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『4ヶ月、3週と2日』

2008-12-21 15:04:40 | Movie
ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞したマイク・リー監督の『ヴェラ・ドレイク』は、50年前の時代事情。同じように望まぬ妊娠をしてしまった1987年の女性の一日を描いて、2007年カンヌ国際映画祭でパルムドール賞をルーマニアとして初めて受賞したのが『4ヶ月、3週と2日』である。

1987年、チャウシェスク大統領による独裁政権の末期、望まない妊娠をしてしまった大学の寮のルームメイト・ガビツァの非合法な中絶の手助けするために奔走する、女子大生オティリア(アナマリア・マリンカ)の緊迫感に満ちた一日を描いている。
『ヴェラ・ドレイク』が同じように非合法な中絶を扱いながら中絶の是非を論じるわけではなく「家族」をテーマーとしたように、本作品のテーマーも中絶の是非や女性の友情ではなく、独裁政権下における「自由」にある。胎児の”4ヶ月、3週と2日”の重さに、妊娠した友人と対照的なタイプのオティリアの”1日”の奔走ぶりを、ドキュメンタリー風に描いた作風は、まさにヨーロッパ人好み。受賞と称賛に値する映画だった。

当時のルーマニアでは、労働力の確保から4人まで出産しないと避妊も中絶も禁止されていた。こどもを何人望むのか、避妊するかしないかは個人の選択にゆだねられるべきなのに、この国ではそれも政府が決めること。映画は、鉄のカーテンの向こうだった当時のルーマニアの様子を次々とリアルに描いていく。中絶をするホテルの予約係りの不手際やフロントマンたちの怠惰で下品な視線。受付でICカードの提示を求められ、厳重な監視体制が窺がわれる。しかもそれなりのホテルにも関わらず、廊下の電灯はところどころ切れているところがあり、全体が薄暗く寒々しい。闇中絶をする”ベベ”の運転する車も含めて、走っている車も少なく、かなり老朽化している廃車寸前の車ばかりである。死んだように停滞して活気のない田舎町。こどもをたくさん産んでも育てられる経済力がなく、こどもたちが路上に捨てられていったという話しもリアルにせまってくる経済状態だ。

こんな状況でも工学部の学生のオティリアは、ひともうらやむエリート候補生。認知症になりかけている老母を叱る中年の独身男性”ベベ”にとっては、いずれ貧困から脱出できるパスポートをもっている若い女性に見える。彼が要求した非情な”こと”は、そんな彼女へのやっかみからくる復讐のようにも私には思えるのだが。またオティリアもそこまで友人のためにする必要があるのか。緊迫感のある描写が、彼女たちが後戻りできない危険な状況にいることを、更にその弱みにつけこむベベの絶望と政権がうんだ悪も描いている。ここで「自由」を観客に投げかけるのであれば、ベベを絶対悪の存在にしたり、オティリアを友情溢れるしっかり者の女性として描いてはいけないのだ。
そしてオティリアの恋人が登場することで、男性側の本音を語らせている。母親の誕生日にオティリアも招待して、贈物用の花を指定してこだわる恋人。大学教授という知的な家族に囲まれて育った彼は、一見賢く育ちもよく優しいのだが自己中心的な幼い青年に過ぎないこともわかる。ガビツァの不運は、自分にも充分起こりうるオティリアのいらだちにまるで気がついていない。彼にとっては、母親の誕生日にふさわしい花を恋人が贈ることの方が大事なのである。

輝くトロフィーを手にしたクリスティアン・ムンジウ監督は、39歳。彼らと同じ大学生として青春を過ごしたのだろうか。遠い日本に住む者には、今でははるか遠くに感じ関心も薄いチャウシェスク大統領の独裁政権も、”そういう時代だった”ことを過去形だけで語るには、あまりにも苦いものがあるのではないだろうか。違法中絶を施すベベとの交渉、堕胎された胎児の始末と衝撃的な映像が続くが、監督が最も伝えたかったのは、最後の緊張から解き放たれて食事するガビツァを前に、空腹にも関わらず何も食べることができないオティリアの表情に表れている。疲れきったオティリアの視線が、人間としての自由を我々に問う。

監督:クリスティアン・ムンジウ
2007年ルーマニア製作

■かよわき者、汝の名は女なり?
『山の音』
『ヴェラ・ドレイク』
『4ヶ月、3週と2日』


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