kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

2007年09月30日 | 生活


写真は、週中の、ベランダからの、空の月です。
下のオレンジ色は、
「金星です」。
とか、「カンロ飴です」とか、
「円盤が静止していたので、仕方がないなあ一緒に撮りました」、
と言い張って、、、
向かいのマンションの窓灯りです。
ここ数日、月がきれいで、
そういえば、小さい頃、ちまき、っていうのでしょうか、
二等辺三角形の白、薄ピンク、薄茶、薄緑の団子を食べていました。
今日あたりの日には。
今、書いていて思ったのですけど、上記の団子の色って、
名古屋の「ういろ」と同じです。
写真を改めて見ていると、
好んで読んだ稲垣足穂のことを思い出しました。
足穂の言葉で、
「自信をなくし、絶望したりした時は、ただちに自分の仕事に取りかかれ」
という言葉があります。
足穂は、小さな座り机で、広辞苑だけを置き、
誰かが書いた原稿用紙の裏に、
ちびた鉛筆(かつお節のおまけ)で定規でマス目を書き、
絶望した時、仕事をしたのでしょう。
作品世界も壮大ではあったのですけど、
難解でした。
でも、この言葉は、今でもずっと僕の中で生きています。

---

昨日は遅くなって、10時半からの「路上朗読」の番組を見られなかった。
再放送してくれないかな、と思。
さて、今日も読書と筑前煮作りと睡眠と片付け、、、、。
もうやめちゃおうかなあ、みんな。って一切合切やめたら、
きもつええじゃろうなあ。



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東北弁

2007年09月29日 | 生活
昨日の暑さと、今日の寒さ。
最高気温は、23度。寒い。
昼から雨が降って、さらに体感気温は下がる。

昨日から話題になっている事柄があって、
それは「トヨハシカレー」のことです。
なんでも、トヨハシ(豊橋市の豊橋です)出身の奥さんを持つ方がいて、
「家のカレーはトヨハシカレーだ」
と以前から豪語するのです。
豊橋は、ちくわの名産で、
肉の代わりにちくわを入れるのが、トヨハシカレーなのだそうです。
僕も作ってみたけど、結構、これがおいしい。
で、Oさんが昨日、
「家は金曜(本日)がカレーの日だから、女房に言ってみる」
と言っていました。
「じゃあ、もしトヨハシカレーなら写真、携帯で撮ってきて」
と僕。
そして、今日。
「食べたよ、トヨハシカレー」
とOさん。
「で! で?!」
と興奮して訊く僕とオジ。
「いや、ちくわが別の皿にあって、それをカレーに載せて食べた。ちくわの彩りだけじゃなんだから、サラミもスライスして載せて食べた方が良い、って女房が言ってた」
「……」
「娘はちくわにしょうゆかけて、カレーとは別に食べてたし、息子は、『何故に、ちくわ?』と言いながらさあ、でも、カレーに載せて食べてたよ」
「成る程! それもトヨハシカレーだ!」
とオジは言った。嘘こけ、オジ。
Oさんが行ってから、僕らは、O家のトヨハシカレーを批判した。
「彼らには、トヨハシカレーの本質が判っていない」
とオジ。
「そうだよ。ちくわを、カレーに、ぶち込んで、こそ、煮て、こそ、ですよね!」
「当たり前だよ」
とオジ。
なんだか拍子抜けした僕らは、
ジュースを買いに行くKさんをとっ捕まえた。
「トヨハシカレー、知ってる?」
肉の代わりに、ちくわを入れて云々。
昔、貧乏な人は肉が買えず、って昔は、肉は本当に高かった、
ので、ちくわを入れた説と、
豊橋は肉が手に入りにくく、断然漁業なので、
練り物のちくわを入れた説がある。
で、Kさんにその2つの説を言いながら、訊いてみると、
「あ、俺んとこ、ちくわだったよ、カレーは」
とあっさり言われて、
「うっそおおおおおおお!」
と僕とオジはでんぐり返った。
「いや、出身が東北で、貧しかったし」
「え、ホント?」
そこで、じゃあ、方言は?
ってな話の成り行きになり、
本物の東北弁を聴かせてもらいました。

オジが途中で真似たけど、
ぜんぜん違う。
本物の方言っていうのは、
やっぱり何かが違う。
それも東北。
東北といえば、棟方志功、寺山修司、宮澤賢治、
出てます。凄い人達。
「本物は苦しみの中からしか生まれない」
と志功に言った柳宗悦。
そういうことをオジと話しながら、
僕らはしばし、Kさんの方言を聴いていました。
「忘れちゃったよ、もう」
とKさん。
東北から出てきた時、ずいぶん、方言で馬鹿にされたと笑う。
今では一児のお父さん。
「標準語っていうのは、つまらんのだ」
とオジ。
「そう」
と僕。
「これからは方言だ」
とオジ。
それはどーかな、オジ。
でも、標準は、誰かが標準と決めただけで、
そりゃあ、そうする必要があったのだろうけど、
「Kさん、方言ってやっぱり良いですよ」
と僕。
それからトラックの運転手が来て、
労働の話をしてたら、
運転手がなまっていることを、
僕らは聞き逃さなかった。
重なるもので、また東北弁。
「ええな!」
とオジは運転手に発す。
生で聴くチャンスに恵まれていることは、
本当に幸いで、
東北弁(これも地域で細分化されて、違うのだと思うけど)を聴かせてもらっていると、
その土地の風土、まさしく、風と土、も、
見えたり、聞こえたりする雰囲気に、僕らは心地よさを感じていました。

---

夜になっても小雨で、
「フェリー」の人達と、
先回の焼肉と同様、
食べ放題のお寿司を食べに行きました。



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ヤスオさんのこと

2007年09月28日 | 生活
とても暑くて、名古屋の最高気温は、31度。
まだャPットに塩を入れておいてよかったです。
かなり舐めました。忙しさもたけなわで、
水もたくさん飲みました。
でも、何故だか、僕の体は、温帯動物みたいに、
暑くなると、調子が良くなるのも本当なのです。
むしろ、30度を割り、涼しくなってきた最近より、
今日の方が断然、調子が良いのです。汗だらけですけど、
体が喜んでいるのが判るのでした。

遠くで、あれ、と思って見てみると、
ヤスオさんがいました。
僕は手を振りました。
ヤスオさんが、笑った。
ヤスオさんは僕よりたしか一回り年上で、
同じ丑年だったような気がします。
僕もですけど、
動作が牛みたいにおっとりしているのは、
干支のせいもあるかもしれません。
僕はヤスオさんが大好きで、
うーん、きびきびと動くタイプじゃないけれど、
人の美しさを、僕はヤスオさんに会うと思うのです。
気の利いた話もできないし、愛想だってけっして良くないし、
男前でもスマートでもないヤスオさん。
でも僕は「きれいな人だな」といつも思うのです。
そんな大好きなヤスオさんが、
笑った。
それが、本当に僕はうれしいのです。
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小説の事柄

2007年09月27日 | 文学
夕方、オジが「見ろ、凄いぞ」
と興奮して、僕の小説のことについて書かれてある新聞を、
持ってきました。
記事の内容も酷評じゃなかったし、ホッとし、
送った写真も朝日新聞さんは、Vサインのまま、
載せてくれていて、楽しかったし、うれしかった。
朝日の文化グループのIさんに感謝です。
何よりうれしかったのは、オジがまるで自分のことのように、
喜んでくれて、コンビニに知らないうちに、
二部、夕刊を予約してくれてもいたのでした。
職人さんにも、オジが「見よ!」
とノリノリで、
「凄い」とか、結構、騒ぎになってしまいした。
で、Oさんがカラーコピーをしてきてくれて、
それを帰る間際の職人さんが見ていて、
「うーん、なんか俺もうれしい」
と言い、
「じゃあ、ありがとう」
とカラーコピーを持ったまま帰ろうとするので、
「持ってったらあかん!」
とオジが取り返し、
「なんだ、くれんのか?」
「当たり前じゃあ」
とオジ。とにかく大騒ぎ。
「オジ、あげたら? あんなに喜んでくれてるし、
一杯のみながら読むのかもしれないしさあ」
と僕が言うと、
「あかん、安売りしたら!」
とオジ。
「見ろ! 『ニートと自由と絶望』(清水さんが書いてくれた記事の見出しです)だぞ。
難しい用語ばっかりだ! 凄いぞ!」
って、はあ、良きマネジャーと化したオジでした。
それにしても、
最近のカラーコピーって、
きれいで驚きました。
帰り道、
オジと自転車を漕いで走っている最中も、
僕もオジも醒めやらぬ興奮の中で、
口調は静かになりましたけれど、
「今日はお祝いだ」
とオジは家に帰ってから奥さんに言うだろう、
思いを呟いていました。
立ち寄った事務所でも、
オジは新聞をコピーしてもらい、
事務所に一枚置いてきました。
僕はもう恥ずかしいので、影にかくれていて、
挨拶だけして事務所を出ました。
「ハッタリだよ、小久保君!」
はい。
記事になったことだけでもうれしいのに、
オジがさらにそれを増幅させて、
それこそ、
空に思いを放つ勢いで、
本当にうれしい日でした。

夜、自転車帰り、
思いがけない方からメールが入り、
月夜の下、自転車を止めて、
心を込めて返信を書いていたら、
あら、間違えて消してしまった。
ので、
シンプルになった文を返信しました。
そっちの文の方が良かった、
これも何かの計らいだ、
と思い、
僕も今日はお祝いで、
マックを4つ買い、
帰りました。

記事を書いてくれた文剣]論家、清水良典さんが、
「クローズアップ現代」に出るというので、
急いでシャワーを浴び、
マックを食べながら、見ました。
特集は、『ケータイ小説』。
ある携帯小説の書き手が、
「連載なので、たくさんの読者からの反応によって、
物語を変えることもあります。共同作業です」
と言っていたことに、注目しました。
僕は常々、小説がバンドと同じように、
グループで一個の作品ができないだろうか、
そうしたら自我のようなものがそぎ落とされて、
気持ち良い作品ができるに違いない、
と思っていたのです。
過去、何人かとそれを実験してみましたが、
なかなかうまくいきませんでした。
でも、ケータイ小説の場合、
メディアの進化もあって、
即、ストーリーを考える、希望する人が出現して、
そして作者(作者不在と、書き手は言っていたような気がする)
と共同で小説ができてゆく。
僕はこれが一番の小説の進化だと確信しています。
思想家だって、ドゥルーズ=ガタリと、共著でやっているし、
小説も、分業化してもいいじゃないか、
と本当に思う。
会話の専門、構成の専門、言葉の専門、地の文の専門、タイトルの専門、
とエキスパートを集めたら、集団力が強い日本人のこと、
きっとすごい作品ができるような気がします。
または、一章を誰かが書く、二章を誰かが、
とリレー小説も、うまくやれば可能性は無限。
言葉のインプロビゼーションは、
まだちゃんと確立されていません。
朗読という本来の物語(モノを語る)も、
まだちゃんとみんなやってません。

新しい作り方は始まったばかりですけど、
僕はやってみたいです。
そんなことをテレビを見てて、思いました。



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精霊は朝に降りる

2007年09月26日 | 生活
朝、オジと聡怩オていると、
「小久保君」とオジが言うので行ってみると、
路上にきれいな羽(青緑色)のチョウの屍がありました。
アリがそれを運んでいました。
そこを僕らは聡怩オなければいけないので、
チョウを植えこみに移しました。

---

朝も遅い時間、
ホームレスがある場所に腰かけて、
髪を切っていました。
黄緑色のハサミと、
黒い手鏡を持って。
ホームレスが自分で散髪するのを見るのは、
初めてだったので、観察していました。
彼は散髪をしながらイヤホーンをつけていて、
手にハサミと鏡を持ったまま、
いねむりを始めました。
首が、カクン、カクンと擬音が出そうな感じで、
動いていました。
いねむりから醒めて、また散髪開始。
またカクンカクン。また散髪。

そんな彼の脇で、
柳の木がこもれびを作っていて、
揺れているこもれびに、
興味が移りました。
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登山をしたい

2007年09月25日 | 生活
山歩き&ウォーキングと書かれた、
観光バスが目の前を通って行きました。
先日も知人に、中部地方で登る山のことを訊いていたところです。
登山のグループを探して、山に行きたいと思っています。

昼間も、やっと朝晩の涼しさが入ってきて、
「やっと秋かな」と思。
帰ると、友人から北海道産の、
たまねぎが届いていました。

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イムジン河

2007年09月24日 | 生活
今日はイムジン河を頭の中だけで歌っていました。
歌詞は覚えていないので、メロディだけ。
何故、イムジン河なのかは判りませんけれど、
良い歌です。
映画「パッチギ」でイムジン河は歌われています。
最後の方のシーンで、
川の欄干に主人公がギターを叩きつけて泣くシーンは、
この映画で一番素敵なところです。
そして、さらに最後、「あの素晴らしい愛をもう一度」が
流れるのですけど、それがまた良いのです。
何度も観た映画ですけど、
イムジン河を歌っていると、
また観たくて、
しょうがなくなりました。
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葉脈

2007年09月23日 | 生活
葉脈です。
ここには、
葉が呼吸する、
口があるのです。
でも、
それは顕微鏡でしか、
見えないのですけど、
どんな葉っぱでも、
呼吸する口が、
あるのです。

---

先週と同じく、ミスドで読書。
お気に入りの席がなかなか空かず、他席で。
しばらくしたら、いつもの席が空いたので、
トレイを持って移動しました。
やはり、お気に入りの席だと、
読書もはかどるのでした。

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CRAZY?

2007年09月22日 | 生活
やっと土曜日。
僕らは日曜しか休めないので、
やっと土曜日。

空が本当にきれいで、
オジと空を見ていた。
「空に書く」が新聞でとりあげられたり、
いろいろな方から好評を得たりで、
うれしい限りです。
オジは言う。
「俺なら、自由と書くな」
と空を見て言う。
「朱色で大声出して書くな」
とオジは重ねる。
そこに、黄色いジャンパーを着た顔なじみの娘さんが通ったので、
「空に文字を書くとしたら、どう書く? 何書く?」
と訊くと、
「愛、かな」
と娘は言った。
「彼氏とうまくいってないのか?」
とオジ発す。
娘、笑いながら
「そんなことないです」
と返す。
「愛」なんて恥ずかしくて言えないような感じですけど、
彼女が言うと、本当に自然で、とても気分が良くなりました。
そして、
「みんなに、愛を、って」と娘は付け加えて、
それが彼女の「愛」です。
自然体で言うので、さらに気分が良くなりました。
質問した人がこんな人で本当に良かった。
僕はかなり感動してました。

ほどなく、中日ドラゴンズの帽子を被った外国人の青年が、
デジカメで町を撮っていて、
その彼女らしき日本人が、母親みたいに青年の無邪気を見守っていました。
オジと僕は空を見て、ハイになっているので、
会話。
「空に何て書く?」
と彼女に訊くと、
「えー」
と言うばかり。
「パッと浮かんだことばは?」
と言っても、
「うーん。。。」
と言うばかり。
「じゃあ、彼は?」
と訊くと、
なんやら、フランス語みたいな英語みたいな感じて、
彼女が彼に訊く。
「それはイメージの話か?」
と彼。
「そうだ」
とオジ。
それからまたずいぶん時間が経ったあと、
「クレイジー」
と言う。
「クレイジーと書く」
と彼は言ったらしい。彼女の通訳では。
そしたら、
「わしらのことか?」
とオジが訊く。
「いや、違う」
と僕。
クレイジーには、狂気の他に、もっと意味があるはず。
彼はフランス人?
と彼女に訊くと、
ドイツ人だという。
なんでも日本に来て(観光で)、
カルチャーショックを受けているという。
さっきもビルばかりで、
「空の谷間だ」
と言っていたらしい。
だから、空に書くのは、
「クレイジー」
でもあったのだ、と彼女は説明した。
つまりは、空が小さすぎるのだろう。
ドイツと訊いて、
僕は映画監督のベルナーさんとか、友人の宮嶋哉行さんを初め、
ドイツで活動したりする
音楽家のミサちゃんとか、映画監督の茂木さんとか、そういう話を彼女としていて、
彼女もいわゆるそういう現代音楽系とか現代美術とかが好きそうなので、
短い時間で話していた。
彼がドイツ人だ、というだけで、
そういう話をする僕は、エッチである。
それを恥じることに気づかされたのは、
オジの存在でした。
オジは、彼らにこう言った。
「あんたたちはわしらに会ってラッキーだ!」
と豪語したのだ。真顔で。
その凄さといったら、固有名詞を隠れ蓑としての、
自己主張は簡単に吹っ飛びます。
そう言われた彼らは、本当にハッピーそうです。
そして記念撮影。
彼を挟んで、僕とオジはVサイン。
「じゃあ、最後はぷぷぷい、で」
とオジが言う。
「やめてくれー」
と僕は言う。
でも、恥を忘れた僕ら四人は、
知性も教養もくそったれ、とばかり、
「ぷぷぷい、ぷぷぷい、ぷぷぷい、ぷい!」
と3回やって、拍手した。あほだ。
ドイツの若者も、マジでやっていた。
英語がもの凄くうまい彼女も、マジでやっていた。
やっぱり、オジは凄い。
オジは存在する件p作品だ。
エネルギーが凄い。勿論、のぼって行くとき、
羞恥心はない。
そして去ろうとする彼らをまた呼び止めて、
世界平和の意味の、手話をオジは伝達して、
それでやっと彼らは僕らから解放されたのでした。
「オジ、あの人達さあ、何で来た道戻って行くんだろう?」
彼らは東から来て、西に向かっていたのに、
ぷぷぷい騒ぎで、混乱(クレイジー?)して、
新たな道を進む力を失い、来た道、安心できる道を、
本能で戻ったというわけか?
「さあなあ」
とオジは言った。

「空は我々の親だもん」
とオジは言った。
「悪い言葉は書けない」
と言った。
「クレイジー」は、さておき、
「自由」も、「愛」も、
概念です。
そして、「自由」も「愛」も、
本来、日本にあった言葉じゃない、
と思いました。
それでも、
オジは、「自由」と空に書くと言うし、
黄色いジャンパーの娘も、
「愛」と空に書くと言う。
僕だったら、何て書くだろう、
とずっと考えて、
「言葉」と書くだろう、
と思いました。
でも、それが「自由」とか「愛」という字より、
本物ではないことも知っているので、
いつか、ちゃんとした言葉を見つけてみたい。
その言葉が、「言葉」であったなら、
本望なのです。


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帰っていいんだよ

2007年09月21日 | 生活
RAGUNA(インディアンの意?)

---

今朝、何を間違えたのか、
赤信号で大通りを渡った。自転車で。
勿論、こう書くからには、左右見ずに、である。
直進してくるはずの車が交差点で右折したので、
信号が変わる直前だと勘違いしたのでした。
中央分離帯まできて、左を見たら、
車が3台ぐらい来て、そこで気が付き、
反対車線からも勿論、車が来て、
僕は自転車を道路に平行にして、
狭い中央分離帯(70㎝ぐらい)のところで、
信号が変わるのを待っているのでした。
やっと信号が変わって、見ると、
横断歩道の向かいで、
老婆が不思議そうに僕を見ていることに気が付きました。
しっかし、あー恐かった。
あのままふらふら出ていたら、間違いなく
当たって死んでます。
こんなこと、初めてだったので、
労働場に着いて、すぐツバキノオジに話を聞いてもらいました。

そして、Hちゃんが聡怩オながら、
オジと僕に、
「今日は迷惑をかけるかもしれません」
といつものようにはにかんで言うので、
「えええ?」
とオジと僕は驚いて、
「そんな迷惑だなんて」
とそわそわしているHちゃんを勇気付けました。
「わしらの労働場だから、安心せい」
とオジはいつもの数倍の思いで、
Hちゃんに言った。
あとからオジと、
「Hちゃん、他の労働場で、何か誰かに言われたのかな」
と話していた。
その後、Hちゃんが僕に寄ってきて、
「あの、もう駄目なんで」
と汗をいっぱいかいて言う。
もう本当にびっくりして、あわててオジのところにHちゃんを連れていき、
Hちゃんは帰りました。
調子が悪い、とは思わなかった。。。
もっとはっきり言ってくれたら、あの時点で帰ってもらったのに、
とオジと発す。
無理だけはぜったい駄目です、
とかなり思。
ほおっておくと、どんどん無理をさせられる昨今の労働状況。
くれぐれも、自分の身は自分で守りましょう。
誰も助けてくれないし、本当に僕は思うのですけど、
睡眠時間4時間とか(まあ、Hちゃんは違う病状ですけど)
ばかげてます。そんなのは本来、人間の営みから離れすぎて、
みんな心を病んだり、体を病んだりです。
「そんなこと言ってもさあ」
なんて言わずに、
本気で、逃げるように、みなさん、気をつけましょう。
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うれしい電話

2007年09月20日 | 生活


柳の隣にある植えこみです。
ここに、どれだけの草木、虫の屍を放り込んだか。
そしてアルゼンチンアリの餌になる。

---

朝日新聞から電話があって、
じゅん文学53号に掲載した新作「空に書く」を、
清水良典さんが記事化したので、
写真が欲しいといううれしい出来事。
よっしゃあ、これで一つ、越えた。めちゃ、うれしい。
帰ってから、近影の写真、かつこの一、二年、
のというので、
らーめん屋のあんちゃんに撮ってもらった写真があり、
月曜日までに、ということなので、夜、郵送。
ということは、来週の中頃、記事がでます。
朝日新聞の夕刊の「東海の文戟vという文兼ッ人誌のコーナーで、
紹介されます。たぶん、27日木曜だったかな?
たぶん、その前後。
みなさん、よかったら読んで見てくださいね。
Vサインの写真(しかなかった)で、
Vサインが消されているか、そのままか、がどうなんだろう?
と楽しみ。
できればVサインで、と思。
清水さん、どうもありがとうございます。
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メモ9,20

2007年09月20日 | 生活
裸男登場。
朝から上半身裸で、半パンで、登山帽を被った男、
自転車を物色中。
怪しすぎる。

---

今日は夏日だ。

---

若いサラリーマンさん、
紙パックの野菜ジュース、飲む。
路上で。ストローで。

---

柳の葉が落ち始めました。
午後から吹いた風が、
とうとう葉を落とし始めました。
もう秋の出来事の一つです。

緑のカオス、
または、
ゾーンを、
写。

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ラブサイケデリコ

2007年09月19日 | 生活
今日も、
ラブサイケデリコ、
鳴る、
日。

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moesさん

2007年09月18日 | 文学
空、
風、
秋、
空気、澄み、
きれい、
ビル窓も鮮やか。

---

moesさんという方の日記は、
短い言葉で書かれてある。
僕も真似てミクシーで書いてみるのですけど、
やはり、こういう言葉を書かれると、
本当に嫉妬します。
本日(2007,9,18)付、moesさんの日記を紹介させてもらいます。


 つよすぎる
 ひざしに、
 眉をひそめ、
 にらみつける。


です。
みなさん、どう思われますか?
僕は、最後の「にらみつける」で、
本当にmoesさんの才能を感じるのです。
これを読んで、大江健三郎が「自動化作用」という文学理論を書いた記述を、
思い出した。
つまり、人は毎日の出来事をいつのまにか当たり前のこととして、
見過ごしてしまう。最初、新鮮であったはずのものは、
いつか新鮮でなくなり、自動的に視覚聴覚がそれを感知しなくなる。
それに注意しなければいけない、常は通り過ぎてしまうことに、
注意しなくてはいけない、というのが、大まかですけど、
「自動化作用」の考え方です。

「にらみつける」
という箇所に、ハッとするのは、
上記の日記の言葉を、
影像化したら、
きっと人は、「にらんでいる」のです。
「にらみつける」と言葉で書くことができるのは、
いかに、自分を客観化できているか否か、
のあらわれだと僕は思う。
本来の意は、暑いので太陽に敵意を表しての、
「にらみつける」としたのでしょうけど、
太陽をにらむということが、
またとても新鮮でもあるのです。

堀田明日香さんの小説の冒頭でも、
横断歩道の信号機の青を、
「シルクハットを被った紳士」
という書き方をしています。
これも自動化作用からの逸脱です。

ふだん、僕らが通り過ぎてしまうこと、
言われて初めて気が付くこと、
「にらみつける」はまさしくそうで、
それは子供の視点であり、
詩人の視点でもあるのです。

同じ意味で中上健次が言った言葉に、
「外国人の目で物を見ろ」
というのがあります。
これも、日々を見つめる判りやすい方法だと思うのです。

---

夜、ラブサイケデリコの「ゴールデングレープフルーツ」、聴く。
このCD、聴くたびに良いです。11月が楽しみ。

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遊ぶ、遊び続ける

2007年09月17日 | 生活
アリの天敵は、
トカゲ(オーストラリア産)、20㎝~25㎝。
サンゴみたいな棘を持つ。
名称は「モロックトカゲ」。
と、
ツバキノオジはメモ帖を読み上げた。
柳の木の下で。
柳の木には、アリ(アルゼンチンアリ)がいっぱい。
幹に手を当てていると、数秒で手にくっついてくる。そのたびにアリを振り払うのが、常。
巣穴がもう一つできている。木の根元に。
小さな羽虫らしき屍あり。
それをアリは巣に運ぶ作業をしている。
解体するアリ、搬入するアリ、巣穴から出てきて餌に向かうアリ。
「瞬間移動」と言いながら、
僕はさっと羽虫をつかんで、巣穴の付近に移動。
混乱するアリ。やがて終息。元通りの安定。
餌が大きくて、巣穴に入れるのは無理。
解体作業。
アリにしてみれば、今のは、超常現象のはず。
「風のしわざ」と誤解するかもしれない。
アリにとって、人のしわざ、ということはない、と思う。
「オジ、わいらがアリだったら、どう思うじゃろうねえ、今の」
オジはじっと、アリを見ていた。
まあ、アリになってアリを知れ、という無言のメッセージだろうか。

---

今日の風と気温は、
小学生の時の、秋祭りを思い出す。
体の記憶。この気温とこの風は覚えがある。
獅子舞、御神輿。
小学生の時、御神輿を担いで町内を歩くと、
大人からお菓子がもらえた。
大人はするめを噛んで、酒を飲んでいた。

「元気を出して、わっしょい、わっしょい」
が僕の土地でのかけ声。わっしょい、のあとに警笛が入る。それが音頭。
土地の違いで、警笛の代わりに「ちろりん」とかけ声があるところもあるらしい。

夜、提灯破りの儀式が、悪いガキの間では恒例だった。
軒先に出された窒ノ、赤白の提灯がいくつか吊されている。
それを夜、僕らは走っていって、手でグシャッとつぶす。
家の人が追ってこられないように、駆け抜ける。
いくつ、破ったことだろう。
子供の時は、本当に色々めちゃくちゃやっていました。

僕が育った所は、市営住宅(平屋の集落)で、
みんな貧しかったけど、
情にあふれた時代でした。

兄が幼稚園帰り、
市バスで帰ってくる時、
最後の停留所で兄は降りるのですが、
その日、乗客は兄一人。
兄が毎日降りる駅を知っていたのでしょう、
運転手は、兄に家への道を訊き、
路線をはずれ、市バスは、家の近くまで、入ってきて、
兄を降ろしたのでした。
停留所は、兄がしめした場所。
きっと毎日、席で兄はぽつねんとしていて、
寂しく映ったのかもしれません。
運転手さんは、そのことを今でも覚えているのかな?
もう死んじゃっているのかな?
兄の中では、ずっと記憶される出来事でしょう。

ありがたいことに、田んぼがたくさんある時代で、
春になるとレンゲが咲き、僕らは蛇を捕まえ、首に巻き、
トカゲの口に爆窒?黶A吹っ飛ばし、
石を投げ、ガラスを割り、
裸で川に入り、
ザリガニの肉でザリガニを釣り、
陽光の下で体を乾かし、
毎日、遊ぶことに事足りませんでした。
そんな話を今日の気温と風で思い出し、
オジと話していると、
あ、と、
今でも、たぶん、僕もオジも、
それほど変わりない、と思った。
へりくつを言う分だけ、遊ぶ時間は減ったけど、
やっぱり、遊ぶのが僕のすること、オジのすること、
と思いあたったのでした。

コメント
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