今更ながらだけど、自分の手は自分の体のどこにも届くことを発見!
手が届かないところは「病」だ
まんべんなく手が届く
人はどうして病に侵されるのだろうか
外にばかり目が行っているからだ
外にばかり気が行っているからだ
外にばかり心が行っているからだ
良く
「先ず自分を大事にしましょう」
という
自分を大事にするということを取り違えてはいないだろうか
自分を甘やかすことが、自分中心に考えることが、自分を大事にするとことと考える人が多いように思う
イエスキリストが
「貧しき人は幸いなり」
という言葉を使ったが、それは自分の心が貧しいと理解している人は幸いといったのだと思う
事象的に貧しい人はその貧しさをよく理解すれば、必ずそこから抜け出すことはできる。しかし心が貧しい人はそこに気が付かない場合が多いので、お金の道ばかっりに突進して病で倒れる
長く生きているとそういう「神の仕組み」が少しわかるようになる
若い時には突っ走っている。それを大人たちがスピードを緩めなさいと注意をする。しかしそれも聞かないでいると事故や病や裏切りに会い「気づかされる」
今若い人と大人たちはぶんっだんされていて、全く違う世界に生きている
街に若い人があふれているのは、電子計算、電子説明で人との接点のない行動が社会を覆っているからで、大人というか老人はそこについていけない
しかし
人は情で生きている。基本的に足が地についていないと生活できない
木も花も動物たちもみんな足を地に付けて生きている。人間だけが頭だけで生きていればいづれはきっと滅びるのだろう
自分の手が全部の体に回ること、しっかり認識しないといけない。と散歩しながら思った朝