千の天使がバスケットボールする

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『キューポラのある街』

2012-07-02 22:55:09 | Movie
名画再発見!の日本映画編。
というわけで、サユリストなる一大派閥をつくった吉永小百合さんが16歳の時に主演した『キューポラのある街』を選んでみた。(初鑑賞)

埼玉県川口市。キュープラと呼ばれる鋳物工場から飛び出た鉄を溶かす煙突が林立する街に、中学3年生のジュン(吉永小百合)は父母とふたりの弟と暮らしている。父親の鋳物職人である石黒辰五郎(東野英治郎)が、長年勤めた小さな工場が大きな工場に買収されることをきっかけに、勤務中の怪我の後遺症もあることから、解雇されることになってしまった。長屋のお隣に住む塚本克巳(浜田光夫)は猛反対して、贅沢をする親方をせめてくってかかるのだが、辰五郎はお世話になった親方を逆にかばうありさまだ。しかも、職人気質の辰五郎は、組合の調停の依頼も”アカ”の世話にはなりたくないとつっぱねる。
威勢はよいが、辰五郎の転職先もなかなか決まらず、妻の出産もあり、生活は日に日に逼迫していくため、ジュンの修学旅行資金すらも捻出できなかった。
そんな環境でも、成績の良いジュンは、絶対に県立第一高校に進学したいと頑張るのだったが。。。

これは、ほんの物語のはじまりである。この映画のあらすじを書こうと思うと、けっこうな分量になりそうだ。1962年に公開された「キューポラのある街」は、100分の映画ながら、ジュンのゆれる少女の感情を中心に、貧困、政治活動、格差社会、人種差別、友情、思春期の芽生えと内容も盛りだくさんで今日でも考えさせれるところがある。そして、わんぱくなこどもたちのいきいきとした躍動感が画面いっぱいにひろがり、日本映画の名作の評判に違わない。

ところで、映画の中で重要な役回りを演じるのが、ジュンの学友のヨシエや弟のタカユキ(市川好郎)の子分・サンキチの在日韓国人である。監督は、当時の韓国人に対する差別意識を描き、そんな差別意識をはっきり否定するように、わけへだてなく自由な思想をもつジュンやタカユキなどの新しい人々の意識の違いもみせている。さて、後半からヨシエもサンキチも、家族とともに在日韓国人の帰還事業により、北朝鮮に帰国することになり、みんなで見送りをするために、寒い冬の日に川口駅に集まる場面が登場する。当時の北朝鮮は楽園だと喧伝されて、生活に困窮していた家族はもう少しましな暮らしをのぞんで北に渡ったのだった。その数は、9万人以上にものぼるという。

先日、金正恩第1書記の実母・ 故高英姫の映像を集めた記録映画が製作されていたという報道があった。亡くなった将軍様の3番目の妻は、在日朝鮮人であるために、殆ど公舞台に登場することはなかった。北朝鮮では、日本で生活経験のある同胞を資本主義に毒されているとかなり冷遇していたからだ。ところが、後継者に威光をもたらす作戦として実名や経歴はふせて、映像で優しい”偉大なるお母様”という象徴的な存在として表舞台に現れた。

私たちは、その後、北朝鮮に渡った人々の苦難な生活や、国をあげての赦し難い犯罪行為を知っている。映画が上映されたのは、昭和37年。日本は高度成長期をかけぬけ、25年後には一気にバブルの頂点にまで過熱した。その後のジュンは、幸福になったのだろうか。失業して酒におぼれる父に「高校に行くから面倒みてくれよ」と叫んだタカユキは、進学できたのだろうか。そして、北朝鮮に渡ったヨシエやサンキチはいったいどうしているのだろうか。そんなことまで気になる映画である。

もっとも忘れがたい場面は、ジュンが勉強をみて上げるために訪問した裕福な友人宅の二階の窓から、外を眺めるシーンだ。吉永小百合の神々しいまでの笑顔とキューポラが並ぶくすんだ川口のモノトーンの街にブラームスの交響曲第4番が重なる。


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