千の天使がバスケットボールする

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「ランジェ公爵夫人」「金色の眼の娘」オノレ・ド・バルザック

2009-06-27 13:57:14 | Book
嘘かまことか、中沢新一さん情報によると、文豪バルザックは”こと”が終わると、抜いた×××が湯気をたてたまま寝室からでてきて、なべからコーヒーをすくって飲みながらまた小説を書いたくらいに精力絶倫だったそうだ。バルザックって、文豪なだけではなかったんだ。
先日観た映画『ランジェ公爵夫人』の内容が奥深く、これは是非とも原作にもあたらなければと考え、選んだのが藤原書店の西川祐子さんの翻訳である。「十三人組物語」の第3集に収められているのは、この他に「フェラギュス(禁じられた父性愛)」と「金色の眼の娘(鏡像関係)」。副題は訳者によりものだが、「ランジェ公爵夫人」には、そのものずばりの「死にいたる恋愛遊戯」だった。

女人禁制、男子限定秘密結社クラブ「十三人組」が活躍する拠点は、パリである。パリでなければならなかった。それは、彼らが21世紀のこの時代に生きていたとしても、攻撃範囲が世界中に広がったとしても根城は、なんたってパリなのである。王冠をいただくこの都会は、いつも妊娠中でおさえきれない欲望を抱く女王である。パリは地球の頭であり、才能と創造性をもつ芸術家にして物事を見抜く政治家でもある。パリでは、どんな上流の社会において女は女であり、へつらいと世辞と名誉心を糧に生きている。本物の美貌、素晴らしい容姿も賞賛なければ、何の役にも立たない。女の勢力証明は、多くの男たちを従がえることである。けれども、ただひとりの男の心の住人になる望みが叶わなければ、豪奢な社交界ですべての男たちの関心をひきつけることでうずめあわせ、そのため時間とお金をかけて化粧ときらびやかな衣装をまとう。これは、バルザックの皮肉でも女性蔑視でもない。死にいたる恋愛遊戯は、何代も前からパリに住む人々だけが楽しめる人生の特権である。

愛とは、お互いの愛情と変わらぬ喜び、快楽の交換、といった強い結びつきを含む。(産婦人科医のウィリアム・H・マスターズと心理学者のバージニア・E・ジョンソンによる実験は、ここでの快楽の交換のみに終始していたのだが、バルザックだったら彼らの生態をどのように筆をふるのか知りたいものだ。)所有は手段であって、目的ではない。情熱は、愛への予感であり、愛への永遠の予感であり、希望でもある。都合のよいことに、いくつもの”情熱”をもつことも可能であり、期待が消滅すれば情熱の炎も沈下し、次の機会まで、たとえ老いても種火を絶やさず潜伏する。ところが、精力絶倫だったバルザックですら、こう語る。
「だが、愛は、一生のうちにひとつしかないものである」と。
えーーーっ、たったひとつですかっ!!と、つい叫びたくなる日本の女の私は、本物の愛を知らないのか。
恋愛遊戯に身をまかせても決して女たるもの、夫に自分の落度をにぎられてはならない。公爵夫人のアントワネットの身の振り方を案じる老公妃は、恋の熟練プレイヤーとして彼女にアドバイスをさずけるのだった。

「金色の眼の娘」では、資産あり容姿も端麗で余計な係累のない花の独身男、アンリの恋愛の冒険談である。或る日、彼は太陽のように金色に輝く瞳の女性を街でみかけた。まるで男から恋されるためのように生まれたかのような理想的な容姿をもつその女性、パキタも純白のハンカチを落として彼を誘ってくる。これまで狙ったすべての女の城をあっけなく陥落してきた彼は、難攻不落な城に幽閉されているパキタをものにしようとあれこれ手を尽くす。ようやくコンタクトがとれて、目隠しをされて連れて行かれた部屋で待っていたのは、無口で貧相な老婆だったのだが。。。

本作のおける訳者の鏡像関係の副題は、さえている。アンリは美青年というよりも女にも負けぬ美貌の持主だった。偶然街で見かけたパキタほど、物語において”運命の人”はいないだろう。アンリが自分の人生と恋愛の危険を知るためには、パキタという恋愛に必須な美しいという形容詞だけのただの女が必要だった。ミステリー仕立てのようで、誰もが予測つかない結末に”性愛”の妙を読者に披露するバルザックは、確かに中沢氏が笑うエピソードも簡単に信じ込ませてしまう。しかも、このフランス産の上質なワインは「人間喜劇」のほんのセレクション。バルザックは、今だったら大食いの「テレビチャンピオン」に出場できるくらいたらふく食べ、莫大な借金に負われたが、残した遺産も莫大だった。フランソワーズ・サガンが18歳の時の処女作で「悲しみよこんにちは」を発表して364億円の印税を稼いだ時、「あなたの小説はバルザックよりかるい」と記者からインタビューされるが、比較するのは見当違い。超人バルザックは、恋の達人であるフランス人にとって偉人であり唯一無二の作家なのだから。幼い頃から母の愛情に欠乏して、多くの女性たちとの遍歴を重ねた「バルザックにおける女」をいつか別の機会に語りたい。
静謐で死者特有の輝きすら感じられるランジェ公爵夫人の遺体に、友人のロンクロールはモンリヴォーに「かって女であったあれはもうなにものでもない」と海に投げ込むことを提案する。こどもの時に読んだ本のように。物憂げにモンリヴォーは、その意見をききいれる。
「あれは、もう一篇の詩に過ぎない」と。
私が本書を読んだ動機は、最後のこの言葉だった。

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映画『ランジェ公爵夫人』


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