千の天使がバスケットボールする

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『ランジェ公爵夫人』

2009-05-24 19:59:05 | Movie
思うに、この映画はフランスの文豪、オノレ・ド・バルザックを充分に読み込んでいる熱心な読者のための娯楽映画である。バルザックなんて一冊も読んだことのない私のような東洋の小娘なんぞ、ジャック・リヴェット監督にとっては最初から観客の想定外。ちょっとくやしくなるのだが、恋の駆け引きや恋愛ゲームなんぞとうていできそうにもないあかぬけない日本人でも、『めぐり逢う朝』」で本当にジェラール・ドパリュデューの息子かと疑った美青年、ギヨーム・ドパルデューがバルザックの作品で主役を演じるとなれば、思わず真剣そのものでスクリーンと対峙してしまった。

1823年、スペインのマヨルカ島にあるカルメル会修道院のミサ。ステッキを片手に座るアルマン・ド・モンリヴォー公爵(ギヨーム・ドパルデュー)に「タホ川の流れ」をアレンジしたミサ曲が聴こえてくる。思わず心が乱れて退出するモンリヴォーだったが、神父と裁判官との食事の席でフランス出身のテレーズ修道女と鉄格子の向こうで逢う交渉に成功する。修道服に身を包み、名前を変えたテレーズこそは、5年間の歳月をかけてモンリヴォーが探し尽くした恋人、ランジェ公爵夫人(ジャンヌ・バリバール)だった。
そう、5年前のパリの社交界の華だったランジェ公爵夫人とナポレオン軍の英雄にして社交界の寵児のモンリヴォーの恋バナは、人々の格好の話題だったのだが。。。

飢えることもなくそれなりに生活が安定して、だっさい高校生も我も我もと恋愛をするニッポンの現代模様だが、「源氏物語」の時代から、本来は恋とは貴族という有産階級だけにゆるされた特権だったと私は思っている。しかも、ランジェ公爵夫人のように、子育てや家事からも解放されしかも夫は単身赴任中で時間をもてあまし、着飾ることと殿方の心をもて遊ぶことで人生の退屈さをまぎわらせるしかない美貌の貴婦人。つまり、金あり、時間あり、美貌ありの三拍子そろってはじめてプレーヤーとして参加できるのが恋愛遊戯なのである。私もこの時代のフランスに生まれたかった?自分の容姿が舞踏会の紳士・淑女の視線を集めることを充分に知っている彼女にとって、アフリカの戦地から帰還した英雄のモンリヴォーは、優しくきれいだが退屈な貴族とは違う珍獣の野性的な魅力をもつ男だった。美しい人は、えてしてゲテモノ食いでもある。しかも社交界の寵児をゲットすることは、自分の格を更にグレードアップすることにつながる。ちょっとしたお遊びのつもりで関心を示したのだが、武骨な将軍はいきなり本気モード。毎日毎日、彼女の自宅を直撃して好き好きオーラでくどくどころか、やがて「愛の証」と称してさすがに高貴な文芸作品なので”やらせろ”とまでは言わないが、私室にまで押し入り当然肉体関係までせまってくる。
対するランジェ公爵夫人は、貞操、宗教など、さまざまな理屈で鉄壁の守りで応戦するまでは、彼女は恋の勝者だった、のだが。

フランス文学者の鹿島茂センセイによると、恋の国フランスにおける恋の実態とは、城の攻防戦と同じで押したり引いたりしながら、攻撃側と守備側が秘術を尽くして城(女の貞操)の攻防を楽しむものだそうだ。米国のようにストレートに「アイシテル!」なんて叫んじゃ、一発で城は陥落してしまう。そうそう、もてる女性はそんなに簡単に「愛」だの「恋」だの言わずに、猪突猛進型の将軍の攻撃を赤いマントでひらりとかわし、単純な軍人を「ルール違反」・・・なんてお叱り飛ばす。けれども、ここで負けてられないと捲土重来、一発逆転の奇襲作戦にでたのが、たとえ恋は初戦でも本物の戦では百戦錬磨の武将モンリヴォー。ここでの、ギョーム・ドパリデューは最高に男の色気がある。ここでオチなければむしろ女でない、が、ここからがバルザックの香高き文学性を感じるのみどころなのである。さすがだ、、、バルザック。

この映画は眠くなるただの退屈を感じるか、息詰るようなセリフの応酬、役者の表情、演出にバルザックを堪能してわくわくするかのどちらかしかない。7割の観客を満足させるのではなく、30点以下の寝てしまう派か90点以上の絶賛派にわかれると思う。映画は、モンリヴォー公爵のいらだち憔悴した表情からはじまる。ギョーム・ドパリデューは、95年にバイクの事故にあい、その後感染を併発して片足を切断していたという。俳優にとって致命的ともいえる事故の後遺症なのだが、この映画では義足のコツコツという足音が心身ともに深い痛手をおった将軍として、マヨルカ島の青い空と海に陰影を与えている。やつれた彼も美しい。昨年、急死してしまったギョーム・ドパリュデューが、名優の父親を超えるくらいの素晴らしさだ。私はだから90点派。唯一惜しいのが、髪が黒いせいか、ジャンヌ・バリバールが演じたランジュ公爵夫人にそれほどの魅力が感じられなかった点である。フランスでは人気のある女優だそうだが。
最後の結末に、バルザックにすっかりとりこまれてしまい、これはやはり原作を読むしかないと決意。
そういえば、中国のポロレタリアート文化革命を背景に西欧の本が禁止されていた時代に、バルザックを読んで農村を旅立つ少女の物語、映画化もされた「バルザックと小さなお針子」では、最後にこう結ばれていたっけ。

「バルザックのおかげでわかったそうだ。女性の美しさは、値のつけようのない宝だってことが」

監督・脚本:ジャック・リヴェット
原作:オノレ・ド・バルザック
2006年フランス=イタリア合作映画


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2 コメント

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こんばんわ (HIROMI)
2009-05-26 22:50:56
ギョーム・ドパルデュー、傷ついた獅子のような風格と色気がありましたね。公爵夫人の振り回し方はあんまりな気がして、貴族の恋愛作法にはついていけませんでしたが、二人の息づまる応酬に最後まで引き込まれました。私も90点派です。
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学び難し恋愛作法 (樹衣子*店主)
2009-05-26 23:35:59
>HIROMIさまへ

よかった、、HIROMIさまも90点派だったのですね!

>傷ついた獅子のような風格と色気

傷ついた獅子とはうまい表現ですね。最後の船の上での友人との会話も、とても深かったです。
この時代の貴族の恋愛作法は、とても残酷な感じがしました。すごいのが、夫が登場しなくても成立する恋愛の濃さです。。。
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