千の天使がバスケットボールする

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『故郷の香り』

2006-05-07 17:58:46 | Movie
1本の舗装されていないあぜ道がなだらかにのびている。夏の夜明けのその道を、若者と呼ぶにはすでに年齢を重ねたひとりの青年が自転車で走ってくる。
彼は大学に合格して故郷を離れてから、10年ぶりにこの地に戻ってきた。何故、10年もの歳月故郷を帰らなかったのか。何故かくも長き間、生まれ育った村に背を向けていたのか。一台の自転車を追いかけていた映像は、やがてゆるやかにあけていく故郷の田園風景をひろげていき、観客は映画の舞台が中国の農村だとあらためて知らされる。その風光明媚な美しさと、村の貧しさと文明とはほど遠い農民の暮らし。
だから走る自転車の行く先が、あかるさに満ちた地というわけではないという予感でこの映画は、幕をあける。

村の名士の息子ジンハー(グオ・シャオドン)は、10年ぶりに故郷に帰ってきた。北京の大学に進学し、その後役所に勤務する彼は、恩師のトラブル解決のために帰省していたのだ。ほんの短い滞在予定の明日は北京に帰るという日、歓待の席から帰る客人をおくるために、その客人を乗せて自転車を走らせるジンハー。この村では、自転車はまだ貴重品だ。
橋のたもとでひとりの女性とすれ違う。大量の重いシバを背負い、不自由な足をひきずりながら汗と泥で顔まで汚れている貧しい女性だった。ジンハーは、そのまま気がつかずに通り過ぎても良かった。何故ならばそれほど、彼女の姿はかっての面影からあまりにも変わり果てていたのだ。
10年間故郷に帰れなかったのは、初恋のその女性ヌアン(リー・ジア)に出会うことが恐かったのだ。そして、また彼女と出会わないことが恐かったから。
けれども思わず自転車を止めて、ヌアンに声をかけるジンハー。そこで彼女が耳と言葉が不自由でそのせいか知的にも軽い障碍のある幼なじみのヤーバ(香川照之)と家庭をもち、6歳の娘がいることを知る。てっきり村を出て、町の人間と結婚して幸福に暮らしていると思い込んでいた彼にとって、かって村一番の器量よしで京劇の女優になる希望に満ちていたヌアンの現在の姿を、正視するにはつらい。

「何故、ヤーバと」
「”割れ鍋に閉じ蓋”だから」

好きだった女性のあまりにも過酷な歳月をその風貌に見るジンハーは、苦渋に満ちてヤーバとの考えられない結婚の理由を尋ねるのだが、ヌアンは朗らかにそう答える。
村の誰も、彼女の消息を教えてくれなかった。その理由を考えると、多くの想いが奔流のように彼の胸に流れて渦巻く。明日北京に帰る予定をとりやめて、ジンハーはヤーバとヌアン、ふたりの間に生まれた娘が生活する小さな家を訪ねる。映画は農村の貧しく文明から取り残された彼らの家庭を中心に、三人の複雑な心理をはらんだ交流と、かっての様々な思い出が交錯してすすんでいく。

ジンハーにとって、彼女は故郷においてきた大切な箱だった。
おいてきたのか、捨ててきたのか。その箱を再び開くことの懐かしさと深い後悔の苦しみ。
映画の原題が、大切な箱の名前、初恋の女性の名前”援(ヌアン)”であるとおりに、物語の主役であり要はヌアンである。しかし、「山の郵便配達」(1999年)から、中国の都会と農村の対比をモチーフにしてきたフォ・ジェンチイ監督の作品であるからには、もうひとつの主役は舞台となる中国の農村である。
テレビもない二人の慎ましすぎる家に、難色を示すジンハーと、北京の有名な大学(北京大学と思われる)に村からたった一人進学した彼の妻は大学で講師を勤め、一粒種は、”男の子”との対比。この村では娯楽といえば、広場につくられた素朴なブランコと、何年かに一度巡業にくる京劇。
ジンハーが北京に帰る日に、ひとり娘が興味を示した折りたたみ式のジャンプ傘を置いていこうとするが、ヌアンは固辞する。この傘は、遠い都会の文明と村を捨てそこで快適に暮らすジハンを象徴する。ヌアンが毅然とした態度で傘を返す姿に、胸を衝かれる。過ぎた時間、かけ間違えたボタンは、取り返すこともできず、やり直すこともできない。

そしてもうひとりの主役は、ヤーバだ。
仲のよかったジーハとヌアンの後をいつもついて歩き、言葉が不自由なために村人から守られながらも、対等につきあう友人もいなかったヤーバ。ヌアンと結婚に至ったあまりにも彼の拙い愛情表現と胸に秘めた秘密、そして最後にとった彼の行動が、愚鈍に思えたヤーバの本当はひたすら純粋で気高い愛情の魂に誰もが意表をつかされるだろう。ここでヤーバ役を演じた香川照彦さんの演技力が、主役のふたりもかすむほどの強烈な印象を残す。人を一途に愛することの純粋さと、それでも犯した罪の愚かさがもたらす重さを、障碍のある役を通して香川氏は見事に演じている。彼の演技は、賞賛に値する。

「何故、ヤーバと」

ジンハーの苦悩する最初の問いは、最後に恋の勝利者が誰だったかを考えさせられる。
ジンハーは、村を去る前に彼らの小さな幼い娘を抱きしめて、ある約束をする。それは、10年前守ることのできなかった娘の母との約束を果たすため、そしてヌアンとヤーバの大切な箱を、今度こそ忘れないために。


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4 コメント

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kimonさまへ (樹衣子)
2008-10-07 22:30:00
TB&コメントをありがとうございました。

都会の匿名性が地方出身の青年に自由をもたらす反面、都会から田舎に帰省すると逆にコミュニティーのわずらわしさもありながら、居心地のようさもあるかもしれません。
ただ主人公の青年が大学に進学するため北京に行った時点で、ヌアンとヤーバとはもう別のステージに行ってしまったと思います。

>自分が捨ててしまったもの、そのことを本当に思い知ることは、もっともっと辛いことです。

そうですか。。。
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Unknown (kimion20002000)
2008-10-07 00:39:15
TBありがとう。

>その箱を再び開くことの懐かしさと深い後悔の苦しみ。

こういうことってありますよね。
僕も故郷で、感傷的な気分で、喪われた日々を憐憫していました。でも、自己慰謝に過ぎません。
自分が捨ててしまったもの、そのことを本当に思い知ることは、もっともっと辛いことです。

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オカピーさまへ (樹衣子)
2008-10-06 23:17:52
こちらこそコメントをありがとうございます。

この映画を観ないと損ですよっぐらいまで言いたいくらい気に入っています。
実は、ジンハー役を演じた役者さんは、好みのタイプです・・・。(照れ)
いかにも人のよいお坊ちゃま風でしたよね。
けれどもDVDの特典映像の撮影風景では、香川さんは、演技力だけでなく日本の俳優らしい貫禄とリッチさで彼に勝っていました。
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TB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2008-10-06 02:08:00
「山の郵便配達」と違って殆ど話題にならなかったようですが、素晴らしい作品でした。
内容もさることながら、香川照之の演技も断然優秀だったのに残念です。カンヌあたりで賞を獲ったら長蛇の列になるのでしょうが。

「木綿のハンカチーフ」を原作者は知っていたのではないかと思うほど、そのままのお話でしたね。
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