千の天使がバスケットボールする

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「初恋」中原みすず著

2011-09-27 22:01:02 | Book
1968年12月10日、雨が降る師走の朝、白バイ警官に扮した”男”が現金輸送中のセドリックに近づき「爆弾が仕掛けられている」と警告して、4人の行員を退避させている間に車をのっとり逃走した。強奪した金額は3億円。20世紀最大の謎と言われていまだに解決されていない「3億円事件」。その真犯人は、女子高校生。彼女の名前は中原みすず。

前から気になっていた「初恋」だった。何しろ、あのモンタージュ写真がすっかりすりこまれている犯人像が、実は女性、しかも女子高校生だという意表をつく発想に感服した。青酸カリを服毒して自殺した19歳少年S、ゲイボーイK、作家の安部譲二さんも容疑者のひとりだったこともあり、過激派や元警察官説など様々な容疑者がうかんでは消えていったが、誰もが犯人は男だと長い間思い込んでいる。実は女子高校生が犯人だった?!

ページをめくると、ひらがなで「かんたんにまえがき」とあり、いかにもまだ幼さが残る文章で告白がはじまり、物語の主役、実行犯の名前が作者と同じ「中原みすず」とあり、作者自らが犯行を自白した手記という形式をとっている。しかも実際に、犯人に遺留品と思われる物の中には女性が身につけるイヤリングも見つかっている。実行グループの中に女性がいたことはありえない話しではない。みすずの告白はこうはじまる。

「私は『府中三億円事件強奪事件』の実行犯だと思う」

この”思う”という不確かな物言いが、不思議な印象を残しながらもそのあやふさが世間的には未熟な女子高校生じみていて、妙に真実味がうかびあがってくる。そして、私、みすずの告白がはじまる。複雑な家庭の事情から、親戚中をたらい回しにされてどこにも行き場のないみすずが、初めて自分の存在を受け止めてくれたのがジャズ喫茶”S”にたむろする亮、東大生の岸、作家志望のタケシ、女優をめざすユカ、テツやヤスだった。時代は、佐世保「エンタープライズ」空港阻止や東大紛争の激化、その一方でフーテン族がたむろし、霞ヶ関ビルが開業した。激しい学生運動と時代のうねりから距離をおき、大音量のジャズに身を沈める彼ら。もしかしたら、亮たちもこの時代の若者としたら、特別ではなく、社会から背を向けているわけでもなく、ありふれた若さをありふれたスタイルで楽しんでいるだけなのかもしれない。そこに岸からみすずにもちこまれたあるひとつの計画。その犯行が、岸とみすずの距離を一気に縮めていく。

犯行の動機が大金を奪うが決して金儲けではなかったことが、1968年という時代を象徴している。学生運動や政治の嵐にゆれる季節だった。シンプルな人間関係が物語の進行とともに見事につながっていき、みすずの幼くも淡い初恋に結実していく。激しく人を恋うるわけでもなく、恋に悩み苦しむこともなく、泣くわけでもない。ようやく恋の灯りがぼんやりとともりそれと意識するとともに、青春は静かに終わっていた。けれども、それはまぎれもなくみすずの初めての、そして永遠の恋だった。

読後にも、不思議なリアリティが残る。その後、誰もが夢をかなえられず挫折した中で、タケシだけは芥川賞を受賞して作家になったという。完全な創作なはずなのに、作家らしい巧みさの乏しい文章が意図的だとしたら、その策略にはまってみたい。3億円事件は20世紀最大の謎なのだ。私は”中原みすず”という名前の作者による作品は、おそらくこの一冊で終わるだろうと予感している。


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