千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『シングルマン』

2010-10-14 21:45:03 | Movie
有閑マダムは何を観ているのか?in Califoenia」の有閑マダムさまは、ブログ名のとおり、現在はカルフォルニアで暮らしています。どうも米国では、日本よりも映画の上映がずっと早いようで、いつも一足先に新作映画を鑑賞されてらっしゃる有閑マダムさまの的をえた批評や感想を、私の鑑賞予定のリストつくりの参考にさせていただいています。日本では来春公開される予定のキーラ・ナイトレイも出演している『わたしを離さないで』も早速ご鑑賞されたようですが、最近の記事の中では、殆ど日米の時差がなかった映画『シングルマン』の記事を読んで、これは私好みと直感。あまり日本では宣伝されていないため、訪問していなければうっかり鑑のがしてしまいそうでした。ところが、実際に映画を観てから改めて有閑マダムさまの感想を読み直したら、殆ど私が感じたことや言いたいことがすでに的確に書かれていて、後が続かなくなり・・・困ったな、、、と感じているところです。というわけでまずは有閑マダムさまのご感想を。

さて、私の本作の映画鑑賞の決めは、愛と喪失がテーマーというよりも監督がファッション・デザイナーのトム・フォードである一点です。ブランドの地位は確立されながらも、なんだか一昔前の看板になり下り坂をおりつつあったグッチを革新的に復活させて、デザイナーとしての名前と実力を世界に知らしめたトム・フォード。男性には、アフガニスタンのハーミド・カルザイ議長を「世界一シックな男」と批評したデザイナーと言った方がわかりやすいかもしれません。映画には、このトム・フォードの美意識がすみずみまで行きわたっています。衣装は勿論、主人公のジョージがパートナーと暮らすガラス張りの家、車、音楽と60年代を忠実に再現しながらも、今や失われた当時のセンスを美しく表現しています。ほとんど趣味の世界のように純粋で美しい景色のおかげで、女性からすると、生々しくともすると嫌悪感を伴う可能性のあるゲイという恋愛形態もうまく融和されていきます。経済的な裕福さと知性があって描ける美しさには、風景や自然な美しさとは別の、モノをつくる人の芸術性といった力量も問われます。

「美しいということもひとつの才能だ」

これはジョージが俳優志望のスペイン人に伝える言葉ですが、まさにその言葉どおりに、ジョージがお酒を買いに車で乗りつけた店の広告のネオンにベンツの車体の色が幻想的な淡いパープルに染められ、流線型の車の形と不思議でエレガントな色には、美しいということだけで映画の場面が作られて鑑賞に値する価値が生まれることも実感されます。少女の幾重にもスカートの布が重なった目のさめるような氷った水色のドレス、ドレッサーの中に整然と丁寧にそろえられた白いシャツ、磨かれた曇りのない家や車の窓ガラス。ミリ単位のカッティングに全神経を集中させてドレスを仕上げるデザイナーの面目躍如の仕上がりに、監督としても余技をこえた作品になっていたことは嬉しかったですね。

さて、そんなトム・フォードの美意識にカラダをはって?こたえた俳優陣も、ナイスでした。
主人公のジョージを演じたコリン・ファースは、名作『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』で歴史学の教授を演じたロバート・バートンを彷彿させます。3流大学の文学の教授という人生へのけだるさを感じさせ、愛するパートナーを失った孤独感がただよい、コリン・ファースはまさにはまり役です。『真珠の耳飾りの少女』のフェルメールとは全く別人でした。パートナー役のマシュー・グード、ニコラス・ホルト、ジョン・コルタジャレナなど、トム・フォード好みの男性が次々と登場してそこにいるだけで目の保養になります。やはり美しいというだけで才能ですね。


監督・脚本・製作:トム・フォード
2009年米国製作

ETV特集「”小さな金融”が世界を変える ~アメリカ発 元銀行マンの挑戦~」

2010-10-11 22:46:39 | Nonsense
銀行はなぜ貧しい者を救えないのか。

銀行はそもそも弱者ではなく強いもののためにある。そう思っていたのだが、本気で弱者のための銀行を設立し、その斬新な発想で米ビジネスウィーク誌が「アメリカで最も有望な社会起業家の一人」と評価し、世界でも注目されつつあるのが、2003年6月にマイクロファイナンス・インターナショナル・コーポレーション(MFIC)を設立した、枋迫篤昌(とちさこあつまさ)氏である。MFICの主な顧客は年収2万円程度のラテンアメリカ系の貧しい移民たち。出稼ぎ労働者の彼らは、銀行口座、クレジット・カードをもてない”unbanked”と呼ばれているのだが、その人口は米国内で約5000万人もいる。

たとえ貧しくとも、出稼ぎであるからには、彼らは労働で得たわずかな賃金から、本国で待っている家族のためにたとえ小額でも金を送金する必要がある。典型的なプアーな労働者の身なりの彼らが、ポケットからとりだしたほんの100ドル程度の金額を送金しても、正規のサービスを受けられないために支払う手数料は15%にもなる。先日、citiBank経由でドイツのハイデルベルク貯蓄銀行に5000ユーロを送金した私が支払った手数料は2000円。これを考えると、15%の手数料がとても高いのがわかる。しかし、一回の送金額が小さいからと侮れないのが、米国からラテンアメリカ諸国向けの送金は530億ドル(約6兆3600億円)に達し、これはラテンアメリカ各国のGDP(国内総生産)の10%を占めるまでになった。こんな誰も見向きもしない貧しい小口に注目したのが、枋迫氏である。IT技術と金融の専門知識をそそいで格安の手数料の送金システムを構築する。この送金システムは、いわば米国と海外の銀行口座を結ぶ重要なインフラとなっていく。そして、今では米連邦準備銀行もその革新的なビジネスモデルを認め、4月正式に提携するに至る。

次に枋迫氏が考えたのが、送金する間の滞留資金を使って、貧困層の人々や移民たち向けへの小口のローンだった。顧客のこれまでの送金履歴を調査して、定期的に送金している実績があったら、安定収入があり真面目に勤務していると判断し、無担保融資という私には大胆に?思えるビジネスをはじめたんだった。実際に、番組ではMFICで融資を受けて車を購入することによって、いち労働者から現場監督に昇進し、家も購入することができた男性も紹介された。マイホームで寛ぐ幼い娘たちの姿が、印象に残る。ここで思い出したのが、ノーベル平和賞を受賞したバングラデッシュのグラミン銀行とその創設者、ムハマド・ユヌス氏がはじめた少額の金融サービス(マイクロファイナンス)である。枋迫氏の思いも「金融は金持ちのためではなく、貧困ゆえに助けを必要としている人のためにあらねばならない。」という強い信念かたはじまった。終始温厚で穏やかな笑顔のたえない枋迫氏だが、奥様によると「芯は言い出したら後にはひかない情熱の人」らしい。

退職金やこれまでの貯えをつぎこんで、あらたに挑戦をしたきっかけは、26歳の時の体験にはじまる。枋迫篤昌氏は、大学を卒業後、旧東京銀行に入行。入社して3年目にいきなりメキシコに飛ばされた。必死で現地で働く彼は、ある露天商と親しくなり、”ディナー”に招かれることになった。楽しく食事を終えて帰る頃になると、その家の3歳のホセ君から「お兄ちゃん、今度はいつ来るの」と尋ねられた。お兄ちゃんが来てくれたから、半年ぶりにお肉が食べられたそうだ。確かに、スープに薄い肉がほんの少しばかり浮いていたことを思い出した彼は、あまりの貧困ぶりに愕然とした。毎日一生懸命働いているのに、貧困から抜けられないのは間違っている。彼らにとって必要なのは、経済的なチャンスだと考え、いつか金融のプロとなって貧しい人たちに役に立つサービスをはじめようと決意をした。

やがて歳月が過ぎ、グリーンカードを取得し、勤務先にもその考えを伝えていた頃、かってのメキシコの露天商から届いたのは、ホセ君の訃報だった。貧しくて、病院にも行くことができなかったと書いてあるのを読み、再び情熱を取り戻して設立したのがMFIC。実は、このMFICを取り扱った番組を観るのは二度目だが、今回は、時間も長く充実していろいろなことがわかった。ビジネスモデルの革新性と貧困者への福音と、目が覚めるようなビジネスに久しぶりに興奮した。

「高砂コンビニ奮闘記」森雅裕著

2010-10-09 14:28:11 | Book
-君知るや、わが名を。

こんな文章ではじまる本書は、ひとりの生活に困窮したホームレス同然のある中年のおっさんが、清掃作業員のバイトの仕事すら断られて、ようやくたどりついた、下町は高砂にある業界第5位のコンビニ、MニSトップでの職場の悪戦奮闘記。おっさんはゆ~るくて荒れたお店で精一杯格闘するも、あえなくコンビニ店は13ヶ月で閉店。そんな生活上の不運な事情からお世話になった勤務先への遠慮や足掛けがはずれ、著者にコンビニの実態を告発?する本を書かせちゃったのだが・・・、本来なら、私にはあまり興味をそそられない題材である。あちらにもコンビニ、こちらにもコンビニ、けれどもフランチャイズだから、失敗して経営者が破産しても知ったこっちゃない、本部は決して損はしない。そんな業界の内部を店員のおっさんがあかして今さらどうする。

しかし、君知るや、わが名を、と問われたら、森雅裕さんだから私は本書を手にとったしかいいようがない。涙。森雅裕だから、熱心に読んだのだ。冒頭の問いから続き知ったのが、現在の彼の事情だった。
「1985年のデビュー以降、私は小説家として生きてきた。人も羨む賞もいただきもした。しかし、私の目的は職人的は創作活動にあり、今や文壇のはみ出し者となった。」
我家の本棚の最高の位置のひとつにすっかり変色してしまった「さよならは2Bの鉛筆」というタイトルの短編集がおさまっている。著者は知る人ぞ知る、森雅裕。1991年中公文庫のプロフィールによると「流浪の生活体験と無類の研究熱心をもとに、恋愛小説から冒険小説、時代小説等、さまざまな作品形態をとりながら、一貫して人間の意地と誇りを描く。人と交わらず、居合を修め、曲者ぞろいの文壇にあって、”仙人”と呼ばれている。」となっている。あれから20年近い歳月が流れ、私が彼の著作を見つけることがなく、すっかり引退してBARのマスターにでもおさまって、ブラック森さんの会話が紫煙となって消えている様を想像していたのだが、仙人からはみだし者へ、要するに出版界からほされていたのだった。乱歩賞を同時受賞した同期の東N圭Gさんも、今でこそすっかり売れっ子でミステリー作家の大御所だが、昔は初版本でおわって苦しい時代が続いたと語っていたことがあるが、小説で食べていくのは実力があっても本当に本当に大変らしい。私ももっぱら図書館からの貸出で、作家の苦情を申し訳なく思っている。森さんも受賞後の数年間だけはそこそこ収入があったようだが、それ以降は年収百数十万円がやっとだったそうだ。コンスタントに新刊本を出し、いずれも人気があったと思っていたのに。少なくとも、私はユーモアとウィットに富んで、イキのいい彼の作品が大好きだったから。

さて、森さんのMニSトップの同僚によると、誰もが利用するコンビニなのに、従業員の社会的地位は最低レベルと蔑まれる。そして彼も現実問題として、職業に貴賎はあると。確かに本部の”すべてはお客様のために”を金科玉条とすれば、どんな非常識な客も、家庭のゴミを捨てにくる奴も、どなる奴もからんでくるクレーマーも、すべて客は客なのだから、従業員はさからえずにひたすら身の保全を図りながらもなんとかかわすしかなかった。それにしても、高砂エリアの客スジの悪さには驚きを禁じえなく、従業員の彼らには同情する。彼らの生態は、生物の多様性の必要性を説きながらも、絶滅してもOK。(笑える客たちのブラックユーモアな生態も本書の読みどころなのだが。)また、これでは客ではなく単なる無法者への対応策を考えていない本部のモラルすら疑われる。しかし、森さんが、コンビニ業態と自身の窮状から読者に伝えたいのは、小さな人間関係やコンビニのお仕事や生活苦の愚痴ではなく”この時代”にある。最後の39歳の餓死した青年への感想に、森さんの10年ぶりの商業出版された本書への思いが凝縮されている。

再び、君知るや、わが名を。
私が初めて森さんの姿を写真で見たのは、「モーツァルトは子守唄を歌わない」での著者近影だったのだろうか。藝大を卒業して様々な職種を経験して作家デビュー。バイクに寄りかかりながら、ヴァイオリンを片手に挑発的なまなざしの森さんは、とてつもなくかっこよかった。藝大というエリートに不良っぽさがからまって、凡人には近づけないような孤高のライダーでありライターだった。その森さんが、貧困の中でコンビニに職を求め、「若者たちとチームを組んだ第二の青春でさえあった」と働くことに喜びをみいだすとは・・・。
しかし、皮肉と嫌味の毒が持ち味の森節は今でも健在。言葉と言葉をからめたユーモラスな独特のセンスは抜群である。まだまだ作家として勝負できる力量を確認できて、かって森さんに憧れた乙女は安堵した。
私はあなたを知っているし、決して忘れはしない。森雅裕というひとりの作家の名を。