kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

大江健三郎

2023年03月13日 | 文学





『大江健三郎が死んだことを教えてくれた友達に向けて書いた手紙』

教えてくれてありがとう
知らせを受け取ったのが17時頃
今でもまだぼんやりしてます

大阪に住んでいる時
確か長野県だったと思うんですけど
場所は忘れてしまったが
正岡子規の関係だったかな
長野まで講演を聞きに行きました
本物の大江健三郎が遠くに
壇上で喋っていた
現存する本物の大江健三郎だと思って

電車の時間がなくて講演を聞き終わったらすぐ帰ったけど

あの時実物をちゃんと見といて良かったと思っています

東京に引っ越した時
大江健三郎の自宅を訪ねた
もちろんインターホンは押せないです
ミーハーだったからね
遠巻きに大江健三郎の家を見ていた

文学の視点も指標も影響を受けた
特に9条を守るという平和理念があり
文学とは人を励ますことである
ということを
大江健三郎は中期から言い始めた
私はその考え方に強く同感した

一時期はアパートの部屋に大江健三郎のポスターを貼っていた

ノーベル賞を取った時も当たり前だと思った

信仰を持たない者の祈りという言葉はとても素晴らしくて
ウィリアムブレイクからダンテの神曲フラナリーオコナーといったキリスト教系の文学や芸術を作品の中で紹介していてそれが斬新なやり方であり素晴らしかった

やっとこんなふうに今書けます少し整理がついてきたかな
書くと楽になる

ここまで読んでくれてありがとう

😐大江健三郎は言った

🌸難解な本でも少しずつでもいいから最後まで読むことが大事です

🌸一人の作家を集中的に読むこと小説からエッセーから評論から対談からどんなものからでもいいからとにかく一人の作家を徹底的に読むこと

こういう実践的なことを学んだ
そうすることによって一つの事物に深く理解する癖がつくし
難しい本でも最後まで読めばひとつかふたつぐらいは頭の中にどっか残っている

大江健三郎の中期からの本はとても難しかったけどやっぱり全部読んだそして残っているものがある確かにそれがある

🌸詩が言葉の芸術として最高のものです(詩を内包する小説)

🌸顕現という言葉も初めて知った
あれはどの作品だったかな
障害を持った息子を肩車して
朝の散歩をしている時
言葉を発することがなかった息子が
鳥の名前を次々と言う
森の中から聞こえてくる鳥の鳴き声を
テープで知っていたのか息子が
大江健三郎の肩の上で
鳥の名前を言っていく
言葉を発することがなかった息子が言葉を発した
大江健三郎は驚いた
そしてその時のことを
その瞬間のことを
顕現と言ったのだ
美しい情景描写でした

それから顕現というものを意識し始めた
宗教的にも大きな影響を受けた
私は神道だけれども
大江健三郎からは言葉と思想と宗教を学んだ

🌸大江健三郎は松山の教会の神父さんから
こう言われた

「あなたはあそこまで小説で書いているのだから信仰を持っていると言ってもいいです」

その言葉を聞いて
大江健三郎は
一目散に逃げた

なぜか

本人は記述していませんけど
信仰を持つということによって
考えるということ
疑うということを
放棄してしまう可能性がある
それは知への探求の放棄でもある

私はそう思った
だからその後に大江健三郎はエッセイを書いた
神父さんへの返信として

『信仰を持たない者の祈り』

です

🌸大江健三郎はイラク戦争の時に怖くてずっと家でダンテの『神曲』を読んでいたそうです

昨年の2022年2月24日ウクライナ侵攻が始まり
ウクライナ戦争になった
大江健三郎は

ウクライナ戦争が大江健三郎を衰弱させた一つの要因かもしれない
文学を返せ😐
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮沢賢治

2023年03月10日 | 文学




宮沢賢治は
良いです

文学の中でも
最高峰の文学者です

おそらく宇宙人だったんではないかなと思う

人々の畑や田の肥料の配合を頼まれて
その人の田畑の土を
分析するために
食べたそうです
アルカリ性か酸性か
もっと詳しく計量もしたと思うんですけど
どんな肥料が必要なのかを計算するために
土を食べたそうです
ミミズみたいですねミミズも土を食べるんですよ

あと教師をやっていた時期
夜中
山の中を駆け回っていたそうです
明け方降りてきたそうです

宗教学者の中沢新一はこう言っています

宮沢賢治はおそらく山の中で
たくさんのものを見てたくさんのものを聞いたんだろう
と思います

よだかの星は
最後の行だけ
ですます調になっています

まだ光っています

今名古屋で谷川俊太郎の父親である哲学者の谷川徹三の個展が開かれています

谷川徹三は
日本の中で最高の詩は

『雨ニモマケズ』

だと言っています

それから私はこの詩が
なぜ最高の詩なのかずっと考えています
私も最高の詩だと思います

37歳で空に帰っていますけど
その37年間で
膨大な仕事をしています

死後
になって

宮沢賢治の名は知られました
草野心平や三好達治の尽力です

言葉の人であり
科学の人であり
仏教の人であり
農民であり
教師であり
作曲家であり
作詞家であり
努力の人でした

東北はずっと飢餓に苛まれ
どんなに頑張っても米は取れず畑もダメで
宮沢賢治は奔走して何とかならないものかと頑張ったでも駄目だった

宮沢賢治が死んだその年の秋

東北は大豊作だったそうです

宮沢賢治が書いた

『農民芸術概論綱要』

の中で

こういうことを言っています

世界全体が幸福にならない限り
個人の幸福はありえない
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

折口信夫の入り口

2023年02月23日 | 文学


   


大祓詞
についての解説で
岡野弘彦 さんの講義が
動画化されていました
昨夜は机で見ながら
頬杖をつき寝落ち
今夜
寝落ちして分からなかった
部分から見て
やっと
全部見ることができました
この数日間
この動画のシリーズを
見ていて
ああやっと本物に
出会った
と思っています

しかもそれは
私の敬愛する詩人
吉増剛造
藤井貞和
この人から影響を受けていることはもう間違いなく
この人とは
折口信夫

岡野弘彦さんは
折口信夫
の最後の弟子です

祝詞から
折口信夫の
入り口まで
やっとたどり着き
神道と文学が
結びつきました

大変貴重な
動画であり解説です
勉強になります
もう一度最初から
大祓詞の
解説を見聞し
それから
心を込めて
大祓詞を
奏上したいと
思っています
音読することで
古文が
体に入ってくるような気がして
それを期待しています
体で覚える


   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

淡々と語る文芸ー笑いの文学

2022年09月28日 | 文学

         

 

機会を得て

水野俊夫氏の作品

『父母の肖像』を読ませていただいた

数ページ読んだ時

いわゆる『笑いのツボ』に入り

50枚の作品最後まで

抱腹絶倒

声を出して笑った

これは第一部であり

第二部、第三部と300枚の大作

第二部の冒頭の一行を読んだだけで

笑えてくる

内容は実に悲壮的であり

土地争いのドロドロの内容で

普通なら怒りと憎しみ

わびしさや哀れと

負の感情が渦巻く内容なのだけれど

どこにも悲壮感がない

内容はドロドロでも

語り部が確かに知的であり

冷静沈着

そのギャップの面白さ

どこかにあったと思ったら

漱石を想起

元々作者が漱石を好んでいることは

承知していたけれど

ここまで好きだとは知らず

油断大敵

いろんな家族の惨事があるのだけれど

そこさえ作者は知ってか知らずか

漱石の文体が体に入っていて

淡々としている

いやむしろ

飄々としていると言った方が正しい

だからとて語り部の作者が冷徹であるとも

いえず

作家としての

ほどほどの情があるのだし

怒りもするし感情的になったりもする

けれど根本には冷静に人間の所作を見る目がある

人間の欲に絡んで

いろんな登場人物が名古屋弁で

いろんなことを言い

叫び

行動するのだけれど

それを定点観測船の如く

見事に数値化するとまではいわないけれど

極めて知的な処理をする文体である

時代設定が昭和なので

これは漱石の弟子である内田百閒に続く

さながら昭和の内田百閒に続く水野俊夫といってもいい

淡々としたユーモア

この笑いの落とし方は落語そのものであるし

漱石もまた落語が好きだったと作者から聞いた

さらに漱石の妻の鏡子は悪妻であり

漱石がノイローゼになった時

ユーモアを込めて言った

「主人は頭が悪いのです」

 

水野俊夫氏の言葉は

上品な日本語文化の賜であり

わたしような下品な笑いではない

うらやましい限りです

今までこの文体に注目する読者に

恵まれなかった作者こそが悲壮

手前味噌ですけれど

わたしは文芸評論を

ある一定水準はできるという自負があります

ここまで笑える小説を読んだのは

何年ぶりだろう

判りやすい笑いの箇所は誰でも判る

ところが地味な笑いの箇所が随所にあり

そのたびに

「ある方はバスの中で本作を読み

笑いを堪えるのがたいへんだった」

と作者から聞いた

その方は国語の先生らしく

文ということを判ってる方であろう

 

何が書かれてあるかより

どう書かれてあるか

これは中上健次でも大江健三郎でも高橋源一郎でも

三島由紀夫でもみな同じ

極めて大事なのは

文体である

嫌というほど「文体、文体」と

わたしは言い続けてきた

けれど

文体には好みがあり

好き嫌いはどうしようもない

わたしはこの作品がひどく面白い

30年しか書いていないわたしが

作者のようなキャリアをもった方の

文の色合いに触れた時

文芸の本当の面白さを

堪能するしか他にない

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高橋源一郎のラジオ

2022年09月09日 | 文学

上の動画は音声だけです
少し前
リアルタイムで聞いていました
大事なことをたくさん言っている
高橋源一郎の番組にゲストで
奥泉光と伊藤比呂美です
わたしにとってはちょっとショックなことを言っていて
「小説家は書きたいことがいっぱいあって、書くもんだ」
というふうに10代から
すり込まれてきて
そういうものかな
という思いがありました
真逆だった
だからいつも書きたいことがないわたしは
困ったな
と誰かにお題をもらったり
「あれを書けば?」「これを書けば?」
と言われて
その通りにすると
意外に評価が高い
書きたいことがあるから小説を書いた
というパターンの場合
たいてい評価が低い
この番組をご紹介するのは
そのことを言っているからです
書きたいことがあるから小説を書いたものより
小説を書くために何か探して書いた作品の方が
評価が高い
経験に照らすとその通りでした
驚きです
要は客観化でしょう
思い入れがない方がうまくゆく
これって
他のことでもいえると思うのです
たとえばお見合い
結婚したいからお見合いした
対極にあるのは
好きで一緒に住みたいから結婚した
お金がいいからこの仕事にした
この仕事がしたいからこの会社に入った
さてどっちがうまくいってるかな?
いろんな意見があるとは思うけれど
わたしは前者の方がうまくいく
そんな気がしてしょうがない
要は淡々とできる
ともかく聞いてみてください
小説を書かない人も書く人も
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつも何度でも

2022年08月23日 | 文学

         

 

 

以前 ある友達夫婦の家で

人形劇で知り合った仲間が

2年に1度くらい

集まりがあった

呼んでもらうたびにギターを持参した

友達の酒井妙子氏はバイオリンが少し弾けて

この曲のメロディーを

ギターとバイオリンで合奏した時のこと

3人いた友達夫婦の小さな子供達

騒ぎ 駆け回り 声を出して 笑っていた

ところが

この曲を合奏し始めたとたん

子供達がギターとバイオリンの

真ん前に集まってきて

真顔で聞いている

はて? これは一体何事だ?

と今でも思う

この曲が持つ魅力に

子供達は生まれる前のことを

思い出し 懐かしさを覚えていたのかもしれない

それともジブリで有名になったからかも

未だにあの時の

異様な彼らの反応が

忘れられない

ーーー

今日 機会があって聞いてみた

その時には判らなかったことが

今 豊穣な歌詞を前にして

判ったような気になっています

ーーー

 

 『いつも何度でも』いつも何度でも/いのちの名前 - Wikipedia 

 

作詞 覚和歌子

作曲 木村弓

 

☆下記に歌詞を貼っておきました

 

 

 

『いつも何度でも』

 

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心踊る 夢を見たい
 
かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える
 
繰り返すあやまちの そのたび
ひとは ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける
 
さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる
 
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ
 
呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう
 
かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう
 
閉じていく思い出の そのなかに
いつも 忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される
 
はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
 
海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから
 
 
 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦争の向こう側

2022年08月17日 | 文学

                 

 

先日リアルタイムで

ラジオを聞いていた

『高橋源一郎 空飛ぶ教室「戦争の向こう側」』

ーーー

ゲストは

小説家の奥泉光氏

詩人の伊藤比呂美氏

ーーー

戦争と文学がどう関わってきたのか

がテーマ

一部も二部もめちゃくちゃ面白かったです

『散華という言葉を取り返す』

あたりの話は素敵

さすが一流たちは違うわ

文学が好きな人は

たまらん

って感じじゃないかな

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その、細部を聞こう。

2022年08月14日 | 文学

         

 

母は1933年昭和8年生まれです

終戦は1945年昭和20年です

母が12歳で終戦をむかえました

実家は愛知県海部郡蟹江町です

長屋で6人兄弟の次女です

姉と弟が二人妹が二人

学校は名古屋まで出てきていました

通学は国鉄(現JR)関西線蟹江駅から名古屋駅まで

国鉄はいつ空襲にあうか判らないので

怖かったそうです

実家に帰ると

空襲警報が鳴ったといいます

B29が編隊できて

上空を通り過ぎるころは大丈夫だといいます

危ないのは戦闘機の前方で

水の張られた田んぼに

ピシュンピシュンと弾が撃たれたといいます

終戦末期の1945年昭和20年6月9日午前9時30分

名古屋市熱田区の愛知時計に空襲があったといいます

「たくさん死んだ。空襲警報が鳴って、みんな避難して空襲警報がね、解除になってまた工場に戻ったら、バババーンとやられた。蟹江からもたくさん行ってるから、『誰々さんちの誰々は大丈夫か!!』って声があって。学徒動員でね。2000人死んだ。愛知時計って時限爆弾の部品を作ってたから。大隈鉄鋼とか三菱重工とか狙われた」

「戦争が終わってもサツマイモしか食べてないから」

と母は笑う

いつも腹をへらしていたという

「戻ってくるでしょ? 兵隊が。それでね、まだ18歳ぐらいだったろうね、男の子がねえ、『何で自分だけ生きて帰ってきたんだ?』って悩んで、蟹江の駅前の電話ボックスで首をくくって死んだのよ」

今年89歳の母の世代に戦争の話を聞く

母の麻雀友達はみんな憲法九条を守るという人ばかり

「九条組ね」

母は言う

「時代が変わったんだから、変えてもいいと思う」

とも母は言う

それ以上聞くと、

「暗い話はもういい」

と遮られる

「これを読むといいよ」

と重ねる

それは大岡昇平の『野火』『レイテ戦記』であったり。

母は文学を通じて、追体験してきたはずです

それをわたしたちの世代に読むといい

と言う

戦争文学というものが何であるか

または戦争賛歌をした志賀直哉の

自省の独居の建屋を見たこと

ーーー

戦争に限らず

何かのことをわたしが話すと

「そんなに簡単に言っていいの?」

と若いわたしはよく言われた

母は肝心なことは口にしない

いつもどうでもいいことは口にする

肝心なことはたいていシリアスで

思考途中のことも多いのだろう

そういうことにわたしを含めて

軽率な反応を誰かにされることが

我慢ならないのだと思う

わたしもだんだん

大事なことは

口にしないようになってきた

ーーー

国内外の旅行が大好きは母は

広島と沖縄と長崎には行かない

サイパンとかハワイとかたくさん死んだところは

観光で行くなどもってのほかだ、と言い切る

「そういう世代なの」

母は言う

明日は終戦記念日

母の麻雀友達も母と同じく90代前後

戦争の話を聞こう

わたしは九条を守る

だから

彼女たちに

明日、暇があったら

九条の話も聞きたい

彼女たちは

わたしが2月にウクライナ戦争が始まってすぐに

小さな、大きなデモに出かけ

LINEグループ(麻雀仲間のLINEグループを作ってほしいと頼まれ)で

短い文と写真を掲載したら

「わたしも行きたい」とすぐにリプがきた

90になる人たちが、そう言い切った。

ーーー

戦争の話を聞こう。

何故なら、その人しか知らない物語があるから。その細部を聞こう。

細部こそが、誰にも知られず、誰にも教えられず、ネットにもなく、

教科書にもちろん載っていないことだから。

『その人』をたくさん探して

聞くこと

その細部を書き留めること

脚色なく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文章が敵

2022年06月05日 | 文学

         

 

 

昨日はヤスオさんと労働

お久しぶりです

ヤスオさんは用紙に

いろいろ記入せねばならず

それをわたしは見ていた

字が凄いです

達筆というか

力強い字で驚きました

「ヤスオさん、字、上手だね」

と言っても

すぐに返事が来るわけではないのです

コカコーラ一本くらい飲み干せるほどの

時間を経て

「そうか?」とか「習っとったでよお」

とか

返ってくると思ったら

「うーん、ここってどう書くの?」

ときた

「あ、そこはかくかくしかじか」

「あっ、そうか」

何をやっても

何もしなくても

面白いヤスオさんです

昨日は

良い風と空

柱の陰にいて

息をひそめ

大西永昭氏の高橋源一郎試論で

引用されていた

1980年代の

高橋本人の言葉

『文章が敵』

凄いとしか言いようがない

簡単にいえば

散文が敵

新たな文学の誕生の時

旧態の文学を敵として

まず文章の破壊から

始まった高橋源一郎氏

まいった

凄い

ーーー

釈放された重信房子氏の言葉

「無辜(むこ)な人たちの命」(を奪ってしまったことへの反省)

「(今の)政治家がみんな同じ方向を向いている」ことへの認識と危機感

ーーー

公園で昼寝

外国の若者二人が歓談

言葉の意味が判らないから

音でしかなく音楽の如く

耳に来る

ーーー

スイカを持った男

南へ向かった

ネギを持った女

西へ向かった

蝶蝶が屋根を越えて北へ向かった

「てふてふ」と山頭火は

蝶の屋根越えを詠ったけれど

てふてふ

だとは思わなかった

無音だった

ーーー

風は西から吹く

ということは

雨近し

ーーー

朝は月光

脳内で

シナプスが盛ん

電気信号飛びまくり

ーーー

結局

誰に向けて

どこに向けて

書くのか

それを『本気で考えてこなかったのではなかったか』

だめだ

古井由吉も

折口信夫も

未読だ

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『犬塚康博氏から大西永昭氏までの一週間』

2022年06月03日 | 文学

         

 

 
『犬塚康博氏から大西永昭氏までの一週間』
 
 
博物館学の犬塚康博氏が
6日前
短いコメントを添え
この写真をUpされていた
気になっていた犬塚氏の記事
今夕
機会を得た
それは
重信房子氏釈放についての
ネットニュースの簡単で稚拙に過ぎる短い記事
ウィキペディアで
重信房子氏を
調べる
思い出した
以前
わたしが傾倒した作家
高橋源一郎氏は
どこかで確か記述していた
内容は、「もしかしたらわたし(高橋)は
彼のグループ(連合赤軍)に入っていたかもしれない」
という記述
あれはどの著書だったか?
調べてみると
以下の論文に当たった
驚いたことに
2008年の年末
高橋源一郎論が書かれていた
初期の三部作に傾倒していた
1989年あたり
高橋源一郎論は書かれていなかった
吉本隆明著『マスイメージ論』で
わずかに書かれてあるのは特別にして
自分なりに探していたので確かだと思う
その20年後
こんな良質な論が出ていたとは。
 
大西永昭氏の
高橋原意一郎試論です
 
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じゅん文学 合評会

2022年03月27日 | 文学

     

    

 

今日は自作

『思いやり橋 前編』を含む

合評会がウイル愛知でありました

名古屋市内の図書館に

『じゅん文学』は

置いてあると思うので

是非探してみてください

文芸同人誌『じゅん文学 2021/12 No.107号』です

ーーー

合評会にゆくのは久しぶり

懐かしい人たちに会いました

楽しかった

二次会は栄『嘉門』で

創刊から約30年

もうすぐ終刊になります

『じゅん文学』がなかったら

わたしは小説を30年

書いてこなかったと思います

『思いやり橋』は二年前の2020年の9月に書いた作品で

日本でおそらく初めて本格的に

利他主義を書いた小説だと自負しています

長いので次号が後編になります

いずれ単行本にするかもしれません

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記憶(映像も)は言葉で出来ている

2022年01月09日 | 文学



この歌はユニコーンの「エコー」です
奥田民生の声圧も圧巻です
さらに表情がいい
メンバーも良い
ドラマ『重版出来!』の主題歌で
奥田民生が久しぶりに「ちゃんと作った曲」
らしいです

サウンドもメロディもリズムもすべて
かっこいい
でもどうしても
音楽の場合
歌詞があとになってしまう
実はこの歌詞
すごいんですわ
わかりますかみなさん?

これ、脳の中の記憶の歌なんです。
さらに、それは言葉でできているわけですね
現代詩の吉増剛造も真っ青
文学の高橋源一郎だって
ここまでャbプに
『言葉』のことは言えてません
奥田民生さん
アホなふりして
かなり読書家じゃない?
って思いますわ
とくに詩ですね

ここまでユーモアがあって
どんなふうにも読める詩
きっとドラマ『重版出来!』の主題歌の依頼が来て
出版社が本を作り
重版になる
という快挙までもってく
可能性と努力
それを奥田民生さん
思ったわけですね
すごく思った考えた想像したんですね
それで出てきた歌詞がこうです






割と昔から溜めといて
たまに読み返す 頭ん中
その言葉は 言葉には
エコーがついてる

目に留めた先の あの言葉
何か耳にした あの言葉
君のくれた言葉にも エコーがついてた

俺は持っている 隠し持っている
常になっている なっている

一回 一回 刻み込んでいく
毎回 毎回 声に出して思い出して
一回 一回 繰り返していけ
いっぱい いっぱい
鳴り響いて 染み込んでいけ





どうですか? みなさん
これって読書体験で
良い言葉が頭に残っていたり
どこかで耳に聞いた素敵な言葉だったり
「あんた変態!」って彼女に言われた言葉であったり
それはもうどんな言葉でも
響いて
残って
染みこんでゆけと
いろいろ
言葉の重複があるわけです
「あんた変態!」
と言われた時から
「そうか俺は普通だと思ってたけど、変態なんだ」
と自己に気づく時
そこから変態肯定の記述に
いちいち引っかかって
脳に記憶され
変態の総体を形成してゆく

まあそうも読める歌ですね

良い言葉を
一回一回頭ん中に胸ん中に刻み込んでいけ

毎回毎回
大事なことは声に出して思い出して
いっぱいいっぱい
響いて
鳴って
染みこんでいけ


それが「思う」
ということなんですね
すごいですよ
これって
文学そのものだし
文券癜]の領域まで凌駕して
それを難しい言葉じゃなくて
「変態で悪いか!」
とャbプに言ってみせる

奥田民生天才説は
数多の意見だけど
少し音楽が好きな人なら
「民生って歌詞が面白いね」って
言いますもん

実はまだドラマ「重版出来!」見てないので
Amazonビデオではやく見たい

歌詞の「なっているなっている」
は「鳴っている鳴っている」でもいいし
「成っている成っている」でもいいですね
どっちでも聞く読む方の自由

いやあ名作が多い民生さん
これ
凄いですよ
ぶっちゃけ
ャbプ文学だもん!

記憶ってみんな言葉でできてるんですよね
知ってましたみなさん?
映像もまず家という言葉で立体化されて
冬だったら
寒いとか冬って言葉で皮膚感覚記憶まで作るんです
脳は全部
言葉から色彩とか映像とか音とか
形作ってくんです
考えることも思うことも
全部
一度言葉で瞬時に組み立てていくんですよ

歌詞で「声に出して」
ってあるでしょ?
それは頭の中の言葉を
口と顎と頭蓋骨で響かせて
何なら鎖骨や胸骨
体全体に
響かせて振動させることによって
言葉がでっかくなるんですね

この歌詞
わらかないよー
って人もいるかもしれないけど
忘れないでね
これは
言葉の歌なんですよ




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三好達治さん!!

2021年12月27日 | 文学
  


雪が積もりました。降ってもいます。


さて、雪といえば、大好きな詩があります。
昔はみんなが学んだ詩人ですよ。
教科書にも載っている有名な詩人です。
今は載ってるのかな?
この人です。

三好達治さん。

「雪」

という詩があります。

こうです。




   太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
   次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。




どうでしょうか。


大好きな詩というよりも、
凄い詩だと思うのです。
たった二行ですよ。

ふりつむ、ですからね。

もうね、言葉の最高件pですね、凄い。

これ、次郎いるの? 太郎だけで良くない?

って思いますよね。
違うんですよ。
ね、太郎の屋根に雪が降り積もってきますね。
で、次郎の屋根にも雪がまた降り積もってきますね。
これね、たった二行で、時間の経緯を表現してるんです。
太郎だけだったら、時間が止まってしまう感じがなきにしもあらずですけど、
次に、次郎の屋根も雪が積もってきてる。
これは時間が流れているというか、時間が重なってきてるんです。
雪は落ちた雪の上にまた重なってきますね。

もう先生、頼みます。たまらんです。マジ。
凄いでしょ?

気持ちが温かくなりますしね、
ああ静かで、良いですね。
詩って、思想じゃないですね。

でもどうしてこんなに短い言葉で
作れるんでしょうか。
三好さんに訊いてみたいね。
「まだ長いと思うけどね」
なんて言われたりして。

この詩はね、というか小説でも詩でも俳句でも何でもそうなんですけど、
黙読じゃなくて、音読するとまったく違うわけね。

この二行の詩、ゆっくり声に出して
読んでみてください。
これが言葉の「音」なんですね。
言霊なんですね。
ゆっくり、味わって、読んでみてくださいね。


これが文学の醍醐味ですわね。ハイ。
言葉のグルメですわ。
最高級の一品料理。ね。
舌がまろやかでふんわりしてて、
あとからじわーっとジューシーな広がりが
とろけますし、しかもキリっとしてますしねえ、
家庭料理の最高級品を味わうって感じね。
ああ幸せ。


---

20時まで残業。
雪はやみましたけど、
寒いので、
おむすびを3個食べて
忍びました。

帰ってからお風呂に入って、洗濯をして。

伶伶


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きゃりー

2021年11月22日 | 文学



先日、アウトレッドの服屋から
流れていた曲

やっと見つけた
声はきゃりーだと判っていた。

最初、バラードで検索

やっと見つけた
『Slow-mo』

一発で胸に宿った

新曲かと思ったら
2014年の作品

プロデュースの中田ヤスタカ
Perfumeも同じ中田ヤスタカだから
きゃりーとPerfumeが一緒に歌番組に出ることはめったにない。
一度だけ、見た。
あれ以来、おそらくない。

きゃりーは知性
きゃりーは人の悪口を言わない。親から「人の悪口を言ってはだめ。なんでかっていうと、あとからそれを知った本人が傷つくでしょ?」
厳しい親だったという

ファッションには
知性や理性、教養がいっしょくたになっていることが多い。

奇抜な服を
誰も来ていない格好、髪型、
それを原宿でやった
きゃりーだけじゃなく
原宿発信

きゃりーのPVを見ていると
その色彩が凄い
調べてみると
舞台美術は増田セバスチャン
この人が凄い
ずっと耳が聞こえず
聴覚異常を
知らずに過ごした
ある日
正常ではないと知った

けれど
聞こえない分だけ
視覚の世界が拡大した結果
色彩天国
素晴らしい舞台美術
もちろんきゃりーのファッションも
かかわっていると想像する

増田セバスチャンは
寺山修司と接点があることも
納得できる


次は肝心な作詞作曲楽曲構成を
自宅の一室で手がける中田ヤスタカ
きゃりー
Perfumeだけで
どれだけの楽曲を生産していることか
しかもどれも斬新

おそらく人間の聴覚に
心地よい音域の構成を
知り尽くし
どこで飽きるか
を知っている
飽きる前にやめる
「もっとほしい状態」にする
そういったことを
おそらくソフトか
音域方程式のような
計算式を持っている
というか熟知に至るまで
研究している
極めて
これは身体的
快楽とは脳ではない
身体
脳も身体の一部
それを優れた件p家は
知っている

音楽の方法は
他のジャンルに応用というよりも
転用できる
文学も他ではない

中田は当初
若い
きゃりーに座って歌わせたという
つまり
立ってレコーディングすると
エモーションが、情動がでてしまうのを
防ぐため
歌い手の気質にもよるけれど
きゃりーに汗は似合わないと
判断する能力
これは中田の才能

しかもきゃりーの声は
コンピュータに近いという
コンピュータにマッチしやすい音声だという
かといって無機質でもないのは
肉声だからです

クールに
というよりも
淡々と歌うために
中田ヤスタカは
きゃりーを座らせた

極めて身体的発想


きゃりーが
中田に電話か、メールで
「つけまつける」(つけまつげ、つける)
と短縮形で言って
「え。それいい」
と中田はきゃりーの日常会話を
拾った
それで
できた曲が
『つけまつける』

『み』という楽曲は
「み」しかない
楽しい、かっこいい、斬新。
発想があり
それを演出するのが
きゃりーとTempuraキッズ

Tempuraキッズとは
きゃりーと一緒に踊る
凄いダンサー達
ライブでは
Tempuraキッズのソロタイムも
確か20分くらいあった
それがまた圧巻

Tempuraキッズの個々人は
無記名となる
このセンスが
増田セバスチャンのものなのか
誰のものなのか
判らない
きゃりーのグループの面々は
それぞれのエキスパートでできている
楽曲、舞台美術、選曲、衣装、ダンス、舞台照明、音響、
とりわけきゃりーのCGは
「『ponponpon』のCGを作ったやつは、複数のLSDをやっているに違いない」と
世界で評価が高い
確かにあそこまでcrazyなCGを見たことがない。


CGに関しては、80年代初頭、ナムジュンパイク展を
福井放送まで友達と見に行った。
永平寺を撮影している関係から福井放送だったのだろうと思う
福井しかやっていなかった
当時大阪在住だったけど
行っただけの価値と衝撃があった
その前後
大阪毎日ホールで立花ハジメの『太陽SUN』のアルバムと同時に
ツアーがあって見にいった
あれも度肝を抜かれた

あれから40年たった
当時エレクトロャbプといわれ
中田ヤスタカまできたけれど
実はそれほど変わっていない
すべてCG映像はナムジュンパイクから始まった
とりわけ『TVgarden』は素敵だった

きゃりーぱみゅぱみゅ

あらゆるスタッフの総演出
きゃりーもまた構成にかかわるという
みんなで楽しむ
だから
聞いた見た側は
楽しい



一度
きゃりーのライブを
Zepp Nagoyaで聞いた
zeppはつねにスタンディング
ここで
見たミュージシャンのライブはたくさん

まず
音が良い
きゃりーのライブを見たのは
2014年前後だったと思う
お客さんは子供から
中年層まで


きゃりーのライブの中で
「こういう歌が歌いたかった」
という内省的な曲を披露した
つまり
ャbプとしてのきゃりーぱみゅぱみゅではなく
自分の正直なことを歌いたかった
というわけ

その曲の善し悪しはともかく
とても覚えているMCだった
自分が歌いたいものと
求められているものとの違い
「これを歌ってもいいじゃん」
と自由に歌う
それさえ
きゃりーになる

美輪明宏

一番注目する人物
きゃりー

下品さえ上品にできる人
きゃりー

音楽が一番早い
日本の最先端が知りたかったら
きゃりーの一番新しいものを見聞すればいい

曲が聞こえてきた
なんだこれは?

「KPP。きゃりーぱみゅぱみゅです」


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌うたい、音楽家の文学性

2021年10月27日 | 文学
  




夜9時まで労働
鯨と一緒に
時々
鯨は鳴く

以前
名古屋に
『caravan』
という凄いバンドがあった
活動は短かったけれど
知り人ぞ知る
伝説のバンドです

そのバンドの録音物(1979年、天王寺野外音楽堂、最後の春一番)
でのステージを録音したものです
欲しいという方が何人かいて
今でも「送って!」と言う人も

そのテープ(現在はCDに変換され所持)と
吉増剛造のサイン入りの詩集
ペケ(いとうたかお氏)の多数のライブ録音物は
わたししか持っていない
宝もの

いずれ保管可能な誰かに
寄贈したいと思っています

何度も聞いたそんなcaravanのライブ音源を
口で奏でながら
歌いもしながら
夜の9時まで
飽きることなく
楽しく労働

いろんなことを思い出しては
ペケのライブを見にいった最初の会場であったり
どれだけの場所で
ペケを聞いたんだろうと
場所を指折り数えては
鯨とともに
夜が
ゆき

忍び武士から
ジュースとビスケットと最近買った本の差し入れ
ありがとうございます
また読ませて頂きます

帰路
家の近くで
すれ違う
三人の家族
幼い子供が
「パパはどうしてママと結婚したの?」
と聞いていた
答はすれ違ったあとに
発されたのかも知れないけれど
父と娘
そのあとを母がゆく

あの質問の答は
万の数ほどあるだろう
そしてどれも正解はないだろう
不正解もない

だから子供の質問は
文学そのものなのです

---

平沢進の『FGG』鳴る


  『FGG』   歌、作詩作曲 平沢進



 風に競えよ なお行く鳥 陽は落ちて
 遥かアニマの 声なき声 いまに来て

 
 家を想わす 牡鹿の群 宵は来て
 老いてなお行く アャ高フ火は 今燃えて


この歌を聞いたのは東京在住の時で
はて? アニマとは?
と調べると
そうか
と納得
同時に八木重吉を耽読していた時期で
いっきにその後の方向が決定してゆく道程

体を悪くして
帰名したある日
新聞のコラムで
『アニミズムの風景』という題で
山折哲雄先生が書いていた記事
当時は山折哲雄という
名前を知らず
良い記事だったので
切り抜いて
今でもスクラップしています

それほど

アニマという言葉と
アニミズムという言葉があることに
衝撃を受けた

結局
平沢進の歌詞の『アニマ』から
広い世界に出ることができた

さらに帰名して
シンガーソングライターの
ペケの歌詞を聞く

これが平沢進よりも
もっと奥深くて
判ったような気になっては
もっと判るまで
何年もかかった

ペケもまた
文学以外
何物でもない

高橋悠治の『カフカの時間』
武満徹の『時の園丁』

これらも音楽家の言葉だけど
小説家が書く言葉よりも
優れた言葉であるという
凄いことが
他分野でこそ
起きている
これは凄いことです


いつ
どんな言葉と出会うかで
わたしたちの
人生は
決まる



---

帰宅
バッグにチョコ
あ、Joeさんからだ
と思い
まったく知らずに帰ってきた
明日
お礼を言おう
ありがとうございました






コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする