうことやろうな」、
と照れくさそうに、言いました。

永平寺の僧の営みを紹介した番組で、
注jさんのことを思い出しました。
厳しい修行の様子は、
テレビからでも伝わってきて、
僕はぞっとして見ていました。
こんなところに行ったら、
数分ももたないと思います。


借りるつもりは、
まったくなかったのですけれど、
道元という人がテレビで紹介されていたので、
うーん、と思いながらも、
「禅(ZEN)」という映画を借りて、観ました。
不思議なもので、
テレビの方の永平寺の模様は、
眉をひそめていたのに、
「禅」を観ていると、
涙が出てきました。
借りたくなくても、観たくなくても、
きっと、これはあのテレビからの、
流れに違いない、借りて見ろ、
という流れに違いない、と思いました。
結果は、観てよかった、です。
最後の方は、合掌して映画を観ていました。
合掌して映画を観たのは、
初めてでした。


今日、ETVで、アイヌの番組、
といっても良いでしょう、
二風谷ダムの特番を見ていました。
今は亡き、萱野茂さんの見たことがない映像も、
少し放映されていて、良かったです。
アイヌ語で、木のことを、
シリコロカムイ、というそうで、
早速、紙に書きました。


禅のお坊さんで、
「前後裁断」とか、
「身心は一如」とか、
「自然は立派やね」、という、
言葉が番組で流れ、
映画でも、一度で理解できない言葉が流れ、
その都度、巻き戻して、
そのせりふを聞いていました。
二風谷ダムの番組の中でも、
アイヌの言葉がたくさん出てきました。
萱野茂さんが、裁判のとき、
日本語以外は使ってはいけないところを、
アイヌ語で話し出しました。
その再現VTRが今回も流れ、
傍聴席のアイヌの人たちが、
「萱野先生がアイヌの言葉で話し出したとき、
私たちは、胸で起立しました」、
というエピソードは、
僕の中で、ずっと今でも残っています。
それは、宮沢賢治じゃないけれど、
言葉が起立した、
ということです。

テレビの番組や映画、
その中で、本当に大事なとき、
伝えねばならないとき、
言葉が使用されていました。
確かにあれは言葉です。
当たり前のことでしょうけれど、
言葉が使われている、
そのことが、
僕はとても気になっています。
びっくりした、
というほどじゃなく、
ぼんやりと、
ああ、人は言葉を使うんだ、
と思いました。
まどみちおさんの言い方を借りれば、
息の次に、大事なのは、言葉だそうです。
勿論、僕は、息の次に、なんて、
言えないけれど、
偉い人の話し言葉や、
書き言葉に出会うと、
まるで自分の糧にでもなったように、
いい気になっています。
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