「 米国のボストンにある、ハーバード大学医学部付属病院。世界最高峰のブランド力のあるこの病院に、若きエリート医師が勤務していた。彼の名前は、ジョン・ロング。彼の研究対象は、原因不明の難病の”ホジキン病”だった。難病の撲滅の研究のためには、まず疾患している患者の腫瘍組織から細胞をとりだして純粋培養をすることが必要だった。もしシャーレの中で、細胞を死滅することなく細胞分裂をさせることができれば、様々な方法で実験に活用できる。
ロングは、なんと短期間のうちにホジキン病の患者組織から細胞株の作成に成功して、一躍脚光を浴びることになった。まさに神の手の持ち主だ。有名な学術雑誌には、次々と論文が掲載され、出世もし、多額の公的研究費も獲得できた。そんな彼をまぶしくも尊敬していたのが、助手のクエイ。
1978年のこと、実験で行き詰った彼が、息抜きにでかけた2週間のバカンスから帰ってくると、待っていたのは休暇中のクエイの替りに行ったロングによる素晴らしい実験データだった。不審に思ったクエイが、ロングに実験ノートの提示を求めると激怒したという。益々あやしいではないか。そこで機械の使用記録を調べて矛盾に気がついたクエイは、尊敬する上司が一気に疑惑の人となり、悩みに悩んだがロングを告発した。
大学が調査をすると、データの捏造どころではなかった。10年間ホジキン病の細胞株として大切に培養されていた細胞株は、驚くことに全く別の実験で使われていたサルの細胞株だった。勿論、ホジキン病とは何ら関係がなかった。」
このお話は、福岡伸一氏の著書「やわらかな生命」からの要約(コピペ?ではない)である。
私は、ブログでこれまで何度もとりあげているが、福岡伸一さんの文章はかなりのお気に入り。たまたま図書館から借りて新作を読んでいたところ、あまりにもタイムリーなロング事件に衝撃を受けた。この事件をもう少し調べたところ、悪意があったのではなく起こりがちなサルの細胞が混入したミスだと主張したそうだが、データの捏造は認めたという。
本書は「週刊文春」に連載されているエッセイの2011年9月15日号~2013年4月18日号 分までをとりまとめた一冊である。大好きな福岡さんの本を、まるで大好物なバウムフーヘンを大切にちょっとずつちょっとずつ味わうように楽しみに読んでいたのだが、「世界を分けても・・・」という文章を読んだのが、偶然なのか4月9日の日本中が注目した記者会見の後だった。
研究者、専門家、報道の立場の方から、テレビのインタビューに「かわいそう~、もういいじゃない」と答える町のおばちゃんまで、あらゆる意見や感想がでつくした感があるから、ブログで言うこともないのだが、私は少々気になった点がある。
●写真の枚数を記者から質問されて
「写真は1000枚……。わからないですけれども、もう大量に」
私たち全くの門外漢でも、複数の画像やファイルを保存しておく場合、必ず時系列がわかるように年月日を入れる。特に科学分野での写真は”記録”になるからいつがとても重要だと思う。福岡ハカセによると実験に使う試験管はエッペンドルフチューブと呼ばれ、研究室内は多国籍なので共通使用でYYMMDD、その後に実験者、実験ナンバー、サンプルナンバーが決まっているそうだ。そんな環境で働いていて、非常に重要な投稿論文に、しかも結果を示す画像を間違えて貼ってしまうことがあるのだろうか。
●「私は学生の頃から本当にいろいろな研究室を渡り歩いてきて、研究の仕方がかなり自己流なままここまで走ってきてしまったということについては」と反省しつつ、一方で「いろんな未熟な点や不勉強な点は多々あったけれども、だからこそSTAP細胞に辿り着いたんだと思いたい、という気持ちも正直にある」ということも話されている。彼女のこの認識は、疑問に感じる。もし報道されているように、博士論文に大量の剽窃をしていたとしたら、そもそも未熟でも不勉強でもなく単なる科学者としての資質がもともとないのでは。もっとも科学者としての教育を受けてこなかったという気の毒な面もある。
●弁護軍団の「それから半数以上法律家にすべきである。それから理研の関係者を排除すべきである。」という意見で、科学の土俵ではなく世間一般的な”悪意”という抽象的な概念から画像を加工したことが捏造にあたらないとしたら、世界の科学界から日本の科学者は信頼が失われると恐れる。
人というのは、ついミッシング・リンクにワナに陥りがちだ。ジョン・ロングはその後どうしたのだろうか。
気になってネットで調べたら、彼は、その後中西部の町で病理開業医になった。病理で開業できるのか、と思ったのだが、さすがに勤務医として採用されるのは厳しいのだろう。しかし、30年後、ある病理標本を誤診したのをごまかすために、標本をすりかえてしまった。その事実が発覚して、彼は医師免許も剥奪されたという。
■続きは
・「背信の科学者たち」へ
ロングは、なんと短期間のうちにホジキン病の患者組織から細胞株の作成に成功して、一躍脚光を浴びることになった。まさに神の手の持ち主だ。有名な学術雑誌には、次々と論文が掲載され、出世もし、多額の公的研究費も獲得できた。そんな彼をまぶしくも尊敬していたのが、助手のクエイ。
1978年のこと、実験で行き詰った彼が、息抜きにでかけた2週間のバカンスから帰ってくると、待っていたのは休暇中のクエイの替りに行ったロングによる素晴らしい実験データだった。不審に思ったクエイが、ロングに実験ノートの提示を求めると激怒したという。益々あやしいではないか。そこで機械の使用記録を調べて矛盾に気がついたクエイは、尊敬する上司が一気に疑惑の人となり、悩みに悩んだがロングを告発した。
大学が調査をすると、データの捏造どころではなかった。10年間ホジキン病の細胞株として大切に培養されていた細胞株は、驚くことに全く別の実験で使われていたサルの細胞株だった。勿論、ホジキン病とは何ら関係がなかった。」
このお話は、福岡伸一氏の著書「やわらかな生命」からの要約(コピペ?ではない)である。
私は、ブログでこれまで何度もとりあげているが、福岡伸一さんの文章はかなりのお気に入り。たまたま図書館から借りて新作を読んでいたところ、あまりにもタイムリーなロング事件に衝撃を受けた。この事件をもう少し調べたところ、悪意があったのではなく起こりがちなサルの細胞が混入したミスだと主張したそうだが、データの捏造は認めたという。
本書は「週刊文春」に連載されているエッセイの2011年9月15日号~2013年4月18日号 分までをとりまとめた一冊である。大好きな福岡さんの本を、まるで大好物なバウムフーヘンを大切にちょっとずつちょっとずつ味わうように楽しみに読んでいたのだが、「世界を分けても・・・」という文章を読んだのが、偶然なのか4月9日の日本中が注目した記者会見の後だった。
研究者、専門家、報道の立場の方から、テレビのインタビューに「かわいそう~、もういいじゃない」と答える町のおばちゃんまで、あらゆる意見や感想がでつくした感があるから、ブログで言うこともないのだが、私は少々気になった点がある。
●写真の枚数を記者から質問されて
「写真は1000枚……。わからないですけれども、もう大量に」
私たち全くの門外漢でも、複数の画像やファイルを保存しておく場合、必ず時系列がわかるように年月日を入れる。特に科学分野での写真は”記録”になるからいつがとても重要だと思う。福岡ハカセによると実験に使う試験管はエッペンドルフチューブと呼ばれ、研究室内は多国籍なので共通使用でYYMMDD、その後に実験者、実験ナンバー、サンプルナンバーが決まっているそうだ。そんな環境で働いていて、非常に重要な投稿論文に、しかも結果を示す画像を間違えて貼ってしまうことがあるのだろうか。
●「私は学生の頃から本当にいろいろな研究室を渡り歩いてきて、研究の仕方がかなり自己流なままここまで走ってきてしまったということについては」と反省しつつ、一方で「いろんな未熟な点や不勉強な点は多々あったけれども、だからこそSTAP細胞に辿り着いたんだと思いたい、という気持ちも正直にある」ということも話されている。彼女のこの認識は、疑問に感じる。もし報道されているように、博士論文に大量の剽窃をしていたとしたら、そもそも未熟でも不勉強でもなく単なる科学者としての資質がもともとないのでは。もっとも科学者としての教育を受けてこなかったという気の毒な面もある。
●弁護軍団の「それから半数以上法律家にすべきである。それから理研の関係者を排除すべきである。」という意見で、科学の土俵ではなく世間一般的な”悪意”という抽象的な概念から画像を加工したことが捏造にあたらないとしたら、世界の科学界から日本の科学者は信頼が失われると恐れる。
人というのは、ついミッシング・リンクにワナに陥りがちだ。ジョン・ロングはその後どうしたのだろうか。
気になってネットで調べたら、彼は、その後中西部の町で病理開業医になった。病理で開業できるのか、と思ったのだが、さすがに勤務医として採用されるのは厳しいのだろう。しかし、30年後、ある病理標本を誤診したのをごまかすために、標本をすりかえてしまった。その事実が発覚して、彼は医師免許も剥奪されたという。
■続きは
・「背信の科学者たち」へ
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