もう何年も毎朝、素手で便器を洗っている
幼いときの母のしつけだ
「便所は使用した後きれいに掃除すると美人になる」
「食事の後のお手伝をすると人に可愛がられるようになる」
「きちんと笑顔でご挨拶するととてもとても心ががきれいになる」
こういう言葉に騙されて、素直に親の言うことを聞いていた
しかし大人になってくるとトイレの掃除は忘れてしまった
自分のところだけでなく
人様のところの場所もきれいにするということをすっかり失念してしまっていた
ある日写真の整理をしていて、姉から送られた手紙の中に母と私が一緒に写った写真が出てきた、見たのさえ忘れていたのだ
この人
「便所には一番宝を持った神様がいらっしゃるのでどこの便所もきれいにしていると、きっといいことがある」
と言っていたことを思い出した
その時家の中には7人の神様がいる、一番初めにいらした神様は手ぶらでいらして応接間へ――――と続き遅れてやってきた神様はもうトイレに行くしかなかった、だけどその神様が遅れたのは宝をいっぱい持っていたから、重くて走れなかった」
というような話だった
幼いころは信じたけど生意気盛りになると「バカばかしい」と思ったのか忘れてしまった
そうか
「ごめんなさい今日からトイレ掃除に念を入れます」
そしてある日
ホテルのトイレを借りて、使ったトイレをきれいに拭いて手を洗っていたら
「チャコさんでしょう?」
30年ぶりの能登の知人と再会
そのあと、地震復興が気になっていた能登での講演がきまり、更にその能登での養蚕の始まりの相談も生まれた
トイレの神様感謝