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「父さんの手紙はぜんぶおぼえた」タミ・シェム=トヴ著

2012-02-19 12:05:50 | Book
「父さんの手紙はぜんぶおぼえた」
この文章のタイトルを読むと、どうして、何のために、手紙の内容を覚えたのだろう、という疑問に誰しも自然に導かれるのではないだろうか。そして、何かの事情があって手紙をすべて暗記できるくらいに心に刻んだのだろうかと。

1940年、ナチス侵攻の猛威はオランダにまで及んだ。当時のことで私たちが最もよく知っているのは、「アンネの日記」だ。アンネ・フランクは父オットーの会社の社員の隠れ家に他の家族と一緒に音もたてずにひっそりと暮らしていた。この本を愛読していた身内の者が、今はアンネ・フランク財団が管理するプリンセンフラハト通り263番地の隠れ家を訪れた時、そのあまりの狭さに驚いたと言っていたのを思い出した。本書の主人公も10歳のユダヤ人の少女だった。しかし、彼女がアンネと違っているのは、ユダヤ人であることを隠してオランダ人らしい「リーネケ」という仮の名前をつけられ、家族と離れ離れになって生物学者の父の知人である医師たちの家を転々としながらオランダ人として日常生活を送っていたのだった。勿論、少女だけでなく、彼女を受け容れた家族全員にとっても命がけのことだった。

ユダヤ人であることが決してわからないように、日々緊張しながらも、真面目で誠実なドクター・コーリーとその妻の陽気なフォネットに優しく守られて暮らしているリーネケの一番の楽しみは、父さんから小さな絵本のように綴られた手紙が届くことだ。しかし、手紙は読んだらすぐに処分しなけらばならなかった。手紙は、地下抵抗活動をしている人々によって、密かに運ばれたもの。万が一、ナチスの手に渡ったら、すべての人に危険が及ぶために厳重に償却されるはずだった。表紙にあるのは、ドクター・コーリーが処分するのがあまりにも惜しく、危険を犯して地中深くにこっそりうめて残しておいた奇跡のような9通の手紙である。本書は父さんからの手紙をエポックに、両親が出会って恋におちた時のこと、家族との思い出、友人やドクター・コーリー家での暮らしが少女の素直な感性の繊細な目で描かれている。そして、戦時下でユダヤ人が次々と苦境に追い込まれ、強制収容所に連行されるようになったことも。

-1943年10月 愛するリーネケ

このように仮の名前で書かれた父さんからの手紙は、末っ子の娘への慈しむような愛情が溢れていて心があたたまる。時には、娘が手紙の返信をなまけていることを厳しく指摘しながらも、誕生日を祝い、成績がよく飛び級で進級したことに手離しで喜ぶ様子は日本のパパと同じだ。画家の心をもった科学者の父さんは、描かれている絵がとても上手で可愛らしく、家族と離れている娘をあかるい気持ちにさせようとユーモスに語りかけている。この手紙の原本は、ワルシャワ・ゲットー蜂起を記念するイスラエルのロハメイ・ハゲタオット記念館に2004年から展示されている。

それにしても、危険を覚悟で自らの良心や信念のもとにユダヤ人を守ろうとした人々がいたことだ。ユダヤ人姉妹のために隠れ家をつくるオーストリア人のコーイマンス夫妻、貧しい中、ユダヤ人をかくまうファン・ラール夫妻や14歳で家族とともに抵抗運動を続けるディーチェ。こういった人々の人間としての善意と強さは現在にも考えさせられるものがある。そして、アンネたちを密告するような人間もいることも。

戦争が終わってリーネケは、ようやく家族と再会することができた。写真で見る今のリーネケは70歳代とは思えないくらい、若々しくく溌剌とした美しいおばあちゃまだ。巻末に著者によるリーネケのインタビューも掲載されているのだが、失われた5年間という時間の重さも考えさせられる。戦時中、ユダヤ人の死亡率はイタリア、フランス、ベルギーでは20%だが、オランダでは70%ものユダヤ人の人々の命が失われた。オランダ政府がナチスに協力したからだ。多くのリーネケの命が奪われたのだった。


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